和敬清寂 ~書かぬが仏~

和敬清寂 ~書かぬが仏~

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 悪の限りを尽くす統一教会に対して「いつか酷い目に遭うぞ」と警告の記事を書いてきましたが、貪欲な幹部に洗脳され騙されてきた事に気づかず今なお苦しみ続ける末端の信者が多いです。その方たちが一刻も早く救われますように。
 ※統一教会は金の亡者で韓国・朝鮮を礼賛する邪教の集団と化しました。入ったが最後、永久に続く高額献金で財産を奪われ酷い目に遭います。

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我が家で家庭礼拝の題材に映画やアニメ、漫画を題材として時々使います。


小中学生の我が子にはまだ早いけど、いろいろと考えさせるのも良いかと思い、取り上げたものをご紹介いたします。


もっと評価されて良いアニメランキングにいつも上位に上がってくる、知られざる名作、カレイドスタ ーというサーカスを舞台とした物語です。

カレイドスター


サーカスといっても、昭和の古き良き時代の動物の調教や曲芸を見せるものとは違って、 従来のサーカスに映画、演劇やバレエの要素など組み合わせ、大がかりな仕掛けを擁した、「カレイドステージ」という名の総合芸術です。


実在するサーカス団をモチーフとしたこのアニメは、カレイドステージのスターを目指す少女が成長していくサクセスストーリーで、大人にも十分見応えのあるアニメ作品です。


カレイドスター 第15話「歌姫の すごい 愛」
(ストーリー) ※完全ネタバレ注意


カレイドステージで歌姫として人気のある美人歌手のサラさん。


そこに腕利きの音楽プロデューサーとして有名になった旧友がやってきて、「サラを世界に売り出したい」とスカウトに来ます。


サラは泣きながら走っていく。カレイドステージのオーナーが「サラはもう必要ない」と言ったのが原因だった。


昔、オーナーはマジシャンを目指し、サラは世界的な歌手を目指し、再会したプロデューサーと3人でお互いを励まし合っていた深い仲だった。


オーナーはケガが元でマジシャンの夢をあきらめカレイドステージを作った。その時、サラはオーナーの元で歌うことに決めた。


サラはここで歌うことが好きだし、共にステージに立つメンバーも気に入っていて、必要とされているから頑張ってきたが、もう必要じゃないと言われた事にショックを受けて泣いていた。やがて荷物をまとめ出すサラ。


団員の1人がオーナーに問いただすが、「サラは必要ない」の一点張り。さらに「サラは10年間、勝手についてきただけだ」の冷たい言葉。

団員達はみな一様に、オーナーは厳しいけど心は優しい人だと思っていたのに、裏切られた気分だった。


実はオーナーは、サラの世界的な歌手になる夢を諦めさせた事で自分自身を悔いていた。カレイドステージにとって無くてはならない存在となったサラに、すっかり頼り切っている自分を嫌悪しながら。


旧友が実力をつけて世界的プロデューサーとして目の前に現れたとき、サラを彼に預けて夢を手に入れさせる機会が巡ってきて、ようやく彼女を手放す決心がつき、あえて憎まれ役となってサラを追い出そうとしたのだった。


物語は団員の1人が「絶対に漏らさないこと」を条件にオーナーの本心を聞き出し、終局へ。



このストーリーは、誰かが本心を聞き出したからよかったものの、もしオーナーが本心を最後まで語らず、サラは悲しみながらも世界的スターへの道を駆け上っていたとしたら。


皆がサラを祝福すると同時に、サラを「ついてきただけだ」と突っぱねたオーナーはサラを追い出した酷い人だと思われ続けたかも知れません。

サラも捨てられたという思いを膨らませ、「若い頃は良い人だったのに」、と後悔の念を抱いたかも知れません。


しかし、ある時ふと気づくでしょう。

あの時、私を捨てたのは私のためだったのではないか、と。

それに気づいたときにはオーナーは既にこの世を去っていた・・・・・・なんて。



オーナーの語った言葉、冷たくあしらったその姿だけで判断する限り、オーナーの本心は見えません。ただ捨てただけ、冷たかっただけという表面的な事実があるのみです。


ここで、サラが「彼は私を愛してくれているに違いない」と確信し、彼の目線で物事を捉えていたとしたら、どうでしょう。

「冷たい態度を取っているのは、私が昔抱いていた夢を掴むチャンスを与えるために敢えてそうしているのだ」と気づいたはずです。


親が心を鬼にして子に厳しくするのも、親の立場になって初めて気づきますが、親を信頼する気持ちが強い子ほど親を恨まずに親の真意がわかるものです。


信仰者である私たちが試練を受け一歩も先へ進めない時や、酷い環境に置かれたり、大きな悲しみにうちひしがれたりした時、表面的事実を見るだけでは神様の本心は分かりません。


