ナマステー! *アーティチョークのインド見聞録*
よっちゃんの伯母、アーティチョークでございます。
この度は、よっちゃんとチャンドゥさんのご結婚、誠におめでとうございます。私たちをインドへお招きくださったご両家の皆様に心からお礼を申し上げます。素晴らしかった結婚式と披露宴。快適で面白かった初めてのインド旅行。数々の楽しい思い出を長く自分の記憶に留めておくために、また両家のご親族、ご友人の皆様にも楽しんでいただけるよう、よっちゃんとチャンドゥさん、K家のご両親の了解を得て、当ブログを開設いたしました。皆様の楽しいコメント、鋭いツッコミ、厳しいご批判などなど、お気軽にお寄せくださいませ。お待ちいたしております。
私が書いておりますもう一つのブログ晴れ時々ジャズ からこちらへいらしてくださったかた、検索などで偶然いらしてくださったかたも、どうぞお気軽にコメントくださいませ。お待ちいたしております。
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リス君は素早かった

スーリヤ寺院の境内にある大木のところで見つけた可愛らしいリス君である。背中に縞があり、体の割には尻尾が大きくてフサフサしている。画像をクリックし、拡大してからリスを探してみてちょ。
私が近寄ると、リス君は素早く木を駆け登って逃げていったので思わず苦笑いしたとたん傍にいたインド人のおじいさんと目が合った。するとおじいさんが
「ほれ、まだ間に合うよ。行って写真を撮ってきなさい。」
と励ましてくれるではないか。
「よっしゃ!」
とリスを追いかけてなんとか撮影に成功。
ちなみに後方に見えているスーリヤ寺院は、傾いているわけではない。傾いているのはカメラのほうなのでござる(^▽^;)

黒牛(まだ子供なの。でも、賢いんだぞー!)

コナーラクのスーリヤ寺院を見学して外に出たあと、ココナツ売りの屋台の前で物思いにふける夫の尻に、突然頭突きをくらわした牛君である。実は、夫が牛に狙われているのは後ろから見ていて気がついていたのだが、ニヤニヤ笑いながらわざと注意しなかった私(^▽^;)
子牛だったからね、大丈夫だと思って。それに、インドで牛に頭突きされるというのは、めったに出来ない貴重な体験ではないか。
ウシ
夫によると牛君の頭突きはちっとも痛くなかったらしい。牛君はその後も私たちの傍を離れようとしなかった。夫に頭突きをしたのは、牛君の機嫌が悪かったからというわけではないようだ。牛君が夫に頭突きをしたこと。私たちの傍を離れようとしなかったこと。それにはちゃんとした理由があった。
やがて夫がココナツを買って中のジュースを飲み、白い果肉を何気なく傍にいた牛君に与えたところ、待ってましたとばかりにムシャムシャと食べ始めた。なるほど、最初からこれが目当てだったのだ。
しかし、夫がココナツを買うということが、なぜこの牛君に分かったのだろう?ちなみに私は買っていないし、頭突きもされていない。この牛君には予知能力があるのか?
これは私の想像だが、牛君はここで過ごすうちに、観光客に軽く頭突きをくらわしてココナツの果肉をせしめるということを自ら学習したのだろう。そしてそれを繰り返しているうちに、ココナツを買いそうな観光客とそうでない観光客の見分けがつくようになったに違いない。
牛君は、夫の尻に頭突きをくらわすことで、まず自分の存在を強烈にアピールしたのだ。ココナツの果肉が確実に自分の口に入るように。なぜなら、その辺にライヴァルのヤギ君もいて、ココナツの残飯あさりをしていたからね。
したたかで賢い牛君よ、私は感心したぞ。さすがインドで生きているだけのことはあるね。これからも元気で頑張ってくれたまえ。

♪黒ヤギさんたら読まずに食べた

ヤギ
民芸品を売る村で出会った、ほっそりした脚と上品な顔立ちの可愛い黒ヤギ。
見つけたときには活発に動き回っていた黒ヤギさんだが、私がカメラを向けたとたん、じっとして動かなくなり、こんなふうにポーズしてくれた。というよりも、たんにカメラを構える私を警戒してのことかもしれないが。
インドでは牛についでヤギをよく見かけたが、やはりミルクを搾ったり、そのミルクでチーズを作ったりするために飼うのだろうか。

