こんにちは。
というわけでこちらはネタバレありの感想です。
原作履修済みならネタバレも何もないと思うので、大勢の方には要らん気遣いかもしれないですが…下の方にざっくり感想を記載していきます。
さて、まず最初に…
なんでこの作品がアンパンマンやドラえもんみたいな席に座って老若男女に人気があるんだ?という疑問でした。
数日前までのちいかわは殆どミリしらで、ウサギがよく喋るのと泣いちゃった、くらいの解像度でした。
小さくて可愛いものという言葉のイメージを持っていましたが、読んでみてイメージはかなり変わりました。
戦わなければ生き残れない狩猟生活。
擬態型の存在。
鎧さんたちとちいかわ達の関係などなど
とても最初のイメージに沿わない追加情報がどんどん入ってきて、そこにきて島編の映画。
ある意味ちいかわという作品をみくびっていたところはあるかもしれません…名前とは裏腹に、fate/zeroとかに近い温度でしたね。
それでは映画の感想に入ります。
○セイレーンのキャラ造形
とてもよかった。
ちいかわのふわっとした世界観の根幹を支えるのは、登場キャラクタの思想や主義がしっかりしているから、というのがあると思います。
セイレーンも明確で、身内を害された可能性があるものには罰を与え、罰を与える対象ではないものは害さない。
但し、あだなすものには容赦をしない。実に分かりやすく、また余地のない恐ろしい存在です。
ちいかわ映画が面白かったのは、そういう超然とした存在が同じ空間にいて、対面して討伐するということが当たり前に行われている点。
人間の絵面だと、人と神がどちらが人の姿でも、片方が人の姿でなくても現実を想起してしまう。
恐ろしさと純粋さ、自身の論理をしっかり持つセイレーン…うまく説明がつかないのですが、何故かやたら琴線に響きましたね。
○ボタンの掛け違い
島編は、よくSNSで「なぜこうなってしまったか」「誰が悪かったのか」という話を散見します。
それはその通りで、ヒトハとフタハが恐らくしまっちゃわれるエンドになってしまうバッドえんどとなりそうなこの話を、誰がどう間違えなければハッピーエンドに出来たか。
理屈で言うなら、フタハが命を落としそうになった時、会話をもって人魚の一部を喰らうことが出来れば助かっていたかもしれません。
ただ、セイレーンは「人魚を喰って不死身となったもの」に対する処罰は一貫しているようなので、「自分たちのせいでいのちを落とした他者」に対してどこまでその理を変えられるか、という話になります。
結構大事な観点としては、もしあの瞬間に「犯人が見つからなかったら」。セイレーンはその罰を止めていたでしょうか。
「わかった、わかったから」というダブルミーニングはあくまでも犯人の把握がトリガー。
カレーでの攻略はきっかけに過ぎない。
犯人が分からなければ蛮行を止める「わかった」にはならない。
このダブルミーニングの優先度の大きさは、作品の妙でありギミックとしてはとてもよく出来ているな…と思うところ。
けれど、二人は捕まったものの、結末としては「最悪」ではない。
最悪は、二人が見つからず島民が居なくなるまでセイレーンに裁かれ続けること。
だから見つかったことはこれ以上の惨劇を止めるという観点もある。
永遠の命もなく、連帯責任で喰われてしまった島民が物理的には一番可哀想ではあるので。
というところから、多くの意思と執念の渦巻く島に巻き込まれたちいかわ一行でしたが、長編らしくこれまで以上にちいかわの感情の起伏が感じられて良かったですね。
○ちいかわが背負わされたもの
そんなちいかわだけが全てを把握し、回答を持たずに選択を保留した。
早くから懸念し、解への道筋を持っていたちいかわが沈黙を選んだのもとても感慨深いものがあります。
「わかった、わかったから」というセイレーンの言葉を受け取る時に、みているのをみていたちいかわは何を把握したのか。
友達であり、咎人でもあるヒトハとフタハに、何を伝えるべきだったのか。
この答えは完全な正解はないし、それぞれの理解に委ねられる作りになっていたのも良かったところ。
○まとめ
ちいかわという作品にやっと触れましたが、こんなに奥行きのある作品だとは思っていなかったのでびっくりしました。
みた人それぞれに感じたこと、受け取るものがある本作は実際のところ教科書のような役割も果たしているんだろうなぁと思います。
私は島編ではかなりセイレーンのことが好きなんですが、なんで好きなのかあまり言語化出来ていません。
ルールがあり、情もあり、その天秤に掛けて判断しているので、結果邪悪かどうかは判断に迷うところ。
この映画が「いいもの」の顔をして映画館で子供向け映画として上映されているのは小気味良さと、商業主義のつよさも感じますね。
いつも通り散漫な感想となってしまいましたが、感情の揺さぶられる非常に良い映画でした。