昨日のNHKの放送でイギリスのテロ対策について取り上げていて感心したことがあった。別に個人的にはイラク政策にまつわるイギリスの姿勢を支持しているわけではないのだが、イギリスがとってきたテロ対策とその効果、と言うことに対する評価の仕方に非常に納得がいったというか、「ああそういう考え方か」と思ったのだ。
要するに、イギリス国内のイスラム社会に対して、テロ予防のための飴と鞭両面作戦をいかに行うか、と言うことが一つ。実際にテロが起きてしまった以上、これはある意味失敗でもあるのだけれど。ただ感心したのはその後。実際にテロが起きた後にどうするべきか、あるいは実際に起こるであろう、という事態に備えての精神的に準備に投資をしていたそうなのだ。国民一人一人に対してパンフレットを配ったりしていたそうだ。「もしかしたらテロが起きるかも知れない」という不安をあおる宣伝ではなく「テロはいつか必ず起きる」ということを前提にした上で、「そのときどうするのか」を丁寧に説く、という方法なのだ。
もちろん、テロは起きないに越したことはないし、テロが起きるような外交政策を取った時点で失敗だ、と理想の高い人なら言うかも知れない。だが誰にも恨まれない人がまれな以上に、誰にも恨まれない国は少ないだろう。テロを本気で100%予防する方法などは、ないのだ。完璧を期するなら、テロを起こす可能性のある人物を全員、24時間監視するしかないのだが、そんなことは不可能だからだ。
以前「Finding Nemo」の感想でも書いたことだが、誰にでも確率的に不幸は訪れる。交通事故にもあうし、癌にもなる。飛行機だって落ちるし、落雷で命を落とす人もいる。それよりは低い確率で、テロだって起きるのだ。それに遭遇してしまった人は不幸だが、どんな不幸にも出会わない、ということを目的にした人生はすでに人生ではないのだ。
もちろん、テロなんて起きないほうがいいに決まっている。それを防ぐための政策を世の政権はとるべきだったし、これからも取るべきだ。しかしそれが不幸にして起きてしまうとき、誰かを責めながら生きていく、というのは現代人に許される態度ではないのではないか、と思ったりもする。
要するに、イギリス国内のイスラム社会に対して、テロ予防のための飴と鞭両面作戦をいかに行うか、と言うことが一つ。実際にテロが起きてしまった以上、これはある意味失敗でもあるのだけれど。ただ感心したのはその後。実際にテロが起きた後にどうするべきか、あるいは実際に起こるであろう、という事態に備えての精神的に準備に投資をしていたそうなのだ。国民一人一人に対してパンフレットを配ったりしていたそうだ。「もしかしたらテロが起きるかも知れない」という不安をあおる宣伝ではなく「テロはいつか必ず起きる」ということを前提にした上で、「そのときどうするのか」を丁寧に説く、という方法なのだ。
もちろん、テロは起きないに越したことはないし、テロが起きるような外交政策を取った時点で失敗だ、と理想の高い人なら言うかも知れない。だが誰にも恨まれない人がまれな以上に、誰にも恨まれない国は少ないだろう。テロを本気で100%予防する方法などは、ないのだ。完璧を期するなら、テロを起こす可能性のある人物を全員、24時間監視するしかないのだが、そんなことは不可能だからだ。
以前「Finding Nemo」の感想でも書いたことだが、誰にでも確率的に不幸は訪れる。交通事故にもあうし、癌にもなる。飛行機だって落ちるし、落雷で命を落とす人もいる。それよりは低い確率で、テロだって起きるのだ。それに遭遇してしまった人は不幸だが、どんな不幸にも出会わない、ということを目的にした人生はすでに人生ではないのだ。
もちろん、テロなんて起きないほうがいいに決まっている。それを防ぐための政策を世の政権はとるべきだったし、これからも取るべきだ。しかしそれが不幸にして起きてしまうとき、誰かを責めながら生きていく、というのは現代人に許される態度ではないのではないか、と思ったりもする。