インド観光の一日 -コナーラクのスーリヤ寺院-(2006年1月26日)

 境内の大木の下で

スーリヤ寺院の「スーリヤ」とは太陽神の名前ということだ。13世紀に1万2千人の労働力、王朝の12年分の税収をつぎ込んで建立されたものだというから凄い...というか想像もつかないスケールである。80メートル近くあったであろうといわれる本殿は崩壊し、舞堂の屋根も崩れ落ちてはいるものの、寺院へ近づいてゆくにしたがって、まずは全体の大きさに圧倒される。


 入り口の手前から前殿を見る


 舞堂へ続く階段
 舞堂を横から見る

寺院全体はスーリヤ神の馬車の形になっており、7頭の馬(一週間を表す)や24個の車輪(24時間を表す)をはじめ、ミトゥナ像(抱擁する男女)、ダンスをする女性、楽器を演奏する男女、動物、植物、魚、そのほか様々な意匠が浮き彫りされた石を積み上げて造られている。歳月による風化によって原型を留めていない部分も多くあるが、建物全体をびっしりと覆う繊細かつ優美なレリーフは、往時の高度な技術と優れた美的感覚が窺えて興味深く、大変に見ごたえがあった。

 馬車の車輪

 馬車をひく馬
井戸
 付属の小寺院

昼間の強烈な太陽光を浴びてくっきりと浮かび上がる夥しいレリーフの数々を眺めていると、なんだかクラクラとめまいがしてきそうだ。とにかく全体がびっしりと隙間無くレリーフで覆われており、空白部分というものがほとんどないように思えるほどで、日本美術の空間の美学とは対極をなしているという感じがした。
ここが世界遺産に登録されているというのも納得の素晴らしさだった。

インドならではの最高に素晴らしいトイレ

トイレの話でござる。誰ですか「待ってました!」なんていう物好きなかたは?

中国のトイレは壁もドアもなくて...云々という話を何かで読んだことがあるけれど、インドのトイレはちゃんと個室になっていたのでその点はご安心いただきたい。ただし、私が使用したトイレは空港、ホテル、チャンドゥさんのご実家、披露宴会場のスタジアムぐらいだったか。なかでもチャンドゥさんのご実家のバスルームが一番広くて綺麗で快適だったのはいうまでもない。
あともうひとつ、なんともはや素晴らしいトイレを体験したのであるが、ふっふっふ、それは最後のお楽しみ。

さて、インドのトイレ事情だが、これは、はっきり申し上げてよろしくない。インドへ着くなり、さっそく添乗員のKさんによって以下のような説明があった。

第一に、トイレットペーペパーが無い(ただし、国際線飛行機の機内、ホテルの部屋、ホテル内のトイレにはちゃんとあった)。
インドでは用を足したあとに紙を使う習慣が無いのだ。取っ手の付いた小さなプラスティック製の容器が置いてあり、すぐ傍の水道の栓をひねって容器に水を汲み、手と水を使ってきれいにするんである。いわば人力ウォシュレットですな。このインド式の方がトイレットペーパーを使うよりずっと清潔かもしれない。が、しかーし!!洗ったあとは一体どないすんの?そのままか?それとも乾くまで待つのか?
分からない。
せっかくインドへ行ったのであるから、インド人に訊いてくればよかった。が、私のド下手な英語で、デリケートな言い回しが必要とされるこのようにややこしい質問を、出会ったばかりのインド人にぶつけるのは、さすがに勇気と根性が必要だ。それに、ひとつ表現を間違えば日印両国間の国際問題にも発展しかねない。
訊けなかったのである。
それにしても、トイレに常備された水を汲む容器だが、よりによってというかなんというか、お料理で使う軽量カップにそっくりなのだ!いや、今思えば、あれは軽量カップそのものだったのかもしれないが。
*実物に似たものでよければだが、容器をご覧になりたいというかたは↓ここをクリックしてちょ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000ELIM3C/qid=1144638348/sr=1-9/ref=sr_1_10_9/503-8506403-1920755