メシヤが語った言葉、御言を調べ尽くしたとしても、それは同じ。


神様の立場に立って、その事情を自らのものとして初めて、書かれていない神の本心や真実を悟る事ができます。


そういう事をしない人は、「神はいない」「偽メシヤだ」「メシヤも人間で間違いもあるんだ」という結論に陥って、メシアの価値という根本命題に対する認識を狂わせています。


統一教会の信者には、そういう間違った認識を持ってしまっている人が非常に多く、ネットでの議論がそんな無駄な事に費やされているようです。



オーナーの冷たさに団員達が裏切られた気分に浸ったり、サラが悲しむばかりでいたのと同じ。

オーナーのサラのためを思う愛情に気づかないのと同じ。


神様の事情から出発しない人は、現実の厳しさ、辛さも、神様が愛するゆえにそうされている真実や、「どこにも書いていない神様の隠された本心」を知る事は永久に出来ません。



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マンガ:田渕由美子「夏からの手紙」より



敢えてコメントしません。お読みになられた方が、ご自身で思いを巡らせて下さい。
民族・・国家・・・個人・・etc.



(蛇足)
※田渕由美子さん-----1970年代の乙女チック少女漫画家。
陸奥A子、太刀掛秀子、高橋由香利などと共に昭和の一時代を築いた漫画家の一人です。一般的に「乙女チックラブコメ」と呼ばれますが、お互いの神性に惹かれるような創造本然的な男女の恋愛物語が多い。

1980年代に入ると徐々にそういった少女趣味が薄れ、それぞれの作家の作風にも不幸な設定や悲しい結末などが描かれるようになり、
乙女チックな作風が廃れていきました。現在は、かつての乙女チック少女漫画の香りのする世界は完全に消滅してしまったと思います。


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ひさしぶりにブログを再開しようと思います。

記事アップは不定期になると思いますが、ランキングサイトへの登録など、今のところは何も考えておりません。


手厳しい警告ばかり続けていましたが、今はまた新たな段階に入ったような気がいたします。


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ここでやる事は終わったんで、そろそろ、行くわ。

じゃぁ、な。



((読者の皆様へ))
もはや統一教会は死んだも同然となり、当初の目的を達したので、ブログ村統一教会のカテゴリーから去ることにしました。

2月から8ヶ月の短い期間でしたが、多くの方々の応援をいただき、学ぶ事も多く、とても充実していました。皆様、本当にありがとうございまし た。土下座1


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世界の動きを見ていると、今まで続いてきた世の中が逆回転しだしているように思えてならない。

まず、スコットランドは英国から独立できなかったが、彼らは自治権の拡大という願ってもない権利を得た。税制など制度上の様々な制約が緩和され、様々な権限を得る事が既に決まっている。長年イングランドと対立してきたアイルランドが独立に動くのも時間の問題だろう。


スコットランドの一件は、結果的に民族の独立運動は失うものは何もなく、得るものが大きいと世界に知らせる事となり、虐げられてきた民族が独立しようとする動きは今後ますます加速していくのは明らかだ。

独立機運高まる

関西テレビ、スーパーニュースアンカーより



こうした動きと並行して、弱まる事がない中国のウイグル人による抵抗運動や、ISIS(イスラム国という名のイスラム勢力)をはじめとするイスラム世界の動き、ウクライナを巡るロシアと欧米の関係など、弱い勢力が強い勢力に支配されてきた歴史を覆そうとしているかのようだ。


2003年、米国はイラク戦争を引き起こしフセイン大統領を処刑したが、フセインは中東に近代的なイスラム世界を作るためにイスラム原理主義を抑えようとしていたのだ。そういう指導者を殺害した米国は中東の近代化を一層遅らせ、危険なイスラム原理主義を蔓延させた張本人である。


