絵本です。そもそもは、2001年にアカデミー賞短編アニメーション賞を受賞した、ショートフィルムだったようです。ご存知の方がいるかもしれませんね。

それが絵本にまとめられているもので、本屋でふと目にとまって買ってしまいました。
幼い娘を置いて、岸辺からボートに乗って行ってしまったまま戻ることはなかった父。そこから話は始まります。短編なのであまりここでは語れませんが、人の気持ちはずっと残っていくという切ないけれど、誰もが持っているであろう感情を綴った物語です。絵はシンプルだけど、切なさが伝わってくるいい絵です。

DVDが出ているようです。映像でもみたいなと思いました。
ちなみに、今月18日から新宿の「テアトルタイムズスクエア」で上映しているようです。ご興味のある方は是非。
ただの日記ですが。
個人事業としてカウンセリングサイトをオープンさせて今日で丸2ヶ月がたちました。まだ大々的にPRをしているわけではなくて、口コミベースでやっているのですが、いろんな人が訪れてきてくれていて嬉しい限りです。

そもそもは「カウンセリングを身近なものにして、日々たまりがちなストレスを溜め込まずに吐き出す助けをする」というのを目的にこの事業を始めました。2ヶ月たってみて、やっぱり自分はこういうのが好きだし向いているんだなあと思うこの頃です。

来年にはカフェでも作ってそこでカウンセリングができるようなより気軽なスペースを作りたい、それが僕の来年の目標です。



昔から音楽を編集することが好きです。昔はCDを借りてきてカセットに取っていました。倍速なんてなかったから、2時間以上もコンポとにらめっこしてたりして。今はPCに取り込んでCD-Rに焼き付けることができるのですごく楽になりました。

『Love history』を読んでいたら、最近音楽を取ってないなあと思って、何かがのりうつったかのようにPCに音楽を取り込みました。しばらくは音楽を聴きながら仕事をすることになりそうです。

PCには昔取り込んだ曲も結構入っていて、それが流れてくると【音楽でその当時のことを思い出す】ということを実感します。すごく鮮明に、はっきりと。体ごとタイムスリップはしてくれませんが、こころは当時にタイムスリップしてるのでしょうね。その当時の気持ちでこころの中がいっぱいになってしまう。未だに聞くのが辛い曲もありますもんね。

今取り込んだ音楽が、今のこころの中に入り込んで、また引き出しにしまわれていく。ふだんはすぐにこころの中がいっぱいいっぱいになったりするのに、音楽や香りをしまいこむ引き出しというのはすごく大きいんだろうなあ、と思った一日でした。
京都のイチョウって、東京のとは違っていて、ちっちゃくて「ひとで」のような形をしていますよね。今日朝起きて窓を開けたら、すぐそばにそんな京都のイチョウがあるのに気づきました。しかも秋を感じさせるぐらいまだ真っ赤。なんだかこころが一瞬京都に飛んでいった気がしました。

こんなにすぐそばなのに今まで気づきませんでした。近くにありすぎて気づかないことって結構あるのかもしれませんね。

先に「2」から読んでしまって、続けざまに「1」を買って読みました。

思い出の音楽とともに思い出の場所にタイムスリップする、それは2と同様。1では、結婚式を前日に控えた由希子が、これまでの恋の思い出の品を山に捨てに行くところからはじまります。途中で事故を起こしてしまい、それをきっかけにタイムスリップの旅が始まる。これまでの恋愛の時代に流れていた音楽を聴くとその時代に飛んでいきながら、全ての時代を旅していきます。

そのときに初めて気づいた、本当に自分にとって大事な人。過去を変えてしまうと現在も変わるし未来も変わっていく。今に戻るべきかここで未来を変えてしまうか・・・。

【もし『昔の恋』に戻れるなら、あなたはどの恋にめぐり合いたいですか?】というサブタイトルがついています。【思い出】って何なのか、【今を生きる】ってどういうことなのか、考えてしまう、そんな本です。

人間は打算の中で生きています。世間一般で【汚い】といわれる部分を持って生きています。ちょっとカウンセラーらしくないことを言っていますが、それは事実です。

この部分を持っていることに対して、人は罪悪感を持ちがち。持っていてはいけないもののように感じて、外では綺麗な部分を見せようとしがち。
あるいは、自分の理想があったときに、打算の部分と天秤にかけて、打算をとってしまったりする。そんなときに自己嫌悪に陥るときがある。

このギャップにすごく苦しんでしまいすぎると、こころが弱ってしまう。自分で自分のこころを傷つけてしまって、自分の存在を否定してしまう。リストカットは自分の体を傷つけてしまう行為ですが、実は体じゃなくてこころを傷つけているんだと思います。

皆打算の中で生きています。嫉妬やねたみといった感情は皆持っています。それを外に出さないだけ。生きていくためにはそれが必要なときもある。でも打算から離れた行動を取ることだってある。だからそれで自分を傷つけることはない。もしそのときの自分の行動が本当に嫌だったとしたら、次に違う行動をとればいい。

ただ、違う面でこころを傷つけてしまうことがひとつ。打算の中で割り切って行動しているつもりでも、こころの中の感情とのギャップが大きいとき、本当にしたいことを抑えているとき、だんだん疲れてくる。こころの感情を押さえ込むのには結構なパワーがいるからね。罪悪感をもって自分を責めすぎることはしなくていいけど、疲れてきている自分を感じたら、その感情を解放してあげる方法を考えよう。それはこころのSOSだからね。