第二に、ホテル内のトイレではそう心配ないが、外のトイレは水洗式とはいえ紙を流すとすぐに詰まってしまうらしい。
であるから、ホテルを一歩出るときは、細くクルクルと巻いたトイレットペーパーと、使用後の紙を持ち帰るジップロックをバッグに入れておくのを忘れてはならない。

第三に、公衆トイレが少ない。
あれだけ人がうじゃうじゃいるというのにである。世界遺産のような大観光地でさえ、入り口の手前はるか遠くに小さくて貧弱そうな小屋みたいなのがぽつんとひとつ。日本人の感覚からすれば、インドにおけるトイレの絶対数は明らかに足りていないようなのだが、だからといってインド人がトイレ問題で困っているということもないようなのだ。それは何故か?

トイレの謎はインド滞在中の意外に早い時期に明らかとなった。夕方、観光を終えてタクシーでホテルへと向かう途中、私は信じられない光景を目撃してまったのだ。
こちらへ背を向けて道端にしゃがみ込み、用を足しているサリー姿のご婦人である!!
あれは絶対に見間違いなどではなかった。しかも私たちの乗ったタクシーが通り過ぎるとき、ご婦人との距離はたったの数メートル。
要するにインドでは、その辺で用を足すのはあたりまえ、ノープロブレムということらしい。

これはインド人に公衆衛生の概念が欠如しているというのではなく、急激な人口増加と都市化の波にインフラ整備がついていかないからということなのだと思う。少し前まではその辺で用を足しても、ブツはバクテリアや糞虫などによって分解され、大地に恵みをもたらす栄養分となるという具合で、自然の摂理にかなっていたことなのだろうから。
それは一応納得出来るとしてもだ。
公衆の面前で用を足すということに関して、インド人の感覚というものは一体どのようになっているのか?
これは私の想像に過ぎないが、「そりゃあ、人間なんだから当たり前なんだよ。これこそが生きている証拠ってえもんだぜ。」ということなのかもしれない。きっとインド人にとっては、排泄を含めた人間の営みは全て「これこそが生きてる証拠ってえもんだぜ。」ということなのだろう。そうでなければ、これをどう説明出来るというのか?
現代人がはるか昔に忘れ去ってしまった大陸的“おおらかさ”が、インドにはまだ確実に生きているということなのかもしれないなあと、勝手なことを思ってしまったのだった。

さて、インドで体験した最高に素晴らしいトイレの話をしよう。最高に素晴らしかったというのに、たった一回だけというのが残念でならないのだが...。
民芸品の村をあとにしてコナーラクへと向かう途中の田園地帯でトイレタイムとなった。察しのいいかたはもうお気づきでござるね。そう!
青空トイレである。
田園地帯のど真ん中でタクシーを止め、道の両側へ男女別れて歩いていく。女性用は、いったん小高い土手を登り、少し降りて、遠くの緑地帯に牛やヤギ、手前の湿地帯に白サギがいるだけで、あとは緑と青空だけという絶景が広がる場所である。ここでお弁当を食べたあと、草地にごろんと寝転がってあたりの景色を眺めたらどんなに気持がいいだろう!というぐらいに素晴らしく、トイレにしてしまうには実にもったいない場所だった。
ご幼少のみぎり以来のことだから何十年ぶりになるだろうか?燦々と降り注ぐ陽光を浴び、遠くからかすかに聞こえてくる「ンモー,,,」という牛の鳴き声を聞きながら、爽やかなそよ風に吹かれての青空トイレは、まさに快適そのもの!の貴重な体験であった(;^_^A
青空トイレ  絶景!

