皆さま、おはようございます!
昨日に引き続き、今日も山田線の駅を書かせて頂きます。
山田線・宮古(みやこ)駅です!
昭和9年11月に開業した、
岩手県第4の都市・宮古の玄関駅ですよ。
宮古駅を訪れたのは今年の6月半ばのこと。
この日に三陸鉄道のツアーに参加した仲間から、
「明日、仕事が入ったから、九時に久慈に迎えに来て」
という、冗談とも洒落とも取れないようなメッセージがあり、
仙台から車を飛ばして久慈市内に向ったのですよ。
結局は、こちらの宮古駅に立ち寄ったために、
九時に久慈には着きませんでしたが、
取りあえずは仲間を仙台まで送り向えることが出来ました。
まぁ、自分はそういう心優しい男なんです。
こういうことをわざわざ書くのもアレですが。
宮古駅に来たのは今回が2度目です。
最初に来たのは今から30年近くも前の話で、
宮古駅から延びる三陸鉄道・北リアス線がまだ、
国鉄・宮古線と呼ばれていた頃のことでした。
久しぶりに来た宮古駅でしたが、
広めのコンコースやみどりの窓口、改札口など、
ほとんどは国鉄時代の姿のまんまです。
まったりとした空気が漂っていて、
JRの宮古駅に隣接する三陸鉄道の宮古駅のことは、
昔の姿のままの駅舎とは反対に、
駅の構内、そして周囲の景色は大きく変わっちゃったようです。
島式と相対式による複合ホーム2面3線構造は、
画面中央の駐車場がある場所も留置線だったような。
一部の木造小屋は残ってるみたい。
すっかりと姿を消してしまったんですね。
30年前と比べての話ですよ。
当時中学生だった自分が、今や高校生の子供持ちですから、
時間の流れには逆らえません。
この頃は、鉱石輸送で栄えた宮古港線も残っており、
(画像右側・上部に大きく反れる路線がそれです)
見てるだけで宮古駅の活気が伝わってきます。
この臨港線、自分と同世代以上の年代の方には、
ラサ工業で活躍したC10 8の保存運転をしていた路線…
と言った方が伝わりやすいかも知れませんね。
あの頃はバブルで湧いてて、本当に良き時代でした。
その後C10 8は大井川鉄道に譲渡されて、
現役であることは、本当に喜ばしい話です。
そんなことで、この日も時間さえあれば、
臨港線の廃線跡や、ラサ工業専用線跡など見て歩きたかったのですが、
久慈に九時、もとい九時に久慈という約束があったので、
そちらを優先させたという、
ようは自分は、そういう決めごとには堅い男だという話でした。
こういうことをわざわざ書くのもアレですが。
↑(盛岡駅方面)
宮古駅(平成24年6月16日)
↓(釜石駅方面)