2010年には「アラブの春」などと言う、チュニジア、エジプトなどの反体制運動を仕掛けたのも欧米人で、結果的に良識的な指導者が追い出されてムスリム同胞団によるイスラム原理主義勢力が台頭して、現地の人々は余計に苦しむ事になった。(チュニジアのベン・アリ大統領は国民への高等教育に熱心で発展の前段階まで行っていたのに・・)

(参考)
240.テロリストにしたのは誰だ!【正義を装う者こそ偽物:IRAアイルランド・ウイグル】
http://ameblo.jp/arashi-toranosuke/entry-11862997831.html


そして今、オバマ政権の米国が再び同じイラクに介入し、現地では平和をもたらすために来たと宣伝しているらしいが、現地の人々はイラク戦争の後始末を途中で放ったらかしにされたのを覚えているため簡単に米国を信用するわけがない。


米国のせいで中東全体が再び大混乱に陥っているだけではなく、今回はISISの中東以外から来た構成員がそれぞれの国に帰ってテロを起こす「帰国テロ」を起こす危険性が日に日に高まっており、青山繁晴氏によると防ぐ事は非常に難しいらしい。今の中東の紛争が火種となって世界を一気に転覆させる可能性がある。


欧米の金融勢力はイスラム移民の大量受け入れによって、一般人の所得を減らして莫大な利益を貪ってきたが、それが今度はイスラムによって自分達に危機が降りかかってきたブーメラン現象でもある。


話は飛ぶが、ISISによる米国人記者殺害動画がヤラセで、その証拠を挙げている記事を紹介する。

シャンティ・フーラの時事ブログ:
[ジム・ストーン氏]ISISによる米国人記者の“やらせ”斬首動画を検証

http://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=73244


---一部抜粋------


証拠
1.フォーリー記者は動画で所々、笑顔。
2.処刑者役のテロリストが【きちんとした】イギリス英語で話している。
3.ナイフで首を数回切りつけ始めたのに、血が全然出ない【※生きた人間の首には太い血管が通っており、血が大量に噴き出し、あちこち飛び散るのが普通】。
4.その後、完全に首をかっきる部分の映像が都合良くカットされている。
5.動画では最後にいきなり胴体と頭が切り離された映像が現れるが、周囲の砂に血は飛び散っていない(←バケツで胴体の下に多少、血糊を撒いただけっぽい)。しかも、あんな小さなナイフで一体どうやってのけたのか、ものすご~く見事に切断されている。

結論
あまりにお粗末な作りの動画なため、イギリスの警察は閲覧を禁止し「動画を見ること自体がテロ行為である」と宣言せざるを得なかったのだろう。

●読者からの追加指摘 
フォーリーの死体の前腕に体毛がないんですけ ど…右足の方はプラスチック的なテカり具合だしw

ストーン氏の返答 
加えて日焼け具合も変。少なくとも手は顔と同じ位、日に焼けている筈では?おそらく顔の方はハリウッドの技術で作ったが、胴体は心肺蘇生練習用の人形で済ませたのだろう。普通のマネキンよりは質感や体勢などが自然になるが、シリコン肌と色合いでミスったと思われる。

---抜粋終わり-----

それを裏付けるようにこういう画像もあります。

映画でよくある手法ですね。映画関係者に協力者がいるかも。


彼らは当初は、欧米はこれ以上介入するなと警告したかっただけで、人を殺す事が目的ではなかったのだろう。彼らが本当に残虐な人間の集まりだったら、わざわざこんな事はしないで殺しまくっている。

欧米メディアや日本のメディアがしきりにISISを危険なテロリストだと騒いでいるが、凶暴で何をやらかすかわからないイスラム原理主義者と彼らとは明らかに違う印象を受ける。

イスラム原理主義者が異教徒を皆殺しにしようとするのとは違って、ISISはフセインが目指したような近代化や彼らの真の独立を目指す事が第一の動機だったように思える。


しかし、欧米がISISの警告を聞き入れず、警告をISISの凶暴さの宣伝に利用して空爆の口実に使っており、さらに欧米が中東に介入し続けている以上は、本当に欧米人の殺害を実行に移すしかない。

フランス人が殺害されたのは、ISISの警告を無視した欧米各国の責任という事になる。今後はもっと被害がでるだろう。今や弱者が強者に対して牙を剥き、強者が恐れおののいているようにも見える。


