名古屋旅のメインの目的は、明治時代の文化財的建造物を保存しつつ公開している明治村でした。

 

村内にある建造物数は68。

それぞれの建物内には関連展示が施され、鑑賞対象は想像を絶する量です。

 

例えば産業施設なら、当時使われていた器具・装置が隅から隅までズラリと並び、

北里研究所本館・医学館なら、北里柴三郎やコッホ周辺の医学者たちの実績資料・

関連装置などが全室を埋め尽くし、これを丹念に見ていたらひとつの建屋だけで、

もう2時間コースでは!といった塩梅。

 

つまり建物外観を見物するだけでなく、その中に山積みになっている貴重な歴史の資料も

込みの明治村だったのです。

それに加えて建築ガイドツアーにも参加したので、

強弱つけて見て回らないととても全数制覇は無理。

 

帝国ホテルのある5丁目から3丁目まで割と丹念にみて行ったところ、

2丁目にたどり着いたときには閉村まで残り1時間を切っていました。

あと23もの建造物が残っています。

商店や学校は外から見るだけでいいや。

そう思いつつ、2丁目にある第四高等学校物理化学教室(石川県金沢市)へ。

どうせ中はビーカーとか実験用具の展示だろうし、中はスキップしよう。

ところが理系の夫はちょっと興味があったのか、物理室だけ入りたいと。

かなりせきたてられた気分だったものの、私もとりあえず玄関へ。

すると、意外なお宝が埋もれていました。

 

 

 

実はこの明治村は、建築家・谷口吉郎と、名古屋鉄道株式会社会長・土川元夫の提案で

誕生したのです。

驚くなかれ、二人は高校の同級生。しかも出身校は、金沢の第四高等学校です。

そう、まさにこの学び舎から巣立ったふたり。

そんな因果から、本高校の玄関ホールには2人のメダイヨンや解説が置かれ、

2人の功績をたたえていたのです。

覗いてよかった!

 

 

 

 

 

 

残りの階段教室や実験設備はパスでいいや、さあ外に出よう、と思ったら夫が化学室のほうへ。

仕方ない、つきあうか、と足を踏みいれてさらに驚愕。

奥の一室が谷口、土川両氏の功績をたたえる顕彰室になっており、

両氏の遺品が展示されていたのです。

部屋には誰もいません。

数名が、隣の階段教室に座って休憩していましたが、奥の化学室までくる気力はないようで。

 

そして、私、何か持ってるかも?と自画自賛する出来事が起こります。

 

 

せっかく来たのでガラスケースを丹念にチェックしていて見つけました。

棟方志功から谷口宛の手紙です。

 

 

 

 

谷口吉郎が手掛けたホテルオオクラには棟方の鳥の意匠が採用され、

谷口が同じく建てた青森県庁舎の壁画を棟方が担当しました。

(=>11/25付けブログ 「棟⽅志功展は大漁なり「」

そんな接点があり、親交を深めたのでしょう。

 

↓ 壁画再掲

 

 

どうやら谷口氏の文化勲章受賞をお祝いする手紙のようです。

文字もダイナミック。

大海原からたいそうなお宝を見つけた気分です。

 

 

 

 

 

そのほか、教室では気になったものを写真に撮って、説明などは読まずにパス。

帰宅後HPで解説を覗いてみました。

一応チェックすべきものは写真に収めていたようです。

 

後追いで読んだ説明によると、下の写真赤部分は、上げ下げ式の暗戸。

実験の内容に応じて真っ暗にできる仕組みです。教卓真横の壁には、暗戸を上げると外光を取り入れられる窓が開けられており、暗い室内でも教師の手元を照らす工夫がなされています。
この暗戸は他校の理化学教室では用いられておらず、非常に珍しいものです。しかし、鉄板の張られた暗戸を引き上げるのは大変な作業で、後に操作が容易な暗幕に変えられました。

 

 

化学用階段教室の黒板背面には、石敷きの実験台を備えた換気装置付きの小部屋があります。ここでは、生徒に有害ガスを発生する実験を見せていました。

  

 

 

 

 

 

 

 

明治村① 紅葉の明治村で棟方志功の手紙を見つける
明治村② ステンドグラスが美しい聖ザビエル天主堂
明治村③ あのミュージシャンの祖父が作った金沢監獄
明治村④ F・Lライト作・旧帝国ホテルにあるポーツマス条約のテーブル
明治村⑤ 限定公開要注意の西園寺公望別荘
明治村⑥ 旧帝国ホテル本館(ライト館)トリビアを軸に