男(僧)と間違われた清少納言の容姿はどうだったのでしょうか。
むろん、お世辞にも美人とはいえなかったでしょうが、醜女でもなかったようです。
まずまず平均的な容姿だったのではないでしょうか。
『枕草紙』に、藤原行成という公卿の評として、
「口つき愛嬌づき、おとがひの下、くびきよげに、声にくからざらん(=口元に愛嬌があって、首筋が美しくて、声が可愛らしい)」
と、清少納言自身の容姿が語られています。
そんな彼女はいまでいうバツイチ。離婚を経験しています。
一人目の夫は、橘則光。
地方官を歴任する中級官僚ですが、彼の母は、花山院(花山天皇)の乳母。
則光と清少納言が結婚した当時、花山院は皇太弟として次の天皇になる地位にあり、則光は中級官僚ながら、将来が嘱望されていました。
事実、清少納言の父元輔は七九歳という高齢ながら肥後守に就いています。これは“婿の七光り”によるものとされています。
清少納言が則光と結婚したのは、十六歳ごろのこと。
翌天元五年(982)には、二人の間に長男が誕生しています。
このとき清少納言はいまでいう“専業主婦”。まだ、宮仕えする以前でした。
(つづく)
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