大人も、子どもも。

どんな気持ちも大丈夫。

自分と向き合い、もっと自分らしく、

カウンセリングで、
ホントのあなたと出会おう。


日々の暮らしに活かせる
カウンセリングの技術を広めたい。


心理カウンセラーの三輪 陽子です。


病は気から

真実かどうかはさておき、こう言われると多くの人が頷きますね。


気、つまり心、言い換えれば感情の影響はとても大きいことの表れでもある気がします。

そう、確かに感情はとても大事なものです。多くの人が知ってるしそう思っているのに、そのわりに感情って軽くみられがちな気がします。


気持ちくらい気合いでなんとでもなる、くらいに思われてる気もします。

不思議ですね。



カウンセリングではたくさん我慢をした結果身体症状がでているというクライアントさんに出会います。


傍目には何の心配もなく過ごしていたように見えたであろう私もそういえばあれこれ我慢してました。

「変形性股関節症」は骨格からくる正真正銘の病気ではあったけれど、

それでも痛みの強弱は我慢と関係があったと思うのです。痛い時は寝返りするのも大変でした。


痛みや痒みは「怒りの感情の抑圧」の結果におきることも多くて、その通り私は怒りが苦手でした。



言ってみれば「うまく腹を立てられない」んです。

腹を立てないように我慢するから逆に余計イライラしたり、急に悲しくなったり。



感情は素直にそのまま感じると消化するし、やがて落ち着きます。我慢して抑圧すると心に溜まり続ける。

溜まり続けると形を変えて思わぬところで顔を出したりするのです。


どうしてもやる気がおきかったり、自己嫌悪が強くなったり、いつも罪悪感を感じるようになったり。


我慢って一見穏やかに時が過ぎるようでいてもそれは一時的なもの。

時にはちょっとしたことで抑えが効かなくなって爆発しちゃったりすることもあります。



当時の私は、怒りは誰かを傷つけるものだと思ってました。だけど振り返ってみると我慢することで傷ついていたのは自分だったかもしれません。


怒りは良くない感情だと思い込んでました。

怒っても仕方ない、何にもならない、そう思って怒らない方法に磨きをかけていました。

いわば我慢のプロ(笑)


そういえば原因不明の湿疹もありました。

夜中に掻いてしまうからいつまで経っても治らなくて。化学繊維にもかぶれて、着る洋服にも困ってました。


咳喘息も起こしていました。

 


怒りを感じて何になるの??

当時の私は感じないことが正しい、そう思ってました。今の私なら、楽になるよ、そう教えてあげたいです。


涙はこれでもかというほど出たし、たくさん泣いた記憶があります。今でもふと泣けてきます。


今思うのは、もちろん悲しくて泣いてたと思うんだけど、その時の気持ちはただ悲しみだけじゃなかったじゃなかっただろうな、と思うのです。



(2006年の投稿を元に振り返っています)


*その1


*その2


*その3




  手術後の日々


10日後を迎えるまでもなく、先生からは、すぐの再発は免れたと判断して良いというお墨付きがもらえた。


「やった~~~~!!!!!

やったぁぁぁぁっ!!!」


走って家に帰る耳元で風を切る音が聞こえる。

今でもその音を思い出せます。


目に写るすべての景色がチャコの無事をお祝いしてくれているかのようだった。


「明日退院できるって!!!」

消毒の仕方を、かなり厳しく教えられた。家族で見守りました。
傷口をなめてしまわなように、それだけは気をつけてといわれて、初めての包帯交換の時は、すごく緊張したのを覚えてる。

2,3日すると、包帯の交換をルーティンワークと悟ったのか、足を握っても持ち上げても、おとなしくしててくれるようになった。

「なんてお利巧なの!さすが、チャコ!!」

毎日みんなでほめてあげたよね。

病院通いは、3日に一度が1週間に一度になり、日に日にチャコも元気になった。
短い散歩をいつものペースに戻すのも、あっという間だった。

エリザベスカラーは本当はつけたくない、そんな感じが身体全体から伝わってきてたけどもちろんそんなわけにはいかなくて。

得意の上目遣いの表情で恨めしそうにみるのを知らん顔し続けてた。




そんなある日、散歩から帰ってきて家の中にいれずにしばらく庭に放していたら・・・・


ナント!!! 

子犬のとき以来の大脱走をしたことがあった。

エリザベスカラーが庭のフェンスの隙間に引っかかるとタカをくくっていたのです。慌てました。



あちこちチャコのお気に入りの場所を探して、ふと最後に何度も見てた近くの公園で姿を見つけたとき、

エリザベスカラーをつけたまま姿勢を低くしてやっぱり上目遣いにこちらを見ているチャコがいて、

遠目に見ると新種の不思議な生き物のようだったから、安心するやらおかしいやら。


そのなんとも奇妙な姿に、みんなで大笑いしたよね。



自分でもイケナイ事をしてしまった自覚はあるものだから、帰るに帰れなくなってしまってたんだよね。

見つけてくれて安心してるみたいだった。

早く帰ってくればよかったのに。



大嫌いな病院で手術をして,慣れない通院をして、辛かったんだよ~~~と
精一杯訴えてる気がして、叱りながらも頭をなでてあげたよね。


そうこうするうちに、傷口には何事もなかったかのように、毛も生えてきた。
すべてが、まったく元通りになったと思えた。



ところが、チャコの回復にあわせるように、私の体調がすこぶる悪くなってきた。

足が痛くて、以前のように長い距離を歩く事が難しくなり、思うように散歩ができなかった。



もともとの骨格のせいで起きる不具合で、40歳ぐらいで発症することが多い「変形性股関節症」という進行性の病気で、

テニスが大好きで、子どもたちと走り回ってた私の生活は文字通り一変した。


手術も頭に入れなくてはいけない状態で、

いきなりなことにだましだまし過ごす日々だった。





遠い学校へ通い部活で朝早くから夜遅くまで帰ってこない子供たちは当てにはできないし、

出張がちの夫がいない日は、何があっても私がいかなくてはならなかった。



ある時、おまけにひどい風邪までひいてしまって、朝からの雨で気温も低く、なかなか散歩に出る踏ん切りがつかないことがあった。



でも、チャコにとっては、散歩だけが楽しみなのだからと、気力を振り絞ってでかけたら、帰り道に足が痛くなってしまって、途方にくれた事があった。



屋根がある公園のベンチに座って、痛みの波が去るのを二人で待ったよね。

そばに寄り添って、私の足にちょこんと尻尾を乗せて、
時々その尻尾がよしよしと私を元気付けるかのように動くのを眺めてた。チャコにとっては散歩にもならないようなつまらない時間だったと思うのに、
私が立ち上がるのをずっとずっと待っててくれたんだよね。



「ごめんね~」という言葉を、何かの歌の節にのせながら何度も繰り返し、チャコの頭をなでてた。

そんな散歩が3,4日続いて、やっと夫が出張から帰ってきた。




大変な散歩から解放されて、安心したのもつかの間、

散歩から帰ってきた夫が「チャコが変だ」といいながら、玄関にはいってきた。



《次回に続く》



 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する