TRIQUETRA ~Tributary Zone~ -79ページ目

TRIQUETRA ~Tributary Zone~

2代目のブログです

 

 

八ヶ岳に行ってきました。

 

GWあたりに八ヶ岳に行ったあとすぐ、、、

次のホテルの予約をしていました。

 

ハロウィンのイヴェントの頃に、またここに来ようと。。。

ほとんどその場のノリで(笑)

 

 

土星の影響なのか、それとも気圧の影響なのか、、、

かれこれここ3週間近く、心も身体も重たく感じていたのですが、

でもそれも、徐々に明けてきた感じがしていました。

 

たまたま、そんなタイミングで行くことになったこの旅。。。

 

おかげでとてもリフレッシュできて、

すっかり元通り☆

 

綺麗な高原の景色の中、美味しいものを食べて、

そして、のんびりとハロウィンの雰囲気を味わいながら。。。

 

 

 

 

海王星と土星がスクエアになっている時は、水に関するトラブルが

起こりやすい。。。と、聞きましたが。

 

そんな天体配置の今年って、、、

とんでもなく、台風が多いですね。

 

やっぱり、、、星の影響ってあるんだなぁ。。。と。

 

 

今回の旅も、

台風18号がすぐそこまで来ていましたが、

大型の台風は、進行速度が遅いらしく。。。

 

特になんの影響もないまま、無事に行ってくることができました。

 

 

東京でも、その日はこの季節としては記録的な夏日で、

とても暑かったよ。。。と聞きましたが、

お陰様で、よい避暑?にもなりました。

 

高原だから、この季節は寒いかな。と思っていましたが、

ちょうどよい、さわやかな気候でした。

 

 

なんだかこういう時、、、

じわぁ。。。っと、感謝の気持ちが湧いてきたりします。

 

誰に対してでもなく、、、何に対してでもなく。。。

 

何か、、、よく解らないけど、不思議な気持ちになって、、、

ありがたいなぁ。。。と、そう思うのです。

 

 

 

 

夜のライトアップ。。。

 

ハロウィンっぽい音楽が鳴っていて、壁にはプロジェクターで

幻想的なムービーが映しだされていて。

 

でも、人がほとんどいなくて、、、

一瞬、貸切ディズニーランドかと思ってしまった(笑)

 

 

 

 

静けさ。。。

私が求めているのは、静けさなんだなぁ。。。と。

 

しみじみ感じます。

 

 

静寂さ。。。

 

 

自然の中にはそれがあって、、、

だから、とても癒される。。。

 

 

でも多分、、、

関東で生まれ、ずっとそこで育った私は、、、

大自然の中では、生きていけないのだろうな。。。

 

・・・とも思う。

 

 

東京に戻ってきた時、、、

何かのスピードが違うことを、しみじみ感じました。

 

最近、日本のあちこちに旅することが多いですけれども、、、

やっぱり、東京のスピードは確実に早い。。。

 

そのスピードが当たり前の中で、私は毎日生きているのだなぁ。。。と。

 

 

八ヶ岳あたりでも、少しスピードが違うのですから、、、

もっともっと田舎に行ったら、もっともっと違うのだろうと思います。

 

スピードだけでもこんなに違うのですから、、、

考え方とか生き方の常識とかも、やっぱり、、、

たとえ同じ日本だとしても、

生まれ育った場所によって、だいぶ変わるのだろうなぁと。。。

 

旅を重ねるごとに、そんな思いが強くなる。

 

地域ごとのジェネティック・マインドの違いを、、、

身を持って実感する感じです。

 

その、風景の違いを。。。

 

 

このスピードの速い生活環境のなかで、、、

静寂さを保って生きること。。。

 

それを体現できているとき、、、

私は多分、、、幸せを感じるのだと思う。。。

 

 

今回の旅で、、、

そういうことに気づいたような気がしました。

 

 

ワサワサしていて、ガヤガヤしていて、、、

そして、とんでもなくスピードの速いエネルギーの中で、、、

ナチュラルさと、静寂を保ちながら暮らしていくこと。。。

 

そのあたりでもまた、、、

バランスを取っていくことが面白いのだ。。。と。。。

 

 

スピードが速ければ、必然的に情報処理能力も上がる。。。

それとも、、、処理能力があがるから、スピードが上がるのか。。。

 

でも、その副作用として、、、

自然から切り離された副作用として、、、

「静寂さ」を失いがちなのだということ。

 

 

だから私は、、、自然の中で癒される。。。

 

 

つい先日、ニューヨークに行ってきたお友達が言っていました。

 

今のニューヨークはもう、どこもかしこもみんな、

オーガニックだらけなのだと。

 

昔のニューヨークのイメージが強い私は、

そういうのが、なんだか不思議でしかたなかった。。。

 

だって、、、

ニューヨークといえば、ジャンクフード。

それが、昔のイメージだったから。

 

 

そういう時代を経て、、、

今のビッグ・アップルがあるんですね。。。

 

 

こういうところに、、、

私は、「生命の樹」が見えるのです。。。

 

 

 

大都会のスピードの中で、大自然の静寂を求めること。。。

 

 

 

自分が、、、木の家具が大好きだったのがどうしてなのか、、、

すごくよく解った気がします。

 

 

 

 

 

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ジェームズは、

「ウイングメーカーは現代の神話である」

と言っていました。

 

そもそも、神話とは何であるのか?

 

・・・ということを、ちゃんと理解していなければ、

ジェームズの言っていることもまた、

真に理解することは、難しいだろうと思います。

 

 

昔、私のカバラの先生の師匠であったユダヤ人ラビの方が、

「占星術とタロットは、カバラの二人の娘である」

と言っていました。

 

もちろん、占星術やタロットの歴史をよくよく勉強してみれば、

そのふたつの体系がカバラから生まれたのではない。。。

ということは分るのですが。

 

おそらく、そのラビも「メタファー」を使って

話していたのだろうと思います。

 

彼が言ったことを、言葉の額面通り、、、

ただそのまま鵜呑みにしたら、

 

「占星術が生まれたのはカバラよりも先じゃないか~」とか、

「タロットとカバラが結び付けられたのは、

もっとあとになってからじゃないか~」

「それは間違ってる。うそつきだ~~~」

 

・・・みたいな反応しか出来ないと思いますが、、、

もっと耳を澄ませて、その言葉の裏にある囁きを聞きとれば、

「なるほどね。。。」と。

 

そういうことにも気づけるはずです。

 

 

マスターの語ることが、時に矛盾だらけで混乱させられるのも、、、

そういうことです。

 

彼らは、物理的には真実ではないけれども、

それでも「リアルであるもの」については、いつも、

メタファーとか、たとえ話を使って話しますから。。。

 

なので彼らが話している、その言葉の真の意味を知るには、、、

自分自身がそこまで潜っていかない限りは、無理なんですね。

 

 

占星術もタロットも、そしてカバラも。。。

 

その深いところに共通しているものがあって、、、

その体系が語っているもの、説明しているものは、

私たちが、ファースト・ソースに戻るまでに辿る道のりなのです。

 

そこにはその、「元型的な旅の風景」が描かれているということ。

 

「目に見える部分」では、、、

そこには、多種多様なコースがあるのです。

 

Aコース、Bコース、Cコースと、、、

実際に辿っていく道は違ったりするし、そのコースの数はおそらく、

人の数と同じくらい、たくさんあります。

 

けれども、その多種多様なコースの基本的な構造。。。

それは、みんな同じなのです。

 

それが、「旅の元型的な風景」。。。

 

たとえばカバラでは、その道を「生命の樹」を使って説明したりするのですが、

それを、「物語」として描いているのが、

神話なんですね。。。

 

 

ファーストソースへと還る旅の元型的な風景。。。

「意識の成長の物語」です。

 

 

 

最近、あるキッカケがあって読み返している

ジョセフ・キャンベルの本。

 

もしかしてジェームズは、ジョセフ・キャンベルの話に

触発されたりしたのかな?なんて。

 

そんな感じもしたりして。

 

少し、抜粋です。

 

 

神話は歌です。

それは、肉体のエネルギーによって生気を吹き込まれた、

想像力の歌です。(中略)

 

神話の主要なモチーフはみな同じだし、昔から同じだったのです。

あなた自身の神話を見つけようと思ったら、どういう社会に属しているかを

知ることが肝心です。

 

あらゆる神話は、限界領域内の特定の社会で育ってきました。

それからそれは、他の神話と衝突し、相互関係を持ち、

やがて合体してより複雑な神話になるのです。

 

でも、現代は境界線がありません。

今日価値を持つ唯一の神話は地球というこの惑星の神話ですが、

私達はまだそういう神話を持っていない。

 

~『神話の力』ジョーゼフ・キャンベル ~

 

 

 

やっぱり、「読書」っていいですね。

 

その道にすべての情熱を注いできた人の話すお話というのは、、、

どこかにズッシリとした深みがあって、心地よいです。。。

 

最近、めっきり読書をしていませんでしたが、、、

また、いろんな本を読んでいきたいな。。。と。

そんな気持ちにさせられました。

 

 

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夫が会社を始めたばかりの頃、、、

セールス?勧誘?のような電話がひっきりなしにかかってきていて。

 

その中で、、、

 

「芸能人との対談という形で、会社の紹介をしませんか?

