花婿の実家での儀式(2006年1月24日お昼頃)
玄関で靴を脱ぎ、二階の大きな部屋へ通された。お坊さんがさっそく儀式の準備をし始める。金属製の丸い大皿に火のともったロウソク、米、薬草のようなもの、花びらなどそのほか何かわからない物を盛り付ける。床に置かれたバナナの葉を四角く切ったものの上には、米を山盛りにし、さらにその上に大きな木の実だの、金色の壺だの、葉っぱだのと様々なものを飾る。それとは別に、火のついたお線香も用意し、ほかにオレンジの実やバナナ、そのほかにも何か分からないがブドウのような実が床に置かれたバナナの葉っぱにのせられた。
結婚式当日の儀式(2006年1月24日午前)
いよいよ今日は結婚式の日である。
ホテルのレストランで朝食をとるK家の皆さん
結婚式の日まで連日、実に様々な儀式があるらしく、今日も朝から儀式があるとのことで、私たちも見学させていただくことになった。
インドでは結婚にさいし、花嫁側の最も濃い血縁関係の、花嫁より年下で、しかも独身の男性が花婿の家へ出向き、儀式にのっとって「どうか○○をあなたの妻に迎えて頂きたい。」というメッセージを伝えなければならない。今日、チャンドゥさんの実家で行なわれるこの重要な儀式の大役を担うのが、よっちゃんの弟のくにちゃんなのである。
この儀式の準備も本来ならば花嫁の実家で行われるところだが、チャンドゥさんの親戚のお宅を仮によっちゃんの実家として使わせてもらうことになっている。この家の持ち主は現在ここに住んでおられないそうだ。
くにちゃん以下、私たちがその家へ到着すると、ドラム二人と笛という変則トリオの楽士たちが儀式のための伝統音楽を演奏し始めた。曲の進行とともに拍子が変化してゆく、シンプルで原始的な感じの、なんとも賑やかな演奏である。主役のくにちゃんが到着した時点から儀式は始まっているのだろうか?
玄関にはデザインされた大きな「WEDDING」の文字が描かれている。この家の人が結婚式を挙げるのだということが一目で分かるようになっているのだろう。
二階へあがり、靴を脱いで部屋へ入る(日本と同じだ)。儀式を執り行うお坊さんの控え室には、儀式用のお供え(?)の用意がしてあるのが見えた。
チャンドゥさんのお友達のスシさんご夫妻(日本在住)は、夜に行なう結婚式も含めて今日の儀式で介添え役をしてくださることになっている。スシさんとチャンドゥさんは東京在住の頃、仕事で知り合って以来の親友同士ということだ。奥様が日本人でスシさんが日本語堪能なことから、この度の日印結婚にさいして大切な介添え役と両家の親睦を深める手助けをしてくださっている。
私たちは大きな部屋の壁沿いに椅子をぐるりと置いて、座って見学させてもらうことにした。
足に化粧をしてもらうくにちゃん。みんなの注目を浴びてちょっと緊張。
上下とも真っ白な衣装に着替えたくにちゃんが中央の椅子に腰掛けると、女性がシンドゥールという植物の粉で作った赤い染料を用い、指でくにちゃんの足に化粧を施し、お坊さんが葉っぱのうえで練っていた染料でくにちゃんの眉間に赤いビンディをつける。ここにいる全員もビンディをつけてもらった。このビンディは、チャンドゥさんの実家から持ってきたもので、チャンドゥさんの家族からK家の皆さんへの尊敬の意味が込められており、ティラク(TILAK)と呼ばれているとスシさんが説明してくれた。
お坊さんがくにちゃんに模様の入った長い布をたすきのように掛けると、次はチャンドゥさんの親戚でこの家の持ち主の女性が、くにちゃんの顔に白い染料で丁寧に化粧を施してくれる。くにちゃんは大学で柔道部に入っていて体格は良いのだが、人一倍の汗かきである。この日のために雇われたカメラマンがヴィディオ撮影のために強いライトで照らすのでなおさらなのだが、化粧をしてもらっているあいだにも、緊張のためくにちゃんのおでこには汗がにじみ始め、タオルが必要なほどである。くにちゃんのお母さんは「あちらの家へ到着するまでに、化粧が汗で全部取れてしまったりして。」と言って笑った。
顔に化粧をしてもらうくにちゃん。ますます緊張して汗が吹き出る。
化粧が済んで、お坊さんに白いロウ細工のような物と赤とオレンジの生花で出来た凝ったデザインの長い首飾りを掛けてもらうと準備はすっかり整った。