インド観光の一日 -民芸品の村- (2006年1月26日)

今日は丸一日が観光となった。私たちが滞在しているオリッサ州の州都ブバネーシュワルと、今日これから訪ねるコナーラク、プリーは、インド各地からの巡礼と観光客を集めており、ゴールデン・トライアングルと称されているそうだ。コナーラクのスーリア寺院(世界遺産)とプリーのジャガンナート寺院へ行くため、ホテルのロビーに朝9時に全員集合。タクシーに分乗して、まずは一路コナーラクを目指す。

街中を過ぎて商店もまばらになり、人や車も少なくなって郊外へ出ると民家の近くの空き地で草野球ならぬ草クリケットを楽しんでいる子供たちを何度か見かけた。やがて民家もまばらになると広々とした田園地帯となる。遠くに見える緑地帯では牛やヤギがのんびり草を食んでいる。
「やっぱり牛は緑の草の生えてるところにいなきゃあいけんねえ。君たちには、あんなごみごみした街中のアスファルトより、ここの方がよっぽど似合っとるよ。」
と、叔母のNさんがしみじみとした口調で言うのが可笑しかった。

インドというと牛=路上生活者みたいなイメージがつきまとい、人や車が激しく往来するなか堂々と道の真ん中にねそべり、「テコでもブルドーザーでも動かんもんね、わし。」といった感じを漂わせながら反芻している姿は発展途上にあるインドの一面を象徴しているかのようであり、それはそれで面白い。昼間は路上生活をしている牛たちも夜はちゃんと農家の牛小屋へ帰っていくのだろうが、しかし、牛たちは何を好き好んでわざわざ交通量が多く、餌となる草も少ない路上へと出てくるのだろう。路上生活牛の気持は謎だが、こうやってのどかな田園地帯で気持よさそうに草を食む牛本来の姿を見ることの方が、人間にとっても気持がいいに決まっている。

疾走するタクシーの中からではあるが、緑豊かな田園と自然の風景を目にするのは久しぶりのような気がして、しばし心が癒されるようだった。

コナーラクへと向かう途中、民芸品を売る村でいったんタクシーを降りた。
ここまでの田園地帯で目にした色といえばほとんどが土と緑と空の色ぐらいだったのが、今は道の両側にずらりと並んだ店にカラフルな民芸品が鈴なりで太陽の光を受けており、色彩に溢れたこの一帯に佇んでいると、まるでカラーサンプル(色見本帳)を見ているような気分になってくる。
この村のオリジナルである民芸品は、カラフルな布に刺繍を施し、鏡をはめ込んだユニークなデザインで、ランプシェード、壁掛け、バッグ、ポーチ、パラソルなどなどヴァラエティーに富んだ品揃えである。可愛らしい草花や動物のアップリケを施した物もあって、あれこれと見ているだけでも楽しい。しかもどれもが驚くほどリーズナブルなのだ。

ランプシェードなどを買い求め、外から店内をカメラで写していると店員がやって来て「こっちへ来てくれ。」と手招きする。再度店の奥へ入って行くと、店員は商品のなかでは一番の大作と思しき壁掛け(あるいはマット?)を嬉しそうに広げて見せた。なるほど、これを撮影してくれということなんやね。よっしゃ、パチリ!
 ご自慢の商品

店を出て一人でぶらぶら歩いているとパレードがやってきた。学校の生徒たちがブラスバンドを先頭にして皆で声を合わせて一斉に何かを言いながら行進して行く。横断幕を掲げているが、オリヤー語で書かれているので読めない。あとで添乗員のKさんに訊いて分かったのだが、今日、1月26日はインド共和国記念日(1950年の憲法発布を祝う日)なんだそうである。各州都で行事が行われ、なかでもニューデリーのパレードは壮観で、軍隊、ゾウ、ラクダ、民族衣装の大行進なのだそうだ。(『地球の歩き方-インド-』より)
女子生徒たちの一団にカメラを向けるとちょっとはにかんで可愛らしい笑顔を見せてくれた。
 ブラスバンド
 可愛らしい女子生徒たち
通りには民芸品を作っている一軒があって、職人さんが一心にミシンで作業していた。ここで売られている民芸品は、村人によってひとつひとつが丹念に手作業で作られているのだろう。
 仕事中の職人
皆それぞれたくさんの民芸品を買い込んで、再びタクシーでコナーラクへと向かう。(続く)

