この度は、よっちゃんとチャンドゥさんのご結婚、誠におめでとうございます。私たちをインドへお招きくださったご両家の皆様に心からお礼を申し上げます。素晴らしかった結婚式と披露宴。快適で面白かった初めてのインド旅行。数々の楽しい思い出を長く自分の記憶に留めておくために、また両家のご親族、ご友人の皆様にも楽しんでいただけるよう、よっちゃんとチャンドゥさん、K家のご両親の了解を得て、当ブログを開設いたしました。皆様の楽しいコメント、鋭いツッコミ、厳しいご批判などなど、お気軽にお寄せくださいませ。お待ちいたしております。
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黒牛(まだ子供なの。でも、賢いんだぞー!)
インド観光の一日 -コナーラクのスーリヤ寺院-(2006年1月26日)
境内の大木の下で
スーリヤ寺院の「スーリヤ」とは太陽神の名前ということだ。13世紀に1万2千人の労働力、王朝の12年分の税収をつぎ込んで建立されたものだというから凄い...というか想像もつかないスケールである。80メートル近くあったであろうといわれる本殿は崩壊し、舞堂の屋根も崩れ落ちてはいるものの、寺院へ近づいてゆくにしたがって、まずは全体の大きさに圧倒される。
寺院全体はスーリヤ神の馬車の形になっており、7頭の馬(一週間を表す)や24個の車輪(24時間を表す)をはじめ、ミトゥナ像(抱擁する男女)、ダンスをする女性、楽器を演奏する男女、動物、植物、魚、そのほか様々な意匠が浮き彫りされた石を積み上げて造られている。歳月による風化によって原型を留めていない部分も多くあるが、建物全体をびっしりと覆う繊細かつ優美なレリーフは、往時の高度な技術と優れた美的感覚が窺えて興味深く、大変に見ごたえがあった。
馬車の車輪
馬車をひく馬
昼間の強烈な太陽光を浴びてくっきりと浮かび上がる夥しいレリーフの数々を眺めていると、なんだかクラクラとめまいがしてきそうだ。とにかく全体がびっしりと隙間無くレリーフで覆われており、空白部分というものがほとんどないように思えるほどで、日本美術の空間の美学とは対極をなしているという感じがした。
インドならではの最高に素晴らしいトイレ
中国のトイレは壁もドアもなくて...云々という話を何かで読んだことがあるけれど、インドのトイレはちゃんと個室になっていたのでその点はご安心いただきたい。ただし、私が使用したトイレは空港、ホテル、チャンドゥさんのご実家、披露宴会場のスタジアムぐらいだったか。なかでもチャンドゥさんのご実家のバスルームが一番広くて綺麗で快適だったのはいうまでもない。
あともうひとつ、なんともはや素晴らしいトイレを体験したのであるが、ふっふっふ、それは最後のお楽しみ。
さて、インドのトイレ事情だが、これは、はっきり申し上げてよろしくない。インドへ着くなり、さっそく添乗員のKさんによって以下のような説明があった。
第一に、トイレットペーペパーが無い(ただし、国際線飛行機の機内、ホテルの部屋、ホテル内のトイレにはちゃんとあった)。
インドでは用を足したあとに紙を使う習慣が無いのだ。取っ手の付いた小さなプラスティック製の容器が置いてあり、すぐ傍の水道の栓をひねって容器に水を汲み、手と水を使ってきれいにするんである。いわば人力ウォシュレットですな。このインド式の方がトイレットペーパーを使うよりずっと清潔かもしれない。が、しかーし!!洗ったあとは一体どないすんの?そのままか?それとも乾くまで待つのか?
分からない。
せっかくインドへ行ったのであるから、インド人に訊いてくればよかった。が、私のド下手な英語で、デリケートな言い回しが必要とされるこのようにややこしい質問を、出会ったばかりのインド人にぶつけるのは、さすがに勇気と根性が必要だ。それに、ひとつ表現を間違えば日印両国間の国際問題にも発展しかねない。
訊けなかったのである。
それにしても、トイレに常備された水を汲む容器だが、よりによってというかなんというか、お料理で使う軽量カップにそっくりなのだ!いや、今思えば、あれは軽量カップそのものだったのかもしれないが。
*実物に似たものでよければだが、容器をご覧になりたいというかたは↓ここをクリックしてちょ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000ELIM3C/qid=1144638348/sr=1-9/ref=sr_1_10_9/503-8506403-1920755
第二に、ホテル内のトイレではそう心配ないが、外のトイレは水洗式とはいえ紙を流すとすぐに詰まってしまうらしい。
であるから、ホテルを一歩出るときは、細くクルクルと巻いたトイレットペーパーと、使用後の紙を持ち帰るジップロックをバッグに入れておくのを忘れてはならない。
第三に、公衆トイレが少ない。
あれだけ人がうじゃうじゃいるというのにである。世界遺産のような大観光地でさえ、入り口の手前はるか遠くに小さくて貧弱そうな小屋みたいなのがぽつんとひとつ。日本人の感覚からすれば、インドにおけるトイレの絶対数は明らかに足りていないようなのだが、だからといってインド人がトイレ問題で困っているということもないようなのだ。それは何故か?
