内気な兄と陽気な学習障害の弟
それぞれに不登校な兄弟と過ごす
穏やかな日常の記録や
ヒューマンデザインについて発信しています。
元医療職から起業して投資やコンサルを経て
「どこまでも自分らしくあること」を求めた結果
今はヒューマンデザインアンバサダーとして活動しています。
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最近少新しく人と会うことが少し増えて、「佐竹さんて(仕事)何やってるひとなんですか?」みたいな質問への答えとして「8月からヒューマンデザインという個性分析のリーディングを始めたんですよ〜」と答えるんですが、そうするとだいたい「それまでは何してたんですか?」と聞かれることが多いです。そりゃそうだ。
簡単に言えば…
10年くらい病院で臨床検査技師として働いてきたんだけど7年くらい前から起業を少しずつ始めて、5年前に技師の仕事を辞めてからは動画販売したり講師業みたいなことをぼちぼちやってて、3年前にいったんそれらを辞めてたんだけど8月から再び活動始めるに至りました。
みたいな感じになります。
起業してからの活動の中身は全然一貫していないんだけれど、一言でいうならきっと「(その人にとっての)安心の土台を作るためのサポート」みたいなことだったと思うし、それはヒューマンデザインをやってる今も変わっていません。ビジネス的にはこのあたりのことを簡潔に文章にできるといいんだろうけれど、その前に一旦この7年間のことを整理するという目的で、あらためてちょっと詳しく自己紹介を書いてみようと思いました。
①以前は臨床検査技師(細胞検査士)として病院勤務してました
個人で仕事を始める前は、10年ほど臨床検査技師をしていて、その中でも細胞検査士という「顕微鏡で細胞を見る仕事」をしていました。
臨床検査技師になったのはわりと思いつきだったけれど(25歳の時に文字通り思いつきました)、細胞検査士を目指したのは「あ、これやりたい!」と感じた数少ない経験の一つです。
細胞を見て良性と悪性を判断する仕事なのですが、形を見てそのパターンを捉えるという作業そのものが面白かったのです。色素や化学反応を使って細胞を染色するのは楽しかったし、染色された細胞はとてもきれいでした。
細胞検査士の仕事は楽しく面白くやりがいを感じられたけれど、それに付随する受付作業や確認作業、医療機器の精度管理はとても苦手でミスも多く、同僚にもたくさん迷惑をかけました。また、探究心を持って学会発表も続けながら仕事している同級生や技師仲間もたくさんいる一方で、私はそこまでの探究心を持つことはありませんでした。細胞検査士としてのスキルを磨く向上心も低い自分が、このまま今の仕事を続けて良いのだろうか?という疑問を抱き始めた頃、起業の機会に巡り合いました。 初めは自分が学んでいた講座でインストラクターに誘われて(年会費だけでなれる時代がありまして)、発信などを少しやってみたら反応があることに楽しくなりました。フルタイムで細胞検査士の仕事をしてたのでインストラクターの活動は家族との時間がとれなくてすぐにやめてしまったけれど、起業そのものに可能性を感じてあれこれ模索し始めました。 「何をしようか?」を考えていた時、10年くらい続けていた投資がちょっと良い感じの結果になっていたので、そのやり方を教材にしてみることにしました。仕事をしながら教材を作るのに半年くらいかかったけれど、販売してみたところすごく反響があり、いつの間にか「投資の人」みたいになりました。実際のところ、私は投資そのものに興味もないし「投資の人」としてやっていこうと思ったわけでもないけれど、自分の力で何かを形にするとか、個人でお金を稼ぐとか、そんなことが本当にできるんだなぁ…って、驚きつつ、その只中にいる自分の変化に夢中になっていきました。 それまで会社員とか病院職員しかやったことなかったので、起業して自分で事業を作っている人と話すことはとても新鮮でした。私の場合、職場で自分の本心や考えを言えるような環境ではなかったので、率直に自分の言葉で話したり自分の考えを話す人たちとの会話は純粋に楽しいと感じました。起業で知り合う人が増えるにつれて、周りに尊敬できる人や好きだなと思える人ばかりになっていきました。 起業活動を始めて2年が経った頃「細胞検査士の仕事を辞めてもいいのかもしれない」と思うようになりました。収入が増えてきたこともあるけれど、1番の理由は人間関係・物理的な場所・仕事の内容といった自分をとりまく環境です。細胞検査士の仕事はとても好きだったし、大学に入り直して就職してからもいっぱい勉強した誇れる仕事だったけれど、苦手な仕事もおおくてミスをしてしまうことへのストレスを常に抱えていました。 自分が1日の大半を過ごす場所として病院の検査室(窓が無くときどき揮発材やホルマリンの匂いに曝されました)と、自分で選べる環境とどっちがいいだろう?自分は10年後20年後、どんな人とより多くの時間を過ごしていたいだろう? その問いについて考えてみたら、迷いなく一つの答えが出ました。 →②に続きます
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長男が小5で不登校になり、9ヶ月かけて登校
できるようになるまでのプロセスを、7万文字の
記事「不登校の海」にまとめました。
この投稿は、数あるエピソードの一つです。
また今回、新たに次男が学習障害から不登校に
なったことや中学に入ってからの長男の取り組み
について、新たに追記しました。
これまで有料で公開していましたが、3月25日から
4月8日までの春休み期間中、無料で公開しています。
↓↓↓
https://resast.jp/subscribe/235201
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進級進学を控えたこの時期に、同じような境遇にいる方の不安が少しでも軽くなるよう、お役に立てればと思います。
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どうか必要な方に届きますように。
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