チャンドゥさんのご実家へおよばれに行く(2006年1月25日、結婚式の翌日の夕方)

今朝早くお迎えが来て、よっちゃんはチャンドゥさんとともにカタックのご実家へ行ってしまった。2月の初めに香港の新居へ引っ越すまでの短いあいだ、新婚夫婦はチャンドゥさんの実家で過ごすことになっている。
よっちゃんの大学時代のクリケット部のチームメイトの皆さんやチャンドゥさんのご友人は、帰国のためブバネーシュワルを離れデリーへ。残ったのはよっちゃんの親戚一同とよっちゃんの大学時代のクリケット部の先輩Yさんご夫妻、そして添乗員のKさん。人数が大幅に減ってちょっと寂しくなってしまったけれど、このあとも披露宴、観光などのお楽しみが待っている。

今日の夕方は、チャンドゥさんのご両親の家へおよばれに行くことになり、インド居残り組とよっちゃんの家族の皆さんでタクシーに分乗してカタックへと向かった。
到着してまず目に入ったのは家全体に飾られたイルミネーションである。濃くなり始めた夕闇に浮かぶ光はまるでクリスマスみたいなムードである。昨日訪れたときは昼間だったので気が付かなかったのかもしれない。よっちゃんのおかあさんが「わぁ、凄い。」といって驚いていた。くにちゃんを除くと、よっちゃんのご家族がチャンドゥさんのご実家を訪れるのは今日が初めてということだった。
ご家族と親戚の皆さんの歓迎を受け、ヒンディー語と英語が堪能な添乗員のKさんに通訳してもらいながら、ご両親とチャンドゥさんに家を案内してもらう。家の外で最も興味深かったのが、結婚式の時と同じような四角い天蓋付きのスペースである。



ヒンドゥー教徒として様々な儀式をここで行うということだそうだ。ご自宅にこれがあるのを拝見すると、ヒンドゥー教徒にとって宗教儀式がいかに大切にされているかが理解できるような気がした。チャンドゥさんのご家族にとって、ヒンドゥー教の宗教儀式はおそらく日常の一部なのだ。結婚式のあとも、新婚夫婦は一週間毎日ここでお祈りをするということだった。

家の周りにはバナナなど様々な種類の樹木が植わっていて、ポットにもたくさんの種類の苗木や花がある。まるで紐のように細長い実がたくさんなる珍しい樹木もあって名前を教えてもらったのだが、それはSHOESTRINGだったかSHOELACEだったか?とにかく「靴紐の木」という面白い名前だった。
チャンドゥさんのお父さんの趣味はガーデニングで、この家へ引越してくるとき、若木や苗のポットがトラック三台分(!)もあったということだ。私たちが驚いて「ええーっ?!」と声を上げると、お母さんが「そうなのよ。ま、しょうがないわね。」という感じで、おどけたように目をくるくる回して笑った。お父さんはいろんな花や樹木について説明をしながら庭を案内してくださった。

家の中も案内していただいたあと居間で親戚の皆さんとともにくつろいでいると、愛犬プルートがリードを解かれて嬉しそうに尻尾を振りながらこちらへやって来た。よっちゃんの実家でも犬を飼っているし、私も犬は大好きなのでみんなでプルートを撫で回してやると、プルートは寝転がって愛嬌たっぷりに甘え始め、笑い声が起こってその場の空気がいっぺんになごんだ。
居間には絵の額が飾られていて、なかには日本の五重塔のような絵もあった。昨日訪問したときに、東京神田の専門店で買った浮世絵を額装してチャンドゥさんのご両親へプレゼントしたのだが、それも気に入ってくださればよいのだが。
 
