平成15年6月22日 大変遅れて熊本へ向け出発

午前11時より武雄のチューリップ(美容室)に行き二人の髪を染めてもらった。二人分の料金が12,000円でしたが、ここの先生が「12,000円盲導犬の募金に」ということでカンパしてもらいました。長崎から東京まで歩いた昨年も同じようにお金はとられ

ませんでした「私たちへの餞別がわりに」というやさしいお気持ちを、沢山いただきました。当日は夕方6時ぐらいに嬉野を出発する予定でしたが、洋子の会社の事務がはかどらず、また事務員さんへの引き継ぎなどとても時間がかかり、出発も大幅に遅れ夜中の1時10分、熊本へと出発し、熊本東急inホテルに到着したのは夜中の3時40分でした。4時10分に床につきました。

6月23日 熊本での活動

今日は熊本での活動日です。朝7時30分に起きて朝食をとり10時に大野光子さん(熊本県のパピーウォーカーの会の事務局長)がホテルに迎えに来てくださり、シティFM 791というラジオの番組に生出演させていただきました。

今日1日のスケジュールは熊本の大野光子さんによって取り組まれたもので、1日中お世話になりました。

まず11時からシティFMラジオ生出演、その後、昼食はコンビニでそばを購入。12時50分から13時は熊本市長様に表敬訪問です。12時30分、市役所に集まってくださった、パピーウォーカーの会のメンバーの深町さんご夫婦と田中陽子さんボランティアの若い女性3人と盲導犬ユーザーの会長さんと盲導犬の参加で一緒に市長様の部屋に行き、廊下で待っておられたテレビ局全部のカメラ4~5台と新聞社のカメラのフラッシュを浴びながら市長室に入る。とてもお若い幸山政史市長様でありましたがとても

立派な表敬訪問の式典みたいな形で行われました。このときビデオカメラを持っていっておればよかったなあと後悔しました。この日の夕方のテレビに出ていました。その後13時より皆さんと一緒に熊本市内の上通りと、下通りを市中パレードしました。

ホテルに戻り、車で県庁に移動。障害福祉課の課長さま他、数名の方々に迎えられ、知事室に入る。ここでの取材は何もなかった。すでに市長様のところで取材が終わっているからであった。出納長安田宏正様に私たちの思いをすべて聞いていただき、和

やかな雰囲気の中で、この日の目的を果たしました。知事様へ色紙のお願いをしてくださるお約束もいただき、記念撮影をしてお別れしました。とても良い方とのお出会いをいただきました。こんどは日赤病院へと向かいました。大野さんが特別に頼んで

くださって内科部長のたけくま先生の手厚い診察を受けることができました。とてもご高名な先生ということで安心の中、私に異常が見つかりました。エコーで1cmぐらいの胆石が・・・ !! しかも2個 !! 「えーっ !! 」 と驚きましたが、顔は平静を保っております。「やはり・・・・。」と、自分では納得できていたからです。私の心はここ数カ月、「頑固」になって石のような堅い心での生活状態です。「ナルホド!! 神様からの手厚い贈り物なんだ」と思い、これからのこの旅の中で、心をやわらかくして石を砕かないと・・・・・。と、思わせていただきました。神様、ステキなプレゼントをありがとうございます。道中、魂をしっかり磨いて、心優しい私に戻るよう努力してまいります。もうひとつ、少し貧血気味という診断もいただきました。

爆弾を抱えての旅が今日から始まりました。身体をいたわりながら無理をしないように日本一周を完全にまっとうしたいと思います。その後、アロマの体調の診断を、こもだ先生(こもだ動物病院院長)がしてくださいました。「アロマに変調があったらすぐ私の所に連絡ください。全国の動物病院で無料で診て頂けるよう、手配をしております」とありがたいお言葉をいただきました。アロマの爪を切っていただき、耳の垢もきれいにとってくださいました。「いたって元気そのものです」とアロマの健康診断をしていただき、安心して出発しました。最後までお付き合いくださいました大野さん、田中さんと、遅い夕食を駅内のレストランで取り、ホテルを東急イン鹿児島から熊本の東急インに変更していただきホテルで疲れをとりました。明日は朝4時30分の起床です。

 

 

平成15年6月19日 アロマが空を飛んだ !

朝、6時40分起床、気になる天気予報を見る。台風6号が五島列島付近に接近、航空便・JRも欠便が相次ぐ。

8時20分 朝食会場に行く。豪華な朝食(和食)でした。コーナーにはジュース、牛乳、コーヒー、紅茶、サラダコーナーがあり、主人も好きなコーヒーが食後に飲めるので喜んでいて安心して和食のコースを頂きました。

9時20分、熊本県庁、鹿児島県庁の障害福祉課にTELを入れ、23日(熊本)24日(鹿児島)における知事様への表敬訪問をお願いした。鹿児島の方も新聞を読んで私たちのことを知ってくださっていたので話が早くて、新聞報道のありがたさを改めて感謝する。

