内気な兄と陽気な学習障害の弟 
それぞれに不登校な兄弟と過ごす
穏やかな日常の記録や
ヒューマンデザインについて発信しています。
元医療職から起業して投資やコンサルを経て
「どこまでも自分らしくあること」を求めた結果
今はヒューマンデザインアンバサダーとして活動しています。
* * * * *


自己紹介①臨床検査技師から起業して退職を決めるまでの記事はコチラ


仕事を辞めると決めてから2018年末に退職するまで3ヶ月ほどあったのですが、その期間中かなり頑張って退職後の予定を入れていました。だから辞めてすぐはかなり忙しくて、投資の動画販売以外に、食のインストラクターとして全国で講座を開催したり、ライティング講師やSNSコンサルとしても活動しました。

たくさんの人と繋がって、あちこち飛び回って仕事をして、日々充実しているように感じていました。

その時は確かに目指している場所があったし、そこを目指すことが正しいと思っていました。

ただ、がむしゃらに走り続ける中でほんの少し、自分の中に違和感が芽生えていたことも事実です。

周りからは私は「起業してやりたいことができてる人」に見えていたと思います。

だけど私は明確なやりたいことやビジョンみたいなものがあったわけではなく、「やってみたいこと」や「得意だしできそうなこと」をその都度選択していました。

食のインストラクターも投資もライティングやSNSも、興味があったり得意だったりはしたけれど、すごく探求したい分野かと言うと全くそんなことはなく、そういう点では細胞検査士の仕事と似たようなものだったのかもしれません。

目的は講師業やコンサルの活動そのものというよりは、自分の可能性を広げてみたかったとかまだ見ぬ自分自身を発見してみたかったとか、その配分が大きかったと思います。

 

どれが100%とは言い切れなくて、目的の中にはこんな部分もあんな部分もあったよなぁ、と振り返っています。

 

だからいつも自分の中には「私は一体何がやりたいんだろう?」という問いがありました。

片手にその問いを握りつつ、もう片方の手には「自分が本当にやりたいこと」なんて、別に見つける必要はないのかもしれないという自分なりの答えを握りつつ。

結果的に、技師の仕事を辞めたと同時に試行錯誤が始まりました。

仕事を辞めて自由な時間が増えたこともあり、子どもたちと海外に行ってみたり新しいことを学んでみたりしながら、自分の中にある問いや時々感じる違和感と向き合ってみました。

次第にわかってきたことは、自分がそれまで「正しい」と思ってたことも、そう思ってる自分のことも、実はそれほど信頼できるものじゃないんだなぁということ。

自分の意志で選んでいたつもりが、誰かの期待に応えようとしていただけだったとか、「みんなが目指しているところ」を自分も目指すべきだと思っていたけれど、自分の本心ではそれを望んでいなかったとか、そんなことがゴロゴロ出てきました。誰かの期待に応えようとしたり、他の人と同じゴールを目指すことが間違っているわけではないけれど、自分が心から望んでいることをするのに比べると、負荷が大きくなるものなのかもしれません。

私も、途中で力尽きてしまうことがほとんどでした。

そこで、自分に過度な負荷がかかっていそうな仕事とか、肩書きとか、人間関係をを手放すことにしました。

 

それまでずっと走り続けてきたけれど、だからこそ一旦立ち止まってみることが必要だとも思えました。

折しもコロナが流行り出したタイミングで世の中大きく変化し始めていたし、ちょうど長男(当時小5)がコロナ休校がきっかけで不登校になったしね。

 

そこからの3年は、何者でもない個人に戻っていく期間だったのだと思います。もともと大した肩書きも持っていなかったけれど、提供しているサービスの内容で見ると「投資の人」だったり、「SNSコンサルの人」だったり、ざっくり「ママ起業家」という枠組みに入っていたので。それらを取り払って、再出発したいなと思ったのです。

例えるなら、来た道を出発地点まで戻って、今まで持ってた荷物をそっくり下ろして、今度は戻った道とは別の方向に歩き始めるようなものでした。

それまで頑張って手に入れてきたものを手放すことに一抹の不安はあったけれど、手放してみたらそのあまりの身軽さに思わず笑ってしまうほどでした。

私は一体、何を背負い込んでいたんでしょうね?

身軽になった私はなんだか羽が生えたような気分になって、奄美大島でヌード撮影してみたり、金沢や北海道へ旅行したり、アート合宿に参加して絵を描いてみたり、不登校になった息子が9ヶ月かけて登校できるようになった体験を記事にしてみたり、みたこときいたこと感じたこと全てを自分の中に取り込んで味わい、消化しながら少しずつ歩き始めました。

 

辿り着きたいゴールがあるわけではないけれど、一歩進むごとに自分の道ができていくのを感じました。

 

 

 

そうしていよいよ、今の私につながる確かな道筋が見え始めます。

またまた長くなってしまったので③へつづきます。

 

 

次でおしまい!!

 

 

 

 

🌿

 

長男が小5で不登校になり、9ヶ月かけて登校

できるようになるまでのプロセスを、7万文字の

記事「不登校の海」にまとめました。

 

この投稿は、数あるエピソードの一つです。

 

また今回、新たに次男が学習障害から不登校に

なったことや中学に入ってからの長男の取り組み

について、新たに追記しました。

↓↓↓

https://resast.jp/subscribe/235201

進級進学を控えたこの時期に、同じような境遇にいる方の不安が少しでも軽くなるよう、お役に立てればと思います。

どうか必要な方に届きますように。

 

  

 

 

「お帰りなさい」が言いたくて…



平日フルタイムの正職員から

顔を隠して副業で起業。

 

長男の学童保育が無くなる4年生のときに退職。

働き方を変えるべく起業にシフトしました。

 

 

子どもにお帰りなさいが言える働き方がしたい。

 

ママでも一人旅に出かけたい。

 

正直家事は苦手!!

 

いつも心地よく過ごしていたい。

 

 

「そんなこと実現するわけないよね」という建前から解放されて、本音を叶える生き方を実現するために必要なのは、たった一つの考え方でした。

↓↓↓

 

 

 

普通の主婦から起業して独立に至った道のりをインタビュー形式でお話しさせていただきました✨

 

 

 

子どもの教育費・保険・老後のお金に困らない。

普通のお母さんの私が15年続けている

いちばん簡単な投資の方法

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2020年のコロナ休校を機に、当時小学5年生だった長男が不登校になりました。

そこから9ヶ月かけて完全登校できるようになるまでの記録をまとめています。

(試し読みはこちら↓)

不登校になった息子とわたしの9か月間

 

 

現在はコンサル及びコーチングの募集を締め切っています☆

何かあればご案内するので気になる方はご登録を^^

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#不登校小学生 #学習障害

 

 

 

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