パソコンの先生と呼ばれるような人も、パソコンに関する全ての知識を持っているわけではないはずだ。例えば、自分が見たこともないソフトの使い方までは知らないだろう。しかし、そういう未知のソフトに関する質問をしても、「先生」はすぐに適切な答えを返してくれる。なぜだろうか。
それは、パソコンに関する「一般的な使い方」を知っているからだ。例えば、画面上のデータなどをコピーするための操作は、「編集」というメニューの中にある「コピー」というメニューを選ぶ。このような操作方法は、多くのアプリケーションが採用しているので、「一般的な使い方」だといっていいだろう。
「一般的な使い方」を知っていれば、未知のソフトでも、使い方の「見当」をつけることができる。言い換えれば、「パソコンの先生」は、調べ方をよく知っているということだ。
こうした「一般的な使い方」に関する知識は、自分でいろいろなソフトを使っている間に、自然に身についていくものである。今は「パソコンの生徒」でも、これから色々なソフトを沢山使っていけば、いつかは「先生」になれる日が来るはずだ。
ただし、こうした知識には、「通用する範囲」というものがある。例えば、OS などの環境が違ってくると、通用しなくなるようなものも多い。「文化」に例えるならば、「文化圏」と言ってもいいかもしれない。
例えば、Windows の文化で育った「先生」は、UNIX の vi エディタの使い方を、誰かに教えることはできないだろう。あるいは、Macintosh というパソコンに右クリックがないことに戸惑いを覚えるかもしれない。
また、同じ文化圏のソフトであっても、独自の操作方法(ユーザー・インターフェース)を持っているようなものについては、「パソコンの先生」といえども、使い方の見当をつけることが難しくなってしまう。
たまに、フリーソフトなどでは、そういった「先生泣かせ」のソフトを見かけることがある。ユーザー・インターフェース以外の機能が優れているときには、非常に残念な思いをするものだ。
また、「一般的な使い方」としての機能が欠けているというケースも多い。例えば、「ESC キーでダイアログを閉じる」というのは、一般的な使い方だと思うが、それができないソフトがある。もちろん、「閉じる」というボタンや「×」ボタンで閉じることはできるのだが、いつも ESC キーでダイアログを閉じているユーザーは、ストレスを感じるものである。
ソフトを開発する側の人間への教訓としては、ユーザー・インターフェースは、なるべくその「文化」に合わせたような設計をするほうがよい、ということであろう。もちろん、そのソフトの用途によっては、特殊な操作のほうがよい場合もある。しかし、特に理由がないのであれば、「一般的な使い方」に合わせたほうが、多くの人に使いやすいものになるのは確かだろう。
プロの開発者であれば、一般のパソコン先生のように自然に「文化」を体得するだけでなく、「一般的な使い方」にはどんなものがあるのか、自分から積極的に調べておくくらいのほうがよいだろう。
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