ブログラジオ ♯191 Good Vibrations | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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ではクロ系の音は前回で
一旦とりあえずブレイクと
させていただくことにして、

今週はビーチ・ボーイズである。

The Very Best of The Beach Boys: Sounds of Summer/The Beach Boys

Amazon.co.jp

いや、もちろんそのうちに
オーティスやらJB、
あるいはマーヴィン・ゲイ辺りの

ついついちらちらと
名前だけ出してしまって

そのままにしてある
アーティスト群たちも、

いずれ機会を改めて
きちんと取り上げるつもりは
一応あるにはあるのだが。

その辺は成り行きというか
基本気分次第なので、

もしご興味のある向きには、
あまり当てにせず適当に
お待ちいただければと存じます。


大体ここに関してはいつも
十回分くらい先までは

ラインアップも順番も決めて
進めてこそいるのだけれど、


それにしても
S.ワンダー(♯177)から始めて

クロい音で14回分
なんとなく並べてみた時には

アレサ(♯190)など書くのは
まだまだずっと先だよなと
高を括っていたのだけれど、

いつのまにか終わってしまった。

――早いなあ。


年を取ると時間が過ぎる速度が
どんどんと早くなるというのは
どうやら本当のようである。

いや、前にもここでは
同じような事を書いて
しまっているかもしれないが。

まあしょうもない愚痴は
適当に切り上げ、
とっとと本題に行くことにする。

でも、それこそ前回のアレサなど
まるっきりそうだったのけれど、

ここから数回のラインナップも
やはりしばらくは基本、
その方の全盛期というのか、

あるいはブレイクスルーの
タイミングとでも
呼ぶのがいいのか、

とにかくそういうバンドなり
あるいはアーティストなりの
プライム・タイムみたいな時期を、

残念ながら個人的には
リアルタイムで
知っている訳では決してない、

そういった人たちが
またまた続くことになる。

今回のビーチ・ボーイズにせよ、
最初に聴いた曲が
いったい何だったのかさえ


定かではないくらいの重鎮である。

88年頃にいきなり
Kokomoという曲が
大ヒットした時がたぶん、

唯一の同時代の経験ということに
なるのだろうとは思うのだが、

その時にはやはりいつだかの
レイ・チャールズ(♯178)を
目にした時と同様に

この人たちまだ現役だったのかと、
そんな感慨を
抱いたりしていたはずなので、


その時点ではもうとっくに
名前を知ってはいたのである。

その後ブライアン・ウィルソンの
娘さんたちによるユニットである

ウィルソン・フィリップス(♯166)が
登場してきて、

有り体だが、改めて、
お子さんがこんなに
大きくなってしまうほど

昔から活動している
人たちなんだよなあ、なんて

そんなふうに
感じたようにも記憶している。

さらにつけ加えておくと
いつもここでも
特にメタルなんかを扱う際、

やはり繰り返し
書いてしまっている通り、

僕は基本、
広く浅くが信条なので、

とりわけ今回はなんとなくこう、
好きな人にとっては


そんなの常識だよね、みたいな
話ばかりになって
しまいそうだったりするのである。

特にこの
ビーチ・ボーイズに関しては、
熱く語るに相応しい体験と

言葉とを十分以上にお持ちの方が
相当少なくなく
いらっしゃるはずなので、

ちょっと腰が引けてしまって
いなくもないでもない。

それでも、今回取り上げた
彼らのこの
Good Vibrationsなる曲が


史上稀に見る
強烈なトラックであることは
胸を張って断言できる。


さて、白人による
ロックンロールの起源を

かのエルヴィスにおいてしまって
かまいないとするとして、

その後を引き受けて、
ロックの歴史のページを
さらに一枚めくったのが、

たぶんビートルズだという
ことになるのだろうと思う。

そしてそのビートルズを
すぐ後ろから追いかける形で

イギリスにはストーンズ(♯3)が
登場してきた訳であるけれど、

大西洋を挟んだ反対側の
こちらアメリカにおいて

唯一ビートルズと
拮抗し得たような存在が

このビーチ・ボーイズで
あったのだろうと思われる。


いうまでもないがすべては
六〇年代の出来事なので、

僕としては音よりもむしろ
文字が先に入ってきた
情報の方が多い時代であるから、

所詮は憶測にしか
ならないといえばならないのだが、

だからこのビーチ・ボーイズが
ビートルズと比肩しうる
存在にまで
結局はなれなかったのは――

――いや、だから。


こういういい方をしてしまって
いいのかどうかという辺りが、
どうしても自信がないのだが、

とにかくはまあ、
ビートルズの方には、

レノン&マッカートニーという
二人の卓越した
ソングライターというか

サウンド・クリエイターが
その内部で両立していたのに対し、

一方のビーチ・ボーイズには
音楽的なある種の責任は

終始ブライアン・ウィルソン
一人の肩にすべて
かかってしまっていたのであって、

その差がある意味では
ひどく大きかったの
かもしれないなあと、