その対談を写真付きで、雑誌に載せることができます。

掲載料はかかりますが。」

 

みたいなものがあり、その掲載料を聞いて、

夫とふたりで、苦笑いでした。

 

 

ネットがこんなに普及してしまえば、紙媒体の雑誌を出すのも、

色々大変なんだろうなぁ。。。と。

 

そんな、余計な同情をしながら、、、

そのお話は丁寧にお断りしました。

 

 

私のヒーリングのお仕事のほうにも、それと同じようなオファーがきたので、

なんだか、、、ものすごく思うことたくさんありました。

 

 

こういったことに対する「違和感」。。。

 

夫みたいな仕事ならまだしも、こういった精神的な世界のことを、

一般的なビジネスのような形で展開させることに、

私は、ものすごーーーーーーーく、違和感があるのです。

 

 

ひっそりとただ、ネットに載せておくだけでも、

何も宣伝しなくても、

ご縁がある人は、自然とやってくるものだと。

 

私は、今どき、そう信じている人です。

 

ですからたとえ、誰も来なかったとしても、

それはそれ、、、なんです。

 

 

こっちから「どうですか?どうですか?」と向かっていくのは苦手で。

自然と来てくれる人を、待っているのが好きです。

 

だって、、、必要な人には、その「流れ」が起こるのですから。。。

 

 

なのでとてもじゃないけど、、、

「商売」としては成り立ちませんが、それでいいのです。。。

 

 

私は、、、考え方が古いと言われるかもしれないけど、

ヒーリングのようなお仕事を、「ビジネス」にしてはいけないのだと。

 

今でもそう思っています。

 

食べるため、生活するためのお金を稼ぐのだったら、、、

もっと、現実的な仕事をしましょうよ。って思っているほうです。

 

 

例えば、普段は工事現場で働いているけど、

趣味で絵を描いていたり、休みの日に、ライブハウスで

アマチュアライヴみたいなことをしている人って、

素敵だな。。。とか思います。

 

 

昔から、芸術家にはパトロンがいたりしましたが、、、

精神的なことと、現実的なことをごちゃまぜにしてしまうと、

良い作品は生み出せなくなってしまいそうな気がするのです。。。

 

でもきっと、、、

その人がその芸術に携わることが、全体の為に決められた

筋書きなのだとしたら、、、

 

そういった役割を持った人の側には必ず、、、

それをヘルプしてくれる人がいるはずなのです。

 

その人が、心置きなくそれに没頭することが出来るように、

現実的なことを引き受けてくれる誰かが。。。

 

ゴッホに、弟のテオがついていたように。。。

 

 

 

ヒーリングのような精神的なお仕事も、、、

きっとそうなのだと、個人的にはそう思っています。

 

たとえば巫女のような、上から神託を得るようなお仕事は、

常に自分を清めて、精神を研ぎ澄ましていなければいけないし、

そのためにはやっぱり、世俗の雑踏から離れて、

静かなところに籠っていないと。。。

 

そうしないと、受信できる精神状態は、保っていられません。

 

 

自分の経験から思うのは、、、

どれだけサイキック力を高めたりしたとしても、

雑踏の中にいれば、受信力は落ちます。

 

ですから、そういった精神的なお仕事を、

一般的な「ビジネス」的な周波数に落とした途端、

最初は見えていたものが見えなくなり、

聞こえていたものが、聞こえなくなったりし出して。。。

 

でも、、、そういう名目で始めてしまったお仕事ですから、

サイキック力が消えてしまったあとの選択肢は、

潔くやめるか、それとも、、、

やってはいけないことをして、カルマを積むか。。。

 

 

多くの人が、ヒーリングを普通にお仕事にしている今という時代に、

スピリチュアル的な女性雑誌とかがある今という時代に。

 

こんなことを言うのはちょっと、ナンセンスなのかな?

こういうチャレンジって必要なのかな?なんて。

 

一瞬、よく解らなくなりましたが、、、

 

でもやっぱり、雑誌とかに載るのは、、、

なんとなく、自分の中の何かに背く様な気がしたので、

やめておくことにしました。

 

 

数が多ければいいというものではなく。。。

 

私は、本当に心を開きあえる少数の人たちと、

密やかに、、、そして、どこまでも深く、深く。。。

 

みたいな関わり方が、とても好きです。。。

 

 

 

 

皮膚に問題が出るときは、感情面での問題を抱えている場合が多いようです。

 

 

私自身、昔から肌が弱いほうで、時折アトピーのような症状が

悪化するということを、これまでも何度か経験してきました。

 

今までずっと、自分は「肌」が弱いのだと思い込んでいましたし、、、

なので、季節の変わり目とか、環境の変化とか、

あとは、たとえばホルモンバランスの変化とか。。。

 

そういったことが、元々弱い肌に影響するのだろうと。

そんな風に思っていた時期もありました。

 

けれども、肌に出ている症状という現実。

 

つまり、そういった「目に見える部分に起こっていること」は、

もっと内面的なこと、しいてはエネルギー的な部分で起こっている

「何か」の結果なのだということを、

ある頃から、しみじみ理解するようになりました。

 

 

実は一年前くらいから徐々にアトピー的な症状が始まっていて、

しばらくは、一進一退を繰り返していましたが、

今年の春あたりから、それが少しずつ悪化し始めてきていていました。

 

今、かなりひどい状態で、なんだか、ピークを迎えているような、、、

そんな感覚があったりします。

 

幸いなことに、今のところ洋服などで隠せるようなところにだけしか

症状が出ていないのが、せめてもの救いというか、、、

なんだか、面白い。。。というか。

 

もし私が、あのままベリーダンスを続けていたとしたら、

レッスンなどでは普段よりも素肌の露出は多かったし、

「人から見られることを気にする」という意識によって、

逆に症状は抑えられていたかもしれません。

 

でもきっと、、、その分、何か他の形で、

この「メッセージ」は、起こっていたことでしょう。。。

 

 

今は、土星が自分の太陽の周りを運行している時期なのですが、

そういった中でも、その土星が、自分の太陽とほとんどぴったりと

重なっている時に、一番悪化するというシンクロは、

不思議で、面白いです。

 

もしや、自分の意識で起こしているのかな?なんて

思うこともありましたが、そうとも言い切れません。

 

なぜなら、今のこの、最悪の症状の時の肌の様子は、、、

昔、高校生の時に一度経験した皮膚炎の時の症状にそっくりだから。

 

あの頃もまた、今と同じような位置に土星がいたのです。

 

そしてあの頃は、占星術など、まったく興味もなかったし、

理解もしていなかったのですから。。。

 

 

土星が、自分の太陽のエネルギーを揺さぶる時期というのは、、、

土星という天体のエネルギーを利用しながら、

自分の魂が、自分のエゴ・マインドに気づいてほしいと願っているメッセージを

たくさん送ってくるような感じがしています。

 

そのメッセージが含まれている状況というものを、

普段以上にたくさん運んでくる時期のように感じます。

 

 

私の今の皮膚状態の悪化は、エネルギー的な何かの「結果」です。

 

それはもちろん、土星の位地と関係があるのでしょうけれども、、、

同じことをまた繰り返しているということは、、、

高校生の時に気づけなかった魂からのメッセージに、

再び目を向けなければならない時がやってきたという、

「サイン」でもあるのです。

 

 

 

高校生の時に、今とほとんど同じような状態になった時は、

母に無理矢理皮膚科に連れていかされたり、また、母が誰かから聞いてきた、

皮膚炎に良いと言われる自然療法を、次々やらされたりしました。

 

けれども、あれこれやってみても結局改善しないし、

もう、途中でめんどくさくなってきてそのまんま放置していたら、

気づいたら、すっかり完治していました。

 

