新・ユートピア数歩手前からの便り -197ページ目

思耕の賜物

弛まぬ思耕のせいか、突然円形脱毛に襲われてしまいました。正に青天の霹靂です。数日前から「何かヘンだな」と気づき始め、「まさか!」と思い、「いやいや、そんな筈はない」と自分に言い聞かせたものの、「どう見ても間違いない」という現実に直面して神を呪いました。もはや容姿など気にかける年齢ではないのですが、やはり気になります。そして「あきらめは天辺の禿のみならず屋台の隅で飲んでいる」という山崎方代の短歌を思い浮かべました。


それにしても日々の思耕の成果が新しき村の具体的な変革に出ないで自らの頭髪に出るとは!「ユートピアの実現」を目指そうというような人間がこのような些事に煩わされるのは実に恥ずべきことです。しかし、少し冷静になって考えてみれば、この「些事に悩む」ということは決して無視できぬ問題だと思います。


私はかねがね幼い子どもたちが失恋やら受験の失敗などという「実にちっぽけなこと」でいとも簡単に自殺してしまうことに深い疑念を抱いてきました。彼等は本当に絶望したのか、言い換えれば真の絶望に至るまで苦悩を深めたのか――そんなふうに感じたのです。しかし人間の苦悩は様々です。円形脱毛で自殺を考える人もいるかもしれません。その絶望がたとい客観的に浅かろうと、その人の主観においては充分自殺に値するものになり得るでしょう。そして、そうした苦悩――客観的には些事だが、主観的には重大事――は経済的な意味でのユートピア(食うことに困らぬ社会)が実現しても解消されないと思われます。では、もし真のユートピアがあらゆる苦悩からの解放を意味するのなら、それは如何にして実現するのでしょうか。また、それはそもそも実現可能でしょうか。これは実に難しい問題で、これ以上思耕すると円形脱毛がひどくなりそうなので、今日はこれで控えさせて戴きます。悪しからず、ご諒承下さい。


追伸:円形脱毛に対する慰め、気休め、揶揄・嘲笑のコメントは固くご辞退申し上げます。

生成の無垢としての永続革命

キルケゴールの実存弁証法に似たものに、ニーチェの「精神の三態」というものがあります。それはツァラトゥストラが語る「駱駝―獅子―小児」という三態です。すなわち、世の中の矛盾を全て甘受して生きる駱駝から、その矛盾に対して戦う獅子を経て、最終的には融通無碍に遊ぶ小児に至るというものです。私はこの三態をティリッヒの言う「他律―自律―神律」として理解していますが、問題は駱駝と小児の実質的な差異でしょう。


小児の融通無碍な自由の境地は、言わば「則天去私」ですが、見方を変えれば悪しき現状肯定に堕する駱駝と大差ないものと言えます。むしろ、苦しみに満ちた現実に耐えて生きる駱駝の方が、より現実的だと言えるかもしれません。殊に私が許せないのは、悟り澄ました坊主どもが、その悟りにおいて現実を超越し、結果的に世の中の矛盾と戦うことを放棄していることです。その意味において、今我々に必要なのは「獅子の精神」だと思っています。


しかし乍ら、「獅子の精神」はユートピアに至る過程にすぎません。最終目的地は、やはり神律的な「小児の精神」でしょう。ただし、それは常に「駱駝の精神」に堕する危険性に晒されています。従って、「駱駝―獅子―小児」という生成の無垢は永続革命として理解しなければならぬと思っています。


さて昨日のコメントで、「アルカディアが崩壊する必然性を理論的に明らかにせよ」との御意見を戴きましたが、「アルカディアの崩壊」は論理ではなく事実だと思っています。何か逃げているように思われるかもしれませんが、それが私の偽らざる実感です。尤も、始源の楽園(アルカディアにせよ、原始共産制にせよ、一つの共生社会)が失われ、苦しみに満ちた競争社会へと移行する過程は、社会学的(もしくは唯物弁証法的)に明らかにすることはできるでしょう。しかし、その作業は今の私の手に余りますし、興味もありません。ただ、ご指摘のように、アルカディアとユートピアの定義を明確にする必要は痛感しています。その仕事は何れ果たしたいと思っています。