また、欧州各国も足並みが乱れ、外交に弱いオバマ大統領の意見を聞く者はなく、オバマの要望を度々裏切って自国の中東における利益確保に走っており、中東の欧米寄りの国々も欧米が自分達の利益しか考えない事を承知の上で動いている。

米軍は地上部隊を投入しなければ紛争は終わらないと主張しており(地上部隊投入は全面戦争を意味する)シリア・ISISの収拾は並大抵の事ではない。実際に追い詰められているのはオバマである。


そうこうしているうちに、ISISが世界に放ったテロリストによって世界大パニックになればUN(国連)を中心とする第2次大戦後の秩序そのものの崩壊に繋がる大変動が起こる事は必至だ。それは、見方を変えれば、「悪い者が支配してきた悪主権の世界」の終わりが現実のものとなった、ということになるのだろう。



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敗戦後、GHQによる占領下にあった日本。米軍兵士達が日本上陸後の1週間で米兵による日本人への殺傷事件が800件発生した。日本女性への強姦事件は10日間で1336件、1ヶ月で3,500件以上発生したが報道は禁止された。


第2次大戦時の欧州では米兵によるレイプ被害者は14,000人。沖縄では10,000人の女性が被害にあったとする米国側の資料がある。米国は慰安所設置を認めなかったため、戦地の女性が強姦されまくったが、それでも米軍兵士は他の軍隊の中ではマシなほうだと言われる。


昨今、慰安婦問題が日本を叩く材料として取り上げられ、そこで働いた女性達を性奴隷だと揶揄する建前論が横行しているが、あまりにも現実を無視しすぎている。

命が掛かった戦いの場に出る兵士達が、生存本能・動物的本能・性欲を異様に昂進させるのは現実だ。それを建前論で「兵士であっても聖人君子であれ」というのは現実無視の戯れ言でしかない。

慰安所を設置しなかった軍人による戦地女性へのレイプ事件は跡を絶たず、韓国兵がベトナム戦争時に現地の女性を強姦しまくりライダイハンと呼ばれるベトナム人と韓国人との混血児が1万人以上いると言われる。

軍隊内部でも男性兵士どおしの強姦事件や、女性兵士へのレイプ事件も多い。(一説によると女性兵士の8割がレイプの被害にあっているらしい)


■体を張って若い日本女性の貞操を守った聖女たち

特殊慰安施設協会(RAA):敗戦後の日本で、連合国軍(GHQ)占領下に作られた同軍兵士の相手をする売春婦(慰安婦)がいた慰安所があった。


進駐軍慰安所

安浦ハウス



日本の若い女性の貞操を守るために、自らすすんで慰安所の募集に名乗り出た女性達が多かったと聞く。もちろんお金が目的の人もいただろう。しかし水商売の未経験者が多かった事から善意でそうした世界に飛び込んだ女性達が多かった事がわかる。

ところが集まった女性達の絶対数が少なすぎた。米軍兵士が頻繁に強姦事件を起こすも、占領下にあった日本の警察は無力化され十分な摘発など出来るはずがなかったのだから。

GHQが共産主義者や過激派を出獄させたため国内に騒乱が多発し、朝鮮人が戦勝国気取りで日本人への暴行・強姦事件を度々起こしたため国内の治安が一気に乱れる一方だったのだ。ソ連のスパイの巣窟だったGHQは日本を共産主義国にするための組織だった。

日本の危機的状況を目の当たりにし、あえて慰安所で働きに出る事を選んだ女性達は、私には聖人、聖女のように思えてならない。


また過去記事
6.慰安婦が性奴隷でない完全な証拠はこれだ!
http://ameblo.jp/arashi-toranosuke/entry-11767950068.html

この記事で日本軍の慰安婦たちの写真を掲載した。


笑顔ですね。楽しそうです。

笑顔の慰安婦



笑顔がかわいい! キュートだ!これが性奴隷ですかね?