トイレの謎はインド滞在中の意外に早い時期に明らかとなった。夕方、観光を終えてタクシーでホテルへと向かう途中、私は信じられない光景を目撃してまったのだ。
こちらへ背を向けて道端にしゃがみ込み、用を足しているサリー姿のご婦人である!!
あれは絶対に見間違いなどではなかった。しかも私たちの乗ったタクシーが通り過ぎるとき、ご婦人との距離はたったの数メートル。
要するにインドでは、その辺で用を足すのはあたりまえ、ノープロブレムということらしい。
これはインド人に公衆衛生の概念が欠如しているというのではなく、急激な人口増加と都市化の波にインフラ整備がついていかないからということなのだと思う。少し前まではその辺で用を足しても、ブツはバクテリアや糞虫などによって分解され、大地に恵みをもたらす栄養分となるという具合で、自然の摂理にかなっていたことなのだろうから。
さて、インドで体験した最高に素晴らしいトイレの話をしよう。最高に素晴らしかったというのに、たった一回だけというのが残念でならないのだが...。
民芸品の村をあとにしてコナーラクへと向かう途中の田園地帯でトイレタイムとなった。察しのいいかたはもうお気づきでござるね。そう!
青空トイレである。
田園地帯のど真ん中でタクシーを止め、道の両側へ男女別れて歩いていく。女性用は、いったん小高い土手を登り、少し降りて、遠くの緑地帯に牛やヤギ、手前の湿地帯に白サギがいるだけで、あとは緑と青空だけという絶景が広がる場所である。ここでお弁当を食べたあと、草地にごろんと寝転がってあたりの景色を眺めたらどんなに気持がいいだろう!というぐらいに素晴らしく、トイレにしてしまうには実にもったいない場所だった。
ご幼少のみぎり以来のことだから何十年ぶりになるだろうか?燦々と降り注ぐ陽光を浴び、遠くからかすかに聞こえてくる「ンモー,,,」という牛の鳴き声を聞きながら、爽やかなそよ風に吹かれての青空トイレは、まさに快適そのもの!の貴重な体験であった(;^_^A
インド観光の一日 -民芸品の村- (2006年1月26日)
今日は丸一日が観光となった。私たちが滞在しているオリッサ州の州都ブバネーシュワルと、今日これから訪ねるコナーラク、プリーは、インド各地からの巡礼と観光客を集めており、ゴールデン・トライアングルと称されているそうだ。コナーラクのスーリア寺院(世界遺産)とプリーのジャガンナート寺院へ行くため、ホテルのロビーに朝9時に全員集合。タクシーに分乗して、まずは一路コナーラクを目指す。
街中を過ぎて商店もまばらになり、人や車も少なくなって郊外へ出ると民家の近くの空き地で草野球ならぬ草クリケットを楽しんでいる子供たちを何度か見かけた。やがて民家もまばらになると広々とした田園地帯となる。遠くに見える緑地帯では牛やヤギがのんびり草を食んでいる。
「やっぱり牛は緑の草の生えてるところにいなきゃあいけんねえ。君たちには、あんなごみごみした街中のアスファルトより、ここの方がよっぽど似合っとるよ。」
と、叔母のNさんがしみじみとした口調で言うのが可笑しかった。
インドというと牛=路上生活者みたいなイメージがつきまとい、人や車が激しく往来するなか堂々と道の真ん中にねそべり、「テコでもブルドーザーでも動かんもんね、わし。」といった感じを漂わせながら反芻している姿は発展途上にあるインドの一面を象徴しているかのようであり、それはそれで面白い。昼間は路上生活をしている牛たちも夜はちゃんと農家の牛小屋へ帰っていくのだろうが、しかし、牛たちは何を好き好んでわざわざ交通量が多く、餌となる草も少ない路上へと出てくるのだろう。路上生活牛の気持は謎だが、こうやってのどかな田園地帯で気持よさそうに草を食む牛本来の姿を見ることの方が、人間にとっても気持がいいに決まっている。
コナーラクへと向かう途中、民芸品を売る村でいったんタクシーを降りた。
ここまでの田園地帯で目にした色といえばほとんどが土と緑と空の色ぐらいだったのが、今は道の両側にずらりと並んだ店にカラフルな民芸品が鈴なりで太陽の光を受けており、色彩に溢れたこの一帯に佇んでいると、まるでカラーサンプル(色見本帳)を見ているような気分になってくる。
ランプシェードなどを買い求め、外から店内をカメラで写していると店員がやって来て「こっちへ来てくれ。」と手招きする。再度店の奥へ入って行くと、店員は商品のなかでは一番の大作と思しき壁掛け(あるいはマット?)を嬉しそうに広げて見せた。なるほど、これを撮影してくれということなんやね。よっしゃ、パチリ!