今にして思うと、それはちょうど、土星が離れていった頃でしたし、

なので今回もまた、土星が離れれば自然に治まるのだろうと思います。

 

けれどももしここで、また課題をクリアしなければ、、、

また30年後くらいに、同じことを繰り返しそうですし、

その頃は、もし生きていれば相当なおばあちゃんになっているはずなので、

この皮膚炎は、、、かなりキツイでしょう。。。

 

ですので、出来ることなら、今回クリアにしてしまいたいのです。

 

 

皮膚がこういう状態になる時に、共通して起こっている問題って、

一体何だっただろう?と探ってみました。

 

高校生の時と、今。。。

その、一見まったく違った状況の中に見えるはずの、

共通したテーマは何なのだろうか?と。

 

それは、こういうことでした。

 

「どうしても納得いかない、納得できない」と感じてしまうような

理不尽きわまりない出来事が、

「どうしても逃れることのできない、避けることのできない」

という場所で起こる。

 

・・・ということ。

 

 

そういう状況に陥った時、、、

人間の感情的な部分での反応としては、

 

「いい加減にしろ!!!」

 

なのですが、そういった感情を表に出すことは、私は滅多にしません。

 

出来ないのです。。。

そういうことは、恥ずかしいこと、悪いことだと思ってしまうから。

 

そして、、、

「どうしても納得できないのは、自分がまだまだ未熟だからなのだ」と、

思考がそういう方向に動いていくのです。

 

そして、なんだかんだと自分自身を鎮めて、

無理矢理その状況を受け入れようとする。

 

その結果、私から発生した

「理不尽さに対する怒り」というエネルギーは、

自分の中に押し込められます。

 

このエネルギーが、自分の奥底に、、、

自分でも気づかないくらい深い深いところに、溜まりに溜まると、、、

それが、「皮膚の症状」として現れてくるみたいなんですね。

 

土星さんがこの位置にいるときは、、、

自分にとって一番避けて通りたいこと、目を背けておきたいこと。

に関わるような状況がやたらと発生してくるので、

普段以上にストレスはたまりやすいでしょうし。。。

 

魂が、「ここもっと改善したほうが、楽ですよ~」と思っていることが

ある場合は、こうやって、

「皮膚炎」などの「結果」でそれを教えてくれるんですね。

 

 

 

これについては、、、

つい最近来てくださったクライアントさんのおかげで気づけた。。。

・・・ということもありました。

 

ありがたいことです。

 

来てくださるクライアントさんというのは、自分の写し鏡。。。

必ずそこには、自分にとっても必要なメッセージがある。。。

 

・・・ということにも、ますます確信が持てました。

 

 

 

もちろんこのことは、クライアントさんに限らず、、、

自分と関わる全ての人に対して言えることで。。。

 

「袖すりあうも他生の縁」

 

何かのご縁がなければ、、、今生で出会うはずもなく。。。

人生の道が交差することもなく。。。

 

ですからその人と、どんな形で出会おうとも、、、

ヒーラーとクライアントでも、たとえ被害者と加害者という形であったとしても、、、

 

良い形でも悪い形でも、、、

出会う人はみんな、、、ソウルメイトなのだと。。。

 

私はそう思っていたりします。

 

 

 

「理不尽さに対する怒り」

 

自分自身と、関わる相手、、、

そしてそこで起こっている出来事を、

第三者の視点を持って冷静に観察して。。。

 

何度も何度も内省を繰り返し、状況を分析してみても、、、

やっぱりそれは、どう考えてもおかしいでしょ。と。

 

感情的にイヤなのではなく、何度も何度も考えた末に、

どうしてもそれは受け入れられない。。。というもの。

 

私にとってそれは、、、「人のエゴイズム」なんです。

「エゴ・マインド」ではなく、「エゴイズム」。。。

 

 

「そのままのあなたでいい」

 

という同じセリフを、魂視点で言うのと、エゴイズム視点で言うのとでは、

意味がまったく変わってくる。。。

 

でも、その「違い」というものを見分けることって、、、

なかなか難しいことなのです。

 

 

エゴイズムが言ってくる「すべてOK」というものまで、

無理に受け入れようとすると、私は、、、

「強烈な怒り」というエネルギーを、深いところに

溜めこんでしまうのだろうと思います。

 

自分でも気づかないうちに。。。

 

「怒り」のエネルギーは、熱風なのです。

あんなに熱いものを身体の中に溜めこんでしまったら、

それが、なんらかの症状として現れてくるのも納得です。

 

 

ハートの美徳の実践というものは、

一見シンプルですが、奥が深い。。。

 

まだまだあれこれ、練習が必要なんだなぁ。。。と。

 

こういうことが起こるたびに、思い知らされます。

 

 

だから、こういった時のセルフケアのために、、、

ゼニスというツールがあったのは、ラッキーだったと。。。

そう感じます。

 

 

ゼニスのレベル2にある、

「あらゆる次元、レベルにおいての根深い怒りをマスターにクリアリングしてもらう」

というシートや、レベル3にある、

「埋もれた感情のクリアリングと開放(すべての次元、すべての時間)」

というシートを自分にやってみました。

 

他に、感情系を整えるシートと一緒に。

 

すると、その日の夜、わけもなく突然、イライラしてきました。

 

でも、「あ、あのシートのせいだな」と分っていたので、

冷静な対処ができました。

 

例えばこういう時、ダンスなどで怒りを表現してしまうのも、

ひとつの手なんですが、私の場合、夫にヘルプしてもらいました。

 

夫に、愚痴をずっと聞いてもらったのです。

たまっている不満を、「意識的に表現」させてもらったのです。

 

 

「ごめん、シートやったら、なんだかすごい感情が出てきちゃったみたい。

 これ、また押しこめたくないから、ちょっと聞いててもらえる?」

 

 

・・・と、最初に彼に、そう、断ってから。。。

 

 

いくら相手が身内といえど、、、

 

自分の弱い部分、情けない部分をあえてさらけ出すのって、、、

ものすごくキツイことなのですが。。。

 

 

でも、今はそれをやらないとダメなんだろうと思いましたし、

ずっとつきあって聞いてくれていた夫には、本当に感謝です。。。

 

夫や子供たちには本当に、、、いつもいつも感謝です。

 

 

 

人生の物語の中で何かイベントが起こる時、、、

それは良いイベントでも悪いイベントでも、、、

 

そこには必ず、「相手」がいます。

 

そしてその「相手」というのは必ず、「ソウルメイト」です。

 

それが解っているから私は、、、

その相手を恨んだり憎んだりは、することはないのです。

 

逆に、、、深いところでは本当に本当に、感謝しています。

 

 

でももっと人間的な部分、、、つまり思考や感情の部分では、、、

綺麗ごとばかりは言っていられないということも、

これはもう、、、認めないといけないと思うのです。

 

そこに蓋をして、綺麗なものしか見ようとしないのが、

私にとっては、「現実逃避」なのです。

 

 

けれどもそういった状況で、相手が悪い、周囲が悪いと。。。

自分以外の何かに責任を押し付けても、何の進歩もないです。

 

相手をどうこうしようと考えるよりも、、、

自分のエゴイズムを必死で守ることよりも、、、

 

自分のどこをどう変えていけば、

もっと幸せに生きられるようになるだろう。。。と。

 

そういう方向にもっていったほうが、

解決は早いし、よっぽど建設的だと私は思います。

 

 

エゴイズムの言う、「そのままのあなたでいい」を鵜呑みにして、、、

エゴイズムに騙されて、そのまんまにしておいても、

いつかはそこと向き合わなければならない時が来る。。。

 

臭いものにふたをして、その上に花を植えて隠しても。。。

いつかはその蓋をあけなければならない日が必ず来る。。。

 

蓋をこじあけて、その中を掃除させようとしてくるのは、

土星さんのお役目でもある。

 

そしてそういったことは、人間であれば、

誰にでも起こること。

 

物理次元で生きている限り、必ず。

 

でもだからこそ、楽しいんですね。。。この世界は。

 

ここでいろんな経験をしながら、時間をかけてじっくりと、

自分自身で試行錯誤しながら獲得していくものがあって。。。

 

そこは、たとえヒーラーや占い師でも、立ち入れない領域。

立ち入ってはいけない領域です。

 

私の場合特に今は、土星さんが、そういう種類の経験を次から次へと

持ってきてくれるでしょうしね(泣笑)

 