K家の皆さん、チャンドゥさんのお父さんの親友で同級生、チャンドゥさんのお友達、チャンドゥさんの親戚の女性。
記念撮影が終わると、女性がくにちゃんの両手いっぱいにお米を山盛りにした。もう一人の女性がアメリカ先住民の雄叫びのような声を上げる。女性がくにちゃんに外へ出るよう促した。楽士の演奏に、今度はほら貝の音も混じっている。「さあ、出発するぞー!」という意味のほら貝なのだろうか。
この家に残るよっちゃんとご両親、よっちゃんの妹のさとちゃんに見送られ、大役のくにちゃん以下全員は、ドラムと笛の演奏、ほら貝の音がするなか、タクシーに乗り、カタックという町にあるチャンドゥさんの実家へと向かった。
夕食会(2006年1月23日)
よっちゃんのお父さんの挨拶があり、
クリケットのチームメイトの同級生の皆さんから、そしてチームメイトの先輩のYさんから、それぞれ、よっちゃんへプレゼントが渡された。よっちゃんはとっても嬉しそうだ。スポーツをなさっていただけあって、チームメイトの皆さんはみな、明るく、礼儀正しく、爽やかな人たちばかりである。
バザールでショッピング(2006年1月23日)
鞄、靴、雑貨、生活用品、食料品、お菓子から、サリーやパンジャービードレス、アクセサリー、化粧品、高級銀製品、電気製品、スーツケースなどなど、ありとあらゆる様々な物が売られており、当然食べ物の屋台も出ている。店の構えも屋台、露天、ちゃんとしたビル内のブティックといろいろである。
インド滞在中のNさんのご主人と私の夫の二人は、食べ物の屋台を見つけると必ず、フラフラと吸い寄せられるように近づいてゆき、日本人の我々には分からない何やら怪しげな物が料理されてゆく様子をじーっと見ていたものだが、この日も例外ではなかった。本当は食べてみたいのだが、さすがに食べる勇気まではないので、いつも我慢してただじーっと見ているだけだ。ええ歳こいた日本人のおっさん二人が、お金を持たない子供みたいにヨダレ垂らして食べ物の屋台を見守る姿というのはなんとなく笑える光景である。う~む、その写真、撮っといたらよかった。
「これ、似合うかしら?」とか「こっちの方が可愛いかなぁ。」などとお友達同士で相談しながら、たくさんのパンジャービードレスのなかからお気に入りを探そうと、フィッティングルームを出たり入ったりしてとっかえひっかえご試着中の若い女性陣。刺繍やスパンコールが施してあるのやら、かわいい模様のプリントやらアップリケのついたのやらと、色や素材も様々なら、デザインも様々で目移りしてしまうほどだ。24日夜の結婚式に着るパンジャービードレスを選ぶのだから、女性陣の目が真剣そのものになるのも無理はない。
男性店員に店内の写真を撮ってもいいかと尋ねると、すぐ横にいた女性店員が「その店員も一緒に写してくれるならね。」と言うので、そうしてあげた。店員さんはしっかりと営業用スマイルを作ってほかの誰よりも目立っているのだった(笑)
![バザールのブティックにて](https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog.ameba.jp%2Fuser_images%2Fc6%2F7b%2F10004433232_s.jpg)
パンジャービードレス選びに余念がない若い女性陣
結局この日は時間切れとなって誰も買えなかったらしい。が、翌日の午後、チャンドゥさんの妹、ラヌさんに付き添われてショッピングへ行く機会があり、皆さんそれぞれにステキなパンジャービードレスを見立ててもらって良い買い物が出来たということだ。
よっちゃんに再会する(2006年1月23日)
インド東部に位置するオリッサ州(人口3,670万人、主要言語はオリヤー語)の州都、ブバネーシュワル(人口40万人以上)の歴史は古く、10世紀にはガンガ朝の首都となり、15世紀までに数え切れないほどの寺院が建造されたそうで現在も500ほどの寺院が残っているらしい。都心部の喧騒を離れて郊外へ出ると美しい田園地帯がどこまでも広がる緑豊かなところだ。
ブバネーシュワルのホテルMAYFAIR LAGOON に一行が到着すると、よっちゃんとご両親がロビーで私たちを迎えてくださった。このホテルで24日の夜に結婚式が行われるのだ。よっちゃんの元気そうな様子にまずはひと安心する。久し振りに見るよっちゃんは、サリーが良く似合っていて可愛らしい笑顔がはじけている。よっちゃんと挨拶を交わしてほどなく目に飛び込んできたのが、レースのように繊細な花模様が美しく描かれた彼女の両手だ。
