今日地下鉄の表参道の駅で待ち合わせをしていた。珍しく大改修工事で、使えない出入り口があったりして、今毒ガステロでも起きた日には目も当てられない、と思ったりもしたが、そこで信じがたい光景を見た。

ダースベイダーが、女子高生と戯れているのである。

いや、そう見えた。ポスターだったのだが、公園のベンチみたいなところにベイダー卿と女子高生が並んで座っている図柄だったか。爆笑物ではあったが、こうまでしてPRするのか、と思うとちょっと痛々しくもあった。
職場の異動の時期で、班編成なども変わるので、徐々にその準備として周囲の机のごみなどを捨て始めている。すると出てくる出てくる、なくしたと思っていたものたち。同じ人物の違う年の年賀状が出てきたのにはちょっと感動。て感動してる場合か。あと、次々と出てくるものに名刺がある。…。

名刺って、最近は皆さんどうしてるだろう。個人的にはもはやかなり時代遅れの風習のような気がしている。何より、数がたまるともう名刺を見たって思い出せないものは思い出せないのだ。エレベーターの中で見た顔にあったので会釈をしたら変な顔をされて、「?」と思っていたら、いつも食堂の和食コーナーで配膳しているお姉さんで、別に仲良くもなかったことが判明。ちょっと恥ずかしかった。

それはともかく名刺。せめてみんな顔写真がついていればいいのに。中には感心してしまうほど個性的なデザインや、木目の素材を使っているものなどもあるが、それでも人物との付き合いがどれだけ続くか、のほうがよっぽど重要だ。あまり死蔵してもしょうがないので、情報をOutlookのアドレス帳と携帯にいれたあとは、こっそり捨ててしまうことにしている。大きな声ではいえないけれど。
以前、府中に住んでいたことがあり、仕事が遅くなるとよく帰り道にロイヤルホストの府中東店で食事をした。何しろマクドナルドは23時で閉店だし、家までの帰り道で他に食事ができる場所はラーメン屋一軒ぐらいしかないのだ。

それで、仕事が忙しいときなど、必然的にここでの食事が増えていった。

当時のお気に入りのメニューは、「シーザーサラダ」「ネギ塩サーロインステーキ御膳」「ステーキ丼」「スパゲティーカルボナーラ」などである。さらに今はドリンクバーになっているが、その前はメニューに載っていない隠しメニューとして、「ロイヤルミルクティ」もあり、知っているお客にだけ出してくれるなど、なかなかサービスが充実していた。

あるときから、ポイントカードがあると聞き、会員になったら、このポイントがたまることたまること。多い時期で1万7000円分ほどの食事券がもらえるほどポイントがたまり、カードもゴールドカードにグレードアップ。しばらくは豪勢な暮らしができた(どんな暮らしだ)。

今は引っ越してしまい、近くに頻繁に通えるような店舗もなくなってしまったのだが、あそこの人々は今でも元気だろうか。
昨日のNHKの放送でイギリスのテロ対策について取り上げていて感心したことがあった。別に個人的にはイラク政策にまつわるイギリスの姿勢を支持しているわけではないのだが、イギリスがとってきたテロ対策とその効果、と言うことに対する評価の仕方に非常に納得がいったというか、「ああそういう考え方か」と思ったのだ。

要するに、イギリス国内のイスラム社会に対して、テロ予防のための飴と鞭両面作戦をいかに行うか、と言うことが一つ。実際にテロが起きてしまった以上、これはある意味失敗でもあるのだけれど。ただ感心したのはその後。実際にテロが起きた後にどうするべきか、あるいは実際に起こるであろう、という事態に備えての精神的に準備に投資をしていたそうなのだ。国民一人一人に対してパンフレットを配ったりしていたそうだ。「もしかしたらテロが起きるかも知れない」という不安をあおる宣伝ではなく「テロはいつか必ず起きる」ということを前提にした上で、「そのときどうするのか」を丁寧に説く、という方法なのだ。

もちろん、テロは起きないに越したことはないし、テロが起きるような外交政策を取った時点で失敗だ、と理想の高い人なら言うかも知れない。だが誰にも恨まれない人がまれな以上に、誰にも恨まれない国は少ないだろう。テロを本気で100%予防する方法などは、ないのだ。完璧を期するなら、テロを起こす可能性のある人物を全員、24時間監視するしかないのだが、そんなことは不可能だからだ。

以前「Finding Nemo」の感想でも書いたことだが、誰にでも確率的に不幸は訪れる。交通事故にもあうし、癌にもなる。飛行機だって落ちるし、落雷で命を落とす人もいる。それよりは低い確率で、テロだって起きるのだ。それに遭遇してしまった人は不幸だが、どんな不幸にも出会わない、ということを目的にした人生はすでに人生ではないのだ。