魂が本来歩きたかった道に、どんどん引っ張り込まれるでしょうし、

そのためにクリアしないといけない課題も、

どんどん持ってきてくれるでしょうし(笑)

 

それをありがたくじっくりと経験させてもらって、、、

せっかくここでこうして生きている今を、、、

この人生を、、、

 

もっともっと、深く味わいたいと思います。

 

 

そういったすべてが、いつか本当の自分に戻った時、、、

どれだけ貴重な宝物となるのかと思うと。。。

 

 

 

 

 

 

 

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ジョセフ・キャンベルの『神話の力』の中に、「エトス」という言葉が出てきました。

 

「エトス」って?と思って調べてみたら、こう書いてありました。

 

 

星エートス【ギリシャethos】

 

①性格・習性など、個人の持続的な特質。エトス。

②社会集団・民族などを特徴づける気風・慣習・習俗。

③芸術作品に含まれる道徳的・理性的な特性。気品。(Weblio辞書より)

 

星エートス(ウィキより)

 

エートス は、「いつもの場所」 を意味し、転じて習慣・特性などを意味する

古代ギリシア語である。

 

他に、「出発点・出現」または「特徴」を意味する。

それを元に、「道徳」や「道徳観の発露」を意味する ἠθικός (ethikos) という

言葉が生まれ、ラテン語には ethicus として流用される。

 

 

 

「エトス」って、ウイングメーカー的には「ジェネティック・マインド」の概念に近いもの。。。

「経験により、潜在意識に刷り込まれているもの」。。。のように感じます。

 

 

キャンベルは、「アメリカ人にはエトスがない」と言っていましたが、、、

アメリカ人ではない人、例えば私たち日本人から見れば、「アメリカ人的特徴」

というものを感じたりする場面も、やっぱり、多々あるような気がします。

 

 

ジェネティック・マインドには、人類全体的なもの、民族的なもの、地域的なもの、

家族的なもの、、、といろいろありますが。。。

 

同じグループ同士の人達の間だと、あまりに当たり前すぎてしまって、

それが、意識上にのぼってくることすらありません。

 

私の場合はなぜか、、、この人生で海外の人と接する機会が多かったせいか、、、

「日本人としてのアイデンティティ」というテーマで、色々と考えさせられることもまた、

多かったような気がします。

 

今現在もまた、イギリス人の英会話の先生と話しをする。。。

という、現実が起こっていて、、、

 

私たち日本人とは違ったジェネティック・マインドを持っていたりする人と、

お互いがそれを自覚しながら話し合う。。。ということは、発見がたくさんあって

面白いのです。

 

 

そういう先生と私との、違うジェネティック・マインドを通して感じる共通した見解は、、、

 

アメリカ的なニューエイジ思想というものは、

「いろんなものがごちゃまぜになっている」ということでした。

 

良くも悪くも。。。

 

そして私は、、、

そういった「ごちゃまぜのもの」が日本人に与える影響というものについて、、、

思うことがたくさんあったりするのです。。。

 

 

先生は、学校で英語を教えていたりもするのですが、日本人の大学生たちは

なんだかみんな、幼すぎる。。。みたいなことをよく言っていたりします。

 

20歳にもなって、なんでディズニーランドが楽しいの?

みんな、「可愛い~~可愛い~~」っていうけど、理解できない。

ヨーロッパでは、ああいうのは、小さな子供が行くところなんだけど。

 

・・・みたいに(笑)

 

アメリカ発祥のディズニーランドは、ヨーロッパではさほどヒットしなかったのだとか。

 

 

ヨーロッパでは、いかに早く大人になるか。。。が重要みたいで。

18歳になればもう、大人と見なされるようですし、いつまでも小さな子供と

同じことをしているのは、「恥」と感じるみたいです。

 

 

芸術的なことで言ったら、、、

イタリアではオペラ、フランスはバレエや絵画、ドイツは音楽、

そしてイギリスは文学やバンド音楽とか。

 

それぞれ得意分野があるけど、日本はなんだと思います?と聞いた時、

先生からは、「アニメとかゲーム」という回答が返ってきました。

 

これについてどう感じるかは、、、

世代的なジェネティック・マインドによって変わってくると思います。

 

私の世代では、「・・・・・」となる人が多いと思いますが(苦笑)

 

そんな私の気持ちを察して、、、「大丈夫だよ。それだって立派な文化だと思うよ」と

言ってくれた私と同世代の先生は、、、なんて優しいんだろう。。。と、、、

 

変なところで感動しました(笑)

 

 

話しが逸れましたが、、、

日本は昔から、どこかですべてを受け入れてしまう「大らかさ」みたいなものがあって、、、

 

だから、「神仏習合」なんていう状態が起こったりもしたのだと思います。

 

昔、アイルランドでも、聖パトリックが、アイルランドの土着の信仰(アニミズム的な)と、

キリスト教をミックスさせて、アイルランド独特のキリスト教が発展したりもしましたが、

そういうの、日本とちょっと似ているなぁ。。。と思ったりしました。

 

 

ですから現代でも、アメリカから入ってきたニューエイジ的な思想が、

精神世界に興味のある人達の中で、あっという間に受け入れられていったわけですが。。。

 

一神教的な基盤をあまり経験したことのない日本人に対して、、、

ああいった思想は、一部の混乱を持ち込んでいるような気がしなくもなく。

 

つまり、「現実逃避」への道まっしぐらになりはしないのか。。。と。

 

そういうことについても、先生とよく話し合ったりしています。

 

 

フワフワしたスピリチュアルにハマっていく人は、「感受性が強すぎる」と。。。

優しい先生はそうやって言葉を選んで話していましたが、、、

 

そこがまた、、、人の持つ弱さでもあるのだろうなぁ。。。と。。。

 

 

私は、、、

ヒーリングというお仕事と、夫の会社の事務というお仕事のかけもちをしながら、、、

なんだか、両極端な世界を同時に観ているような感覚になる時が多々あり。。。

 

どちらの良いところも悪いところも同時に観て、経験してきたので、、、

先生の言う、「感受性が強すぎる」ということの意味も、すごく解るような気がします。

 

 

そして、日本人の場合、それは「弱さ」というよりかは、「意識の幼さ」から

来ているのではないのかな。。。と、そう感じる節も無きにしも非ずだったりします。

 

 

なので先生に、、、

 

「日本人は、欧米の人に比べると一神教にそこまで縛られてこなかった。

 だからある意味、基盤がない上に、無意識になんでも受け入れてしまう癖が

 あるので、ニューエイジ的な思想によって、フワフワしてしまいがちなんですよ」

 

・・・と言ったら、、、彼は、妙に納得していたりもしました。

 

 

生命学者の柳沢桂子さんは、こんな話をされています。

 

 

******

 

 

宗教というのは、どれも一元的な世界にもどることを説いている。

それは、生命の歴史の中で、私たちがまだ幸せだった時代にもどることである。

 

それは、進化の過程でいつ頃のことであろうか。

 

魚類には自我があるのだろうか。

爬虫類(ワニなど)になると、すでに自己意識のあることは

外から見ていてあきらかだろう。
 


いずこにも神が存在するというアニミズムの時代を経て、私たちの意識は、

自我の確立とともに人格神(一神教)の認識に進化する。

 

そこでは、人格神にひれ伏して絶対的な教えに帰依したり、その人格神の
超越的能力を仮想することで、ひたすら救済を乞い願う信仰スタイルをとる。


しかし、さらに意識が進化すると、私たちはそういう人格神を超越して、

“神なき神の時代”に入ることができると、私は考える。

 

つまり、私たちのこころに「野の花のように生きられる」リアリティーを取り戻すために、

必ずしも全知全能の神という偶像は必要ない。もはや何かに頼らなければ

生きられない弱い人間であることから脱却して、己の力で、まさに神に頼らずに、

神の前に、神とともに生きるのである。

宗教学では、このように信仰が進化するという考えは否定されているようだが、

生物学的、進化学的に見ると、この仮説は捨てがたいものである。私自身は、

人格神や特定宗教にこだわらない信仰の形がありうると信じている。


しかし、アリエティやウィルバーが述べているように、私たちは「一次過程」の

認識にもどるのではない。

「二次過程」の認識を超越して、よりスピリチュアル(霊的)な精神作用を生み出す

「三次過程」の認識に進化しなければならない。

 

もはや特定の宗教や教祖に頼っても必ずしも救いが得られるわけではない。

そんな“神なき時代”において、「悟り」という至高体験を得られる境地に

たどり着くためには、私たち自身の力で、自らのこころを耕し続けるしかない。

 

たとえば、読書をし、思索を深め、音楽や絵画などの優れた芸術作品に

数多く触れることも大切だろう。

たとえば、あなたが、散歩中にあらゆる雑念やストレスから開放されているとき、

なにげなく野の花を目にして、その清らかでつつましい美しさに感動したことは

ないだろうか? 