前向きの反復

前向きの反復はキルケゴールの実存弁証法に基くものですが、人生の「美的段階―倫理的段階―宗教的段階」という三段階において、最後の段階は最初の段階の「受け取り直し」だというものです。その逆説的論理についてはすでに述べたことがあるので繰り返しませんが、私がそれに固執し続けるのは、そこにユートピア実現の核心的問題があるからです。それは「関係の一次性」の問題だと言ってもいいでしょう。


人は厳しい現実の中で生きながら、一種の「桃源郷」を思い浮かべます。皆が仲良く、平和に、楽しく生きられる世界です。そこには貧富の差はなく、もはやお金を稼ぐことに齷齪(あくせく)する必要もありません。それをアルカディアと言ってもいいでしょう。しかし残念ながら、それは永続性を持ちません。アルカディアという自然楽園は否応なく失われ、やがて競争社会に「発展」します。それは一つの運命です。問題はこの運命の克服から始まるのです。


この問題は極めて困難で、今簡単に述べることはできませんが、「ユートピアの実現」には不可避だと思っています。例えば、私が今の閉塞的な村を出て、新たな人達との連帯によって「ゾルレンとしての新しき村」を築くことに成功したとしても、「失楽園」の運命からは逃れられないでしょう。そこに永続革命の必要性があるとも言えます。

人工楽園の必然性

どうも私の真意がうまく伝わりませんが、問題は「アルカディアか、ユートピアか」というニ者択一ではないのです。尤も、私の書き方が悪いので、「ユートピアの方がアルカディアより偉い」と主張しているように思われても仕方ありませんが、私は「アルカディア必滅理論」など全く考えておりません。むしろ「アルカディアでやすらぎたい!」というのが私の本音だと言ってもいいでしょう。


ただし、アルカディアは現実において「失われた楽園」でしかない、と思っています。と言うより、自然楽園は厳密にはあり得ないのです。カントが『純粋理性批判』で述べているように、我々は物自体(自然そのもの)を認識することはできません。すなわち、我々の認識の対象は人間に内在する先験的形式に基いて構成されたものであり、その意味において我々が「自然」と見做しているものは「人間的に構成された自然」にすぎないのです。ゴキブリにはゴキブリの自然があり、カラスにはカラスの自然があります。従って、「人間的構成」を「人工」と解するならば、自然楽園は人工楽園の一部だと言えるでしょう。


何れにせよ、問題は「アルカディアか、ユートピアか」ということではなく、「アルカディア的要素を如何にして現実化するか」ということに他なりません。そして現実化とは「前向きの反復」であり、それは人工楽園としてのユートピアにおいて実現するでしょう。しかし、自然楽園―失楽園―人工楽園…この弁証法については未だ思耕の途中です。

脳と身体

どうも秋の長雨のせいか、憂鬱な日々が続いています。こうした気分が長引くと、小学生の時の通知表に「桑畑に落ちると、なかなか出て来られない性格」と書かれたことが思い出されます。何故桑畑だったのか、未だに腑に落ちかねますが、先生(女性でした)のその指摘は正しいと思います。


さて、今私が落ち込んでいるのは、「私の求めているようなユートピアは多くの人の共鳴を得られるものではないのでは…」という思いによるものです。すでに述べてきたように、私はユートピアには二つの系列があると思っています。簡単に言えば、自然楽園と人工楽園です。前者を牧歌的田園のアルカディア、後者をポスト・モダンのユートピアなどと区別していますが、多くの人はアルカディアの共同生活をこそ求めているのではないでしょうか。


尤も、私はアルカディアを否定しているわけではありません。ただ、「たといアルカディアが如何に魂のやすらぎをもたらすものであっても、そこへと後向きに戻ることはできない」と思っているだけです。アルカディアは前向きに反復されねばなりません。そして、「前向きに反復されたアルカディア」こそユートピアなのです。ユートピアが重層構造であるということは、そういう意味です。


しかし乍ら――アルカディアからユートピアへ、共同生活から共働生活へ、という論理はやはり説得力を欠いています。唯脳論的に言えば、私の言うユートピアは所詮「脳が求めているもの」にすぎず、「身体が求めているもの」が蔑ろにされているような気がしてなりません。当分、憂鬱な日々が続きそうです。

