皆さま、こんにちは!

JR東日本・山田線の駅紹介、まだまだ続きます。


先にご紹介した山岸駅 から列車が出ますと、

辺りの風景は住宅街から一変、自然豊かな山間へと突入します。

そして到着したのが、こちらの駅です。


歩王(あるきんぐ)のLet’sらGo!-b10140

山田線・上米内(かみよない)駅です!


山田線が最初に開通した区間の終着駅として、

大正12年に上米内駅は開業しました。

ちなみに駅舎は、開業当時から使用されているものとか。

でんとした佇まいがいい感じですね~。


歩王(あるきんぐ)のLet’sらGo!-b10146

貼紙があってわかりずらいですが…


盛岡駅を発着する山田線の列車6往復のうち、

2往復が上米内駅発着の区間列車となります。

これより北側(宮古駅方面)に進行するのはわずか4往復のみ。

この先は激しい山岳地帯となり、乗降客数も一気に降下するのですよ。


歩王(あるきんぐ)のLet’sらGo!-b10141

上米内駅の窓口の営業時間は13:50分までとなります。

それ以降の時間は待合室も閉鎖され、立ち入ることも出来ませんでした。

(あと30分早く着いていれば入れたのに… (ノ_-。) )


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山岸駅方向を見た上米内駅Y字分岐部分と、


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大志田駅方向を見た上米内駅構内。


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そして島式ホーム側から見た上米内駅の駅舎です。


ここからは、今回もまたまた妄想タイムなのですが…


上米内駅が開業したのが1923年(大正12年)10月、

この先、大志田駅方面に山田線が延伸したのが1928年(昭和3年)9月、

実に5年間もの間、上米内駅は山田線の終着駅としていたわけです。


当時は当然のことながら、蒸機(SL)運転が当たり前の時代でした。

ならば当然、上米内駅には蒸機の必至アイテムである給水塔が

あったのではないかと思ったわけですよ。


通常、給水塔が建てられるとすれば、

本線の走行に支障の無い側線の脇に造られるのですが…


こちら、1948年(昭和23年)当時の上米内駅の航空写真です。
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いかがでしょう!

緑色の矢印で標した先端の部分、

上方より丸く見えるのは給水塔ではないでしょうか。


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上米内駅には転車台がありませんので、

C10辺りのタンク機関車が、当時の山田線のヌシだったのでしょうかね?


わずか10キロのこの区間を、

混合列車を控えながらタンコロが行き来していた時代。

そんな妄想をついついしちゃう、上米内駅での駅探訪なのでした。


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山田線


↑(盛岡駅方面)

上盛岡駅(平成23年10月9日)

山岸駅(平成23年10月9日)

上米内駅(平成23年10月9日)

大志田駅(平成23年10月9日)

浅岸駅(平成24年6月10日)・接触編発動編

区界駅(平成23年10月10日)

松草駅(平成23年10月10日)

平津戸駅(平成24年6月16日)

川内駅(平成24年6月16日)

箱石駅(平成24年6月16日)

陸中川井駅(平成23年10月10日)

腹帯駅(平成24年6月16日)

茂市駅(平成23年10月10日)

蟇目駅(平成24年6月16日)

花原市駅(平成24年6月16日)

千徳駅(平成24年6月16日)

宮古駅(平成24年6月16日)
↓(釜石駅方面)