①性格・習性など、個人の持続的な特質。エトス。
②社会集団・民族などを特徴づける気風・慣習・習俗。
③芸術作品に含まれる道徳的・理性的な特性。気品。(Weblio辞書より)
エートス(ウィキより)
エートス は、「いつもの場所」 を意味し、転じて習慣・特性などを意味する
古代ギリシア語である。
他に、「出発点・出現」または「特徴」を意味する。
それを元に、「道徳」や「道徳観の発露」を意味する ἠθικός (ethikos) という
言葉が生まれ、ラテン語には ethicus として流用される。
「エトス」って、ウイングメーカー的には「ジェネティック・マインド」の概念に近いもの。。。
「経験により、潜在意識に刷り込まれているもの」。。。のように感じます。
キャンベルは、「アメリカ人にはエトスがない」と言っていましたが、、、
アメリカ人ではない人、例えば私たち日本人から見れば、「アメリカ人的特徴」
というものを感じたりする場面も、やっぱり、多々あるような気がします。
ジェネティック・マインドには、人類全体的なもの、民族的なもの、地域的なもの、
家族的なもの、、、といろいろありますが。。。
同じグループ同士の人達の間だと、あまりに当たり前すぎてしまって、
それが、意識上にのぼってくることすらありません。
私の場合はなぜか、、、この人生で海外の人と接する機会が多かったせいか、、、
「日本人としてのアイデンティティ」というテーマで、色々と考えさせられることもまた、
多かったような気がします。
今現在もまた、イギリス人の英会話の先生と話しをする。。。
という、現実が起こっていて、、、
私たち日本人とは違ったジェネティック・マインドを持っていたりする人と、
お互いがそれを自覚しながら話し合う。。。ということは、発見がたくさんあって
面白いのです。
そういう先生と私との、違うジェネティック・マインドを通して感じる共通した見解は、、、
アメリカ的なニューエイジ思想というものは、
「いろんなものがごちゃまぜになっている」ということでした。
良くも悪くも。。。
そして私は、、、
そういった「ごちゃまぜのもの」が日本人に与える影響というものについて、、、
思うことがたくさんあったりするのです。。。
先生は、学校で英語を教えていたりもするのですが、日本人の大学生たちは
なんだかみんな、幼すぎる。。。みたいなことをよく言っていたりします。
20歳にもなって、なんでディズニーランドが楽しいの?
みんな、「可愛い~~可愛い~~」っていうけど、理解できない。
ヨーロッパでは、ああいうのは、小さな子供が行くところなんだけど。
・・・みたいに(笑)
アメリカ発祥のディズニーランドは、ヨーロッパではさほどヒットしなかったのだとか。
ヨーロッパでは、いかに早く大人になるか。。。が重要みたいで。
18歳になればもう、大人と見なされるようですし、いつまでも小さな子供と
同じことをしているのは、「恥」と感じるみたいです。
芸術的なことで言ったら、、、
イタリアではオペラ、フランスはバレエや絵画、ドイツは音楽、
そしてイギリスは文学やバンド音楽とか。
それぞれ得意分野があるけど、日本はなんだと思います?と聞いた時、
先生からは、「アニメとかゲーム」という回答が返ってきました。
これについてどう感じるかは、、、
世代的なジェネティック・マインドによって変わってくると思います。
私の世代では、「・・・・・」となる人が多いと思いますが(苦笑)
そんな私の気持ちを察して、、、「大丈夫だよ。それだって立派な文化だと思うよ」と
言ってくれた私と同世代の先生は、、、なんて優しいんだろう。。。と、、、
変なところで感動しました(笑)
話しが逸れましたが、、、
日本は昔から、どこかですべてを受け入れてしまう「大らかさ」みたいなものがあって、、、
だから、「神仏習合」なんていう状態が起こったりもしたのだと思います。
昔、アイルランドでも、聖パトリックが、アイルランドの土着の信仰(アニミズム的な)と、
キリスト教をミックスさせて、アイルランド独特のキリスト教が発展したりもしましたが、
そういうの、日本とちょっと似ているなぁ。。。と思ったりしました。