9時30分ちょうど、秋丸さん(博多通りもんの和菓子の会社の常務)がホテルに来てくださる。私たちを博多駅まで送って下さり、私たちを助けて博多駅で盲導犬募金活動に参加して下さるためです。さっそくホテルを出て秋丸さんの車に乗り込み博多行きへと向かう。車に乗って10分もしないうちに阪急交通社から電話、「予約している沖縄行きの飛行機が欠航になったので午前10時50分の分なら飛びます。変更出来ましたのですぐ来てください」とゆうありがたい電話が入る。秋丸さんの車の行く先を福岡空港へと変更、10日5分に第2ターミナルへ到着。秋丸さまからは、和菓子、「博多通りもん」をおみやげにいただいた。空港に着くと阪急交通社のカウンターでスタッフの人が待っていてくださり私達の顔を見て安心された。盲導犬が一緒なので(財)福岡盲導犬協会より発行された証明書が必要になった。「アー忘れた~ !! 」何か忘れたことで心にひっかかっていたものがここにあった。家を出発する間際までこの証明書を入れておかなくては・・・、と心に思っていたが出発の間際の忙しさに紛れてこの証明書のことが「頭、いえ心からきれいに忘れ去られていた」どうしようと不安がホンの一瞬よぎって行ったが持ち前の度胸で「どうにでもなる、どうにかなる、どうにかならせてみせる」と意気込みで航空会社に掛け合ってもらう。少し手間はかかったが「どうにかなった」。係りの人が乗り場まで案内してくださった。ここで阪急の人にお礼を言ってお別れした。とても親切な方ばかりでした。空港の中ではアロマの方へ人々の視線が集まる。また私たちの着ているTシャツもオリジナルの文句を書いたTシャツで、これもまた人の目を引くことになる。

10時38分、ゲートの前で飛行機に乗り込む前、ほんのちょっとだけ待ち時間ができた。今しかない、昨日お世話になった明石智津子さんへのお礼の電話をかけた。これで一安心。16日出発までの間、私の睡眠時間は2~3時間がずーっと続いている。この文

章も飛行機に乗ってすぐ書き始めている。少し眠気がさしてきた。目が疲れている。

少し寝ることにして、また続きを書きます。飛行機が滑走路を離れて少しの間、台風の影響で少し揺れ続けている。大宇宙の神様に対してをお願いの祈りをささげた。

大宇宙大神霊仏よ、わが心に光をお与えください。心に安らぎをお与えください。わが心を正しい一切の魔よりお守り下さい」そしてさらに「大宇中大神霊仏よ私達の乗っているこの飛行機に光をお与えください、心に安らぎを与えください、乗っている人の心を正しい一切の魔よりお守りください」とお祈りをささげ心がとても安らかになった。すると不思議なもので飛行機の横揺れ縦揺れがすぐに収まり、飛行機は9,500メートルの高さに上がって水平飛行の穏やかな状態となっています。到着予定が少し遅れ12時25分の予定が12時50分到着というアナウンスが流れた。今、機内のサービスの温かいコンソメスープをいただきながら続きを書いている。飲み干したら寝よう !! アロマも落ち着いたもので何ひとつ動揺しない。飛行機が揺れてもへっちゃらのお茶の子済々という感じで静かにダウンして乗っている。飛行機の揺れているときにリンゴを少しアロマに与えた。動揺を避けるため二口に満たないリンゴをほおばりアロマは大満足。アロマにとっては飛行機の揺れよりもリンゴのご褒美の方が気になっ

たようだ。いよいよ眠気も深まった。今から1時間ほど寝ます。

12時35分那覇空港に到着。預けていた荷物を取って下に降りる。ジャパレンのレンタカーの人がプラカードを持って立っていてくださり、すぐにわかった。その会社へと行く。ワゴン車に乗り込んだ。会社はすぐ近くにあった。手続きを済ませてレンタカ

ーを借りた。レンタカーを借りるのは初めての体験、ありがたいことに今回の阪急の「とっておきフリープラン」の中に入っている特典であった。1人25,000円という二泊三日の本当に安いお値段の中に組み込まれたものである。カーナビの説明を受け、ホテルへと向かう。かなり走って赤信号で止まっていると、右側に県庁が見えた。進路を変えて、13時50分県庁の障害福祉課の源河さんを訪ねた。用意して下さった別室で、上司の女性の方とお二人で応対してくださり、今回の趣旨などをお話しさせていただき、「沖縄へ来る時、ホテルの受け入れに2日間返事を待った」という事実をお伝えした。源河さんが「那覇」という約1㎝位の厚さの本を取りにいかれて、私たちの前に出されて、「この中に補助犬の泊まれるホテルや入れる食堂を記した本です」と見せてくださった。よく調べてまとめられた本で、私達のような盲導犬使用者にとってとてもありがたい本である。さっそくお願いしてその本と沖縄の踊りの本を4冊いただいて県庁を後にした。午後3時近かった。長い間、熱心にお話しをさせていただいた。ホテルへの道を何回も迷い迷いやっと4時ごろに到着。昼がまだだったのでお腹が「グー」いっている。「早く食べに行こう !! 」という私に、主人は琉球TVとコンタクトをとった。資料をファクスで送信する仕事に入る。そして明日のTV番組に出してもらえるかの返事を待つことになった。その間、公設市場まで歩いて食事へと出かける。平和通りの市場の中を通りぬけていき左右にはたくさんの商店が並び、私の好きそうな品々がずらり !! 入りたい、手に取ってみたい気持ちを抑えて3人は公設市場の食堂へ向かう。やっと市場の入り口にたどりついた。入口は2つあった。早速入り口近くのお店に入ろうとする私たちに「犬は入れませんよ」と声を掛けられた。今回の趣旨のTシャツを着ていても分からない人に出会う。私たちは黙ってもう一つのお店に入る。ここは誰も何も言われなかった。中に入ると狭いエスカレーターがある。乗ろうとしている私たちに親切に声を掛けてくださる。出店されている店のご主人のようだ。「エレベーターがあそこにあるからそれを利用されたらどうですか !! 」と親切に言って下さった。ありがとうございます。狭くても大丈夫みたいなのでこれで行ってみますとおじぎして、アロマと一緒に主人もエスカレーターで上へと行く。上の食堂に着くと「けんぼうさん」の太鼓と三線を使った歌謡ショーが始まっていて、屋台村みたいな台にいる観光客の人たちが、食事に舌鼓を打ちながら、そのショウに見入っている。出店されている店の女の人がすぐ近づいてきてアロマの下