もちろん、テロなんて起きないほうがいいに決まっている。それを防ぐための政策を世の政権はとるべきだったし、これからも取るべきだ。しかしそれが不幸にして起きてしまうとき、誰かを責めながら生きていく、というのは現代人に許される態度ではないのではないか、と思ったりもする。
だましだまし使っていた富士通BIBLOのノートパソコン、週末の合宿に持ち歩いていたのだが、やはり電車の振動がよくなかったのか、今日の午後になってから突如ダウン。

しかも、昼過ぎまでは普通に立ち上がっていたのに、一度別室の会議に持ち歩いて、プロジェクトルームに戻ってから電源を入れたら、operating system not foundの一点張り。ウィンドウズの起動画面すら出ない。

前々から、使用中にいきなり画面ごとフリーズしてマウスすら動かなくなることがあったのだけど、今回はその極端な例。何回か電源をオンオフしてみたら運良く立ち上がることもあるのだけど、不安定なことに変わりはない。以前は原因としてハードディスクを疑って、入れ替えてみたこともあったのだけど、どうも本当の原因は別にあるようだ。一度徹底的に修理するしかないか…。
世の中の人間のバランスと言うのは微妙なところで成り立っているらしい。

仕事で付き合いのある若者がいて、今まではずっと他の人のアシスタント的なことをやっていて、ある意味非常に一生懸命なのだ。上の人の言うことはとてもよく聞き、ある意味非常に献身的でありながら、時々は自分の意見も上乗せしながら調子よくやる人物でもある。

今度、彼にちょっと責任のある仕事を任せてみようと言うことになったのだが、そうなると微妙に歯車が狂い始めた。要するに話の構成を立てろ、ということになったときに、「こういう話とこういう話がある」という説明はできるのだが、「じゃあ、どういうつもりでこの素材とこの素材を選んで、トータルでどういう話にするつもりなんだ?」と問われると、全く要領を得ないのだ。

ある意味、責任のあるチーフの仕事、というのはその「つもり」があるかないか、にひとえにかかってくるのだが、その一番大事な部分がその彼にはまだないのだ。そもそも今回の仕事をつけたときも「後見には誰が付いてくれますかねぇ」なんて言っていたのも今から思うとその予兆だったのに違いない。彼は自分の語りたい話を持っていないから、人の気に入るように、人の趣味に合わせて作ることが仕事だといつの間にか錯覚してしまったのだ。

それが一生付いて回る人としての器の問題であるのかないのかは知らない。だが、一度「ナンバー2指向」が染み付いてしまうと、それを抜くのには時間がかかりそうだ。
どうも最近はネットでニュースが手に入るので、新聞を読まなくなる傾向にあるが、これはやっぱりあんまりよくないのでは、と思うこともある。今日もそんな出来事が。

単純な話、巨大プロバイダーのニュースに一つ、結婚話の記事が載っていたのだが、それを見て「へ?」と思ったのである。お分かりだろうか?横浜ベイスターズ古木の結婚記事なのだけども。

見出しが「ハマ古木とモデル池端忍結婚」なのだ。これを見て皆さんはなんとも思わないだろうか?

自分が芸能界通ではないから、知らないのだ、と思ってつい見過ごしてしまうのだけど、多くの人は「池端忍」って誰だか知らない、のではないだろうか?自分の周りには少なくとも即座に顔が浮かんだ人はいなかった。

で、記事のリンクからたどるとオスカープロモーション所属だ、と言うことは分かった。さらに芸歴のところを見ると、1997年の国民的美少女コンテストで審査員特別賞を受賞した、とあるから、グランプリではなかったわけである(この手のコンテストなんて、トップを取らなければ歴史には残らないし、ましてや人の記憶にも残らなくて当たり前だろう、しかも8年も前!)。その他の仕事でもなんとなく「ああ、あれかも」と思い当たったものは唯一、「DHC」なのだが、それも山川恵里佳とかと一緒に出ているならともかく、よく分からない、やっすーい作りの方である。覚えている人が少なくて当然である。

ただ、ここで池端嬢のことを悪く言うつもりはない。ここで問いたいのはこの記事を書いた人物の見識である。この見出しの書き方はどうも、「肩書きにモデルと付けておけば、それなりの芸能人の結婚のように見えるのではないか」という粉飾のにおいがぷんぷんするのだ。もちろん横浜ベイスターズの古木といえば、それなりのネームバリューなのだが、見出しでこうして二人を並列で並べるという神経はどうなんだろう。

このニュースはスポーツニッポンの記事だったので、別に某プロバイダに分析があるわけではないが、記事のチョイスはプロバイダの責任だろう。大勢の目に触れるなら、話は大きめの方がいい、嘘でなければいいだろう、的な記事が案外多いのだ、ネット上では。

