それでは仮説の内乱とはどのようなものなのでしょうか。
まず『日本書紀』の記述に矛盾があり、継体天皇(欽明天皇の父)の没年が「辛亥」年(531年)と記載されている一方、その次の第27代安閑天皇(欽明天皇の兄)の即位元年を甲寅年、3年後の534年としていること。
つまり、継体と安閑天皇の治世の間に「空白の3年」が生じているわけです。
そして決定的な矛盾は、平安時代に書かれた『上宮聖徳法王帝説』にあります。
この史料によると、欽明天皇の治世は41年の長きにわたり、その没年から逆算した即位年は辛亥年(531年)となっているのです。
『日本書紀』でいう継体天皇の没年にあたります。
これを信じるなら、継体の次に第29代の欽明が即位し、安閑と第28代宣化天皇の治世が飛ばされていることになります。
さらに朝鮮の史料『百済本記』には、辛亥年に日本の政権内で内紛が生じていたと窺える記述があるのです。
(つづく)
※天皇については新刊書『今さら誰にも聞けない 天皇のソボクな疑問』で詳しく書いています。