げている募金袋に1000円入れて下さった。私たちはステーキ定食1,200円と伊勢海老汁定食1500円を早速注文。2人で1杯のオリオン生ビールでカラカラの咽を潤し、昼夕兼用の食事を分け合いながらもおいしくいただいた。主人は伊勢海老汁の汁を残さず平らげてしまった。主人の満足そうな顔を見て、私の心も喜んだ。「けんぼうのショー」の中で着ておられる女性の衣装がとてもすてきで、私は早速アタックした。「その服どこかの衣装屋さんに売ってあるのですか ? その店教えて欲しいのですが・・・・・」。返ってきた言葉は「特注の服」ということで、その店の人を紹介してくださり、そこへ案内しますという親切な「けんぼうさん」でした。「今、食事中ですので、食事が済んでその店に行きたい」と申し上げ、その店の人の携帯電話を教えてくださった。食事を済ませ、下に降りろうと出口を探す。「けんぼうさん」たちの前を通っていく。アロマの募金袋を見つけてくださった「けんぼうさん」。すぐ1000円札を出してアロマの募金袋へ入れてくださった。お礼を申し上げ私の心は仲嶺みどりさんの小道具店へととんでいる。数人の方々に訪ね訪ねて、やっと店にたどり着いた。私たちは自分の思い通りの品々を、この店で手に入れることができた。竹の皮の主人の草履、「けんぼうさん」と同じ衣装。エイサーの太鼓、髪飾り、沖縄の踊りの解説ビデオが、いっきに手に入ることになった。踊りはここの人が守礼門で舞踊ショーを、されている方たちの集まりでもあった。「踊りの振りを説明付きで教えてください。それを覚えて踊ります」と熱心に頼んだ成果である。その店にいるとき1本の電話が入った。福岡中小企業同友会の久保さんからの吉報。「喜納昌吉先生へ会える段取りができました」という嬉しい電話でした。

私たちはすぐその店の人に喜納昌吉先生のライブハウス(チャクラ)のある場所を訪ねた、すぐ近くだった。徒歩で5分ぐらいの所である。すぐに見つけた。さっそく名刺を渡し、マネージャの石岡さんへの面会をお願いし、待った。都合のいいことに待つ間に展示してある喜納昌吉先生のグッズ商品が展示してあり、それを見させていただきました。後ろを振り返ってみると男の人が、一人立っておられました。マネジャーの石岡さんと思い込み「石岡さんですか」と聞いた。

喜納です」と返事が返ってくる。「すみません !! 」大変な間違いをしたことに一瞬どうしようと困惑した。数日、いや1週間ぐらい前に私の睡眠時間が2時間くらいで、目もボーッとしている。「種類は何ですか ? 」という喜納先生からの問いに答えた。Tシャツをとりあえず2枚買い入れしてこれにサインをお願いして記念の写真を撮らせて頂きました。色いろおしゃべりして何をしゃべってたか覚えていないほど興奮していた。「ライブを聞いて行きますか ? 」にピンとこない私(洋子)。気持ちが

あがってしまっていた。「あ・・・、はい」とあやふやな返事をしたみたいだ。我に戻り、ショウが始まるまで、1時間待たせてもらった。喜納先生が案内してくださった1番後ろの端っこの席に座った。あとでわかったことだけど、喜納先生のお母さんやお父さんたちが、横に座られた。近くで会話ができるよう・・・にとの先生の御配慮であった。おかげでお父さんお母さんとも楽しい会話ができ、とても楽しい一夜を過ごさせていただきました。私(洋子)は先生達のライブを拝見拝聴させて頂いた時、心の中から「私たちもこんなライブハウスを創りたい !! 」と、いう気持ちがわいてきました。ホテルに帰って主人にそのことを話しすると、「わしもそう思った !!」という返事。日本一周が済んだら次の夢がちゃんとここで用意されていた。とても元気が出たし、元気をいただいた。喜納先生のご家族の皆さん、本当にお世話になりました。ありがとうございました。この日のショウの代金と、飲み物代金も、全部喜納先生のご招待ということで、お言葉に甘えていい興奮を持ち帰りました。帰り際に喜納昌吉先生から「行徳先生によろしく」と伝言を受けました。

 

平成15年6月18日 嬉野→福岡へ

朝10時30分、我が家を出発。今日は三人に古瀬さん(マネージャー)が加わって4人の活動が始まった。12時10分JR博多駅に到着。これから福岡県の副知事・稗田様に表敬訪問です。アロマに服を着せ、おめかしして県庁に入る。障害福祉課の課長様をお訪ねして、ご案内を頂き副知事の稗田様の部屋へと入る。稗田様はとても気さくな女性の副知事さんである。主人と私は、それぞれの想いをお話させていただき10月から施行の身体障害者補助犬法の広報の周知徹底を切にお願いした。ちょうど