ですから現代でも、アメリカから入ってきたニューエイジ的な思想が、
精神世界に興味のある人達の中で、あっという間に受け入れられていったわけですが。。。
一神教的な基盤をあまり経験したことのない日本人に対して、、、
ああいった思想は、一部の混乱を持ち込んでいるような気がしなくもなく。
つまり、「現実逃避」への道まっしぐらになりはしないのか。。。と。
そういうことについても、先生とよく話し合ったりしています。
フワフワしたスピリチュアルにハマっていく人は、「感受性が強すぎる」と。。。
優しい先生はそうやって言葉を選んで話していましたが、、、
そこがまた、、、人の持つ弱さでもあるのだろうなぁ。。。と。。。
私は、、、
ヒーリングというお仕事と、夫の会社の事務というお仕事のかけもちをしながら、、、
なんだか、両極端な世界を同時に観ているような感覚になる時が多々あり。。。
どちらの良いところも悪いところも同時に観て、経験してきたので、、、
先生の言う、「感受性が強すぎる」ということの意味も、すごく解るような気がします。
そして、日本人の場合、それは「弱さ」というよりかは、「意識の幼さ」から
来ているのではないのかな。。。と、そう感じる節も無きにしも非ずだったりします。
なので先生に、、、
「日本人は、欧米の人に比べると一神教にそこまで縛られてこなかった。
だからある意味、基盤がない上に、無意識になんでも受け入れてしまう癖が
あるので、ニューエイジ的な思想によって、フワフワしてしまいがちなんですよ」
・・・と言ったら、、、彼は、妙に納得していたりもしました。
生命学者の柳沢桂子さんは、こんな話をされています。
******
宗教というのは、どれも一元的な世界にもどることを説いている。
それは、生命の歴史の中で、私たちがまだ幸せだった時代にもどることである。
それは、進化の過程でいつ頃のことであろうか。
魚類には自我があるのだろうか。
爬虫類(ワニなど)になると、すでに自己意識のあることは
外から見ていてあきらかだろう。
いずこにも神が存在するというアニミズムの時代を経て、私たちの意識は、
自我の確立とともに人格神(一神教)の認識に進化する。
そこでは、人格神にひれ伏して絶対的な教えに帰依したり、その人格神の
超越的能力を仮想することで、ひたすら救済を乞い願う信仰スタイルをとる。
しかし、さらに意識が進化すると、私たちはそういう人格神を超越して、
“神なき神の時代”に入ることができると、私は考える。
つまり、私たちのこころに「野の花のように生きられる」リアリティーを取り戻すために、
必ずしも全知全能の神という偶像は必要ない。もはや何かに頼らなければ
生きられない弱い人間であることから脱却して、己の力で、まさに神に頼らずに、
神の前に、神とともに生きるのである。
宗教学では、このように信仰が進化するという考えは否定されているようだが、
生物学的、進化学的に見ると、この仮説は捨てがたいものである。私自身は、
人格神や特定宗教にこだわらない信仰の形がありうると信じている。
しかし、アリエティやウィルバーが述べているように、私たちは「一次過程」の
認識にもどるのではない。
「二次過程」の認識を超越して、よりスピリチュアル(霊的)な精神作用を生み出す
「三次過程」の認識に進化しなければならない。
もはや特定の宗教や教祖に頼っても必ずしも救いが得られるわけではない。
そんな“神なき時代”において、「悟り」という至高体験を得られる境地に
たどり着くためには、私たち自身の力で、自らのこころを耕し続けるしかない。
たとえば、読書をし、思索を深め、音楽や絵画などの優れた芸術作品に
数多く触れることも大切だろう。
たとえば、あなたが、散歩中にあらゆる雑念やストレスから開放されているとき、
なにげなく野の花を目にして、その清らかでつつましい美しさに感動したことは
ないだろうか?
そのとき、とても純粋な気持ちになり、なにかしら満足感に包まれたりしなかっただろうか?
ではいったい、道端にひっそりと咲く野の花の何が、あなたのこころを捉え、
それほどまでに幸せな心地にしたのだろうか?
