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皆さま、こんにちは!

 

前回に引き続き、

旧・国鉄白棚(はくほう)線の駅跡の訪問記です。

 

前回のブログもチェックくださいませ

 

 

5回目の今回は

番沢停留場(旧番沢駅)から1.7キロ東方にある

磐城金山(いわきかねやま)駅跡でした。

 

これまで見てきた白河駅~番沢駅間の駅は、

白河駅を除くすべてが「停留場」として開業。

単式ホームがあるだけの簡素な造りでしたが、

磐城金山駅は大正5年に開業した当時からの「駅」です。

鉄道時代は貨物の取り扱いもあったそうですよ。

 

そんな磐城金山駅を

国土地理院のサイトに掲載中の航空写真でチェックすると、

昭和23年撮影の写真に島式ホームや貨物ホーム、

駅舎や構内踏切などが写ってました。

昭和19年に代行バスが運行を開始した後も

しばらくは、駅の施設が残されていたみたいですね。

 

そんな磐城金山駅の駅跡には現在、

磐城金山停留場(バス停)があるので

場所を特定することは容易です。

 

下は現在の様子を写すグーグルマップなり。

線路跡は国道289号線に転用されましたが、

広い駅の敷地はそのまま残されてましたよ。

 

ちなみに鉄道時代の駅舎ですけど

バス専用道が整備された昭和32年に建て替えられた模様。

その駅舎も平成8年に解体されたそうです。

消えた駅舎は下の画像の中央付近、

国道のセンターラインよりも奥にありました。

それまであったバス専用道を国道に転用する際、

道路の拡幅に駅舎の用地が充てられたために

解体されたとのことです。

 

こちらは反対側にある白河駅方面行きのバス停でした。

以前は番沢停留場に残る鉄道時代に使われていた待合室と

同一仕様のモノが鎮座していたみたいですね。

 

それでは駅舎があった側の待合室を眺めてみましょう。

 

青いラインに緑のドットが入った駅名標が掲げられてました。

青いラインはバスの車体色、

緑はJR東日本のコーポレートカラーと認識してましたけど…

合ってます?

 

待合室の中はダークグリーンでした。

ベンチまでグリーンに塗られてますけど、

その拘りはどこから来たのでしょう?

 

待合所を背後から見るとこんな感じでしたよ。

 

貨物ホームの名残である広い構内は

空地に変わってました。

アスファルトを剥がすと

お宝(鉄道時代の遺構)が出てきそうな気がしますけど…

 

埋もれた遺構が気になる方、

只今構内の土地が販売中ですので

購入の上でアスファルトをめくってくだされ。

 

鉄道時代の駅前通りは今も健在です。

 

駅前通りとバス停の間に

これだけの高低差がありましたけど、

バス専用道が整備された際に

構内が嵩上げされたってことでしょうかね?

 

最後は再び磐城金山停留場の全景で〆ます。

「バスしか停まらない国鉄駅舎」が

28年前まで存在してたワケでして…

今ならすっ飛んで見に行きますけど、

当時の自分、そんな貴重な駅舎を見てないなんて

何やってんだよ~!

 

次回は白棚線内では唯一

貨物専用線が分岐していた梁森駅跡の訪問記ですが、

長くなりましたので次回に続きます。

 

次回のブログもチェックくださいませ。

 

 

 

 

 

旧国鉄白棚線の線路跡を転用したジェイアールバス関東白棚線の駅跡めぐり

 

白河駅跡(令和6年6月30日)

登町駅跡(令和6年6月30日)

南湖駅跡(令和6年6月30日)

関山口駅跡(令和6年6月30日)

古関駅跡(令和6年6月30日)

番沢駅跡(令和6年6月30日)

磐城金山駅跡(令和6年6月30日)

梁森駅跡(令和6年6月30日)

三森駅跡(令和6年6月30日)

金沢内駅跡(令和6年6月30日)

磐城棚倉駅(令和6年6月30日)

 

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