明治村の続き:

 

明治村にある旧家屋などは基本的に、中での見学は自由です。

ただ、一部、ガイドツアー参加時のみしか中に入れないものもあります。

(私が気づいたのは2か所。)

そのひとつが西園寺公望の別荘「坐漁荘」。

回数は頻繁にあるものの(私が行ったときは1日に10回)、

決まった時間に集合し、ガイドの方に従って中へ。

 

たまたま前を通りかかったタイミングで、最後から2番目のガイドツアー開始間近。

急遽参画しました。

閉村時間は17時だろう、と勘違いしていたから、この時点ではまだ心に余裕があったのです。

冬季の閉村は16時であると知っていたら、慌ただしくてパスしていたかも。

怪我の功名といったところ。

 

 

 

「坐漁荘」の由来は故事「坐茅漁」によるもので、「座ってゆっくり魚を捕る」の意味をこめたとのこと。

 

 

 

別荘には、かの小川治兵衛が手掛けた庭があり、

明治村でもその庭が再現されています。

建物のみならず、庭まで模倣したのはここだけ、という説明がありました。

 

 

 

 

モネの「モンソー公園」の模写(あるいは写真)がありました。

これ、住友家の美術館=泉屋博古館の展覧会で何度か見たことがあります。

住友家に養子入り(住友春翠)した西園寺公望の弟からプレゼントされたそうです。

公望の死後、泉屋博古館の収蔵になったということなのでしょう。

(新人ガイドの方はこの日が2度目という経験の浅い方だったので、質問はしませんでしたが。)

 

以下3行は以前泉屋博屋館で聞いた話です:

銅山由来の住友家は、中国の銅製品以外美術品には興味が薄かったものの、

春翠が外から来たおかげで、一気に絵画など美術品収集が豊富になった。

ただ、その後厳しい時代に結構売却をしている。

 

確かに泉屋の西洋絵画はいまひとつ。

このモネの初期作品を目玉にするほどですから。

印象派より前のアカデミズムの作品が目立ち、

質的に三井、三菱には大きく水をあけられています。

収集を命じられた鹿子木孟郎が住友家より預かったお金を

自分の絵の具代に使ってしまったのが誤算。

大原美術館の美術収集に貢献した児島虎次郎との差は歴然。

住友家には、大原孫三郎の慧眼はなかったということでは。


 

 

右手は西園寺の絶筆。↓

中国・唐時代の書家の詩を揮毫したもの。

左手のスペースは琵琶置きスペース。

 

この場所で聞いた説明によると:

・西園寺家は琵琶の宗家で、(嫉妬深いとされる)弁財天を祀っているので結婚は不可とされる。

(後半の説についてはWikiでは俗説として否定)
・だから代々養子制度をとっている。(確かに春翠は住友家の養子に。)

 

 

 

応接間の全面はサンルーム。

なるべく外を広範囲に見渡せるよう、雨戸の戸袋などは片側だけに寄せています。

左にチラッと写っている展示ケースにはステッキが入っています。

常に襲撃される可能性があったのでステッキは必須だった、と。

 

 

外から見たサンルーム。

家の素材に使われている木材が様々な表情を見せ、地味だけど洒落ています。

 

 

檜のお風呂。

写真には写っていないけど、手前には、

危機迫った場合を想定し、脱出用扉を確保してあります。
 

 

 

お風呂の天井はしずくがかからないように舟底天井になっています。

使われているのは竹。

西園寺は無類の竹好きだったとか。

おそらく育った京都で竹林に慣れ親しんだせいでは?とのこと。

脱衣所のふすま(説明では屏風)には、なんだかよくわからない模様が描かれていて、

これは筍の皮の模様です、と。

どこまでも竹好きなのでした。

 

 

 

台所。

手前に作業台があって、なんちゃってアイランドキッチン、という声が

どこからともなく聞こえました。

 

 

 

引退後も政界などから西園寺詣が後を絶たず、この別荘の裏玄関から

出入りしていました。

裏側なので薄暗く、それを補うため天井には明り取りが設置。

 

 

もともとあった場所は、静岡市清水区だそうです。

説明を聞かないとなかなか気づかないこの家ならではの工夫が様々盛り込まれ、

この館のツアーは、参加して損はないと思います♪

 

 

 

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