家族で

屋上で夕食もご馳走になった。インド滞在中は、インド料理が辛くて食べられなかったというようなことは一度もなかった。カレー料理にしても、野菜、豆、肉(鶏やマトン)、魚とヴァリエーションはさまざまで、辛さはさほどでもなく香り豊かなスパイスが効いてどれも美味しくいただいた。この地方のインド料理はあまり辛くないのかもしれないとも思ったが、よく考えてみると、食事をしたのはホテルのレストランかチャンドゥさんのお宅ぐらいである。私たちが知らないだけで、ほんとうはこの地方にも辛ーい料理があるのかもしれない。チャンドゥさんに伺うと、今日の料理も私たちのために辛さは控えめにしてくださっているとのことだった。
ちなみに敬虔なヒンドゥー教徒でいらっしゃるチャンドゥさんのご両親は、ヴェジタリアンであり、もちろん飲酒は一切なさらないということである。
香辛料も控えめで全く辛くない料理もいくつかあり、チャンドゥさんのお母さんの手による「ほうれん草のおひたしふう油炒め」のような一品も大変に美味しかった。辛くなくて、野菜と何か豆腐に似た食材を使った料理が美味しいのでチャンドゥさんにきいてみると、この豆腐のようなものはナチュラルチーズの一種でパニールというのだそうだ。そういわれてみるとカッテージチーズに似ている。パニールを使った料理はインド滞在中に三回ほど食べたが、いずれも美味しくいただけた。

新妻のよっちゃんにふと目をやると、両手は腕輪がいっぱいでジャラジャラしているし、指には指輪がいっぱい。さらにはおでこにもチャームがぶら下がっているし、足の指にも指輪。足首にもアンクレットが。
「これでは何をするにも不便やねえ。」
と私が言うと、
「花嫁は結婚式がすんでも全てのアクセサリーを8日間はずさず、つけたままにしなければならないんですって。」
と言うではないか。
「え?お風呂に入るときも?」
と思わず訊いてしまったのだが、よっちゃんの返事は
「うん。」
だった。
「でね、これとこれとこれはずーっと身につけていなくてはいけないの。」
といっていくつかの腕輪や指輪とおでこに下がっている金のチャームを指し示した。

普段はアクセサリーの類をほとんど身につけない私などは、この大量のアクセサリーを見ただけで、インドの新妻家業というのも大変そうだと一瞬思ってしまったのであるが、それは要らぬ心配というものだ。よっちゃんはこういうインドの風習をも受け入れて楽しんでいる様子だったし、それに何より、よっちゃん自身がとても幸せそうだから。
帰り際、よっちゃんのお母さんがチャンドゥさんのお母さんにお別れの挨拶をした。
「よっちゃんがインドの風習になじめるかどうか、ご両親ともうまくやっていけるかどうか、大切な娘のことなのでいろいろと心配しています。娘をどうぞよろしくお願いします。」
するとチャンドゥさんのお母さんは、よっちゃんのお母さんの気持を汲みつつ慎重に言葉を選び、相手の不安をなだめるように「Don't worry.」という言葉を何度か繰り返しながら、優しくゆっくりとした口調で仰った。
「私にも娘がいますから、娘を嫁がせる母親の気持は分かるつもりです。よっちゃんは、これからは私たちの娘でもあるのです。自分の娘と同じように彼女を大切にしますから、どうか心配なさらないでください。あなたたちも、これからは私たちの家族です。これからはこの家をあなたたちの家だと思って、どうぞ遠慮なくいつでもいらしてください。」
このときのチャンドゥさんのお母さんの言葉は大変に印象深いものだったので、今も私の記憶に鮮明に残っている。

THREAD CEREMONY(2006年1月25日、夕方)

ホテルのレストランで夫と二人、紅茶とクッキーの遅いティータイムをとっていると、プールサイドの向こう側で結婚式が行われているのが見えた。すると花嫁さんを先頭にした一団がプールサイドをぐるっと回り、レストランのすぐ横を通ってまたプールサイドの向こう側へ戻っていった。私たちのすぐ近くを通り過ぎていった花嫁さんは華奢な感じで初々しくとても可愛らしい。「可愛いらしい花嫁さんやったねぇ。ちょっと行って、写真撮らせてもらお。」ということになり、お茶をすますと二人でぶらぶらとそちらへ向かった。