私たちの前に住友生命さんとの面談を済まされたお話しを聞いた。「住友生命さんの方から盲導犬・聴導犬・介助犬の補助犬法をPRするためのビデオが県庁に500本届られた」といって、ビデオを1本見せてくださった。そのビデオも1本私たちにくださった。本当にいい意味で、いいタイミングでこのビデオといいNHKの「クィールの一生」の番組も私達の活動と一緒にスタートを切った。アロマも稗田副知事様と握手をしていただき、募金も1,000円くださった。本当に心温かい副知事様でした。その後、記者室にて西日本新聞さんと時事通信社の記者会見を受け県庁を後にした。ホテルレガロ福岡を目指す。5時に田中紀一様と待ち合わせをして田中様の作詩・作曲の分を私の歌で吹き込み、音作りをしてお渡しした。私が他人さまから依頼をされて歌の吹込みをする体験は初めてであった。そういう依頼がきたことが何よりうれしかった。田中紀一さまが亡くなられた奥様を想っての歌作りの1作目だったそうである。

私の歌を涙を流しながら聞いてくださった。本当にありがたいお仕事でした。6時30分から福岡県中小企業同友会東支部の講演会の講師に招かれていた。私(洋子)はすぐ化粧を始めた。舞台で踊るための着物を着るため宿泊の部屋へと入り、身支度に専念、主人にも白の舞台衣装を着せ、会場の前にスタンバイした。田中紀一様にも同席していただき、主人の講演を聞いていただきました。主人の講演が終わり、主人が唄の紹介をしています。ストップを入れ、私も少しだけお話しをさせていただき、和やかな雰囲気の中での講演と唄・踊りのショーが終わり、たくさんの方々に私たちの本とCDを購入していただきました。会場は二次会の竹野屋さんへと車で移動。マネージャーの古瀬さん、アロマもご一緒させていただき竹野屋さんのおいしい料理に舌鼓、同友会の皆様の温かいお心からのおもてなしと盲導犬のカンパ45,000円をいただき、講演料宿泊費まで出していただき手厚いおもてなしをいただきました。今回、私達を招く手はずをつけて下さった明石智珠子様へ心からの感謝を申し上げます。

そしてそのことを応援して呼んでくださった福岡中小企業同友会の理事様そして会員御一同様へ心からなる感謝の言葉を述べさせていただきます。本当に有り難うございました。

平成15年●6月17日 長崎県知事様へ表敬訪問

午前9時30分、自宅を出発しました。行き先は、長崎県庁です。午前10時30分、予定どおり長崎県庁に到着しました。県庁には、長崎ライオンズクラブの皆様と、長崎県議の三好徳明先生の事務局の中尾さんと大久保さんが、私達の到着を待ってくださっ

ていました。私達は、障害福祉課の池松課長さん、課長補佐の安達さんの案内で知事室に連れて行って頂きました。知事室には、テレビ局5社と、新聞社5社の人がおられ、知事様との表敬訪問の様子を撮影しておられました。約20分間の表敬訪問でしたが

、金子知事様は、熱心に私の話を聴いてくださいました。また、身体障害者補助犬法の周知徹底も約束してくださいました。

その後、記者室で記者会見をして頂きました。記者会見では、盲導犬の実状と、今回の旅の目的をお話しました。その後、長崎駅に行き、盲導犬の街頭募金をしました。

今日の街頭募金は、予定外で、駅の使用許可は、頂いておりませんでした。ですから、使用許可をとるのに本当に大変でした。親切な駅員さんがお手配してくださり、食事に出かけておられた駅長さんを探しに行ってくださり、何とかしてやろうと言う、

ありがたい姿勢で対応して頂きました。ようやく、駅長さんに会う事ができ、使用可を頂きました。約2時間半の街頭募金でしたが、25,043円の募金があつまりまりした。本当にありがたい募金です。長崎市の皆様方、ご協力本当にありがとうござい

ました。明日は、九州最大の都市、福岡に行きます。明日正午より、午後3時まで博多駅で盲導犬の街頭募金をおこないます。午後3時40分、福岡県庁で、表敬訪問します。明日は、副知事にお会いする事ができます。午後6時から、福岡県中小企業家同友会で講演をさせて頂きます。明日も忙しい一日になるとおもいます。家に着くと、待ち構えていたかのように、グットタイミングで、吉田新聞店の人が、西日本新聞を10部手渡され、「これを持って行き、全国へ嬉野の宣伝をしてきてくださいと。」

励ましてくださいました。また読売新聞店の方からも、新聞を頂戴したと、社員さんからの報告。本当に嬉しい応援でした。嬉野町あげての応援、本当にありがとうございます。皆様の期待を担っての、今回の全国ツアー。是が非でも完璧な努力をしなくては・・・・。と、一層、気合が入ります。東京新聞からも電話がありました。「読者の方から東京に来たら手伝いたい」と、東京到着の日の問い合わせでした。また、次の福岡県の訪問は稗田副知事様とお会いできることになりました。

 

 

盲導犬普及の為の全国ツアー

平成15年6月16日 出発式と佐賀県知事様を表敬訪問平成15年6月16日、私達、三人の新たな旅がスタートしました。

旅の目的は、盲導犬普及の為の活動と、平成15年10月より施行される身体障害者補助犬法のPRを目的とした、全国ツアーです。

身体障害者補助犬とは、[盲導犬・聴導犬・介助犬]等の身体障害者をサポートする犬で、私達障害者が社会への自立を目指し、自助努力をしていく上で、大切な役割を持った、本当に頼もしい存在の犬なのです。