かわいい慰安婦


また米国国立公文書館に残されている米国の公式文書によると

・慰安婦は強制ではなく志願して雇用されたもの。
・彼女たちは大金を持って楽しんでいて、洋服や化粧品や他にも自分達のためのものを買う事ができ、街にも出かけて、借金を返したら帰れた。
・日本軍の兵士達とスポーツやピクニック、娯楽や宴会をしたりしており、「日本の兵士との時間が足りなくて、すべての兵士達を迎え入れる事ができず、来てくれる兵士達みんなに奉仕できなくて残念だ」と言っていた。
---引用終わり---

彼女たちは戦場で傷ついた日本兵達を慰め、異様に昂進する性欲によって引き起こされる問題を彼女たちは体を張って未然に防ぎ、兵士達と共に戦っていたのだ。兵士と結婚した人もいる。


慰安婦は決して性奴隷ではないし、性は悪に利用されてはきたが、それは悪魔がそうしたのであって、性そのものは悪でも何でもない、神が与えた素晴らしいものなのだ。

性に関する職業には偏見が非常に多い。風俗産業に従事する方達を「社会のクズ」だの「淫乱で汚れた人々」のように見る事が世間一般の常識のようになっているが私はそうした見方を憎んでいる。

私の父方にも母方にも慰安婦や風俗産業に関わった女性達がいる。詳しい事は書かないが、世間や親類縁者の偏見によって結婚も出来ず、一生日陰の人生を歩んだ人や、偏見の目で見られる事によって家庭が壊れ家族の心に生涯消えない精神障害を残した人もいる。

彼女達を悲劇のどん底に落としたのは、世間一般常識の偏見であり、偏見が彼女たちの心を壊し殺したのだ。

建前論で安易に考えるべき問題ではない。

デリバリーシンデレラ


問題提起としてRAAに関する記事を紹介したい。


ねずさんのひとりごと:小町園の悲劇
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1189.html

日本がポツタム宣言を受託した。そして進駐軍を迎えるにあたって、時の東久邇(ひがしくに)内閣が、当時のお金で一億円という巨費を投じて開設した特殊慰安施設です。

そこで慰安婦は「Serving Ladies」、慰安所は「Sex House」と英訳された。

第一号店が開設されたのは、マッカーサーが厚木飛行場に降り立った日より2日早い、昭和20(1945)年8月28日のことです。場所は東京・品川の大森海岸の駅前の老舗料理屋「小町園」を改造して設置されました。

そこで何があったのか。

当時、この「小町園」で女中をしていた人の手記が残っています。以下にご紹介します。

戦争に負けるということ、他国に占領されるということが、どういうことなのか、以下の文で、すこしでもわかっていただけたら幸いに思います。それは、逆に言えば、いかに「国」というものが大切でありかけがえのないものであるか、といことの裏返しでもあります。

そしてもうひとつ。
東洋において、唯一、植民地奴隷になることを拒否し、国を守り抜いた先人たちが、戦後においても、ギリギリのところでこの国が崩壊するのを踏みとどまらせ、おかげで、今日の日本の繁栄がある。

私たちが、いま、こうして一定の生活ができるようになったのも、すべて先人たちのおかげである、ということをみんなで再確認したいと思うのです。

文章は、昭和20年代に書かれたものです。読みやすくなるように、現代文に編集しています。原文には、書いた人の記名がありますが、ここでは割愛します。あまりにかわいそうで悲惨だからです。

