翌日、大阪から応援にきてくれた妹、そして、娘の美香、孫の瑞穂、真輝と6人で、新幹線で、帰りました。大阪の妹は、新大阪で下車してお別れしました。

夜10時、JRの武雄駅に到着しました。

外は、どしゃ降りの強い雨が降っていましたが、武雄温泉駅まで、嬉野の中島利允様が迎えに来てくださったので、本当に助かりました。

武雄から、車で約20分、ようやく我が家に戻ってきました。

すると、我が家の玄関の前に嬉野町のカラオケ同好会の相良さん、小野原さんご夫妻、三根さんが、拍手で出迎えて下さいました。お祝いにお酒を持参してくださいました。

本当にびっくりしました。

また、家に入ると、久留米から友人の井手宏一様ご夫妻が、お友達と三人で、かけつけてくださり、思わぬ、慰労会をして頂きました。

1月に家をでて、96日目の帰宅でした。

この瞬間に、私達夫婦の二人三脚の歩く旅が終わりました。

でも、ここからが、本当の旅のスタートです。私達には紅白という、雲をつかむ様な、とてつもない夢への旅は出れるまで、永遠に、果てしなく続いております。

翌、4月21日は、佐賀総合グランドで、佐賀県の勤労障害者の運動会があり、私達も出席しました。

午前中のプログラムが全ておわったところで、歌とご挨拶をさせて頂きました。

また、受付では、紅白出場の署名コーナも作っていただき、参加者、全員の署名を頂く事ができました。

翌4月22日は、佐賀県知事[井本勇様]への帰郷報告で、佐賀県庁に行きました。

知事の井本勇様は、心の温かい人で、出発の時も、県庁で、出発式をしてくださり、私達に心からの応援をして頂いております。

井本知事は、無事に帰ってきた、私達の肩を抱いてくれて、心からの労いの言葉をかけてくださいました。

本当に、嬉しく、井本知事に、そして、回りで支えてくださった県庁の皆様に、心からの感謝を申し上げます。

当日は、サガテレビ様、そしてFBS福岡放送様の取材もあり、その日の夜のニュースで放送して頂きました。

また、新聞社の方も取材して頂き、翌日の新聞で掲載され、各地で応援をして頂いた方に、帰郷の報告ができました。

翌、4月23日は、地元、嬉野町の谷口町長様への帰郷報告で、嬉野役場に行きました。

町長室には、顔見知りの新聞記者の人が取材に来て頂き、労いの言葉をかけてくださいました。しばらくすると、谷口町長様と、役場の職員様が、町長室に入ってこられ、帰郷の報告をさせていただきました。

谷口町長様も、私達の元気な顔を見て、心から喜んでくださり、労いの言葉をかけてくださいました。

また、今回の夫婦旅を認めて頂き、嬉野町より、町民賞を頂く事ができました。

本当に、思わぬプレゼントに、感激致しました。

今回、頂いた町民賞は、私達家族にとって、本当に嬉しい受賞でした。

なぜなら、四年前に、長男、伸資が、町のPRの為に、はじめた、ボランティアのちんどん屋さんが、きっかけとなり、たくさんの人に支えられ、応援して頂いたおかげです。

こんな、嬉しい思いと、たくさんの応援を頂き、長崎・東京、夫婦二人三脚の旅が終わりました。出会って言葉を交わした人々の多くは、私達の姿を見て「本当にいい夫婦ですね、世界一ですよ」と言って下さいました。このお言葉は、私達夫婦に取りまして、とても有り難い、嬉しいお言葉でした。この長い旅で得た金糸勲章にも勝る嬉しい・嬉しいお言葉でした。私達の夢に御賛同して下さいました全国各地の皆々様、本当にお世話になりました。お礼状の行き届いていない事も多田あるかと存じます。

歩きの旅の為、皆様から頂きました名刺や資料等、出来るだけ早く、旅先から我が家へと送り続けており、保管も出来ていると想っておりましたが、行き違いや、保管場所の移動等により、私達の記憶の中には残っていてもメモが無くなっていたりして、連絡のつかないものもございます。本当に申し訳のない事だと、反省の念で深く深くお詫び申し上げます。