ブログラジオ ♯192 Scarborough Fair/Canticle | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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この曲タイだけで、
いわずもがなとも思うのだが、

今週は
サイモン&ガーファンクルである。

The Simon And Garfunkel Collection -17 Of Their.../SimonGarfunkel サイモンガーファンクル

Amazon.co.jp

この二人もやはりまた
60年代の人たちという
いい方をするしかないのだが。

S&Gとしてのデビューが
64年の出来事で、

デュオとしては結局は
六年余りという短い期間で、

五枚のオリジナルアルバムと、
それから一枚の

サウンド・トラック作品とを
残しただけで、

一応はその活動にすっかり
終止符を打ってしまっている。

その割りには
当時から今日に至るまで

こと本邦での知名度は
同時代の他の存在に比べても、


際立っているような気も
しないでもないでいるのだが、

そんなこともないのかな。

いや、確かに今のいわゆる
若い人たちにとってどうなのかは
推し量る術もないのだけれど。

ただ、小説のタイトルなどにも
今でも時々彼らの楽曲からの引用が
見つかったりもするものだから、

なんとなく
エルトン・ジョン(♯5)辺りと
比べてさえ、


格段にポピュラーであるような気が
しないでもないでいたりする。

もちろんこれには当然ながら、
ビートルズとストーンズ、

それからボブ・ディランとは
別格としてという

注釈がつく話であろうとは
重々思っているのだけれど。


しかしよくよく考えてみると、
僕自身が初めて買った
洋楽のソフトというのは

ひょっとすると実は、
この方たちのものだった
かもしれないのである。

いや、たぶん間違いはない。

はっきり何年のこととまでは
さすがに覚えてはいないのだが、

中坊時代にはもう確実に
手元に一本持っていた。

それも当時、
ミュージック・テープなんて
呼び方をされ流通していた、


メーカーがカセットに
直接録音して
販売していた商品であった。

今でも演歌とかではまだ
あるかもしれないあれである。

しかし、この彼らは、
最初にも触れているように、

僕が学齢に達するより以前に
すでに解散してしまっていた訳で、

だからという訳でもないが、
買い求めたのは後年編集された
全12曲入りのベスト盤だった。


ああ、だんだん思い出してくる。

確か、夏休みに
母親の実家へと
里帰りか何かで
連れて行かれた

その行き帰りのどこだかの
駅近くのレコードショップで

購入したというか、
買ってもらったはずである。

好きなの買っていいよ
みたいなことをいわれて、

時間もあまりなくて、
なんとなく手に取った。

同時に何かもう一本
やはりミュージックテープで
購入したような気もするけれど、

そちらはまるで
記憶には残っていない。

邦楽のものだったことは
九分九厘間違いはないのだが。

いやしかし、こんなことまで
この年になっても
きちんと思い出せるのだから、


やっぱり当時の僕にはかなり
衝撃的な音楽だったのだろう。

あの時選んでよかったな、
くらいのことは

あるいは中学時代を通じ、
繰り返し考えていたりも
していたのかもしれない。

だから、少なくともまだ
夢中になって洋楽を
聴き込む前の時期からすでに、

彼らの音楽にだけは
まとめて触れていたことは
どうやら間違いなさそうである。


だとすると、ある意味では
僕の原体験の一つであった

くらいにはいってしまっても
いいのかもしれないとも思う。

しかし、思えば当時からすでに、
懐かしい手触りの音であった。

なおかつ、今でもその感触が
微塵も変わっていないところが
またすごいよなあと

聴きながらこれを書いている今も
改めてそう感じていたりする。


さて、問題のカセットが今も
手元にある訳ではないのだけれど、

大体の収録曲は、
今回ジャケットを掲げた

このCDの方に
網羅されている。

もっとも何故かこちらには
『四月になれば彼女は』の
邦題で有名な

April Come She Willが
選から漏れてしまっていて、


そこだけが不満だと
いえばいえなくもないのだが、

まあそれは
贅沢というものであろう。

たぶんこの一枚で
代表曲というか、

名曲といっていいトラックは
ほぼ聴けるといっていい。

April~のほか、
入っていなくて残念なのは、


The Only Living Boy in New York
辺りであろうか。

ちなみにこの曲は、
EBTG(♯20)のカヴァーも
なかなかいいので
ちょっとだけここでも触れておく。

なお、この二人の楽曲については
カヴァーで取り上げられることも
こんな感じで本当に多く、

それはすなわち、
どれもがある意味では

古典の域に達しているような
