大人も、子どもも。
自分と向き合い、もっと自分らしく、
カウンセリングで、
ホントのあなたと出会おう。
カウンセリングの技術を広めたい。
人は生きていれば時には受け入れ難い経験もするのではないかと思います。
「受け入れられない」のではなく「受け入れない」のだと自覚すること、または「受け入れたくない」自分と向き合っていくことで少しずつ受け入れられるのかなと思います。
とても受け入れられないと思うほど辛いのですね。
そういう私もそうでした。
チャコの死を受け入れる時に浮かんできたのは
自分の未熟さでした。
自分が可愛がりたいように可愛がっていた。
飼い主として、人としての未熟さ。
当時の私は本当は自分のことに精一杯で、チャコのことを心から大切にしていたとは思えない。
いろんな場面で酷いことをしていたという思いがあります。
散歩に行きたそうなチャコを置いて、テニスにでかけたこともあったし、散歩をあっという間に切り上げてしまったこともあった。
子どもの頃何度言っても庭に穴を掘ってしまった時には小屋の中に閉じ込めたりもした。言葉を話せないチャコにとってはあれは虐待だったと思ってる。
本当に酷いことをした。
訣別のカウンセリングを受けて、心の整理をつけたら楽になるのかもしれないけど、私は楽になる資格はないとずっと思ってきました。
主催している講座で「訣別のカウンセリング」の回を迎えるたびに、他のお別れはカウンセリングを受けてきたけれど、チャコとのお別れは訣別のカウンセリングを受けないできているとお話ししてきました。
この記事を見直しながら気がつきました。
反省し続けるために受けないと思ってましたが、
しっかり反省したい気持ちと向き合うのが本当ではないかな、と。私はただ逃げているのかもしれません。
訣別のカウンセリングでお別れと向き合い、気持ちの整理がつくことでクライアントさんが楽になる支援を重ねるたびに、私はどこかで自分は楽になってはいけないと思っていたのかもしれません。
反省は反省として受け入れつつ、そろそろ楽になってもいいんじゃないか、という気持ちも湧いてきました。反省の気持ちともっと向き合ってみようと思いました。
向き合うタイミングは人それぞれ。
カウンセリングは強制するものではありません。私のタイミングはそろそろやっとなのかもしれません。
他人や過去は変えられない。
変えられない過去を受け入れるタイミングは人それぞれ、本人が決めること。そして過去は変えられない、チャコが居なくなったことは変わらなくても、やってきたことは変えられなくても、自分が受け入れることで、受け止め方は変わるのです。
人は変わりたいだけ変わることができます。
わたしはまだ楽になれるのかもしれません。
私はもう楽になってもいいのかもしれない。
優しいチャコはそれを望んでいるかもしれない。そんな気がしています。
そう言ってくれてる気がします。
昨日スタディワークで運良く受けたワークもたまたまこの最終回のタイミングにピッタリ合ったテーマだったかもしれません。それについてはここでは省きますが、タイミングの不思議、奇跡みたいなことが最近の私にはよく起こります。それは奇跡ではなくて必然なんだろうな。
(2006年の投稿を元に振り返っています。 )
*その1
*その2
*その3
*その4
*その5
そして最終回です。
心の準備もできていないまま
チャコとの別れは本当に突然やってきた。
残された脳裏には後悔の念が、後から後からわいてきた。
チャコは太りやすい体質だったらしく、いつも獣医さんにダイエットを指示されていた。
最初の頃は無知も手伝ってい、ついお菓子を食べさせたりもしてたから、指示をされてからは反省を込めてしっかり食事制限を実行してた。
でも、最後なら大好きなチョコレートやケーキを思いっきり食べさせてやりたかった。
ここんとこ私が調子悪くて、ゆっくりゆっくり歩く散歩しかできなかったから、チャコも本当にしんどくて歩けなくなってるのを、見抜けなかった。
私は自分の事しか考えてなかった。ホントに情け無い自己中の飼い主だ。
チャコは、ここんとこの私の辛そうな姿を見て、
「もういいよ。散歩してくれなくていいよ。しんどい思いをさせてるんだね」
そう言って、天国へ行ってしまった気がして仕方が無かった。
そのけなげさに涙が止まらなかった。チャコならきっと本当にそう思ってる気がした。
そして最後を覚悟したチャコは、死に場所を探したのだろうか。小屋から出てきたのが最後の野生だったのだろうか。みんなに挨拶をしてどこかに旅立つつもりだったんだろうか。
やがて夜になり夫と子供たちが仕事や部活から帰宅すると、あまりに突然の死にみんな驚いた。
チャコと出会った時に4歳だった1号は当時16歳(今は36歳)・・・
私に「そんなに泣くなよ」と言ったきり、すぐ部屋に入ってしまった。今思うと私が1号の悲しみをもっとその場で受け入れてあげればよかった。
同じく2歳だった2号は14歳(今は34歳)・・・
その場で号泣したあと、制服でベッドに突っ伏して、そのまま疲れたのだろう泣き寝入りしてしまった。
(チャコが亡くなってからもう18年も経つのですね、再投稿なのであらためて)
夫と私は、夜中まで二人でいろんな思い出話をしては、泣き笑いを繰り返した。
話は尽きる事がなかった。
何度も泣いた。
チャコとの散歩がなければ、
すぐ近くにこんなに素敵な自然がたくさんあることにも気がつかずに過ごしていたに違いない。
チャコとの散歩のおかげで、私の足はテニスコートを走り回ることができたようなものだ。感謝しかない。
チャコが居なくなっても、ベランダに出るといつも聞こえてきた、チャコの鎖の音。家のフェンスの上にロープを張り、そのロープに鎖を掛けることで家中を行き来できるようにしてあった。
玄関から家に入った私が2階の洗濯物をとりいれようとすると、庭からベランダに回り込んでは私を見つけてこっちを見上げて尻尾を振っていたのを思い出す。
いつもいつも。
いつもいつもいつも。
何かの間違いだろうと、どれだけ打ち消しても、やっぱりずっと聞こえてきてた鎖の音。
空耳にしてははっきり聞こえすぎる。
それがいつのまにか聞こうとして耳を澄ましてみても聞こえてこない。
いつのまにか。
きっと天国に無事旅立てたのだろうと思う。
そう思うことにしている。
チャコ、天国の住み心地は如何ですか?
今も走り回ってますか?
チャコ、元気にしていますか?
おばあちゃんもそっちに行ったね。
無事に会えたかな。
私たちが行くまで待っててね。
(終わり)
*2006年にYahoo!ブログに掲載したものを思いを足しながら編集しました。当時やりとりしてた方とのコメントがアメブロに引越した時全部なくなってしまったのが残念。
あの頃の皆さんはどうされてるのかな。
元気でおられますように。