まあそんなふうに思ったりもする。


さて、デビューからそろそろ
五年が過ぎようとしていた
六十年代の半ば、

アルバムPET SOUNDが
制作される直前の時期のことである。


このブライアン・ウィルソンは
ツアーのための移動の飛行機の中で、

突然パニック障害のような
発作を起こし、

結局はツアーを
ほかのメンバーに任せ、

自分はスタジオにこもることを
いきなり宣言してしまう。

いわば人気絶頂の時期の
前線からの離脱であった。


それでもステージが
どうにかこうにか
成り立ってしまっていたらしいところが、

このビーチ・ボーイズなるバンドの
不思議なところでもあるのだけれど、

これはそもそもが
ウィルソン家の三兄弟と
その従兄弟とを中心とした編成で
結成されたことにより、

当初からヴォーカルが
曲を引っ張るというよりはむしろ、

コーラスワークが
徹底的に前面に出てきて、

それが絶妙に
バックトラックと溶け合って、

サウンドの全体像が
作り上げられていたからこそ
可能な事態だったのだろうと思われる。

その一方で、この時ブライアンに
このステージ活動からの離脱を
決意させてしまった背景には、

ビートルズのアルバム
RUBBER SOUL(♭5)の存在が
あったりもしたのである。

同作にあまりにも
衝撃を受けたブライアンは


どうしてもこれを越えるというか
真っ向から挑めるような一枚を

自分の手で作りたくなったのだと
いうことでもあったらしい。

おそらくRUBBER SOULは
当時市場に出ていた
数多の作品群の中にあって、

たぶん本当に群を抜いて
収録楽曲の手触りの

ヴァラエティーとでも
いうべきものに
富んでいたのだろうと思われる。


同作が採ったアプローチはやがて
SGT.PEPPERS(♭4)という形で
結実することになるのだけれど

いわばアルバムというものが
それまでの単なる、
ただ複数の曲が収録されている
それだけの形から脱却し、

全体が一つの物語として
成り立つような表現を持つ

そういうある種の規格としての
在り方のようなものを模索し始める

その最初の萌芽のようなものが
同作にはあったのだと思う。

そしてこのアルバムというか
アプローチのやり方に
いち早く反応したブライアンは

一方で当時隆盛を誇るというか
たぶん最先端のサウンドであった

フィル・スペクターの
音の作り方に
挑むような気持ちを抱きながら、

同時にアルバム全体に、
緩やかでこそあるけれど、

恋人同士の出会いから
別れまでという物語を、
意図的にはめ込むようにして


PET SOUNDSの全体を
構想していったのである。

そしてその頭にあった音を、
もちろん使用楽器の編成の
問題もありはしたのだろうが、

上で触れたような経緯から
バンドのメンバーからも
ほぼまったく離れるような形で、

スタジオミュージシャンたちと
一つ一つ
積み上げていく作業に
着手したのである。

同作が時に、
ビーチ・ボーイズの
アルバムというよりも


むしろブライアンの
ソロ作品といった方が

相応しいだろうといったような
記述の仕方をされるのは
こういった所以であったりする。

もちろんヴォーカルと
それからコーラスとは

ブライアンを含めた
メンバーが入れているのだが、

確かにバンド・サウンドという
いい方はさすがに
憚られる種類の仕上がりである。

けれど、この一枚に
徹底して流れている

いわば幸福な浮遊感とでも
呼ぶしかないような手触りは、

間違いなく初期から一貫して
ブライアン・ウィルソンなる人の
作ってきた音楽と
なんら矛盾しないものであり、

それはとりもなおさず
ビーチ・ボーイズという
唯一無二のバンドの
サウンドになってもいるのである。

しかしながらPET SOUNDSは
残念ながら発表当初、
本国アメリカでは
あまり好意的な評価を受けず、


満を持しての発売だった割りには、
セールスも決して
爆発的とはいうまでには
ならなかったものだから、

これに業を煮やしたキャピトルが
改めてベスト盤をリリースし、

こちらの方がかえって
瞬く間にミリオンを
記録してしまったなどという
逸話を作ったりもするのだが、

ところが一方のイギリスでは、
熱烈な歓迎をもって迎えられ、

一時期はビーチ・ボーイズをして
ビートルズを上回る
人気を誇る存在にまで
押し上げる結果となったという。


新しいを通り越した
斬新なものへの反応とでも
いうような観点で見ると、

本当にこういうところで
英米の違いは
如実に出てくるようである。

そしてそれよりも何よりも
同作を手に取った
あのポール・マッカートニーが、

これを越えるような作品を
是が非でも自分で
ものにしなければと決意し、

それがおそらくは
あのSGT.PEPPERSの基本的な
着想となっただろうことはたぶん
断言してかまわないのである。

オリジナルのソースが
なんだったのか、
ちょっとよく覚えてはいないのだが、

僕はこの、なんというか
無言のキャッチボールみたいな
この時の二人のやりとりが

なんだかすごく好きなのである。

むしろ気になって
仕方がないという方が
正確かもしれない。

やりとりといってはいるが、
もちろんこの二人が電話なり
あるいは直接会ったりして、


次作への野心みたいなものを
互いにぶつけ合ったとは
まったくもって思ってはいない。

そういうのがたぶん、