広場の憂鬱

ユートピアが祝祭空間なら、それは広場に実現するでしょう。言い換えれば、「自分の部屋」に閉じこもっていては、ユートピア実現の可能性は開けないということです。さりとて広場に出さえすれば良いというものではありません。問題は、「広場が生活の場ではない」ということにあります。


しかし、祝祭空間としての広場が生活の場ではないということは当然でしょう。むしろ日常生活と非日常的祝祭との間には質的な断絶があるというのが現実です。それは「平日は生活のために働き、休日はお祭り騒ぎをする」というライフスタイルだと言ってもいいでしょう。私は決してそれを否定するものではありません。ただ、そのライフスタイルは残念ながら永続性を持たないと思います。と言うのも、生活の次元と祝祭の次元の分離は結局それぞれの次元を中途半端なものにしてしまうからです。少なくとも私は、そうした二つの次元の逆説的統合にこそ「新しき村の生活」(生活の祝祭化=祝祭の生活化)があると思っています。


ところで、昨夜は村の定例会(諸問題の会)がありました。会には、熱心な村外会員のAさんが参加され、村内・村外の智恵を結集して「新しき村の今後」について考える全体会の設立を提案されました。それに対して出された意見は、総じて「そんな会をしても、うまくいく筈がない」といった後向きのものでした。Aさんは「じゃあ、どうするんですか。このままでいいんですか」と言われていましたが、結局そういうことでしょう。「このままでいい」とは思っていなくても、「どうすることもできない」と半ば諦めている…さりとて、「どうにかしよう」と新しいプロジェクトを立ち上げようとすると抵抗を感じる――それが今の村の雰囲気だと思います。もはや愚痴を繰り返しても仕方ありませんが、「祝祭の広場」足るべき新しき村が「生活の次元」に閉塞している現状は返す返すも残念でなりません。

鍵のかかる部屋

小学五年生まで私は長屋に住んでいました。そこに両親と兄の四人家族で暮らしていたのですが、当然「自分の部屋」などというものはありません。私は居間の片隅に机を置き、兄は他の部屋の半分をカーテンで仕切っていました。未だ幼かった私は別に苦になりませんでしたが、九歳年上の兄にはかなりキツイ環境だったと思います。しかし両親は頑張って働き、郊外に家を新築したのです。


それは今から振り返れば小さな二階建ての家にすぎませんが、子どもの私には急にお金持ちになったような気がしたものです。特に大きな変化は「自分の部屋」ができたことです。しかし、それはそれで嬉しかったのですが、私は奇妙な寂しさも感じていました。確かに長屋での生活は狭くて不便なものでしたが、そこには所謂「狭いながらも楽しい我が家」といった雰囲気がありました。それが新しい家に引っ越したと同時に、失われてしまったように思えたのです。


幼い私はその奇妙な寂しさの理由を「自分の部屋」ができたことに見出しました。以前はいつでも家族が一緒にいる状態だったのに、今では個々バラバラになってしまった――そんなふうに感じていたのだと思います。それで自分の部屋の戸を全て取り外したりしたですが、中学生になる頃には「自分の部屋」の必要性の方が大きくなりました。それは自然の流れでしょう。


結局、新しい家に移った際に感じた寂しさは「関係の一次性」に対するものだったと思います。それは家族が寄り添って暮らしている共同性に対するノスタルジーだったと言ってもいいでしょう。しかし、それは幼い私だからこそ感じた寂しさにすぎません。実際、今の私はかつての長屋の生活を懐かしく思い出すことはあっても、そこに戻りたいとは思いません。むしろ、「自分の部屋」が不可欠だという思いの方が強くあります。そして、その思いから「共働生活」への憧憬が生れてくるでしょう。「共働生活」は前向きに反復された「共同生活」に他なりません。

木曜会

昨夜は神保町の新村堂で毎週行なわれる木曜会に出席しました。この会は「新しき村・東京支部」の集会ですが、もともと「実篤を囲む会」のような感じで始まったものなので、その基本的な雰囲気は今でも「実篤ファンクラブ」といったものがあります。それ故、「新しき村」の理想実現について積極的な議論を望む人にとっては少し物足りなく感じられるかもしれません。しかし、幸か不幸か、実篤を直接知る人も次第に少なくなり、またそれに反比例するかのように実篤よりも「新しき村」の運動そのものに関心を抱く人が徐々に増えつつあることもあって、少しずつ雰囲気が変わりつつあるように思います。


