ブログラジオ ♯3 Sympathy for the Devil | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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やはりこちらも決して素通りすることはできない。
いわずとしれた、ストーンズである。来日も決まったことだし。

正直に告白すると、ブルースを大胆に自分たちのものにし、
のみならず、すっかり新たなものに作り変えてしまったのだという
彼らの凄さがちゃんとわかってきたのは、
ずいぶんと大人になってからだった。
当初はミックの声質そのものと、
それから少し鼻の奥に引っ掛けるようにして
やけに粘っこく歌うあの歌唱法が
なかなか好きになれなかったのである。

ただこの曲だけは、初めて耳にした時から
強烈なインパクトを感じていた。
歌詞の内容を知ればなおさらだった。
こんなアプローチ、この曲の前にも後にも
一度だってあった試しがないに違いない。

あるいは同曲を知らない方のために。
自己紹介をさせてくれないかな。私は富もあるし、趣味もいいんだ。
でもずっと長い年月この界隈をうろついて、
多くの人間たちの魂と運命とを奪ってきた存在なんだがね。
サンバと単純に呼んでしまうにはあまり呪術めいた独特のビートに乗せながら
そんなふうにしてミックは例によって、
いや、いつにも増してひどく粘っこく歌い始める。

それから言及されていく出来事の数々。
キリストの磔刑、帝政ロシアでのジェノサイド。
それからケネディの暗殺。
つまりは人類の歴史のダークサイドである。
その背後には実は全部自分がいたんだと、
ミックの声があの調子で誇らしげに仄めかしていく。

歌の中、彼は一度だけ自分の名前を呼んでいる。いや、叫んでいる。
その言葉をここで書き起こしてしまうのは
多分に野暮に過ぎるので控えておく。
Devilっていう単語じゃないんだけどね。

しかし『悪魔を憐れむ歌』というのは
実に秀逸なタイトルだよなあとつくづく思う。
あまり邦題に感心するということはないのだが、これだけは別である。
もちろん原義からはややぶれている。
少なくともここでのシンパシーは
決して憐れみと訳すべきではないはずだ。
だがそのぶれと、いわば主客の転倒ともいうべき事態が巧妙に重なって、
むしろこれ以上ないほどはまってしまっているのである。
そう思えて仕方がない。
もちろん個人的見解だからね、念のため。

まあだから、悪魔の一人称なんて設定の歌詞をやらせたら、
ミック以上にうまく歌えるシンガーなんて絶対いない。
こればっかりは断言できる。
だってガンズのアクセルだって全然敵わなかったじゃないか。
それにそもそもがロックというカテゴリーの中でこんなことやろうと思いつくのは、
たぶんあの悪ガキ二人、キースとミックくらいのものだろう。

なお、ミックはこの歌詞の着想を『巨匠とマルガリータ』という
ロシアの小説作品から得たのだということである。

では最後にトリビアを一つだけ。
極めて異例なことに、この曲がスタジオで完成されていく過程というのが、
『ワン・プラス・ワン』というタイトルで映像作品として残されている。
しかも監督はあのジャン・リュック・ゴダールである。
こんなドキュメンタリーなんておそらく後にも先にもありえない。
いわば誕生の瞬間からすでにすべてが伝説の域に手をかけている。届いている。
そういうものはあるところにはあるんだなあと改めて思ってしまう。