完成度を誇っているからだろう。

『明日に架ける橋』
(Bridge Over Troubled Water)なんて
あのエルヴィスさえ
歌っているようである。


そんな中でも個人的には実は
Americaというトラックが、
ものすごく好きだったりする。

これは最初に上のカセットで
初めて耳にした時からそうだった。

その段階でたぶん
The Sound of Silenceや
El Condor Pasa辺りは

もう知っていたからこそ、
手に取ったのだと思うのだけれど、


この曲は、その辺りの印象さえ
一気に凌駕して
しまったようにも記憶している。

同曲は、バスで移動している
恋人たちの光景を
切り取って見せたものなのだが、

当時はもちろん
英語の意味どころか
文法さえまだきちんとは
わからないままだったから、

メロディーというか
曲全体の醸し出す雰囲気に
なんとなく惹かれたのであろう。

あるいは辞書を引き引き、
その物語の光景を
自分なりに描き出すなんて作業を


初めてやってみたのも
このトラックだったかもしれない。

さて同曲の冒頭は、
愛の告白というか、

半ばプロポーズみたいな
一節で幕を開けている。

ちょっとだけ引用してしまおう。

Let us be lovers,
We marry our fortune together――

改めて、ずいぶんと、
婉曲的な表現である。

この話者の彼はさらに
書類も準備してあるからさ、
なんてことまでいい出して、

この二人は結局何故か
グレイハウンドに乗り込むのである。

このグレイハウンド・バスが
時に貧しさというか

富裕でないことのある種の象徴として
機能する場合が多いことを知ったのも
ずいぶんと後になってからだった。


それでも二人はそんなライドを
なんだか楽しげに過ごしている。

乗客の一人を横目で見ながら
彼はスパイに違いない、
ネクタイにはカメラが
仕込んであるはずだよ、なんて、

他愛のない会話が
ポール・サイモンの
細い声で綴られていく。

些か常套句的な
表現になってしまうが

この辺りまでは少なくとも
明るい未来への希望というものが
随所に感じられているのである。


ところが何故かこの曲、
途中で不意にというか、

ほとんどこちらが
気づきさえしないうちに

いつのまにかまったく手触りが
変貌してしまっているのである。

メロディーや歌詞の調子が
一変する訳では決してないのに、

コーラスが進むに連れ、
全体の空気がじわじわと

虚しさみたいなものを
帯びて響いてくるのである。

煙草が切れ、
仕方なく話者の僕は
窓外の景色をただ眺め、

彼女は雑誌に目を落としてしまう。

そして最後に繰り返される
サビのラインが
なんだか謎めいて響き出す。

All come to look for America――

皆アメリカを
探しにやってきたんだ


たぶんワン・コーラス目の段階では
希望のように響いていたはずの
このメロディーラインが、

何故かここでは
得体のよくわからないものに
化けてしまっている。

昔からこの効果が
不思議で不思議でたまらない。

念のためだが、この箇所の歌詞は
最初一番で登場してきた時とは
ほんの少しだけぶれていて、

最初はI’ve come~だったものが
上のように主語が
All へとすり替えられてはいる。


でもそれだけで
こんなに手触りが変わるものかと

本当に今でも聴くたびに
不思議な気持ちになるのである。

もちろんこういう展開が
成立するような細かな仕掛けが、

随所にきちんと施されていることは
確かといえば確かである。

先のグレイハウンドもそうだし、
ドラマの中といってしまって
たぶん大丈夫だと思うが、

彼らの移動の最中に日が暮れて、
月が出てくる描写もある。

やがて彼女は眠ってしまい、
それを知りながら話者は
ほんの少しだけ弱音を吐く。

そういう静かな物語が、
この少ない語数の中で描写され、

クライマックスともいえる、
ラストの繰り返しを
成立させているのは確かである。

だから、アメリカという言葉が
希望の比喩から現実の象徴へと
いつのまにか姿を変えていると、


たぶんまあ、そんなふうに
説明しようと思えば
説明できてしまうのだろう。

それでもまあ、
こんな要約で伝わるものは
たぶんそれほど多くはない。

そして何よりもそういう操作が
そもそもの当初から

このポール・サイモンによって
意図されたものであったとして、

やはりその手際の良さには
舌を巻くよりないのである。


しかもそうなると
さっき引用した最後のラインは

いずれ誰もが現実と
向き合わなければならないという

そういったある種の
苦渋のような感情を
内包しているが故に
胸に迫ってくるのだと、

たぶんそういう推論が
成立することになる訳だけれど、

よしこれが正しいとすると、
でも同時にそんなものが
このたった六語しかない

しかもそのすべてが
中学生でも大体
わかりそうなくらいの
平易な語彙でできている

短いラインの中に
過不足なく込められて
いるのだということになり、

それはそれでやはり
