マイホームは親の都合だったのか? | 黄昏黒猫屋敷ー布人形とイラストの小部屋

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世間からかなりずれている管理人、黄昏黒猫堂こと黒猫が自作人形やイラストを発表しつつ、ニート、ひきこもりなど生きずらさを考える。(画像一覧で作品を見ていただけるとうれしいです。)

 息子が環境の変化に弱いことはわかっていたけれど、友達もできて、よく行ききして遊んでいた。学校にも問題なく通えていた。それでも運動会や遠足の時は心が不安定になっているように見えた。息子は決まったスケジュールで生活が進んでいくことを好んでいて、遠足や運動会のような通常と違う行事はイレギュラーなものと受け止めていたようだ。それでも大きな問題もなく学校に通えていたので、もう心配はないかなと思った。

 下の子も大きくなって、アパートも手狭になったので、思い切ってマイホームを買うことにした。できれば転校せずにすむようにアパートの近くの物件を探したけれど、予算が届かず、隣市の物件を買った。当然転校することになる。担任の先生に挨拶にいくと、先生は息子の性格を考えて、転校先での学校生活についてアドバイスをくれた。先生は少し心配しているようだった。でも、僕はたかをくくっていた。公立学校はどこも同じという意識があった。でもそれは見当違いだということに、やがて気づかされた。

 学校風土というものがあって、公立学校だからといってどこも同じではないということは、今ならよくわかったことなのだけれど、当時はそんなことに無頓着だった。転校先の学校は前の学校とはまるで違っていた。とにかく学校行事に力をいれていてとにかく生徒にいろいろなことをさせて、生徒は忙しい生活を送っていたし、そのうえ、そこまでするかという管理教育だった。小学生にはもっとのびのびとした生活をさせてもよいのではとも思った。息子は前の学校の先生が心配した通り、あまりに細かい行事事についていけず、生活のペースが崩されて消耗していき、それに追い打ちをかけるようにイジメがはじまった。そこで初めて、息子は前の学校では、かなり配慮されていたことに気づかされた。気が付いたときはもう手詰まりで、もう息子は学校に通える状態ではなくなっていた。このままでは息子は壊れると思い、息子とも話し合って、学校には通わず。前に住んでいた市のフリースクールにバスで通うことになった。不登校のはじまりだ。

 それと、なんの因縁か、そのフリースクールは一般の不登校児童・生徒も受け入れるが、基本的には発達障害の子供たちを療育するフリースクールだった。そこで息子は体制を立て直すことになる。それにしても、今考えると、マイホームを買うことはもっと後でもよかった。もう少し間取りのある近くのアパートにとりあえず引っ越し、小中学校いっぱいは前の学校区にいてもよかったのでは、そうすれば息子に余計な苦しみを味あわせることもなかったのではと、今となってはどうにもできないことを思うときがある。ただ、すべては結果論であって、人生は何がおきるかわからないものだ。これから息子の不登校生活が始まるが、それは次の機会に。

 

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