音楽とそれを聞いていた頃の思い出はこころの中でセットになっている。思い出は普段は記憶の引き出しの中にしまわれているけど、音楽は鍵になっていて、ふとしたときに鍵を開けてそのときの思い出を引っ張りだしてしまう。その音楽を聴いた瞬間に彼氏との思い出、楽しかったこと、悲しかったことがまるでそのときに戻ったかのようにこころに浮かんでくるのはそんなとき。この小説は、そんな【音楽】と【思い出】をテーマにした物語が3篇書かれています。

そのときの彼氏や彼女といっしょに聴いていた音楽が流れた瞬間に、思い出だけじゃなくて、そのときにタイムスリップしてしまう。たとえば9年前の自分に。そして、微妙にそのときに起こったことと変わったことが起きたりする。でも、それって微妙な変化だけ・・・。

前に、「大事な人に対する想い」はこころの中にずっと残るという話をしました。【香り】もそうですが、ちょっとしたきっかけでそれが表に出てしまう。その戸惑いや迷いが書かれている小説です。2000年に『Love History』が出ているようですね。これも買って読もうと思いました。

タイムスリップというと、評判の『今、会いにゆきます』を思い出しますが、ちょっとタッチが違って面白いですよ。
昨日は久しぶりに音楽を聴きながら仕事をしていました。昔はよくそうしていたのですが、最近はそれをしていなかったことに気がつきました。こころの余裕がないのかもしれないなと思ったりして。

以前【香り】が記憶を呼び起こすという話をしたかと思いますが、【音楽】もそうですよね。なんだかそれを聴いていた頃のことが次々と鮮明に浮かんできました。出来事とセットになって記憶の引き出しに入っているのでしょうね。

昨日本屋で目に留まって買った本で、『Love History2』という本があります。今読んでいる最中なのでまた改めて紹介をしようと思いますが、このテーマが【音楽】と【記憶】。ふと流れた音楽が昔の記憶を呼び起こし、その時代にタイムスリップしてしまうという話のようです。

昨日はそんなことを考えさせられる一日でした。
いい話です。両親から捨てられるように祖父母に預けられてから、人を信じることのできない大学生の慎一が唯一恋愛感情を持っていた高校時代の先生「夏姫」と6年ぶりに偶然に再開し恋人同士となる。慎一は本当に人を好きになることを知るが、その一方で夏姫には歩太という男の影があって、そこでの恋愛感情からくる嫉妬が生まれる。信じていいのか、やっぱり信じてはいけないのか、その狭間で思い悩む。

そして3人に共通しているのが、身近な人の【死】に対して残ってしまったある【思い】。取り返すことができないだけに、こころの中にはずっと残り続けていて、それが【こころの傷】となっている。

「誰に何を言われても消えない後悔なら、自分で一生抱えていくしかない」という言葉が出てきます。すごく印象に残りました。

嫉妬や後悔といった、人間の【暗い部分】が切々と書かれているのだけど、なにかこう、すごく身近な感じがしてすらすらと読めてしまいました。本当に好きだからこそ出てきてしまう理不尽な感情と態度。それがすごくいい感じで書かれています。『君に会いにゆきます』の市川拓司とはまた違ったタイプですが、これも頭の中に映像が浮かんでくる、そんな小説です。是非。
最近、訳あってペットショップによく行きます。これまではほとんど行ったことがなかったのですが、子犬を見るとすごく欲しくなる自分がいて、なんだか最近犬を飼う人が増えている理由が分かるような気がしました。本当にかわいいですよね。僕は犬を飼ったことがないし、飼おうと思ったこともありませんでした。でもふと子供のころの体験を思い出して、その理由が分かってしまいました。

犬は飼ったことはないのですが、小学校3年生ぐらいの頃、1ヶ月だけ近所の子犬を預かったことがあります。食事とか、散歩が僕の担当だったように記憶しています。すごくなついてくれて、僕は彼がかわいくて仕方がなく、いつもいっしょにいました。
あるとき元気がなくてご飯を全然食べなくなったときがあって、僕はずっと彼に向かって「ご飯食べないと病気になっちゃうよ。」とか話しかけていました。そうしたら、それが伝わったのか、目の前で食べてくれたんです。もう飛び上がるぐらい嬉しくて嬉しくて、その話を一日中何度も親に話をして、親がうんざりしていたのを覚えています。

1ヶ月がたって、彼を引き取りに来たときはすごく悲しくて、玄関の前で泣きそうにしてました。ずっと母親の後ろに隠れて彼を見ていた。そうしたら、彼が突然僕に向かって吠え出した。普段ほえることなんてないのに。こちらに飛びついてきそうなぐらい暴れだした。僕は正直怖くなって泣いてしまいました。飼い主さんは戸惑ってやめさせようとしたけど、彼はずっと吠え続けていました。僕はもう怖くて怖くて、嫌われたと思って悲しくて悲しくて、ずっと泣いていたように思います。その後、彼がいる家の前を通っても、遊びに行ってもほえるんですよ。二度と近寄れなくなってしまいました。だから、家で彼を引き渡したときが本当に「さようなら」になってしまいました。

今となっては、彼は愛情表現として、彼も別れが寂しくて吠えたのではないかな、通りすがったときに、嬉しくて吠えたのではないかなと思います。でも、そのときは本当に怖くて悲しかったんです。何か裏切られたような気がして。今でも犬にあまり近づかないのは、それがトラウマになってるのでしょう。ペットショップの犬を見ながら、そんなことを思い出し、でも犬が好きだった、いや、今でも好きな自分に気づいてしまいました。

なんだかこのままペットショップ周りをしていると、いつのまにか犬を飼っていそうな自分が怖い今日この頃です。