大人も、子どもも。

どんな気持ちも大丈夫。

自分と向き合い、もっと自分らしく、

カウンセリングで、
ホントのあなたと出会おう。


日々の暮らしに活かせる
カウンセリングの技術を広めたい。


心理カウンセラーの三輪 陽子です。


何かがあった時に考えがまとまらなかったり、決めたと思っても後悔したり。

それはきっと誰にでもあること、言ってみれば「当たり前」と言えるのかも。


だけどその「当たり前」が曲者で、

当たり前の感覚は人と比べることができません

自分にとって当たり前だと思うことは、仕方のないことと見逃したり我慢したりしがちです。



カウンセリングの場で後悔を扱うことも多いのですが、絶対に間違えてはいけない、間違えたら後悔する、そんなふうに選択を難しくしている気がします。


だからか、人は正解が欲しくなります。


果たして正解ってなんなのでしょう。

理想と言いかえても良いかもしれません。

完璧な選択、理想の選択なんて本当はないのかも知れませんね。



選択が難しいことは案外生き辛さと深い関係がありそうです。

些細なことを決めるのも難しかったりすると日々のストレスは溜まる一方かも。



選択に難しさを感じないと、

とりあえずこれにするか、

こっちにしてみよう、

と簡単に選ぶことができます。


それは間違えてもよいと思っていたり、やり直したりできるからなのかなと感じます。


間違いはあることだし、それは人としての価値とは関係ありませんよね。

間違いをことさら大変なものと思っていると選択が難しいでしょう。そこには後悔の思いが隠れているかもしれません。




まだまだ心理を学び始めていなかった私は、選択する際に迷いに迷いました。

夫婦で家族でたくさん話し合いましたがなかなか答えは出ません。

そしてたくさん後悔しました。

その後悔への思いはずっと心の中にありました。


(2006年の投稿を元に振り返ります)


*その1はこちら


*その2はこちら



  最初は、「いぼ」なんだと思った。


年をとってくると、あちこちにできてくるってわんこ仲間の人たちからも聞いていた。


最初はチャコもいつの間にか「老犬」の仲間入りなのかなぁくらいに思ってた。


子どもたちは成長して、朝早くから夜遅くまで勉強に部活に明け暮れて、

散歩はもっぱら私の仕事だった。



帰りたくなくていつまでも走りたそうにしていたのが、いつのまにか自分から家に向かうことが多くなった。



年をとったからだろう、すべてそう思い込んでいた。

もっと早くに、元気がないって気がついてあげるべきだったのだ。





「いぼ」があると、気がついてからは早かった。
日に日に大きくなっていったそれは、もう「いぼ」なんかじゃないと、誰の目にも明らかだった。
巨砲の粒の大きさになるのに半月もかからなかった。


病院での診断は、はっきりと悪性だと断言はできないが、表面の細胞を見ただけでは白でもないとのことだった。腫瘍の皮膚との接点の中心部分の細胞をとって検査して、それでも確実は結果は出せないといわれた。これだけ大きいとどこに悪性の細胞が隠れているかわからないし完全には判別できないのだそうだ。



なおかつ場所が悪く、皮膚の余分が少ない足の先なので、多めにとることが難しく、

腫瘍を切除するにしても取り残しの可能性が大きいとの事だった。



それに、切除しても、再発の可能性が高い細胞らしくてうまく皮膚が回復しない事も考えられるし、

これだけ成長が早い腫瘍は、とってとってもすぐに再生してしまうかもしれないとも言われた。

そこまで説明を聞いて、そのあとの選択は私達に任せられた。



避妊手術の後のチャコのおびえ方を思い出すと、とても手術を選択する気にならなかった。


それに突然の状況だったし、何より専門知識がない中での選択は決め手がなく迷うばかり。

結局しばらく様子を見よう、というのが、私達家族が選んだ道だった。


腫瘍の成長が止まってくれることを祈ってやまなかった。


ところが、腫瘍の成長は止まるどころか、あっというまに赤ん坊のこぶし大にまでなった。
走るときに、地面につきそうで、すり傷でもできたら良くないに違いないと思われたし、

何より走り難そうにしては、座り込んで腫瘍をぺろぺろとなめて居るチャコをみるにつけ、

以前の選択を後悔するようになった。



走るのが何より好きだったチャコに、もう一度走る楽しさを感じさせてやりたかった。



手術をお願いするために再び病院に行くと、以前より状況は厳しかった。


最悪の場合足は切断する事になるかも知れない、と言われてしまった。

口のきけないチャコの代わりに勝手にそんな選択に「YES」といっていいのだろうか、とますます悩みぬいた。




チャコに問いかけてみても、黒目がちの澄んだ瞳で見つめ返すだけだった。
何の疑いもなく、私の事を慕うチャコの瞳になんとしても答えてやりたかった。


誰か、正解を教えて。

誰か、絶対に正しい道を教えて・・・・。


医学的知識のない私たちにとって、結論を出すのは本当に難しかった。

堂々巡りを繰り返し、時間に追われ、考えても考えても結論はでなかった。



結局、一度見送って後悔した事が決めてとなって、手術をお願いする事にした。

チャコ。

チャコ・・・・。




手術が終わって、電話がかかってきた。

急いで駆けつけた私達を、ちゃんと見返してくれるチャコが居た。

今度は麻酔がきいたのかな。


エリザベスカラーをつけて、ゲージの中で首だけこちらを向けてくれた。


傷口が大きく、尚且つチャコの口が届きやすい場所なので、目が離せない、うっかり舐めてバイ菌が入ってしまうと危険、という事でしばらく入院する事になった。


だけど経過はとても順調で、次の日には立ち上がって尻尾を振ってくれた。

あとは、傷口が普通の怪我と同じ経緯でふさがって行く事を祈るのみだった。



再発してしまうと、傷の治りよりも、腫瘍の成長が大きくなるので足を切断するという決断が必要なのだそうだ。



毎日毎日神様にお願いした。


こんなときだけ頼まれても、神様も困ってしまうに違いないけど、それはやっぱりお願いせずに入られなかった。

その見極めは10日前後でつくとの事だった。



《次回に続く》


 

 

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