ところが、現在、盲導犬等の施設利用には大きなハードルがあり、自由にどこにでも行く事ができません。

特に、宿泊施設や飲食店などは、盲導犬の同伴は「お断り」と言う所が半数以上あり、本当に厳しい状況です。

そんな、バリアを取り除くのが、今年10月より施行される身体障害者補助犬法で、私達ユーザーにとって、本当にありがたい法律です。

私は、今回、このありがたい法律を一人でも多くの人に知って戴きたいと思い、全国ツアーを決心しました。

そして、身体障害者の人が、自由にどこにでも入る事のできる開かれた社会をつくりたいと願っております。

そんな思いで、今日16日、嬉野町を出発しました。

出発式は、午前8時45分、嬉野町役場でおこなわれました。

出発式では、町役場の職員様はじめ、我が社の社員さんや友人の方々のご参集の中、谷口太一郎町長様が、心からの激励の言葉をのべてくださいました。

また、全国の知事様[47県分]あてに、推薦文を書いて頂き、力強い、素晴らしい出発式をして頂きました。本当にありがたい出発式、町長様をはじめ、皆様方のお見送りの中、車にて嬉野町役場を出発。高速で佐賀市へ。STSさがテレビ様へ、伊万里少年少女合唱団を撮影したビデオテープを届ける。

午前10時30分、佐賀駅で、初の盲導犬街頭募金をしました。NBCラジオさんの番組の中で、街頭募金をしている所を生放送して頂きました。

街頭募金には、お友達の森永勝馬さん・本田耕一郎さん・白倉和子さんが、応援に来て頂き、賑やかに行いました。

約3時間の街頭募金でしたが、沢山の人に募金を入れて頂きました。何と62,373円の募金が集まりました。募金のご協力をして頂きました皆様方に、心からの感謝のお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

午後2時45分、宮崎しげのり県議に同行をお願いし、佐賀県知事[古川康]様に表敬訪問が叶い、身体障害者補助犬法の周知徹底をお願い申し上げました。

古川知事様は、私達の思いをご理解してくださり、[わが県も補助犬についての理解が日本一になるように頑張ります]と、周知徹底を約束して下さいました。

そして、私達に、嬉しい激励文をくださいました。

午後5時、サガテレビ[かちかちワイド]に生出演し、今回の旅の目的と理解を訴えました。

今日は、朝から新聞・テレビ・ラジオの取材があり、本当に嬉しい一日でした。

明日は、長崎県に行き、長崎県知事(金子)様に、身体障害者補助犬法の周知徹底をお願い致します。

又、移動中にも沢山の電話や問い合わせがありました。

● テレビ東京の『ポチタマ』から「東京新聞夕刊を見てあなた方のことを知りました」と言うことで出演交渉がありました。

● 熊本日々新聞(田川さん)から電話。熊本に来る日を知らせて欲しいとの事です。

● JBS日本福祉放送から道中、何回か電話取材をしたいと申し入れがありました。

 

盲導犬普及の為の全国ツアーのブログです。

平成14年1月15日出発 4月19日到着の岸川美好&洋子「長崎東京夫婦旅」のブログを読んて頂きありがとうございました。

さて、引き続き平成15年6月16日出発 8月14日終了の盲導犬普及の為の全国ツアーのブログを掲載します。

出発からごーるの二か月間多くの人に助けて頂き大きな役割を果たす事が出来ました。

ぜひ、最後まで読んでくださいませ。

 

平成14年11月福岡の九州盲導犬協会より盲導犬アロマを貸与しました。

盲導犬を作るには多額の資金がかかります。

多くは民間の個人や団体が資金を寄付しています。

今回、私が貸与した盲導犬は長崎ライオンズクラブ様と東京虎ノ門ライオンズクラブ様が該当募金などで集めた資金で育成された盲導犬です。

名前は盲導犬 アロマで牝の二歳のラブラロールレットリバーです

盲導犬を貸与するには約一ヶ月間盲導犬の訓練センターに行き犬の扱い方や歩行訓練など受けなくてはなりません。

 

平成14年11月訓練開始 12月訓練終了

約一か月間の訓練を終えて盲導犬アロマと自宅に帰って来ました。

アロマは私以上に妻の洋子になつき妻もアロマを我が子の様に可愛がっていました。

平成15年1月 アロマを連れて嬉野の谷口町長に挨拶に行きました。

そして、アロマに日本初の住民票を発行してもらいました。

この日からアロマは嬉野町の町民になりました。

人間以外の動物が住民票を貰ったのはアロマが初めての事で全国紙の新聞に大きく取り上げてもらいました。

盲導犬の役割は目の見えない人の目に成りツエに成るのが仕事です。

私は、盲導犬を貰ってこれから自由にどこにでも行けると奇態していましたが現実は大きく違っていました。

実は、盲導犬がいるから今まで行けてた所も行けなくなってしまいました。

それは、盲導犬の入店拒否と言うハードルでした。

特に、飲食店 宿泊施設 医療機関が受け入れてくれません。

折角盲導犬を貰って世界が広がると思ったのに盲導犬がいる為に世界が狭まってしまいました。

平成15年4月嬉しいニースが入ってきました。

それは、「身体障碍者補助犬法」と言う法律が出来た事です。

身体障碍者補助犬法とは盲導犬聴導犬 介助犬などの身体障碍者を助ける犬はどこでも受け入れなくてはならないと言う法律です。

「平成15年10月から施行」

私は、このありがたい法律を一人でも多くの人に知って頂きたい そして盲導犬など

の犬がどこにでも入れる社会を作りたいと思い平成15年6月16日から二か月間かけて全国の都道府県知事に直訴に行きました。

いずれの知事も盲導犬に理解が厚く協力を約束してくださいました。

今回、ブログに掲載する文章は出発からゴールまでの日本一周約8000キロの旅の出来事を書いた物です。

旅の中で、いろんな人との出会い 沢山の援助を頂きました。

どうか最後まで読んでくださいませ。

そして、盲導犬などの 身体障害者を助ける犬への理解をよろしくお願い致します。

 