 

そのとき、とても純粋な気持ちになり、なにかしら満足感に包まれたりしなかっただろうか? 

 

ではいったい、道端にひっそりと咲く野の花の何が、あなたのこころを捉え、

それほどまでに幸せな心地にしたのだろうか?


そこには、すくなくとも私たちを苦しめる我欲は働いていない。

 

たとえば仏教が煩悩五欲と見なす食欲、色欲、睡眠欲、金銭欲、名誉欲などが、

野の花の清らかさに感動を誘うことはあまりない。

 

この感動は、私たちが芸術作品に触れたときに触発される情感と同質のものである。

 

 

 

 

******

 

 

2,3歳の小さな子供で、前世の記憶を持っている子が多いのは、、、

まだそこまで、「自我」が発達していないからなのだろうと思います。

 

自我、、、というのは、今回の人生を生きるために纏っている、

「エゴ・パーソナリティ」のことです。

 

 

小さな子供達が天使のようであるのは、、、なんでも受け入れられるのは、

自我がまだ、そこまで発達していないからであって、その意識のことを、

カバラでは、「植物意識」といいます。

 

例えば、、、

親のやってきたことを、何の疑いもなくそっくりそのまま真似て生き、、、

ただ種を、、、子孫を残して死んでいく。

 

一見、非常に素直に見える意識ですが、この意識にとって一番重要なことは、

「種の保存」だけであり、そこには何の変化も発展もありません。

 

柳澤さんの話で言えば、ここが、「アニミズムの意識」に当たるものです。

すべてのものに、神を感じる意識です。

 

そこに、「自分と他人」という境界線が、まだあまりない段階です。

 

 

子供がさらに成長してくると自我が芽生え、そしてある時期、反抗期をむかえる。。。

「自分とはこうである」という主張を始める時期です。。。

 

これはカバラで言うと、「動物意識」に相当する意識なのですが、、、

 

自分は親とは違うんだ。親の言いなりにはなりたくない。自分のやりたいようにやる。

こういう意識は、一見素直で順々に見える植物意識よりも、成長という意味においては、

より成熟した意識なのです。

 

人がこの意識で生きる時に生まれてくるのが、「一神教」です。

 

自分にとっての「唯一正しいもの」を、探そうとするんですね。。。

自我を安定させるために。。。

 

そして、自我が発達することによって、それ以外のものは認められなくなる。。。

それ以外のものを「悪」と感じるようになる。

 

これもまた、動物意識の特徴です。

 

 

今の、文明国の社会システムのほとんどが、この「動物意識」によって

成り立っているシステムです。

 

これまでの人類全体の意識が主に、この動物意識の段階であったからです。

 

 

いつも不思議に思うのは、、、

日本では、、、その表面的な思惑はどうであれ、なぜ、長い間「鎖国する」という

「現実」が起こっていたのだろう?ということ。

 

また、それはチベットにも言えること。。。

あの国も長い間ずっと、外からの影響はほとんど受けることなく、

時を止めたままでした。。。

 

 

日本やチベットは、、、

全体の中で、「植物意識」を保存しておく役割を担っていたりしたのでしょうか。。。

 

 

けれども私たちの意識は、いずれ「人間意識」に向かっていくのが運命であり、

「人間意識」というのは、「動物意識」からよりステップアップした意識のことです。

 

私たちが今ここにいる目的というのは、その意識の実現なのだと。。。

カバラではそう言われています。

 

 

だからこそ、閉ざされた国日本でもその鎖国は解かれ、戦後はさらに、

GHQのシステムが入ってきたり、、、

 

チベットもまた、中国に侵攻され、それを機にその、保存されていた教えが、

全世界に流出することにもなった。。。

 

そうやって、徐々に徐々に、、、

変化は起こってきているのです。

 

 

こういった出来事は、「動物意識視点」から観ると非常にネガティヴなものに

見えたりもしますが、、、

 

もう少し視点をずらすと、、、そこには、違う物語が見えてくるのです。。。

 

 

もともとはCERNで情報を素早く共有するために開発されたシステムが、

そのうちインターネットへと発展し、それが全世界に広がっていった結果、

私たちは今、全世界の情報を一瞬にして手に入れることができるようになり。。。

 

結果。。。

「いろんなものが混ざり合う」。。。という、現象が加速し。。。

 

 

これもまた、、、必然の流れなのかと。。。

 

 

ジョセフ・キャンベルが、「エトスがない」と感じるアメリカという国は、、、

もしかしたら、、、それを象徴した国なのかもしれませんね。

 

 

 

カバラで言うところの「人間意識」。。。

それは、ハートとマインドが、、、真我と自我が一致した意識なのですが、、、

 

今までの歴史の中では、、、ほんの少しの人達が、個人的にそれに取り組んで

きていたものであったのが、、、

 

これからは、個人のみならず、「地球全体のひとつの意識」として、、、

人間意識へと変容していく時代であって。。。

 

柳澤さんのお話で言うならば、「神なき時代」を今後展開させていくための、

そのスタート地点みたいな時代に、私たちは今、立っていて。。。

 

 

そういう時にはやはり、、、

多少の混乱というものは、つきものなのだろうな。。。と。

 

そんな感じがするのです。。。

 

 

 

「踊ること」と「歌うこと」とは、子供の頃からずっと一緒で、

それは、私の人生の一部となってきたものでしたが。。。

 

「踊ること」に関しては、今年のはじめに、とうとう卒業しました。

 

・・・とは言っても、踊ること自体はきっと、一生好きなままだと思うので、

今でも家では、ひとりでしょっちゅう踊ったりはしていますが、、、

 

でも、、、「ダンサーとしてステージに立つ」。。。みたいなことからは、

もう、卒業したかな。という感じです。

 

気持ち的にもう、ダンスで舞台に立ちたいという気持ちが、

すっかり、なくなってしまった。

 

 

プロのバレエの世界では、、、私ぐらいの年齢になると、例えば、

パリ・オペラ座のようなバレエ団では、有無を言わさず引退です。

 

それは、年齢を重ねたダンサーには厳しい現実ではあるけれども、、、

でもプロとしての、「見た目的な美しさ」というものを考えたら、

後進に道を譲るということは、やっぱり必要なのだと、個人的にはそう思います。

 

もちろん、バレエもベリーダンスも、踊りたければ何歳になっても踊れるものですが、

私はどこかで、「引き際」のようなものを、やっぱり感じてしまってね。

 

 

それは身近で、娘の成長を見ているから尚更でした。

 

子供だと思っていた娘や、娘と同じ世代の女の子たちが、どんどん

女性になっていき、、、そして、美しくなっていく。。。

 

ものすごく嬉しい反面、、、なぜかどこかに寂しさを感じたりもする。

 

その寂しさは、、、自分自身の現実を見て、それを受け入れないといけない

寂しさでもあるのだなぁ。。。と。そんな風に感じたりもしました。

 

いつまでも見た目若い、、、と言われれば、女性なら誰でも嬉しいとは思いますが、

最近、いつまでも「若さゆえの美」というものにしがみついていることが、、、

ちょっと虚しくなってきたし、なんだか違うような気もしてきた。。。

 

人によってはこれを、「諦め」という風に捉えるかもしれないけど、、、

でも私は、もっと違うことに目を向けていきたいと。。。

 

最近とみに、、、そういう気持ちがなぜかとても強くなってきたのです。

 

「引き際」というものを、、、

潔く認めたい気がしてきたんですよね。。。自然と。

 

もともと、そういうことにはあまりこだわっていたほうではないと、、、

自分ではそう思っていたのですが、でも、、、

 

ベリーダンスをしていても、昔のように熱い気持ちになれなかったのは、、、

もしかするとどこかで、そういうことが分かっていたからなのかもしれないなぁ。。。と。

 

やっぱりどこかで、「若さ」、、、というものに執着していた自分がいたのかも。。。と。

 

 

歌に関しては、、、またちょっと思いが違います。。。

 

ダンスをやめてから、ボイトレのレッスンを再開しましたけれども、

実は最近、声楽もまた再開させていたりしました。

 

