壇ノ浦で失われた劔の代わりとして、しばらく御所の清涼殿(天皇が生活する御殿)にあった「御劔」を用いることになります。
そして、第84代順徳天皇が譲位した際、伊勢神宮から劔が天皇家へ進じられ、それを神器の「宝劔に准じる(準ずる)」ことになったのです(『禁秘抄』)。
ここにふたたび「三種の神器」が揃ったわけですが、次のドラマは南北朝時代に生まれます。
元弘元年(1331)、後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒のために挙兵し、笠置山(京都府笠置町)へ入りました。
このとき後醍醐は三種の神器を持ち出しています。
ただし、鏡は動かせず、皇居内の内侍所に置いたままだったという説もあります。
なお、内侍所は賢所とも呼ばれます。
神鏡を安置する場所で女官の内侍が守護したところからこの名がつきました。
仮にそうだとしても、劔と神爾は後醍醐とともにありました。
(つづく)
※天皇については新刊書『今さら誰にも聞けない 天皇のソボクな疑問』で詳しく書いています。