店を出て一人でぶらぶら歩いているとパレードがやってきた。学校の生徒たちがブラスバンドを先頭にして皆で声を合わせて一斉に何かを言いながら行進して行く。横断幕を掲げているが、オリヤー語で書かれているので読めない。あとで添乗員のKさんに訊いて分かったのだが、今日、1月26日はインド共和国記念日(1950年の憲法発布を祝う日)なんだそうである。各州都で行事が行われ、なかでもニューデリーのパレードは壮観で、軍隊、ゾウ、ラクダ、民族衣装の大行進なのだそうだ。(『地球の歩き方-インド-』より)
チャンドゥさんのご実家へおよばれに行く(2006年1月25日、結婚式の翌日の夕方)
よっちゃんの大学時代のクリケット部のチームメイトの皆さんやチャンドゥさんのご友人は、帰国のためブバネーシュワルを離れデリーへ。残ったのはよっちゃんの親戚一同とよっちゃんの大学時代のクリケット部の先輩Yさんご夫妻、そして添乗員のKさん。人数が大幅に減ってちょっと寂しくなってしまったけれど、このあとも披露宴、観光などのお楽しみが待っている。
今日の夕方は、チャンドゥさんのご両親の家へおよばれに行くことになり、インド居残り組とよっちゃんの家族の皆さんでタクシーに分乗してカタックへと向かった。
到着してまず目に入ったのは家全体に飾られたイルミネーションである。濃くなり始めた夕闇に浮かぶ光はまるでクリスマスみたいなムードである。昨日訪れたときは昼間だったので気が付かなかったのかもしれない。よっちゃんのおかあさんが「わぁ、凄い。」といって驚いていた。くにちゃんを除くと、よっちゃんのご家族がチャンドゥさんのご実家を訪れるのは今日が初めてということだった。
ヒンドゥー教徒として様々な儀式をここで行うということだそうだ。ご自宅にこれがあるのを拝見すると、ヒンドゥー教徒にとって宗教儀式がいかに大切にされているかが理解できるような気がした。チャンドゥさんのご家族にとって、ヒンドゥー教の宗教儀式はおそらく日常の一部なのだ。結婚式のあとも、新婚夫婦は一週間毎日ここでお祈りをするということだった。
家の周りにはバナナなど様々な種類の樹木が植わっていて、ポットにもたくさんの種類の苗木や花がある。まるで紐のように細長い実がたくさんなる珍しい樹木もあって名前を教えてもらったのだが、それはSHOESTRINGだったかSHOELACEだったか?とにかく「靴紐の木」という面白い名前だった。
家の中も案内していただいたあと居間で親戚の皆さんとともにくつろいでいると、愛犬プルートがリードを解かれて嬉しそうに尻尾を振りながらこちらへやって来た。よっちゃんの実家でも犬を飼っているし、私も犬は大好きなのでみんなでプルートを撫で回してやると、プルートは寝転がって愛嬌たっぷりに甘え始め、笑い声が起こってその場の空気がいっぺんになごんだ。
居間には絵の額が飾られていて、なかには日本の五重塔のような絵もあった。昨日訪問したときに、東京神田の専門店で買った浮世絵を額装してチャンドゥさんのご両親へプレゼントしたのだが、それも気に入ってくださればよいのだが。
屋上で夕食もご馳走になった。インド滞在中は、インド料理が辛くて食べられなかったというようなことは一度もなかった。カレー料理にしても、野菜、豆、肉(鶏やマトン)、魚とヴァリエーションはさまざまで、辛さはさほどでもなく香り豊かなスパイスが効いてどれも美味しくいただいた。この地方のインド料理はあまり辛くないのかもしれないとも思ったが、よく考えてみると、食事をしたのはホテルのレストランかチャンドゥさんのお宅ぐらいである。私たちが知らないだけで、ほんとうはこの地方にも辛ーい料理があるのかもしれない。チャンドゥさんに伺うと、今日の料理も私たちのために辛さは控えめにしてくださっているとのことだった。
ちなみに敬虔なヒンドゥー教徒でいらっしゃるチャンドゥさんのご両親は、ヴェジタリアンであり、もちろん飲酒は一切なさらないということである。
香辛料も控えめで全く辛くない料理もいくつかあり、チャンドゥさんのお母さんの手による「ほうれん草のおひたしふう油炒め」のような一品も大変に美味しかった。辛くなくて、野菜と何か豆腐に似た食材を使った料理が美味しいのでチャンドゥさんにきいてみると、この豆腐のようなものはナチュラルチーズの一種でパニールというのだそうだ。そういわれてみるとカッテージチーズに似ている。パニールを使った料理はインド滞在中に三回ほど食べたが、いずれも美味しくいただけた。
