各史料から、一流の文化人だった久秀の素顔が浮かんでくるものの、その正反対のイメージが後世のわれわれに印象づけられているのは、ひとえに彼が黙って“冤罪”を受け入れたからだと思います。
冤罪といえば、久秀が美女を戦陣に帯同させていたという通説もそうです。
彼は合戦のさなか、陣中に机帳(衝立の一種)をめぐらせ、美女と快楽に耽っていたというのです。
しかし、“戦国最大の濡れ衣”を着せられた男の事蹟だけに、にわかには信じ難い話です。
ただ、濡れ衣を着せられるだけのことをしていたのは事実です。
彼はある「性の指南書」を愛読し、それを実践していたと考えられます。『黄素妙論』という指南書です。
そこにどんなことが書かれてあるのか、少しのぞいてみましょう。
「男女ひそかに対面し物語などするに、俄に女のおもて赤くなるは、心中に淫事の念きざすしるし也」
これは、男女が交わるに至る機会について書かれたくだりです。
このあと、具体的に交合(セックス)する際の方法が書かれています。
続けてみていきましょう。
「女人、鼻をすすらば(中略)玉茎(陰茎)を少し入(る)べし」
「女人、目をふさぎ、口をあき、舌をさまし、息つかひ荒くなる(中略)そのとき玉茎を出入(ピストン運動)すべし。あまり深く入(る)べからず」
「女の玉門(膣)の中あたたかに潤い(中略)玉門の口へ玉茎をぬき出し、左右を横につくべし」
「女の足にて男の腰をはさみ、女の手にて男の背を抱きしめ(中略)玉茎をふかく玉門の奥さしつめて、静かに左右につくべし」
(つづく)
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