映画や小説などで、新機軸、と思えるものに出会わない理由はゲーム文化ではないか、と最近考えた。
もちろん、自分が歳をとって、いろんな経験をしたものが蓄積されているから、新しく見えないのが当たり前、という部分を除いても、世の中に「おはなし」が減っているように思えるのだ。
未来、過去、宇宙、霊界、国内、海外、ありとあらゆる世界におけるお話がすでに展開され、その中で何が新しいか、などはもはや言えないだろう。フィクションでも、「設定」「世界観」の組み合わせでその世界の法則は作り出されるが、テレビゲームのRPGが普及して以来、人類はどんどん加速度的にそれらの「世界」設定を消費しているように思えるのだ。その多くはすでにある名作のリメイクだったり、パロディーだったりするのだが、パロディーなどを含め、子供にとってはそれがオリジナルに見えてしまう現代においては、もはや何が新しいのか、は問われないのだろう。
ある意味、子供たちの世代にとっては不幸なことかも知れない。自分で物語を読んだり、勉強しようと思うとき、すでにそれらの名作的世界は自分がはるか以前にゲームでプレーした世界の二番煎じのように見えるのだ。そのときにその世代が時代に向けて語るべきストーリーを持つことができるのだろうか。
もちろん、自分が歳をとって、いろんな経験をしたものが蓄積されているから、新しく見えないのが当たり前、という部分を除いても、世の中に「おはなし」が減っているように思えるのだ。
未来、過去、宇宙、霊界、国内、海外、ありとあらゆる世界におけるお話がすでに展開され、その中で何が新しいか、などはもはや言えないだろう。フィクションでも、「設定」「世界観」の組み合わせでその世界の法則は作り出されるが、テレビゲームのRPGが普及して以来、人類はどんどん加速度的にそれらの「世界」設定を消費しているように思えるのだ。その多くはすでにある名作のリメイクだったり、パロディーだったりするのだが、パロディーなどを含め、子供にとってはそれがオリジナルに見えてしまう現代においては、もはや何が新しいのか、は問われないのだろう。
ある意味、子供たちの世代にとっては不幸なことかも知れない。自分で物語を読んだり、勉強しようと思うとき、すでにそれらの名作的世界は自分がはるか以前にゲームでプレーした世界の二番煎じのように見えるのだ。そのときにその世代が時代に向けて語るべきストーリーを持つことができるのだろうか。