これは“メヘンディ”といって、ヘナという植物の染料を使って手に施す化粧のことだそうだ。手のひらと手の甲の両面に施された優雅で凝った花模様は、肘の近く辺りまで続いている。よく見ると手の先にいくほど色が濃く塗られているのが分かる。
女性ならばお分かりになると思うが、マニキュアをするだけで自然と手つきが優雅になるものだ。このメヘンディにはマニキュアどころではない絶大な効果がありそうだ。メヘンディ、腕輪の重ねづけによる相乗効果、いや、そのほか鼻ピアスやらネックレスやらサリーの着こなしにいたるまでの三乗、四乗の効果によって、インド人女性に特有の優雅さが生まれるのかもしれないなどと思った。
さて、試しに“メヘンディ”で検索してみると、あるわあるわ。なんと染料とデザインブックがセットで買える通販ページまで。
こうしてみるとこのメヘンディ、これから日本で流行りそうな気がしなくもないのだが、これをご覧の貴女も一度お試しになってはいかがだろうか?みんなの注目を一手に集める...いやいや、手は二本だから、二手に集めること間違いなし!と言うべきか(^▽^;)
いざ、行かんインドへ!(2006年1月22日)
私、夫、前日から泊まりに来ていたよっちゃんの弟くにちゃんの3人が、家を出て自動車で伊丹空港へ向かったのが午前4時30分のこと。
伊丹空港のチケットカウンターでよっちゃんの大学時代のクリケット仲間、Sさんと落ち合い、西遊旅行の添乗員Kさんともうまく出会うことが出来て5人で成田へ飛ぶ。
成田に到着し、国内線ターミナルから国際線の出発ロビーへ入るとひどく混雑していて、集合場所のEカウンターを目指すものの思うように前へ進むことが出来ない。どうも前日飛ぶはずの便がたくさん欠航になったらしい。
それでもようやく集合場所へたどり着き、よっちゃんの妹のさとちゃん、親戚の人たち、よっちゃんのクリケット仲間の皆さんと合流し、インド行き総勢20名が無事集合した。
成田からデリーまでの飛行時間は9時間。私達の乗る成田発デリー行きは本来ならば12時出発である。積雪のため大幅に遅れてしまったが、とにかく飛行機は飛んでくれた。離陸したのは午後3時で、デリーのホテルに到着したのがインド時間の午後11時だったので、これに3時間半の時差を加えると、家を出てからまるまる24時間起きていたことになる。
デリーの空港から、手配されていたバスでホテルJAYPEE VASANT CONTINENTAL に到着した。すると、ロビーに入る手前のところで、結婚式の後片付けが行われている最中の中庭を目にした若い女性陣が「わ~、きれい!」とか「すご~い!」などと口々に歓声を上げた。
そこはちょっとした庭園といった感じの場所で、整然と並んだ木々にはイルミネーションが煌めき、花で出来た長ーいレイのようなものがあちこちに飾ってあり、なんともいえずロマンティックなムードである。きらびやかで異国情緒溢れるインドの結婚式に想いを馳せて女性たちが歓声を上げてしまったのも無理はない。何しろデリーの空港からホテルまでの外の様子に比べると、ここはまるで別天地なのだから。
ホテルのロビーに入ると、まん前にゾウの顔をしたインドの神様、ガネーシャがデーンと飾ってあり、ちゃんとお供えもしてある。あちこちに生花のアレンジメントやインド・アートの額が配置され、ロビーのインテリアもお部屋も素敵で、周囲の雑踏と喧騒からは完全に隔てられた快適なホテルだった。
はじめに
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記事は随時更新いたしますが、何しろのんきでマイペースな私のこと、ブログが完成するまでにはしばらく時間が掛かるかと存じます。で、当ブログではこれ幸いとばかりに例の“インド時間”なるものを積極的に採用することにいたしましたので、
「これこれ、アーティチョークはん!次の記事、一体いつになったら更新するんや!?」
などとおっしゃらず、どうか長い目で見てやってくださいませ(;^_^A
皆様、どうぞよろしくお願いいたします。