以下に引用します。

~~~~~~~~~~~

大森海岸の「小町園」といえば、いまの中年の御紳士方で、ずいぶんなつかしがる方がいらっしゃるのではないでしょうか。

戦前は、今のように、温泉マーク(注:ラブホテルのこと)が都内のあちこちにありませんでしたので、そういう場合にたちいたりますと、京浜国道をひと走り、大森の砂風呂へ行こうなんて、みなさん、よく大森海岸までいらっしゃいました。

小町園も、そういう目的のために建てられた、海に面した宮殿のような大きい料亭でございました。そういう戦前の、落ち着いた、奥ゆかしい小町園を知っている方に、終戦当時に小町園が描き出したあの、悪夢のような姿を、想像していただけるでしょうか。

現に、その光景を目にした私でさえ、今はウソのようで、これからお話することを誰も信じていただけないのではないかとおそれるのですが、でも、小町園の柱のひとつひとつ、壁の一面一面には、日本の娘の、貞操のしぶきが、流した血のあとが、しみついているはずなのです。



忘れもしません。終戦の年の、昭和20年8月22日でした。

ご主人が銀座の方へお出かけになって、かえっていらっしゃると間もなく、私たちのいる女中部屋の方へ、「ここがRAAの第一施設になるらしい」という噂が伝わってきました。女中部屋はそれを聞いて、ハチの巣をつついたような騒ぎになりました。

私には、そのRAAというのがわかりません。聞いてみると、特殊施設協会とかいって、政府と警察と、それから私たち業者などが一緒になって作っているお役所で、お金は政府が一億円も出しているということでした。

でも私たちが驚いたのは、まだ見たこともないアメリカ兵がここへ入ってくる、ということでした。そのRAAというのは、進駐軍を迎えてサービスをする施設だということですから。「それじゃ、毛唐(けとう)の慰安所じゃないか」と、みんなびっくりしました。

その頃はまだ、パンパンという言葉もなく、アメリカ兵は「鬼畜米英」などと新聞に書かれ、私たちも素直にそれを信じて、アメリカ兵は人肉を食うなどと思っていたのですから、皆の不安も無理ありませんでした。

しかし、あとの騒ぎをいま振り返ってみますと、アメリカ兵は人肉こそ食べなかったけれど、それを同じことをした、と思わずにはいられません。

RAAの施設には、はじめ、日本橋の三越があてられる予定だったそうですが、さすがに三越側で承知しないので、大森海岸の料亭ということになり、悟空林や楽々が挺身隊の寮として荒らされているところから、うちに決まったという話でした。

その話が伝わった翌日には、なんと大工さんが50人もやってきて、昼も夜もぶっつづけで、こわれたところや、いたんだ箇所を直しはじめました。

さあ大変です。いよいよアメさんがくるのが本当だとわかると、女中の中にはひまをもらって、辞めていく人もあるし、毒薬を懐にして、いざとなったらこれを飲んで死んでやるといきまく者もいます。

私も家さえあれば、逃げて行きたいところですが、家は焼けて住むところさえありません。それで、ええ、ままよ、と悪く度胸を据えてしまった訳ですが、その当時は、女中も、あとから来た慰安のひとたちも、そういう家がないから仕方がないという人が多かったのです。

ご主人は、私たち20人ほどの女中を集めて、この小町園は、御国のために、日本の純潔な娘たちを守るために、米兵の慰安所として奉仕することになった。慰安婦たちは、ちゃんと用意してあり、あなた方女中には手をつけさせないようにするから、安心して働いてくれるように、訓示をなさいましたが、私たちはパンティを2枚履くやら、大騒ぎでした。

いよいよ明日の28日、厚木へ進駐軍の第一陣が乗り込むという、その前日になって、お店の前に二台のトラックがとまり、そこから若い女の人ばかり30人ばかりが降りて、中へぞろぞろと入ってきました。

リーダーみたいな男の人が、RAAの腕章をしているので、その女の人たちが、進駐軍の人身御供になる女だとすぐわかり、私たちは集まって、いたましそうに、その人たちをみやりました。

モンペをはいている人もいますし、防空服みたいなものをつけている人もいます。ほとんど誰もお化粧をしていないので、色っぽさなど感じられませんが、しかし何と言っても若い年頃の人たちばかりですから、一種の甘い匂いのようなものがただよっていました。

この人たちは、みんな素人(しろうと)のひとでした。のちに応援にきたひとは玄人(くろうと)の人もいましたが、はじめ小町園に来た人は、みんな素人の娘さんでした。

銀座の八丁目の角のところに、新日本の建設に挺身する女事務員の大看板を出して集めた人たちですから、進駐軍のサービスをするということはわかっていても、そのサービスが肉体そのもののサービスだとは思わなかった人たちもいて、なかには、そのときまで生娘も何人かまじっていました。