近くにいた親戚と思しき年配のご婦人に「グッドイーヴニング。」と挨拶し、「可愛らしい花嫁さんですね。花婿さんはどちらですか?」と、訊いてみた。すると「いいえ、あの子は男の子ですよ。」という答え。「ええっ?」と思ってよーく見ると、民族衣装を着てはいるが上半身は裸の少年である。ああっ、こりゃまた失礼!!(^▽^;)
一瞬どっと冷や汗が出たがすぐに気を取り直し、「これは何の儀式なのですか?」と質問してみた。

最初、インド式英語に独特の“r”の発音が聞き取りにくくて何度か聞き返さなければならなかったが、そんな私に対してご婦人が繰り返し根気良く丁寧に説明してくれたこともあり、慣れるにしたがって聞き取れるようになった。
お粗末なヒアリングながら、話を総合してみたところ、ここで行われているのはどうもヒンドゥー教入門(?)の儀式のようである。少年は12歳だそうで、彼の父親はすでに他界されているということだ。ご婦人の指差すほうを見ると、天蓋付きの四角いスペースの隅に、少年の父親の遺影が置かれていた。父親は亡くなってしまったが、これは大事な儀式なので、少年のために親戚が集まって行っているということだった。
THREAD CEREMONY
儀式について一応理解してもらえたと思ったご婦人は、今度は私に質問をいっぱい浴びせてきた。
あれはあなたのご主人か?ご主人の職業は何か?子供はいるのか?男の子か、女の子か?子供は何歳と何歳だ?あなたの職業は何か?あなたたちが泊まっているのはこのホテルなのか?インドへ来たのはなぜ?姪御さんの結婚式はどこで行われたのか?あなたたちの姪御さんは日本のどこに住んでいたのか?あなたたちはいつ日本へ帰るのか?その他いろいろ。
しっかりもののインドのお母ちゃんといった感じのご婦人は、眼鏡のせいもあってかヴェテラン教師のような雰囲気もたたえていた。そんな彼女の雰囲気に少々押されぎみになり、質問攻めにいちいち馬鹿正直に答えてしまったのだが、あとで思い返してみると、いつのまにかもの凄くたくさんの質問をされていたことに気がついた私だった(^▽^;)
儀式の説明を受けているときに、ご婦人の口から“THREAD CEREMONY”(紐の儀式)という言葉が繰り返し出てきたので、「なぜこれを“THREAD CEREMONY”と呼ぶのですか?」と質問すると、ちょうどこちらへ寄って来たご主人を紹介してくれてから、「ほらね。」とご主人の胸元をはだけて、たすき掛けにした紐を見せてくれた。ヒンドゥー教の信者はみなこのように細い紐を身につけているのだという。
ご婦人が「この人たちの姪御さんが昨日このホテルでインド人男性と結婚式を挙げたんですって。」とご主人に説明すると、ご主人が「私はその話、ニュースで見たぞ。」と言うではないか。TVのニュースだろうか?それとも新聞か何か?いや、よっちゃんの結婚式が終わってからまだ15時間ほどしか経っていないのだから、ニュースというのは別の結婚式のことかもしれないとそのときは思ったのだが、今思えば、そのニュースはよっちゃんの結婚式だったのかもしれない。よっちゃんの結婚式に取材陣が来ていたのだろうか?
ご婦人の質問に答えて分かったことだが、偶然にも私の夫とご婦人の息子さんの職業が同じであるということが分かり、さらにはご婦人のご主人の職業にも共通するというので、はるばる日本からやって来た正体不明の私たち中年夫婦も、どうやらこのインドのご婦人に受け入れられたようだ。親切に「あちらでコーヒーを貰って飲んでいってくださいね。」と言ってくれた。
甘くて暖かいコーヒーをごちそうになっていると、ご婦人が少年のお母さんを紹介してくれた。眼鏡のご婦人に「これはおめでたい儀式なのですか?」と念のため質問すると「もちろん。」という答えだったので、少年のお母さんに「息子さんのTHREAD CEREMONY、おめでとうございます。」とお祝いを述べた。若いお母さんはとても嬉しそうに「ありがとう。」と言い、このときの様子はこの儀式を撮影していた専属のカメラマンによって、しっかりとヴィディオで撮影されてしまったのだった(;^_^A
少年のお母さんは息子さんをとても可愛がっているようで、大切な我が子がここまで大きくなって“THREAD CEREMONY”をすることが出来たので嬉しく誇らしいという気持が、お母さんの笑顔に表れているような気がした。ヒンドゥー教徒にとって、このTHREAD CEREMONYは人生の節目のように大切な儀式なのかもしれない。