もともと、掲示板だって匿名の書きなぐりが多いし、このブログだってそうだ。誰もが思うところを書きたいだけ書けば、無条件に掲載される。嘘をついたから追求されることもない。まあひどい悪口を書けば名誉毀損ぐらいにはなるかも知れないが。

その程度のもの、と思っておくぐらいがちょうどいいのだろうな、やっぱり。
昔から風呂に入っていて分からない事がある。まあ世の中分からない事なんかたくさんあるけれども。

石鹸を置くお皿のようなものがあって、上はちょっと網目のようなお皿になっていて、その下部にはセットのようにしてトレイ部分がある。要するに上下合体して一つの物だと思う。

分からないのは、なぜ、この下の部分は必要なのだろうか、ということだ。

シャワーなどをあびながらこのトレイを使うと、かならず石鹸の上に湯や水がかぶり、この編み目の部分を通って下のトレイ部分に水が溜まる。当然、ある程度以上の量がたまると、上にあふれてくるから、この石鹸置きの上部を取り外して、下のトレイの水をこぼして捨てる訳だ。しかし…

一体、何のためにここに水を溜めるのだろうか。

もしも、石鹸から水を切るために、上部の網の目があるのならば、下のトレイの部分も網目状にして、水が切れるようにすればいい。いままでいろんな銭湯・旅館などにもいったが、この部分が網目状になっているものにはお目にかかった事がない。この下の部分に水やお湯をためて、一体どうしようと言うのだろうか?
というわけで、無事終了しました。合宿。2泊3日でも、合宿は合宿。

長時間の歌の練習に体がまだ慣れてないという事もあり、いろいろと心配。
富士山の近くの河口湖でやったのだけど、バスだと高速の渋滞で練習時間が削られる恐れがあるので、あえて電車で。大月まではJR、その後は富士急で。

初日(16日)は、半日の練習だったが、結構しんどかった。実は合宿の目玉の出来事として、二日目の晩の出し物があったのだが、その練習ですでに声が枯れ始めて「やばいっ」という状況に。さらに夜が案外暑くて寝苦しく、ついエアコンを入れて寝てしまったら、2日目(17日)の朝にかなりヤバいことに。かなり自重して練習する事になった。まあ、その方が声にもいいのだけど。

で、満を持しての2日目の晩。肝心の出し物になった。出番はトリではないのだが「鳥の歌」。先日紹介したレコードのジャヌカンの曲である。鳥の声の鳴き真似がいろいろと入るところがミソで、昔1回だけやったのだが、あらためてやってみるとその難易度の高さに驚かされる。それでも練習ではそこそこできていたのだが…。

大きな落とし穴にはまり、醜態をさらしてしまった。単純に楽譜のめくり間違えで、どこを歌ってるのか分からなくなってしまったのである。後半の佳境に入ったところだったので、笑いはとれたもののちょっと悔いが残った。もちろん、再開してからは順調に歌い切ったのだけど…。

しかし、久しぶりに人前で歌うのがこんなに緊張するものとは思わなかった。譜面をめくって、目で追っているつもりがだんだん意識が混乱してくる。声もちゃんとコントロールする方法をこころえているつもりが、息の吸い方すら分からなくなってくる。自分がここにいるのか、人が向こうにいるのかすら分からない。よく最後までいけたものだ。緊張ってこういうことだったのか。

まあ、それでもいちおう喜んではもらえたみたいでよかった。

そして今日も午前中練習してから、電車で帰京、そのまま会社である。びっくりしたのが、一緒に現地で解散して、中央高速バスで出発した人々が、およそ1時間半で新宿に着いてしまった事である。平常と同じか、むしろ早いぐらいだ。それならバスで帰ればよかったと思ったのも後の祭り。あまり冷房の効いていない電車で揺られながら疲れて戻った。

しかし、この季節、そんなにラッシュにはならないものなのだろうか。お盆とはちがってそんなに帰省はしないと思うけど。
いやー。まいりました。かえってきたら部屋の中の温度が34℃。ありえねー暑さじゃないかっ。

でさっそく愛しのシーモンキーちゃんにえさをやろうと思ったら…。いないじゃないですかっ。いや、落ち着け。このまえも最初に見た時はよく見えなかったじゃないか…。そう思ってなんども目を凝らしてみるのだけれども見当たらない…。確か孵化から4日後にえさをやればいいから、今日がその日のはず…などと思いながら飼育のしおりを読んでみると…「飼育に適した室温…23~24度」

…………。

適温の10度も上になってたら、そりゃ赤ちゃんだもの、死ぬわな。パチンコやってて赤ん坊を車の中に放置して死なせた母親の心境がちょっと分かったかも。合掌。