それでは推古天皇から天武天皇までの誰が初めて天皇と呼ばれたのでしょうか。
筆者は舒明天皇が有力なのではないかと考えています。
天寿国繍帳がつくられた時期がこの天皇の時代と重なる可能性のほか、天皇陵の問題があります。
小山田古墳(奈良県明日香村)です。
かつて蘇我蝦夷の墓だとされてきました。
しかし、いくら当時の大臣とはいえ、臣下の者の墓としては大きすぎます。
この古墳は、掘割の長さから一辺約70㍍に及んでいることが発掘調査で確認されました。
この「一辺約70㍍」がどれだけ巨大なのかというと、用明天皇陵(大阪府太子町)とされる近畿最大級の方墳で東西66㍍・南北60㍍の規模(より巨大な伝仁徳天皇陵は前方後円墳)です。
5世紀末から6世紀の初めにかけて朝廷で権勢を奮った蘇我馬子の墓だとされる石舞台古墳(奈良県明日香村)でさえ、一辺の長さは50㍍ほどです。
初めて天皇と呼ばれた人物の墓に相応しい規模といえます。
『日本書紀』によると、642年12月に舒明天皇の遺体は「滑谷岡陵」へ初葬され、翌年8月になって「押坂陵」(同桜井市)へ改葬されたことになっています。
小山田古墳は掘割の斜面に結晶片岩(変成岩のうち、片状構造 の発達したものの総称)と榛原石(奈良県宇陀郡榛原地方に分布する火成岩)が階段状に積み重ねられていて、押坂陵で確認されている構造と似ています。
したがって、小山田古墳こそが初葬された滑谷岡陵だと考えられるわけです。
さらに舒明天皇の皇子が、天皇権力を確立させる天武天皇です。
(つづく)
※天皇については新刊書『今さら誰にも聞けない 天皇のソボクな疑問』で詳しく書いています。