インド人の花嫁さん(2006年1月27日、夕方)

インドの冬は、観光シーズンであると同時に結婚シーズンでもあるということだ。私たちが滞在していたホテルMAYFAIR LAGOONでも毎日のように結婚式が行われていた。せっかくの機会だからということで、よその花嫁さん、つまりインド人の花嫁さんを見に行くことにした。

よっちゃんの結婚式のときに花嫁の控え室となっていたのと同じ部屋に“BRIDE”の文字が掲げてある。中を覗くと支度の出来た花嫁さんが座っているのが見えたので、近くにいた親戚と思しき男性に頼んで部屋へ通してもらった。
花嫁さんの両脇には女性たちが付き添うように座っており、まるで大勢の見物人から花嫁を守っているかのようにも見える。はちきれんばかりの笑顔だったよっちゃんとは違って、こちらのインドの花嫁さんはすまし顔である。花嫁さんに「コングラチュレイションズ!」とお祝いを述べると、ちょっとはにかんだように「サンキュー。」と言ってくれた。
インド人花嫁
さすがは本家インド人ということで、エキゾティックな雰囲気でなかなかの美人なのではないだろうか。あーこれこれ、誰ですか、鼻の下伸ばしてるのは?!

ぶらぶら散歩(2006年1月25日、昼)

夫と二人でホテルの外へ散歩に出た。すでに昼近くで日向は暑いので、通りに沿って日陰を選びながらぶらぶらと歩く。


インドへ来てからずっと不思議に思っていたことだが、道で出会うのは圧倒的に若い男性が多い。で、男たちはきまって屋台にたむろしていたり、道端で何をするわけでもなくただ暇そうにしているのだ。こういった、ちょっとした商店があって屋台もでているような通りがインド庶民の社交場としての機能を果たしているであろうことは想像がつくし、インドは人口が多いので暇そうな若い男性が目に付くのかとも思ったが、それにしても若い女性の姿を全くといっていいほど見かけない。インドの若い女性たちは、外出というものをしないのだろうか?そういえば、若い男性同士というのはよく見かけたものの、恋人同士は見かけないように思ったのだが、この国の男女交際というのは一体どのようになっているのだろうか?まあ、しかし、日本人のおばさんがインドにおける恋愛事情についてこれ以上心配してもしかたがないので、やめておくことにしよう。

一軒の簡易食堂で高校生が食事をしているのに出会った。店の主に「写真をとってもいいか?」と尋ねると、首を横に振ったので一瞬だめなのかと思ったが、インドではこれが肯定のしぐさだということをすぐに思い出した。う~む、ややこしい(笑)
食事中の男の子たちに近寄り、「こんにちは。あなたたちは高校生?」と訊くと「イエス、マダム。」ときた。「お昼ごはんを食べているの?」と訊くと、返事はまたもや「イエス、マダム。」で、さすがはイギリス仕込みである。はきはきとした受け答えだけでなく、彼等の態度が目上の人に対するそれになっていて実に礼儀正しいのだ。だらだらした態度、乱れた言葉遣いの日本の高校生とはえらい違いである。
「写真を撮らせてもらってもいい?」と言ったとき、隅っこのほうでモジモジしている少年に気がついた。「ほら、君も入んなさい。」と言うと、少年は嬉しそうにものすごい勢いでピューッと走ってきた。この少年は簡易食堂の主の息子らしいが、よほど一緒に写りたかったのだろう。とびきりの笑顔もステキだが、腰に手をあてたポーズがちょっと生意気でキマッテルね!

ランチタイム  インドには美少年が多いのだ