新妻のよっちゃんにふと目をやると、両手は腕輪がいっぱいでジャラジャラしているし、指には指輪がいっぱい。さらにはおでこにもチャームがぶら下がっているし、足の指にも指輪。足首にもアンクレットが。
普段はアクセサリーの類をほとんど身につけない私などは、この大量のアクセサリーを見ただけで、インドの新妻家業というのも大変そうだと一瞬思ってしまったのであるが、それは要らぬ心配というものだ。よっちゃんはこういうインドの風習をも受け入れて楽しんでいる様子だったし、それに何より、よっちゃん自身がとても幸せそうだから。
THREAD CEREMONY(2006年1月25日、夕方)
近くにいた親戚と思しき年配のご婦人に「グッドイーヴニング。」と挨拶し、「可愛らしい花嫁さんですね。花婿さんはどちらですか?」と、訊いてみた。すると「いいえ、あの子は男の子ですよ。」という答え。「ええっ?」と思ってよーく見ると、民族衣装を着てはいるが上半身は裸の少年である。ああっ、こりゃまた失礼!!(^▽^;)
一瞬どっと冷や汗が出たがすぐに気を取り直し、「これは何の儀式なのですか?」と質問してみた。
最初、インド式英語に独特の“r”の発音が聞き取りにくくて何度か聞き返さなければならなかったが、そんな私に対してご婦人が繰り返し根気良く丁寧に説明してくれたこともあり、慣れるにしたがって聞き取れるようになった。
インド人の花嫁さん(2006年1月27日、夕方)
よっちゃんの結婚式のときに花嫁の控え室となっていたのと同じ部屋に“BRIDE”の文字が掲げてある。中を覗くと支度の出来た花嫁さんが座っているのが見えたので、近くにいた親戚と思しき男性に頼んで部屋へ通してもらった。
花嫁さんの両脇には女性たちが付き添うように座っており、まるで大勢の見物人から花嫁を守っているかのようにも見える。はちきれんばかりの笑顔だったよっちゃんとは違って、こちらのインドの花嫁さんはすまし顔である。花嫁さんに「コングラチュレイションズ!」とお祝いを述べると、ちょっとはにかんだように「サンキュー。」と言ってくれた。
ぶらぶら散歩(2006年1月25日、昼)
夫と二人でホテルの外へ散歩に出た。すでに昼近くで日向は暑いので、通りに沿って日陰を選びながらぶらぶらと歩く。
インドへ来てからずっと不思議に思っていたことだが、道で出会うのは圧倒的に若い男性が多い。で、男たちはきまって屋台にたむろしていたり、道端で何をするわけでもなくただ暇そうにしているのだ。こういった、ちょっとした商店があって屋台もでているような通りがインド庶民の社交場としての機能を果たしているであろうことは想像がつくし、インドは人口が多いので暇そうな若い男性が目に付くのかとも思ったが、それにしても若い女性の姿を全くといっていいほど見かけない。インドの若い女性たちは、外出というものをしないのだろうか?そういえば、若い男性同士というのはよく見かけたものの、恋人同士は見かけないように思ったのだが、この国の男女交際というのは一体どのようになっているのだろうか?まあ、しかし、日本人のおばさんがインドにおける恋愛事情についてこれ以上心配してもしかたがないので、やめておくことにしよう。
一軒の簡易食堂で高校生が食事をしているのに出会った。店の主に「写真をとってもいいか?」と尋ねると、首を横に振ったので一瞬だめなのかと思ったが、インドではこれが肯定のしぐさだということをすぐに思い出した。う~む、ややこしい(笑)
食事中の男の子たちに近寄り、「こんにちは。あなたたちは高校生?」と訊くと「イエス、マダム。」ときた。「お昼ごはんを食べているの?」と訊くと、返事はまたもや「イエス、マダム。」で、さすがはイギリス仕込みである。はきはきとした受け答えだけでなく、彼等の態度が目上の人に対するそれになっていて実に礼儀正しいのだ。だらだらした態度、乱れた言葉遣いの日本の高校生とはえらい違いである。
「写真を撮らせてもらってもいい?」と言ったとき、隅っこのほうでモジモジしている少年に気がついた。「ほら、君も入んなさい。」と言うと、少年は嬉しそうにものすごい勢いでピューッと走ってきた。この少年は簡易食堂の主の息子らしいが、よほど一緒に写りたかったのだろう。とびきりの笑顔もステキだが、腰に手をあてたポーズがちょっと生意気でキマッテルね!
インドには美少年が多いのだ