ブログラジオ ♯5 Tiny Dancer | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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今回はエルトン・ジョンである。
彼の登場辺りからイギリスの、あるいは音楽のシーン全体というものが
少しだけ変わってくるのではないかとも想像している。

チャック・ベリーやエディ・コクランといったアメリカのアーティストたちが
トラッドやブルース、あるいはゴスペルなんかの要素を吸収し集積しながら
ギターという楽器を中心にいわばロックというジャンルをまず成立させた。
それが次第に商業として成立するようになり、
やがてマーケットの王座に躍り出ることになる。

実際ビートルズの時代までレコード会社の
売り上げの柱は完全にクラシックだったし、
ラジオだってポピュラーミュージックを流すことに
自首的な制限を設けていた。
そういう時代が確かにあったのである。

そんな状況がけれどあっという間に瓦解して今に連なっているわけだけれど、
どうもエルトン・ジョン辺りを境に、リズムに言葉が載るのではなく、
歌詞やモチーフ、あるいはヴィジョンみたいなものの方が、
楽曲の雰囲気を引っ張っていくというようなアプローチが
少しずつ確立されていっているような気がするのである。
まあなんとなくなんだけれどね。
いわばロックという用語の包括する範囲がやや広がっていくことを
じわじわと始めたような気がするのである。

たとえばYour Songの開幕のメロディーライン。
シンプルな繰り返しとでもいったものがなかなか見つけられない。
むしろ同曲では全編をある種のストーリー性のようなものが貫いて
それこそが聴く側のイメージ、あるいは感動を支えているように思われる。
もちろん彼の楽曲の中にも、たとえばSaturday NightやCrocodileみたいに
シンプルなロックンロールを感じさせるものはあるんだけれど。

とりわけエルトン・ジョンの楽曲群には
展開にドラマチックなものが多い気がする。
そしてこの方法論が、やがてクィーンのあの曲に
継承されたのではないだろうか。
時にそんなことを考えることもある。

そういう意味ではこのTiny Dancerのサビへの展開なんかは、
とりわけ彼の特徴が顕著なような気がしないでもない。
たぶん冒頭のあのリフとこれがおんなじトラックの中にあるというのは、
発表当時はすごく斬新だったんじゃないかな、なんて想像しもしている。

では最後にまたトリビアを一つ。彼のおそらく一番有名なナンバーから。
今やすっかりあのダイアナ妃のためのレクイエムとして
定着してしまった感のあるCandle in the Windだけれど、
この曲が書かれたのは73年のことである。
翻ってダイアナ妃のあの事故は97年。
つまりは元々存在していたトラックで、
彼女の死を悼んで書き下ろされた楽曲では決しない。
では発表当初、風の中の蝋燭に準えられていたのはいったい誰か。
答えは簡単。曲の冒頭に出てくるノーマ・ジーンという女性である。
彼女のもう一つ名前をマリリン・モンローという。
まあ小ネタというよりはほとんど常識みたいな範疇の内容だとは思うのだけれど。
聴けばすぐわかることだしね。
それに、多少の歌詞のリライトは行われているらしいのだが、
97年のヴァージョンをそのつもりできちんと聞いたことが、
あるいは僕はないかもしれないし。