さて、そんな木曜会において、私は先日の便りでも述べた「新しき村は今でも愛しているが、共同生活はもうこりごりだ」という或る離村者の言葉について話しました。それを受けて出されたのが、かつて或る村外会員が「自分は他の村人と同じように農業に従事することはできないが、今の出版の仕事をしながら村内で暮らしたい」という希望を持っていたものの、結局は諦めざるを得なかったという話です。また、村内会員として農業をしていた人が、新たに教育の仕事に就こうとして離村を余儀なくされたという事実もあるようです。


確かに今の村においては、農業以外の労働は認められないでしょう。しかし、その現状を打破して、様々な仕事が認められるような村にならなければ、新しき村の将来はありません。その鍵となるのは、「共同生活の止揚」です。言い換えれば、共同生活の価値観に固執している限り、自由な共働の次元が開けてこないと思います。

共働の場

今日は色々とたてこんで、ゆっくり共同と共働の差異について述べている時間がありません。しかし、私はすでに「新しき村は共同体にあらず!」他でその差異については触れており、私の基本的な論理は御理解戴いているものと思います。勿論、その論理は未だ充分なものではなく、更なる思耕が必要であることは言うまでもありません。同じようなことばかり繰り返しているように思われるかもしれませんが、もう少しご辛抱下さい。


ただし、そうした理念的な仕事と平行して、やはり具体的な仕事も進めていかなければならぬことを痛感しております。すなわち、「共働の理念」を深めながら、それを具体的に実践していく現場が必要だということです。私は今ある新しき村をそのような現場にする努力を依然として続けているわけですが、それとは別に、全く新しい現場の摸索もそろそろ本格的に始めたいと思っています。


何れにせよ、問題の核心は「共働の場」を求める人々の結集にあります。私は、自分も含めて、「本当に生きること」にギアがなかなか入らない人がたくさんいると思っています。差し当たって、そうした人々が結集する「交流の場」ができれば、と願っています。新しき村を変革するにせよ、全く新しい現場をつくるにせよ、「同志の結集」が第一歩になるでしょう。どうすればそうした場が実現するのか、皆さんの智恵をお貸し下さい。

共同生活―個人生活―共働生活

幸いなことに、学生時代の合宿とかキャンプには楽しい思い出があります。勿論、そのような団体生活には嫌な思い出しかない人もいるでしょう。そうした人々は自分の部屋で静かに読書をしたり、DVDを観たりすることの方が楽しいと思われるかもしれません。私とて、そうした個人生活の楽しさを否定するつもりはありません。と言うより、それが核になっていると思います。しかし、個人生活を楽しみながらも、その心の片隅で共同生活への憧憬がないでしょうか。少なくとも私は、どんなに個人主義的な人でも、その根柢には共同体とかコミューンといったものへのノスタルジーにも似た感情があるように思えてなりません。それは「古きよき村」といった原郷への思いです。


しかし乍ら、そうした共同体への憧れは長続きしないのではないでしょうか。合宿とかキャンプも、短期間だからこそ楽しいのであって、それが日常的に続くとなるとウンザリする人も多いでしょう。そこに古き村の共同生活が廃れ、個人生活を中心とする近代社会が生れた理由があると思います。ただし、近代以降の個人生活に問題がないわけではありません。むしろ、そこに「人間として生きることの真の充実」が得られないからこそ、「ユートピア実現」への意志が連綿と続いているのだと思われます。我々現代人は、「古き村の共同生活」と「近代社会の個人生活」の間で引き裂かれていると言えるでしょう。


何れにせよ、我々は「古き村の共同生活」へと後向きに戻ることはできません。そうかと言って、「近代社会の個人生活」にも満足できないとすれば、前向きに「新しき生活」を創造するしかないでしょう。それが「新しき村の共働生活」なのです。しかし問題の核心は、共同生活と共働生活の差異に他なりません。それは一体何でしょうか。