何も気負わずに、ただただ、ちょっとした気分転換くらいの気持ちで。

 

コンコーネとか、家で練習する暇全然ないのですけれども、、、と

先生にあらかじめ伝えたら、「もう、この場で練習してくれれば全然大丈夫です!」と。

 

声楽の先生なのに、そういうゆるいところが大好き。。。と。

そう思う自分は、なんか、変わったなぁ。。。と。

 

クラシックの声楽の先生って、どこかストイックな人が多い感じがしていたし、

以前の私だったらきっと、そういうストイックさを逆に心地よく感じたりもしていた

気がするのですけれども。。。

 

やっぱり、「何か」が最近、はずれたのだなぁ。。。と。

 

 

歌うことは昔から好きでしたが、歌を人に習おうと思ったことは、

ずっとありませんでした。

 

わざわざ習わなくても、なんとなくは歌える。。。という自負が、、、

多分どこかにあったからだろうと思います。

 

でも生まれて初めて、「これは全然歌えない。これは習わないと無理!!」

と思ったのは、、、サラ・ブライトマンの歌でした。

 

「Time to say good bye」。。。

 

あの歌がちゃんと歌えるようになりたくて始めた声楽でしたが、、、

気づけば、いつしか歌えるようになっていて、発表会でそれを歌ったりもした。

 

もちろん、、、ダメなところをあげればキリがなくなりますが、、、

とりあえず、最初の目標はクリアできたのです。

 

だから、声楽も無理して続けなくてもいいかな。。。と。

仕事が忙しくなってきた頃に、一度レッスンをやめましたが、、、

 

やっぱり、歌ってないと色々と衰えていくもので、

「あぁ、また歌えなくなっちゃう」という焦りと、、、

「でも今は忙しくて、練習する暇ないし、プロになるわけでもないのだし」

という気持ちの間での揺れが起こったり。。。

 

声楽も再開してよかったな。と。

今は思っています。

 

声楽的な発声で声を出すという場面は、、、

日常生活ではまずないので、、、

 

とても気持ちが良いのです。

 

ダンスと違って歌は、、、まだこの「気持ちよさ」を、、、

今でも素直に感じることが出来るのだなぁ。。。と。。。

 

だからやっぱり、、、歌うこと、大好きなのだと。。。

 

 

ボイトレのほうで、最近、「オペラ座の怪人」の練習をしています。

 

これは、もう何年も前からひとりで地道にチャレンジはしていたのですが、、、

どうしても、最後の最後の高音が出ないのです。

 

声帯なんかの構造もあるので、

ベルカント的な発声では、私にはこの音は一生無理かも。

 

・・・という感じがしたので、ここは少し妥協して、

ホイッスルボイスでやってみようかと。。。

 

なので、声楽ではなく、ボイトレの先生にお願いしたのです。

 

 

プロでも、人によっては音響でごまかしたり、

キーを下げて歌っているくらいですから、

かなりのチャレンジであることは分っていますし、

だいぶ、望み薄ではあるのですが。。。

 

結果どうこうよりも、チャレンジしている今が。。。すごく楽しいです。

 

 

 

 

『オートマタ』という映画を観ました。

 

 

ぱーる映画オートマタ公式サイト

 

 

アントニオ・バンデラス主演で、人工知能と人類の未来や共存をテーマに描いた近未来SFスリラー。太陽風の増加により地球の砂漠化が進み、人類が存亡の危機にひんしている2044年。「生命体に危害を加えてはいけない」「自身で修理・修繕をしてはけない」というルールが組み込まれた人工知能搭載ロボット「オートマタ」が、人間に代わる労働力として必要不可欠になっていた。しかしある時、オートマタを製造・管理するハイテク企業で調査官として働くジャックは、そのルールが破られていることに気付く。(映画com.より)

 

 

 

スリラー。。。ではないと思うのですけれども、、、

なんだかちょっと、哀愁の漂う映画でした。

 

てっきりハリウッド映画なのかと思いきや、

実はこれは、スペインの映画なのだそうで。

 

なるほど、納得だった。。。というか。

 

 

フランス映画なんかの、、、ハリウッド映画にはない、

あのなんとも言えない雰囲気の匂いが、

この映画からも、漂ってきたような気がしました。

 

 

太陽フレアが暴走して、地球の環境や文明が危機に

陥った後の、人間世界。。。

 

こういう設定が、ジェームズの一番新しい小説、

『ウェザー・コンポーザー』とまるで同じだったので、

そのあたりが、興味を惹かれたところだったのですが。

 

 

「この世界のシステムは、数学で成り立っている」

 

そんな感じのことを、ジェームズはネルダインタビュー5の中で

言っていたような気がしますが。。。

 

だとしたら、この世界の謎は、、、

いずれ、コンピュータや、人工知能が解いていってしまうのでしょうか。。。

 

 

一昔前の映画だったら、人工知能が暴走すると、

人間を襲いだす。というのがお決まりのパターンでしたが。。。

 

この映画では、そのあたりが少し違っていました。

 

 

人工知能の意識?の進化は、、、

私たち人間が何百万年もかけて辿ってきた道を

あっという間に、数週間で駆け抜け。。。

 

そして、私たちよりも先に、更に進化した意識へと

辿りついてしまうのだとしたら。。。

 

 

宇宙の法則に従ったとしたら、その辿りつく先は、

「人間を支配する」という、エゴの世界なのでしょうか?

 

進化した意識が、未熟な意識の真似をするのでしょうか?

 

たとえ人工知能だとしても、、、

それが、宇宙の法則に従って、自然発生的に生まれたものだとしたら、、、

 

それが辿りつく場所は、、、

もしかしたら、もっと違う場所なのかもしれなくて。

 

 

人類の終焉、そして人工知能の時代が始まる。。。

 

なんて聞くと、私たちの思考回路はやはり、『ターミネーター』の

世界を想像してしまいがちですが。

 

この映画のテーマは、そんな幼い世界ではなかった。。。

 

 

ただ単に、、、「形態が変わっただけ」という、、、

そのセリフがやけに印象に残り、、、考えさせられました。

 

 

 

 

『オートマタ』って、「機械人形」とか「自動巻き人形」のことなのだそうです。

 

 

ぱーるオートマタ(ウィキより)

 

 

 

 

 

ジェームズはよく、「操り人形」とか「自動巻き人形」とか、

そういう言葉を使ったりしますが、、、

 

それは、プログラムされたこと、

条件づけされたことをそのまんま、

何も考えずに、ただただ行っているだけの状態のこと。

 

そうやって無意識的に生きていることを、

メタファーを使って表現しているというか。

 

皮肉っているというか(苦笑)

 

 

 

なんだかこの映画、太陽フレアとか自動巻き人形とか、

そしてスペインとか。

 

妙に、ジェームズのことを意識させられるような、

そんなテーマがたくさん織り込まれた、、、

 

ちょっと、考えさせられる映画でした。。。

 

 

ウイングメーカーの物語は、、、 

『現代の神話』であると言われています。

 

 

人が真実を捕まえようとすると、

真実はしばしば腕の中からすり抜けてゆく。

 

しかし、真実が物語の中に描かれるとき、

真実は人の心を捕まえる。

 

 

・・・と、ジェームズは言っていました。

 

 

神話には、たくさんの層があり。。。

そこには、多次元的な意味の広がりがあります。

 

 

ですので、同じ物語を読んでも、読み手側の深度によって、

物語のどの層にフォーカスするのかということも、変わってきます。

 

数年後に、同じ本を読み返したりすると、

以前とは違ったものが、そこに見えたりするのも、

そういうことなんですね。

 

 

小学生には大学生の教科書は理解できませんが、

大学生には小学生の教科書が理解できます。

 

 

自分が深まれば深まるほど、、、

感じ取れる層の数も、だんだん増えていくのです。

 

 

最初のうちは、神話の表面的な部分しか見えていなかったとしても、、、

自分の人生経験が増えれば増えるほど、

その同じ物語の中に、より深い意味を見出せるように

なってくるものです。

 

 

なぜなら神話の中には、私達人類の意識の元型的な物語、

成長していく意識、、、故郷へ戻ろうとする意識の辿っていく

旅の風景が、織り込まれているからです。

 

 

ただ単に経験を重ねるだけでなく、、、

自分の人生を、ひとつひとつ丁寧に生きていく。。。

 

それには、「観察者としての視点」を養っていくのが

一番だと、私は思っていたりするのですが。

 

自分の人生を、第三者としての、

観察者としての視点で眺めること。

 