そこには、すくなくとも私たちを苦しめる我欲は働いていない。
たとえば仏教が煩悩五欲と見なす食欲、色欲、睡眠欲、金銭欲、名誉欲などが、
野の花の清らかさに感動を誘うことはあまりない。
この感動は、私たちが芸術作品に触れたときに触発される情感と同質のものである。
******
2,3歳の小さな子供で、前世の記憶を持っている子が多いのは、、、
まだそこまで、「自我」が発達していないからなのだろうと思います。
自我、、、というのは、今回の人生を生きるために纏っている、
「エゴ・パーソナリティ」のことです。
小さな子供達が天使のようであるのは、、、なんでも受け入れられるのは、
自我がまだ、そこまで発達していないからであって、その意識のことを、
カバラでは、「植物意識」といいます。
例えば、、、
親のやってきたことを、何の疑いもなくそっくりそのまま真似て生き、、、
ただ種を、、、子孫を残して死んでいく。
一見、非常に素直に見える意識ですが、この意識にとって一番重要なことは、
「種の保存」だけであり、そこには何の変化も発展もありません。
柳澤さんの話で言えば、ここが、「アニミズムの意識」に当たるものです。
すべてのものに、神を感じる意識です。
そこに、「自分と他人」という境界線が、まだあまりない段階です。
子供がさらに成長してくると自我が芽生え、そしてある時期、反抗期をむかえる。。。
「自分とはこうである」という主張を始める時期です。。。
これはカバラで言うと、「動物意識」に相当する意識なのですが、、、
自分は親とは違うんだ。親の言いなりにはなりたくない。自分のやりたいようにやる。
こういう意識は、一見素直で順々に見える植物意識よりも、成長という意味においては、
より成熟した意識なのです。
人がこの意識で生きる時に生まれてくるのが、「一神教」です。
自分にとっての「唯一正しいもの」を、探そうとするんですね。。。
自我を安定させるために。。。
そして、自我が発達することによって、それ以外のものは認められなくなる。。。
それ以外のものを「悪」と感じるようになる。
これもまた、動物意識の特徴です。
今の、文明国の社会システムのほとんどが、この「動物意識」によって
成り立っているシステムです。
これまでの人類全体の意識が主に、この動物意識の段階であったからです。
いつも不思議に思うのは、、、
日本では、、、その表面的な思惑はどうであれ、なぜ、長い間「鎖国する」という
「現実」が起こっていたのだろう?ということ。
また、それはチベットにも言えること。。。
あの国も長い間ずっと、外からの影響はほとんど受けることなく、
時を止めたままでした。。。
日本やチベットは、、、
全体の中で、「植物意識」を保存しておく役割を担っていたりしたのでしょうか。。。
けれども私たちの意識は、いずれ「人間意識」に向かっていくのが運命であり、
「人間意識」というのは、「動物意識」からよりステップアップした意識のことです。
私たちが今ここにいる目的というのは、その意識の実現なのだと。。。
カバラではそう言われています。
だからこそ、閉ざされた国日本でもその鎖国は解かれ、戦後はさらに、
GHQのシステムが入ってきたり、、、
チベットもまた、中国に侵攻され、それを機にその、保存されていた教えが、
全世界に流出することにもなった。。。
そうやって、徐々に徐々に、、、
変化は起こってきているのです。
こういった出来事は、「動物意識視点」から観ると非常にネガティヴなものに
見えたりもしますが、、、
もう少し視点をずらすと、、、そこには、違う物語が見えてくるのです。。。
もともとはCERNで情報を素早く共有するために開発されたシステムが、
そのうちインターネットへと発展し、それが全世界に広がっていった結果、
私たちは今、全世界の情報を一瞬にして手に入れることができるようになり。。。
結果。。。
「いろんなものが混ざり合う」。。。という、現象が加速し。。。
これもまた、、、必然の流れなのかと。。。
ジョセフ・キャンベルが、「エトスがない」と感じるアメリカという国は、、、
もしかしたら、、、それを象徴した国なのかもしれませんね。
カバラで言うところの「人間意識」。。。
それは、ハートとマインドが、、、真我と自我が一致した意識なのですが、、、
今までの歴史の中では、、、ほんの少しの人達が、個人的にそれに取り組んで
きていたものであったのが、、、
これからは、個人のみならず、「地球全体のひとつの意識」として、、、
人間意識へと変容していく時代であって。。。
柳澤さんのお話で言うならば、「神なき時代」を今後展開させていくための、
そのスタート地点みたいな時代に、私たちは今、立っていて。。。
そういう時にはやはり、、、
多少の混乱というものは、つきものなのだろうな。。。と。
そんな感じがするのです。。。