清少納言の兄を襲った頼親の手勢は、尼僧(女)の彼女を僧侶(男)だと見誤り、殺そうとします。
そのとき清少納言、
「尼たる由いえんとて、たちまちに開を出だす」(『古事談』)
という行動をとったというのです。
開というのは女性器のこと。
清少納言は、着物をたくしあげ、陰部を見せて、難を免れたといいます。
はてさて、この日本を代表する女流作家の素顔とはどのようなものだったのでしょうか。
清少納言は清原元輔の娘。
この時代、女性の名が史料に記されるのはまれです。
つまり、彼女の本名は不明なのです。
清原氏出身だから、その「清」の字をとり、先祖に「少納言」の官職にあった者がいたから、「清(原)」の「少納言」と通称されるようになったといわれていますが、これまた諸説あって定まりません。
いちおう、康保三年(966)の生まれとされていますが、それも推定でしかありません。このように謎だらけの女性ですが、まず、男(僧)と間違われたという、その容姿はどうだったのでしょうか。
(つづく)
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