翌日、大阪から応援にきてくれた妹、そして、娘の美香、孫の瑞穂、真輝と6人で、新幹線で、帰りました。大阪の妹は、新大阪で下車してお別れしました。

夜10時、JRの武雄駅に到着しました。

外は、どしゃ降りの強い雨が降っていましたが、武雄温泉駅まで、嬉野の中島利允様が迎えに来てくださったので、本当に助かりました。

武雄から、車で約20分、ようやく我が家に戻ってきました。

すると、我が家の玄関の前に嬉野町のカラオケ同好会の相良さん、小野原さんご夫妻、三根さんが、拍手で出迎えて下さいました。お祝いにお酒を持参してくださいました。

本当にびっくりしました。

また、家に入ると、久留米から友人の井手宏一様ご夫妻が、お友達と三人で、かけつけてくださり、思わぬ、慰労会をして頂きました。

1月に家をでて、96日目の帰宅でした。

この瞬間に、私達夫婦の二人三脚の歩く旅が終わりました。

でも、ここからが、本当の旅のスタートです。私達には紅白という、雲をつかむ様な、とてつもない夢への旅は出れるまで、永遠に、果てしなく続いております。

翌、4月21日は、佐賀総合グランドで、佐賀県の勤労障害者の運動会があり、私達も出席しました。

午前中のプログラムが全ておわったところで、歌とご挨拶をさせて頂きました。

また、受付では、紅白出場の署名コーナも作っていただき、参加者、全員の署名を頂く事ができました。

翌4月22日は、佐賀県知事[井本勇様]への帰郷報告で、佐賀県庁に行きました。

知事の井本勇様は、心の温かい人で、出発の時も、県庁で、出発式をしてくださり、私達に心からの応援をして頂いております。

井本知事は、無事に帰ってきた、私達の肩を抱いてくれて、心からの労いの言葉をかけてくださいました。

本当に、嬉しく、井本知事に、そして、回りで支えてくださった県庁の皆様に、心からの感謝を申し上げます。

当日は、サガテレビ様、そしてFBS福岡放送様の取材もあり、その日の夜のニュースで放送して頂きました。

また、新聞社の方も取材して頂き、翌日の新聞で掲載され、各地で応援をして頂いた方に、帰郷の報告ができました。

翌、4月23日は、地元、嬉野町の谷口町長様への帰郷報告で、嬉野役場に行きました。

町長室には、顔見知りの新聞記者の人が取材に来て頂き、労いの言葉をかけてくださいました。しばらくすると、谷口町長様と、役場の職員様が、町長室に入ってこられ、帰郷の報告をさせていただきました。

谷口町長様も、私達の元気な顔を見て、心から喜んでくださり、労いの言葉をかけてくださいました。

また、今回の夫婦旅を認めて頂き、嬉野町より、町民賞を頂く事ができました。

本当に、思わぬプレゼントに、感激致しました。

今回、頂いた町民賞は、私達家族にとって、本当に嬉しい受賞でした。

なぜなら、四年前に、長男、伸資が、町のPRの為に、はじめた、ボランティアのちんどん屋さんが、きっかけとなり、たくさんの人に支えられ、応援して頂いたおかげです。

こんな、嬉しい思いと、たくさんの応援を頂き、長崎・東京、夫婦二人三脚の旅が終わりました。出会って言葉を交わした人々の多くは、私達の姿を見て「本当にいい夫婦ですね、世界一ですよ」と言って下さいました。このお言葉は、私達夫婦に取りまして、とても有り難い、嬉しいお言葉でした。この長い旅で得た金糸勲章にも勝る嬉しい・嬉しいお言葉でした。私達の夢に御賛同して下さいました全国各地の皆々様、本当にお世話になりました。お礼状の行き届いていない事も多田あるかと存じます。

歩きの旅の為、皆様から頂きました名刺や資料等、出来るだけ早く、旅先から我が家へと送り続けており、保管も出来ていると想っておりましたが、行き違いや、保管場所の移動等により、私達の記憶の中には残っていてもメモが無くなっていたりして、連絡のつかないものもございます。本当に申し訳のない事だと、反省の念で深く深くお詫び申し上げます。

 

平成14年4月19日、出発して95日目、いよいよ、この旅の最後の日です。

いつもの様に、朝6時に起きてお風呂に入り、8時にホテルを出発しました。

この日のスタートは、昨日ゴールしました、日本橋です。

新宿からは、直通の電車がなく、乗り換えて、日本橋まで移動しました。

私達が泊まっている新宿から、NHKのある渋谷は、比較的近いのですが、あえて、日本橋から歩く事にしました。

なぜなら、長崎から東京まで、1500キロ、一寸たりとも飛ばしたた事は無く、最後に手抜きをしたくないと思い、日本橋から歩きました。

日本橋から、渋谷のNHKまでは、約13キロです。普通に歩けば、4時間で歩けます。

この日は、午後、2時に、NHKに到着予定です。

この時間は、特に、NHKのどなたかと会う約束をしている訳でもなく、私が、一方的に、飛び込んで行くだけで、相手がどんな形で、会ってくれるのかは、まったく想像がつきませんでした。

