皆さま、こんにちは!
JR東日本・山田線の駅紹介、まだまだ続きます。
先にご紹介した山岸駅 から列車が出ますと、
辺りの風景は住宅街から一変、自然豊かな山間へと突入します。
そして到着したのが、こちらの駅です。
山田線・上米内(かみよない)駅です!
山田線が最初に開通した区間の終着駅として、
大正12年に上米内駅は開業しました。
ちなみに駅舎は、開業当時から使用されているものとか。
でんとした佇まいがいい感じですね~。
貼紙があってわかりずらいですが…
盛岡駅を発着する山田線の列車6往復のうち、
2往復が上米内駅発着の区間列車となります。
これより北側(宮古駅方面)に進行するのはわずか4往復のみ。
この先は激しい山岳地帯となり、乗降客数も一気に降下するのですよ。
上米内駅の窓口の営業時間は13:50分までとなります。
それ以降の時間は待合室も閉鎖され、立ち入ることも出来ませんでした。
(あと30分早く着いていれば入れたのに… (ノ_-。) )
山岸駅方向を見た上米内駅Y字分岐部分と、
大志田駅方向を見た上米内駅構内。
そして島式ホーム側から見た上米内駅の駅舎です。
ここからは、今回もまたまた妄想タイムなのですが…
上米内駅が開業したのが1923年(大正12年)10月、
この先、大志田駅方面に山田線が延伸したのが1928年(昭和3年)9月、
実に5年間もの間、上米内駅は山田線の終着駅としていたわけです。
当時は当然のことながら、蒸機(SL)運転が当たり前の時代でした。
ならば当然、上米内駅には蒸機の必至アイテムである給水塔が
あったのではないかと思ったわけですよ。
通常、給水塔が建てられるとすれば、
本線の走行に支障の無い側線の脇に造られるのですが…
こちら、1948年(昭和23年)当時の上米内駅の航空写真です。
いかがでしょう!
緑色の矢印で標した先端の部分、
上方より丸く見えるのは給水塔ではないでしょうか。
上米内駅には転車台がありませんので、
C10辺りのタンク機関車が、当時の山田線のヌシだったのでしょうかね?
わずか10キロのこの区間を、
混合列車を控えながらタンコロが行き来していた時代。
そんな妄想をついついしちゃう、上米内駅での駅探訪なのでした。
↑(盛岡駅方面)
上米内駅(平成23年10月9日)
宮古駅(平成24年6月16日)
↓(釜石駅方面)