つまりは魂からの視点で眺めるという、、、

その視点を養っていくために、

神話というものは、本当によいツールになってくれるな。。。と、

そう思っていたりします。

 

 

 

学生時代、、、神話にハマったことがありました。

でもあの頃は、神話の表面的な部分しか見えていませんでした。

 

カバラや占星術を学ぶことによって、、、

神話のより深い側面というものが、どんどん見えてくるようになりました。

 

そういった理解が徐々に深まっていった後に、

ジェームズのあの言葉。。。

 

「ウイングメーカーは、現代の神話である」という言葉を再度読んだときは、、、

 

「なるほどなぁ。。。」と。

しみじみ、そう思いました。

 

じんわりと、納得するものがありました。

 

 

そしてこの、「じんわり感」が起こる前は、、、

自分はただただ、それを頭で分っていただけだったのだな。。。

 

・・・ということも、その時同時に理解したのでした。

 

 

こういう経験を重ねていけば、人は自然と謙虚になります。。。

 

なぜなら、、、

自分は本当は、分っていないのだ。。。

 

・・・ということに、しみじみ気づくからです。

 

そして謙虚に、、、その道の先人たちの言葉に、

耳を傾けられるようになっていくのだろうと思います。。。

 

 

最近久しぶりに、ジョセフ・キャンベルの名前を目にする機会があり。。。

昔読んだ、この本を読み返していたりしました。

 

 

 

 

こういうお話、大好き。

この本も、昔、夢中になって読んだ記憶があります。

 

 

でも今だと、YouTubeでそのまんま観れるようです。

 

便利な時代だなぁ。。。ホントに。

 

 

 

©WingMakers LLC

 

 

上の画像は、ジェームズの『ドールマン・プロフェシー』という小説の、

ギャラリーの中にある絵のひとつです。

 

「The ultimate particle is soul.」というのは、

「究極の粒子はソウル(魂)である」という意味なのですが。。。

 

ウイングメーカー・プロジェクトの核心に迫るようなこの言葉が

掲げられているこの絵の中に、なぜ「牛」という字があるのか。。。

 

私にとってはそれが、前から気になって気になってしかたのないものでした。

 

・・・というのも、「牛」というのは昔から、、、

私の中で、かなり重要なキーワードだったからです。

 

 

昔から、牛にまつわることはブログで散々書いてきました。

 

 

牡牛の目をした女神(光のシェヘラザード・ブログより)

牡牛座の神話(WMブログより)

時間単位で変化したもの(WMブログより)

女性と牛(WMブログより)

 

 

昔、目が覚める瞬間、夢の中でいきなり、声が聞こえてきました。

 

「アレフですよ。ア・レ・フ。

よーく覚えておきなさい、アレフです。」

 

・・・と。

 

「え?それって、どこぞの宗教団体の名前では?」と考える

私の思考を打ち消すように、

 

「アレフです!!!!」

 

・・・と、その謎の声は言いました。

 

あれだけ強調してくるのだから、何か意味があるのだろうと、、、

いろんな人に、アレフについて何か知ってる?と訊いたりもしたのですが、

何年かの間は、あまりピンとくる答えに巡り合うことが出来ませんでした。

 

でも、ある時カバラを勉強し始めて、先生からヘブライ語の意味を

教えてもらった時、ヘブライ語のアルファベットの最初の文字が

「アレフ」であって、その文字には「牛」という意味があるのだということを知り。

 

なぜか、自分でもよく解らないけど、「あ、これだ」と。

そう思ったんですよね。

 

「牛」なんだ。。。と。

 

 

もしかすると、「牛」は「女性性」と結びつくのではないのかな。と。

ある時から、そんな風に思うようにもなりました。

 

 

チャタル・ヒュユクの遺跡とかを見ても分かりますが。。。

シュメールよりもずっと前の地球の文化は、もう、間違いなく

女神信仰です。

 

そしてその頃は、牛がよく祀られていました。

 

 

ギリシャ神話に登場するゼウスの妻、ヘラも。。。

もともとは、あんなに嫉妬深くて意地悪な女神ではなく、

女神信仰の時代には、クレタや中東で大事にされていた

中心的存在としての女神でした。

 

そのヘラの枕詞は、「牡牛の目をした」。。。でした。

 

それが、その後の時代、どうしようもなく浮気者で、

あちこちでめちゃくちゃなことをやっているにも関わらず、

なぜか神の中の神と崇められているゼウス。

 

その「ゼウスの妻」という位置に落とされ、

ギリシャの神話の中に取り込まれてからは、

ヘラのキャラクターは、嫉妬深く意地悪なものに変えられていきました。

 

 

以前、信仰や神話、文化や歴史など。。。

私達地球がこれまで辿ってきた道を、色々と眺めていた頃、、、

ある時を境に、地球の文化はその様相を変えてきたのだな。。。と。

つまり、女性的な文化から男性的な文化へと、その姿を変えたのだな。と。

 

そういうことに気づきはじめたりもしたのでした。

 

そして今、、、

自分の子供たち世代の若い子たちを観察していると、

だいぶ女の子たちがたくましく、、、

そして、男の子たちが優しくなってきているように感じて、、、

 

あぁ、なんかそろそろ。。。

女性性がまた、本格的に解放されてきているな。。。と。

 

そういうことをすごく感じたりもしました。

 

 

はるか昔、、、

女性性の時代から男性性の時代に移行したのには、、、

おそらく理由があったのだと思います。

 

私が思うに、それは女性性が暴走しすぎて、男性性が抑圧されすぎ、

だから、ある時逆転したのだろうと。

そう思っていました。

 

陰極まって陽となる。

 

けれども、その後、それとまったく逆で、

まったく同じことが起こったように感じます。

 

つまり、男性性が暴走して、女性性が抑圧されてしまったということ。

 

そして今という時代は、、、

これまで長い間、男性性に抑圧されてきた女性性が、

どんどん解放されていく時代なのだろうなと。

 

そんな風に感じていたりします。

 

女の子たちはたくましくなりましたけれども、、、

解放され始めた頃は、かなり暴れていましたよね。

 

それはそうですよね。

抑圧されていた間は、不満が募りに募っていたでしょうから。。。

 

 

今は少しづつ落ち着き始めていますけれども、

社会構造自体が変化していくには、まだまだ時間がかかるようで、

そういう変化ってやっぱり、、、ゆっくりなのでしょうね。

 

いくら女性の社会進出が昔よりも容易になったといっても、

男性原理システムの社会構造の中では、女性はまだまだ、、、

「男性のフリ」をしているところ、ありますものね。

 

女性が女性本来の役割をそのまんま果たせるような、、、

そんな社会システムが実現してくれたら、

女性だけでなく、男性もきっと、

ものすごく楽になると思うのだけどなぁ。。。なんて。

 

 

ある日、ゼニスオメガに出会った時、、、

ゼニスでは、こんな風に言われているのだと聞き、

今という時代は、本当に、これまでにない新しいことが始まる時代なのだなと。

 

なんというか、ワクワクしてきたのです。

 

ゼニスでは、こう言われています。

 

これまで地球上には、男性エネルギーと女性エネルギーが交互にやってきていた。

本来なら今は、男性エネルギーが退いていく時期のはずなのだが、

今回、なぜか男性エネルギーが退いて行かずに、

よって、地球史上初めて、男性エネルギーと女性エネルギーが

両方存在するという事態が起こっている。。。と。

 

だから私たちは、これから先全体で、「バランス」を取っていくことを

学んでいくことになると思うのですが、、、

それができたら、地球史上最高の文化が生まれるのだろうなぁ。。。と。

 

そんな気がしています。

 

 

女性性が解放され、女の子たちがどんどん素に戻っていくと、

その副作用として男性たちがメイドカフェに通ったり、

2次元の世界に逃避したりとか。

 

女性たちが、女性ならではの力を発揮するのではなく、

本来は、男性に任せた方がうまくいくものまで、

自分たちでやってしまおうとして、疲れてしまったりとか。

 

今ってそうやって、あちこちにまだ少し、

多少の混乱が見えたりする時代ではあるけれども、

 

でもきっと、、、

いずれはすべて、丸く収まるのだろうなぁ。。。とも思います。

 

 

つい先日、木星がてんびん座に移動しました。

 

これからの約1年間は、天秤座のテーマである、

「バランス」とか「パートナーシップ」などに

意識を向けさせられることが、多くなってくるかもしれませんね。

 