最早圧倒されるよりない。

今更ながらこの
ポール・サイモンという人の
詩人としてのすごさに
改めた頭を垂れたくなってしまう。

いつだったか、ディランの次に
あの賞に近い人がいるとしたら
スプリングスティーン(♯146)では
なかろうかと


そんなことをここでも書いて
しまったような気がするが、

この人を忘れていたと
今のうちに
訂正しておくべきかもしれない。


さて、思わず何となく
いつもより相当肩に

力が入ってしまったような気が
しないでもないでいるけれど、

まあだから、
何がいいたいかというと、


二十年経とうが三十年経とうが
読み解けたような気が全然しない、

それどころかまた延々と
こんなことを
受け手である僕に
思わず考えさせてしまう

そういう力を持った作品こそ
古典の呼称に相応しいと

改めてそう思ったりもして
しまっているという
そんな感じの結論になろう。


それにしても、
このAmericaに限らず

彼らの楽曲はどれも
アコースティック・ギターの音が
本当に美しく迫ってくる。

ロックとはたぶん
いいがたいのだが、

でもフォークという言葉で
括ってしまうのは
たぶん絶対にもったいない。

ビーチボーイズ(♯191)も
まったくそうだと思うのだが、

本当、この辺の人たちは、
1アーティスト1ジャンルと
でもいった感じなのである。



そんないわば
名曲が目白押しともいうべき
彼らの作品群ではあるのだが、

いろいろ考えた末
やっぱりベスト・トラックに
持ってくるべきだよなと思ったのが、

今回標題に置いた
Scarborough Fair/Canticleなる
一曲である。

これはポール・サイモンの
筆によるものではないのだけれど、

やっぱりなんていえばいいのか
よくわからないままなのだが、


普通では手の届かない場所に
思わず手が届いてしまった、

そういう希有なトラックだと
ずっと思っているのである。

タイトルの前半の部分
Scarborough Fairとは
イギリスの民謡であり、

まあこのトラックの
本体だといってしまっていい。

たぶん有名であろう
あの香辛料の羅列の箇所

パセリ、セイジ、
ローズマリー&タイムのラインは、
だから元々の民謡に由来している。

こちらの歌詞がまた
民謡らしくというべきか、

まるで昔話のようなのである。

縫い目のないシャツを作れとか、
海と海岸線の間に
一エイカーの土地を見つけろとか、

要は言葉上は成立しても
絶対に実現不可能であろう


そういう要素が
並べられていくのである。

たとえるなら我が国の
あの竹取物語のかぐや姫が

求婚者たちに投げかける
難題の羅列のような手触りで、

実際このScarborough Fairでも、

それができたのなら、
彼女は本物の恋人と
なってくれることでしょう


みたいな感じで
各コーラスが結ばれている。

そしてこの曲を
レコーディングするに当たって
S&Gの二人は、

自作のオリジナル曲を
カウンターパートとでも
いうべき場所に置くという

非常にユニークな試みを採用し
しかも成功させているのである。

それぞれが独立しているはずの
言葉とメロディーとが
互いにどことなく呼応しあって、

このトラックはなんか本当に
どこか知らない世界から
届いてきた音楽のように
聴こえてきてしまう。

それも、繋がっているのは
たぶん幽界とか

そういう言葉が相応しいような
場所である。

なんかもうだから
この曲ばかりは

どんな形容も拒むような
そういう音楽なのである。


でも、そういえばこういった、
レトリックというよりむしろ
言葉遊びにも近いような手法は、

The Sound of Silenceでも
ちりばめられていたものだった。

どうやら僕の表現の好みに
この二人の楽曲が
与えてくれた影響は

自分で思っていたよりも
かなり大きそうである。

いや、今回は改めて
そんなことまで
思い知らされたテキストでした。



さて、では締めの小ネタ。

この二人、そもそもは
小学校からの
同級生だったのだそうで、

正式なデビューよりも前
なんと57年にも実は二人で

レコードを一枚
吹き込んでいたりもする。

二人ともたぶんまだ十代半ば。

しかしながらこの時彼らは
トム&ジェリーと
名乗っていたのだそうで。

このネーミング・センス、
考えてみればいかにも、らしい。

でもひょっとして
今の人の中には

あの『トムとジェリー』を
見たこともない世代というのも

すでにいるのかな、などと
ついついまた余計なことを
考えてしまったりもした次第。


それからまた例に寄って
ついでなので
書いてしまっておくことにすると、

このネタのいわば
ある種のウラ取りとして、

『トムとジェリー』の
ウィキの記載を
一応眺めてみたところ、

この二人、いや二匹かな、
とにかく彼ら、最初の最初は、

トムとジェリーという
名前などではまったくなく、


ジャスパーとジンクスと
いったのだそうである。

いや本当、世の中には
知らないことが
まだまだたくさんあるものである。