こんにちは。
前回に引き続き、映画『パリに咲くエトワール』の内容に言及したネタバレあり感想になります。
ネタバレに言及した内容なので、可能であれば劇場でご覧になってからお読みください。
ただ、そんなに長くは語らないかもしれません。
さて…紹介の方でも軽く触れましたが、この作品、とても良い映画でした。
既に見た色々な方が感想をあげられているので、時代考証や考察等はそちらにお任せするとして……私が特に感じて、文面に残しておきたいのはフジコの感情の描き方でした。
今回の感想は、その部分を主軸に述べる変則的な形でいかせてもらいます。
画家を目指して、夢を追いフランスはパリまで旅だった継田フジコ。
もう一人の主人公である園井千鶴の夢、「バレリーナになりたい」という夢と共にそれぞれ追いかけながら生活することになりますが、千鶴がちゃんと夢を叶える道へと進んでいく一方で、フジコは突然大変な境遇に見舞われ絵を描くことすらのっぴきならない状況に追い込まれます。
この、「友達が輝いていく中で自分は置いていかれる」という焦燥感と、思い通りに成果を出せない悔しさ。
言い訳が出来てしまう境遇。
何者にもなれないまま時間が過ぎていく辛さ。
それでも千鶴は自分の夢へと弛まぬ努力を続け、憧れの舞台へと辿り着くことを叶えます。
パリに咲くエトワールは、必死に努力して何かを掴み取る元気を貰える素晴らしい映画です。
が、中盤から本来行きたかった道を逸れていく、けれど決して妬まず、恨まず、友達の夢を支えるために必死に動き続けるフジコの在り方が、とても親近感を覚えました。
その後、フジコが画家として大成していく様子がエンドロールで描かれますが、ここで示されるものの多くは戦争を描いたもの。
これから先描いていくものが、描きたい、描かなければならないと思ったものであるならば、フジコのこれから先の未来は硝煙の匂いのする戦いの世界なのでしょう。
ですが、だからこそ十代の嫁入り前に、やりたいことに挑戦出来、成功を得られたということはフジコと千鶴の心に大きな想い出を残したことになります。
まず挑戦すること、挑戦することそのものが意味があり、記憶に残っていくこと。
そういう、前向きなメッセージが沢山詰まった、とても良い作品でした。
大きな感情の部分の感想はそんな感じです。
この感想の地盤をしっかりと固めているのは、全体を通しての作品の質の高さ。
監督の真骨頂なのか、謎の棒術得意チンピラや千鶴の母との殺陣はやたら細かく見応えがあります。
恋愛要素としても勿論ないわけではなく、最後にルスランからフジコへとプロポーズがあります。
けれど今回の映画ではそこは本題では無いので、良いバランスでちゃんと進行しています。
千鶴が選抜された時にルスランが花を贈りますが、この時のフジコの感情は推し量るにあまりにも辛く。
全て上手く行き前に進んでいく千鶴のことを、もしかしたらルスランは「特別に」好きなのかもしれない。
大好きな友達のために身を尽くすことは決して苦ではありませんが、それで自身が自分の人生で主人公になれないとしたら、ずっと作り笑いをしながら生きなくちゃならない。
あの時代、両親から「嫁に行け」と言われたら、それは絶対の命令に近いもの。
機会を得ながら、自分のやりたいことのできない人生に着地してしまうことは、今この時代に観る結末としては余りにも苦しい結末です。
そういう絶望がすぐそばで横たわっているのが非常に重く、感じ入りながら鑑賞していました。
というところで取り留めない感想はこんな感じでした。
少し余談になりますが、こうして思ったことを出力しておくことは大事だな、と思います。
今は私なんかよりしっかりと考察をし、時代背景を踏まえた感想や解説をしてくれる方が沢山います。
それは良い事なんですが、今自分の中に渦巻くふわっとした感情は新しく吸収したより正確で正しいものが混じって綺麗な感想へと変わってしまいます。
自身が何を感じ、どう出力したかったか、とちうのは大事だなぁ…と、改めて思ったところです。
余談が長くなりましたが、今回はこんなところで。
もしまだ劇場で観てなくて何かの間違いでこの記事を読んでしまった人は!
ぜひ映画館へ!




















































































































