実は、私達夫婦は、10日前[三島市]で、ある事を決めていました。

それは、今日、4月19日、NHKに行って、それなりの人に会って頂けない時は、NHKの前で座り込みをしようと決めておりました。

ちょうど、箱根の山を越える日[NHKの会長様]に手紙を出した日の事です。

そんな、覚悟を胸に、日本橋を出発しました。

この日は、私達二人ではありませんでした。

延岡の有留様の奥様の慶子様、佐賀から応援にきてくださった上田清美様、そして、NHKに入る瞬間をカメラに修める為に来てくださった、津山正孝様と、中村さんも、13キロを一緒に歩いてくださいました。

勿論、いつもの乳母車を妻が押しています。でも、この日の乳母車は、私達にとって、最も大切な物を積んでいました。

それは、私達夫婦の夢を叶える為に、全国の人から書いて戴いた、NHKの紅白出場の請願書の署名、39700名分と、多くの人の期待が、この乳母車の上に、乗っていました。途中、昨日、出迎えにきて戴き、その上、慰労会をしてくださった、全重

協[東京虎ノ門]に立ち寄り、ご挨拶をして、渋谷に向けて歩きました。

全重協では、加藤孝相談役おすすめの、「大福もち」の差し入れがありました。

その後、昨年の11月に取材して戴いた、[知至]知至出版社に立ち寄り、皆様から労いの言葉や、署名を書いて戴き、記念撮影をしてお別れし、NHKをめざします。

お昼は青山のビルの入口に座り込み、みんなでパンをたべました。時間がとても気になります。気持ちはNHKに飛んでいます。午後1時58分、最終目的地のNHK放送センターに到着しました。ギリギリのセーフで、ぴったしの午後二時に玄関に入る事ができました。妻は泣いています。私を此処まで約束の時間に間に合う様に、「責任を果たす事が出来た。」と言う、喜びの嬉し涙でした。

NHKには、大山会長様、姫路の乾様、延岡の有留様、千葉からは、関東嬉野会の高月様など、応援にきて戴き、総勢11名で押し掛けて行きました。

NHKでは、放送センターの一番偉い人、鈴木敏光様をはじめ三名の方が、私達の到着を待っていてくださいました。

そして、丁重に特別応接室に通してくださり、私達の思いを40分間も聞いてくださいました。

当日は、NHKの会長様には、お会いできませんでしたが、心ある方にお会い出来、私達の夢をお話する事が出来、座り込まずに嬉野町の我が家に帰る事ができました。

NHKの会長様は、私が差し出した手紙を見て、佐賀のNHKに問い合わせをして下さり、私達が佐賀の出発の時、佐賀のNHKに出演させて戴いた時のビデオを見ておられ、理解して戴く事ができました。

最後に、皆様から戴いた紅白出場の署名39700名分をお届けして、NHK放送センターを後にしました。本当に丁重な応対をして頂きましたNHK様に心からの感謝を申し上げます。

お陰様にて、佐賀から撮影に来て頂いた津山様のカメラに、この時の様子を総て収録させて頂きました。このビデオは公開しない約束で特別にお許しを頂き、カメラに修めさせて頂きました。何時何時までも我が家の宝物として保管させて頂きます。

また、東京MXテレビの坂本様も、NHKに入るまでの様子を撮影して下さいました。

その後、大山泰弘会長様のご案内で、議員会館に行き、八代英太先生を訪問致しました。

八代先生は、私の夢と想いを感じて下さり、私の為に色紙を書いて下さいました。

色紙には、[紅白で歌うが夢の希望道]と、立派な力強い字で書いてありました。

紅白を目指す私達にとって、最高のプレゼントを頂きました。

平成14年1月15日、夢をつかむ為に、長崎を出発しました。

途中、多くの人と出逢い、たくさんの援助を頂き、ゴールの東京に到着する事が出来ました。今回、長崎から、東京まで、歩くことができたのは、紅白出場と言う、とてつもない夢と、多くの人達の応援と報道関係の応援、七十六歳の母が元気でいてくれたこと、会社を守ってくれる社員の皆様と母や息子夫婦があったからです。そして、夫婦が、夢と心という歯車を合わせて、助け合い、支え合い、補い合いながら一歩、一歩の積み重ね。1500キロの道のりを完歩する事ができたと思います。

[宿泊地 東京都 かどやホテル]

 

平成14年4月18日の朝を迎えました。

この日は、一日中、大変忙しい日になりました。

朝7時、新宿のホテルを出て、羽田空港まで、出迎えに行きました。

勿論、上田清美さんも、一緒です。出迎える人は、佐賀県武雄市のビデオ・ファンタジーの津山社長さんと、スタッフの中村さんで、私達の日本橋到着の模様と、翌日のNHKに行く間までの瞬間をカメラにおさめる為に、来て戴きました。