作品を通じてだけ
ぶつかりあっていて、

それがおそらく、
アルバムという文化の歴史を
一つ前に進めたのだなと

そんな具合に思えることが、
ほかに相応しい言葉が
なかなか浮かばないのだが、

たまらなく素敵に思えて
仕方がなかったりするのである。


あるいは拳で語り合ったとでも
表現してしまうのが、

この場合一番似つかわしい
比喩なのかもしれないくらいに思う。

そしてこの一連を考えるたび自分が
どこかしら羨望に似たような気持ちを

時に抱いたりしてしまうこともまた、
隠しようもない事実なのである。


しかしながらこの
PET SOUNDSの後、

上で触れた売り上げの不振と、
さらにはSGT.PEPPERSを
越えるような作品を

次には是が非でも
仕上げなければという重圧から

ついにこのブライアンは
精神を病んでしまうのである。

たとえばスタジオによって
録れる音が違うからといって

バンドの全員を連れて
四箇所のスタジオを次々と回り、


コーラスやほかの素材を
複数回録音したなどという逸話は

まだ天才のこだわりの
範疇にも思えるけれど、

トラックが表現したい
火事の緊張感を出すために

その日招集していた
アンサンブルの全員に
消防士の格好させたりなどといった

奇行としかいいようのないことまで
平気でやってしまうようになるのである。


かくして七十年代のほぼすべてと
その後のしばらくの時間を通じ

彼自身はほとんどシーンから
すっかり消えてしまったような
状態になってしまうのだが、

残りのメンバーはその間も
どうにかバンドを維持していた。

最初の方で少し触れたKokomoも、
確かブライアン抜きで
制作されたものだったはずである。

さらにはその最中、83年には、
ブライアンの次弟であり、

創設メンバーの
一人でもあったデニスが

水難事故により
亡くなってしまったりもする。

この衝撃もたぶん
ブライアンにとっては
相当なものだったのだろう。

そういう訳で70~80年代の
ブライアン・ウィルソンという人は

相当ボロボロの状態だったと
いってしまうよりないのである。


今でいう心療内科系の
なんだか複雑な病名の
診断を受け、

その診断を下した
あまりたちのよくない
種類の医者に

半ば食い物にされているような
状態であった時期もあるらしい。

だから、振り返ってみればむしろ
あのライヴ・エイドに

バンドと一緒に
出演していることの方が
信じられないくらいなのである。


なお、この辺りの経緯については、
14年の映画
『ラヴ&マーシー』が

非常に的確に
まとめて見せてくれているので、

もし興味を抱かれた向きには
そちらをお薦めしておくことにする。

本記事については僕自身も
かなりこの作品を
参考にさせていただいている。

ちなみに同作の監督は
『それでも世は明ける』の
制作を手掛けた
ビル・ポーラッドという方である。


さて、今回記事の表題にした
Good Vibrationsは、

PET SOUNDの直後に
発表されたシングルで、

もちろん当時も一位を記録した
たぶんバンド最大の

ヒットといってしまっていい
一曲である。

PET SOUNDの開拓した
方法論が
一つの結実を見た
トラックであるともいえる。


しかし、いつ聴いても
とても不思議な曲である。

明るいんだけれど、
何か鬼気迫るものを感じる。

ちなみにGood Vibrationsとは
ブライアンが母親から聞かされた

犬にはその人の持っている
いい波動が見えているのよ、
みたいな感じの台詞が

元になって出てきた
フレーズなのだそうである。


たぶん史上初めてロックの
レコードに使用された

テルミンの奇怪な音と相俟って
聞えてくるあのコーラスが、
描き出してくるものは、

確かになるほど
容易に人知の及ぶ範囲を
越えている存在のようにも響く。

深遠という言葉も違うし、
不気味かというとそうでもない。

マイナースケールで開幕するのに
曲の全体には
奇妙な明るさが漂っている。

やっぱりだから、
不思議としかいいようがないのである。

ちなみにブライアン自身は
同曲については

ポケット・シンフォニーという
言葉を使って
形容していたようである。

それから一つ困ったのは、
そういう訳でこの曲は

PET SOUNDSには
収録されてはいないものだから、


今回はPET SOUNDSの
話ばかりしながらも、

ジャケットをベスト盤のものに
せざるを得なかったことである。

そういう訳でこの点ばかりは
どうか御了承いただきたい。


さて、では小ネタである。

PET SOUNDSの
最後の最後の方には、


SEとして犬の鳴声が
登場してくるのだけれど、

これらは当時の
ブライアン自身の
飼い犬のものである。

収録には二匹が参加している。

一方のビーグル犬は
名前をバナナといい、

もう一頭は犬種を
ワイマラナーといって、

ルーイという
名前だったのだそうである。

しかしながら彼らにはたして
本当にGood Vibrationsが
見えていたかどうかについては、

さすがに確かめる術がない。

当然両名とも
故人ならぬ故犬であろうし。

でももし
尋ねてみることが叶うなら、


むしろ一番やばかった時期の
ブライアンの周りに

いったいどんな波動が
漂い付きまとっていたのか、

訊けるものなら是非それを
尋ねてみたいものである。