「元和二年、大坂御陣落居以後、(将軍家)仙台出馬の由にて御陣触れ御座候」
江戸時代の元禄から享保に至るころに書かれた『東奥老子夜話』という史料に、徳川将軍家が仙台に出兵する噂があったと記されています。
元和元年(1615)五月八日に大坂城が落城して豊臣家が滅亡した翌年、つまり、元和二年四月十七日に徳川家康が没したのち、二代将軍秀忠が仙台の伊達政宗を成敗するべく軍勢を催すという噂が流れたというのです。
将軍が大名を成敗すべく出陣する以上、何らかの理由がなくてはなりません。
まず思い浮かぶのが謀叛の罪です。
それでは、政宗が幕府転覆を図ったというのでしょうか。
『東奥老子夜話』の作者は不詳ですが、四代目の仙台藩主・伊達綱村の時代に、仙台藩士だった者が藩内の古い文献や伝聞を集めて書き残したものです。
軍記物のように出鱈目を並べ立てているわけではありません。
しかも、『東奥老子夜話』には、秀忠率いる幕府軍を迎撃するための秘密作戦が「御内試」(つまり、図上演習プラン)として具体的に記されています。
いわば政宗の秘密作戦計画が四代藩主の時代にまで伝えられていたことになります。
(つづく)
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