津山さんは、プロの カメラマンです。撮影の為の機材も重く、ビデオカメラ・ライト・三脚など、重く、大きな機材で、お二で持つには大変な荷物でした。

その為に、私達三人が、空の乳母車を持って、出迎えに行きました。

勿論、それだけではありません。東京の町並みを歩いている私達の姿をカメラに修めるのも大切な目的でした。

羽田で合流し、二人の荷物を乳母車に乗せ、モノレールで、浜松町まで移動して、東京タワーの見える所まで行き、東京タワーの前で撮影してもらいました。

また、東京の銀座を歩いているシーンもとってもらいました。

午後2時、東京駅に出迎えに行きました。実は、この日、大阪の妹と娘の美香・孫の瑞穂、真輝が、佐賀から、応援に来てくれました。

その日の午後4時、日本橋での出迎えをする為の上京でした。

四人を出迎えて、次ぎの応援者の出迎えの為に、東京駅の中央改札口で待っていました。

約30分ぐらい待っていると、力づよい応援者、姫路の乾様が、私達の為に東京まで来て下さいました。

ゴールの日本橋は、東京駅から数百メートルしかなく、ゆっくり歩いても、15分程度です。東京駅で皆様とお別れして、しばらくの間、東京駅付近で待機していました。

娘や妹は、先に、ゴールの日本橋の[東海道五十三次の出発点]の所へ行き、私達のゴールのセレモニーで使う垂れ幕や、紅白のテープなどの準備をしに先に行きました。

午後3時45分、私達は日本橋に向けて、歩きはじめました。押している乳母車に乗っている荷物は、朝、預かったビデオ・ファンタジーのお二人分の荷物です。

一歩、一歩、踏みしめながら、歩きました。

東京駅から日本橋までの距離は、三日前に東京に到着した日に、一度歩いていましたので、様子はよく解っていました。

午後4時、ゴールの日本橋に到着しました。

ゴールの日本橋には、全重協[全国重度障害者雇用事業所協会]の大山泰弘会長・事務局の方々、JRPS[日本網膜色素変性症]の東京支部の方、関東嬉野会の高月武智様、姫路の乾美明様など、約30人の人の出迎えがありました。

また、私達のゴールの紅白のテープを握っていてくれた人は、今回の長崎、東京徒歩の旅の発案者・延岡の有留秀雄様と奥様の慶子様でした。

この日、私達の為に、宮崎から飛行機で出迎えに来て戴き、本当に感激しました。有留様は、今回私達の為に、ホームページを作って下さり、長崎出発の日から、ゴールの東京まで、ホームページに、私達の活動を書いてくださり、多くの人に見て戴く事が出来ました。

そんな、支えをしてくださった有留様ご夫妻が、忙しい中、応援に駆けつけて下さったのです。本当に嬉しいゴールでした。

三日前の、二人だけの東京到着とはまったく様子が違い、涙と、感動のゴールインでした。

また、新聞社の記者の人も私達の到着を待って戴き、翌日の新聞で掲載して戴きました。

勿論、MXテレビの坂本知子様の顔もありました。

夜6時、全重協主催の慰労会を新橋の中華料理店でして戴きました。

主催者の大山会長様や、全重協の加藤孝相談役様、全重協の事務局の皆様、そして、姫路の乾美明様、佐賀の上田清美様も出席して戴き、本当に嬉しい慰労会でした。

午後8時、慰労会も終わり、九州から出迎えに来て下さった有留様ご夫妻や、佐賀から来てくれた娘や孫、そして大阪から来てくれた妹や、妹の娘夫婦などの待つ、新宿の居酒屋にタクシーで移動して、慰労会に出席しました。

この席にも、撮影の為に、MXテレビの坂本様が取材にきて下さり、慰労会の様子や、娘のインタビューなどして下さいました。

夜10時、慰労会も終わり、みんなでホテルに帰りました。

有留様ご夫妻も、妹も、娘も、孫も、かどやホテルに泊まりました。

10日前、有留様は、ここのホテルに、インターネットで宿泊の予約をしておられました。

勿論、私に内緒です。

いつも、私達のホテルの予約は、その日か、せいぜい前日と決まっていましたが、東京だけは、乳母車を送ったり、NHKにお届けする署名などを送る都合で、10日前に決めており、メールで有留様の所へ知らせていました。

有留様は、当日、私達をびっくりさせようと思い、宿泊の予約を内緒にしていたようです。

ところが、私はその事は知っていました。

何故か、そんな気がして、ホテルの予約のかかりの人に聞いて、こられる事は知っていましたが、騙されたふりをしていました。

「きつね」と「たぬき」のばかし合いでした。

そんな、嬉しくて、楽しい、感動の一日が終わりました。

[宿泊地 東京都 かどやホテル]

 

4月17日は、一日、ホテルにいました。

明日18日、東京日本橋到着の準備と、NHKに持参する紅白出場の署名の区分け、コピーと、いろいろ、到着の準備をしていました。

また、ゴールの日本橋に取材に来ていただきたいと思い、各新聞社やテレビ局へ、だめ押しの電話をかけまくりました。

夜8時、東京MXテレビの坂本さんが、ホテルまで取材に来てくださいました。

この日の取材は、ゴール前日の私達夫婦の思いと、妻が私の足をマッサージしてくれているシーンをとる為に、わざわざ新宿まできてくださいました。

MXテレビの坂本さんは、二ヶ月前に、東京・京王プラザに唄いに来た時から今日まで、三回も取材にきて下さり、本当に素晴らしい内容の番組を作ってくださいました。

勿論、その翌日も、その翌日も、取材に来てくださいました。

また、この日の夜、佐賀のお友達の上田清美さんが、私達を激励する為に、九州から来てくださり、同じホテルに泊まられました。

上田さんは、翌日の日本橋での出迎えにも、翌々日のNHK放送センターへも来てくださいました。

[宿泊地 東京都 かどやホテル]