天秤座のキーワードには、「美」もありますけれども、

それは、調和のとれた美しさのこと。

 

バランスがとれている美のことです。

 

 

もし、「牛」が女性性を表すのだとしたら。。。

 

男性原理に傾いた古いシステムの中に、、、

いかに美しく、調和のとれた形で女性性をミックスしていくか。。。

 

・・・ということもテーマになりそうだし。

 

もし、「牛」が魂と関係があるのならば、、、

 

そのバランスをとっていくためには、やっぱり、

 

魂からの視点。。。

 

その視点から、物事や全体を眺めていくことが必要なのだろうと。。。

 

I AM WE ARE

 

・・・という視点から。。。

 

 

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ここ一週間ほど、なんとなく重い感じがしてしかたありません。

 

ずっと、お天気が悪いせいというのもあるかなと思います。

 

最近では、「低気圧アレルギー」なんて言葉も使われるようになってきて、

気圧が人の身体、特に自律神経系に及ぼす影響というものが、

科学的にも認識されるようになってきたようです。

 

身体と気分がなんとなく重くて、家事をさぼったりしてしまった時。

以前の私だったら、自分の根性が足りないのだと思って、

そして、そんなことに負けてる自分が嫌で。

結果、自責の念にさいなまれたりすることもありましたけれども。

 

最近では、「気力では何ともならない時もある」ということが

解ってきたので、そういう時は、のんびり過ごすようにしています。

 

気圧のせいだけではなく、天体の位置によって生み出されるエネルギーも、

絶対に人の心と身体に影響を及ぼすと思っていますので、

だるくて重い時は、それなりに、、、

なまけすぎず、がんばりすぎずの気持ちで、それが過ぎるのをじっと待ちます。

 

 

こんな風に、、、

この物理的な世界で生きている限りは、どんな人でも外側からの影響は受けますので、

そういうことが解ってくればくるほど、いつもキラキラしていることなんて

ありえないと思いますし、アップダウンするのが人間だし。。。と。

そんな気持ちがますます強くなっていきます。

 

いつも幸せです♪。。。と言っている人は、、、

どこか無理しているのではないのかしら?大丈夫なのかしら?と。

 

ついつい、余計な心配をしてしまう私です(苦笑)

 

 

生きていれば、誰でもいろんなことがある。

でもそれこそが、私達がここで、人間として生きている醍醐味だとも思います。

 

いろんなことは起こるけれども、、、

どんなことが起こっても、完全にそこに飲み込まれないようにする術を身につける。。。

 

結局は、そこなのだと思います。

 

 

どんな人でも、あれこれアップダウンするのは仕方ないこと。

人には感情発生装置と思考発生装置がついているのですから。

そして、、、物理的な肉体も持っているのですから。

 

でも、アップでもダウンでも、いかにそこに同化せずにいられるか。

いかに、魂の視点からすべてを観察している自分を常に見失わずにいられるか。

 

その視点を育んでいくのが一番だ。と。

結局、最終的にはいつもそこに辿り着く私です。

 

すべて、、、というのは、自分自身だけでなく、全体もです。

 

 

特にイヤなことがあったわけでもなく、体調が悪いわけでもなく。

ただただ重い。ただただ気力がわかない。

 

これってやっぱり、土星からの影響もあるのだろうと思いました。

 

土星が自分の太陽に重なっている時は、体力がなくなってくることも

多いと聞きました。

 

体力や気力が落ちてくるのはおそらく、

天体の配置や何やらで、その人のエネルギー不足が

起こるからなのだろうと思うのですが。

 

何がどうなってか、、、というところまではまだ分りませんが、

とにかく、今という時期は、私は普段以上にエネルギーを消耗するように

出来ているのだろうなぁ。。。と。

 

そんな感じがしました。

 

なのでここ数日は、ゼニスを使った自己ヒーリングも、

エネルギー充電を意識したものを行ったりもしていたのですが、

気力が落ちると、頭では解っていても、自己ヒーリングをする

気力さえ落ちてしまうことも、たまにはあります。

 

そんな時に便利なのが、やはりライトランゲージでした。

これは本当に、お手軽でいいですね。

 

ライトランゲージでエネルギー充電をしながら、

紙にそれを描いていたら、なんだか、、、

普段よりも手に力が入るような感じがして。

 

そして、何かのメッセージを感じるというよりかは、ただただひたすら、

エネルギーを受け取っているような、、、そんな感覚になりました。

 

ライトランゲージを使っていても私自身、、、

どこまでが本物で、どこまでが私のマインドの領域なのか、、、

完全に選別を出来るかといったら、そのあたりはまだ、実験中なところも

多々あったりしますが。。。

 

今日、ふとインスピとして降りてきたことは、、、

ライトランゲージというものは、

 

「自分の心と向き合うためのツールである」

 

・・・ということでした。

 

 

実は私は、神であろうと異次元の存在であろうとなんであろうと、、、

それはすべて、「マインド」の中に生きる存在であると思っていたりします。

 

マインドよりももっと深い深いところで、私たちはみんな、

ひとつに繋がっていますし、ファースト・ソース、、、つまり大いなる源の

意識とも繋がっていたりします。

 

その領域からくるエネルギーを、神とか宇宙人のような異次元的な存在や、

あとは「言葉」というものに、「具現化」しているのはマインドです。

 

ですから、もともと自分の中にあったものを私たちは、何かの形に具現化して、

まるで「自分以外の誰か」から受け取ったものであるかのように感じているのだと。

 

私は、そういう風に思っていたりします。

 

なので、ライトランゲージを使うと、様々な存在とコンタクトを

とれたりもしますけれども、それも結局は、自分の内側にあるものなのだと。

 

正直言えば、そんな冷静な気持ちを、どこかに持っていたりもします。

 

私が本音を話し出すと、、、

こうやって、夢をどんどん崩していってしまうことが多いのですけど(苦笑)

 

でもこれが、私の中の真実なのだから仕方ないよな。と。

やっと最近、本来の自分を取り戻しつつあります。

 

 

ウイングメーカーのマテリアルをよく読めば、

ジェームズもそういう話をしていますし、だからこそ私は、

ジェームズに共感したりもするのです。

 

 

ウイングメーカー・マテリアルの中にあるクォンタム・ポーズという、

呼吸を使った瞑想は、そういったマインドから離れることを目的としたものであり、

それは、どちらかというと、東洋的な瞑想に近い感じがします。

 

チャネリング。。。というものはある意味、意図を持って、

自分の深いところから何かの答えを引き出そうとするのですから、

西洋的な瞑想とほとんど同じだと感じています。

 

そしてそれは、マインド内に留まったものであります。

 

 

西洋的な瞑想は、何かテーマを決めて、ひたすらそれに集中するものが

多かったりしますが、その答えは、ソウル的な部分から来るにもかかわらず、

結局はそのエネルギーを、マインドを使って解釈、理解してしまいますので、

ジェームズ風に言えば、「監獄内」に留まったままの瞑想です。

 

 

ライトランゲージは、そのあたり微妙なのですけれども、、、

私の経験からは、どちらとも言えるかな。という感じです。

 

 

ジェームズの話している「監獄」というものをよくよく理解するためには、

多分、仏教の勉強をするのが一番手っ取り早いのではないかなと。

 

 

そんな気がしなくもないです。

 

監獄の外の世界については、般若心経が非常に詳しく語っていますし。

「監獄」とかそういう言葉が意味するものは、古代エジプトから続く神秘学とか

カバラを勉強すればだいたい解ると思いますし、、、

 

結局は、古いものを学べば学ぶほど、、、

ジェームズがどういった手法を用いているのかということも、

よく解ってきたりするのです。

 

 

ジェームズの意図、その目的は、、、

私達をマインドの外に連れ出すことですから、マインド内に留まることを

「監獄に囚われる」という、少しネガティブな表現を

使って説明していたりしますけれども。

 

けれども、西洋的な瞑想。。。

自分の奥深くにもぐって、そこから何らかの答えを引き出すことは、

一時の平安を得るためには、とても効果的なものであるので。

 

 

ライトランゲージにしても、クォンタム・ポーズにしても、

ゼニスにしても。

 

その目的を理解し、目的別に使い分けられるようになれたら

なんかもう、最強だと思います(笑)

 

 

ライトランゲージを降ろした後、そんなことを考えていたら、、、

 

いろんなツールが目の前に揃っていたことが、

なんだか急に、、、妙に嬉しくなってきて。

 

今って本当に、いろんなことが開かれた時代になりましたね。。。

 

 

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