前にちゃんとした官庁に勤めていたタイピスト、軍人の御嬢さん、まだ復員してこない軍人の奥さん、家を焼かれた徴用の女学生など、前歴はさまざまで、衣服、食糧、住宅など貸与の好条件に飛びついてきた人たちでした。

その30人の人たちは、もちろん、ちゃんと着物を与えられ(まちまちの着物でしたが)食物も与えられ、部屋ももらいました。しかし、おぉ、その上に、何をもらわなくちゃならなかったか、その人たちは、翌日から知ったわけでした。



8月28日、厚木進駐、何というはやさなのでしょう。もうその晩、新装をこらし、灯りをあかあかとつけたお店の前に、組み立ておもちゃみたいな自動車が停まり、そこから5人の兵隊が、何かお互いにがやがや英語でしゃべりながら、入ってきました。

それが記念すべき、はじめてのお客でした。その人たちは、缶詰のビールを持ち、めいめい腰にピストルを下げていましたが、私たちが考えていたより、ずっと紳士的な態度で、「ここに御嬢さんたちがいると聞いてきたが」といって、カードを通訳のひとに見せました。

それには、お店の地図が書いてあります。いつの間にかRAAの方で、こんなカードを印刷したらしいのです。主人はよろこんで、この5人の「口切り」のお客様をもてなそうとしました。

この人たちは、靴のまま上がろうとしたり、ふすまをドアと間違えて、押して外してしまったり、そんなヘマをやりましたが、上がると広間でおとなしく持参のビールを飲みはじめました。

広間で特別に招いた大森芸者の手踊りを見せましたが、彼らはそんなものはさっぱり興味がないようで、しきりに、お嬢さんはどこにいるのだ、と聞き、料理をはこぶ私たちを抱きすくめようとしたり、なかには、いきなり部屋のすみで押し倒して裾に手をいれようとしたりする兵隊もありました。(和服がめずらしかったのでしょう)

それで私たちは、ご主人に言って、5人の兵隊に、慰安婦の部屋にひきとってもらいました。なにしろ、素人の娘さんたちですから、はじめてみる外国兵の姿にふるえ、おののいて口もきけません。

それをまるで赤ん坊でも抱くように、ひざの上に抱き上げて、ほおずりしたり、毛だらけの大きな手で「かわいい」とでも言っているのでしょう、何か言いながら、あちこち体を撫で回したりしているのを見て、私は急いで障子を閉めました。

廊下で聞いていると、あちこちの部屋で悲しそうな泣き声やら、わめき声やらがしました。泣き声は女で、わめき声は男です。おそらく何か月もの間、殺伐な戦場で、女の肌に一度も触れないできたのでしょう。その、たまりにたまった思いを、一度にとげようとしているのでしょう。

その物音や、声を聞いていると、女の私でさえ、変な気持ちになりました。もう何年もそういうことからは遠ざかっていた私ですから。

そして、ああ、やっぱり、日本は負けたのだと、日本の娘がアメリカの兵に犯されている物音を廊下で聞きながら、はじめてそのとき、敗戦の実感が胸にしみ、涙が出てきました。

5人のアメリカ兵は、その夜、12時頃までいて帰りました。私はタバコを1箱、チップにもらいました。部屋へ行ってみると、部屋中にアメリカ人の体の匂いが甘酸っぱく漂い、そのなかで、RAAの娘さんが顔をおおっていました。素顔で体中汗でひかり、いかにも苦しそうに息をはいています。

聞いてみましたが、恥ずかしがって何も言いません。しかし、皆の話を総合してみると、彼らは思ったよりずっと親切だったそうですが、何しろ体が大きいし、はげしいので、みんなくたくたにされてしまったようでした。

その5人の兵隊たちが満足したのも無理はありません。彼らは幸せだったのです。処女もその中にひとりいましたし、そうでないのも、ながい間、そううことから遠ざかっていた、おぼこな女ばかりでしたから。だから、女の人も疲れてしまったのです。



しかし、そんなのんきなのは、この晩だけでした。この5人は、嵐の前触れのようなものだったのです。翌日は、ひるまから、彼らはウワサを聞いて続々とやってきました。

大勢になれば、もう遠慮なんかしていません。土足でずかずか上り込み、用のない部屋に入り込んだり、女中や事務員まで追い回したりします。

10日ほど経ったとき、その騒ぎはどうしようもなくなりました。ほかにも、ポツポツそういう施設ができかかっていたのでしょうが、私たちからみたら、なんだか東京中の進駐軍が、みんな私たちのろころへやってくる気がしました。

ジープが前の広場に、十台も二十台もとまっていて、あとからあとから、兵隊たちはやってきました。

はじめてやってきた30人の女のうち、ふたりは、最初の晩にどこかへ逃げて行って、残った娘さんたちが、お客を迎えたのですけど、部屋が足りないので、まるで体格検査上みたいに広間をびょうぶで仕切って、そこに床を敷いて待たし、一部屋になっているところも、兵隊たちが障子をこわしてしまったので、開けっ放しです。

女たちはそれを嫌がりましたが、兵隊たちの方は平気で、かえって面白がって口笛を吹いたり、声をかけたりして楽しんでいました。ひとりの男が中にはいると、あとの列が、ひとつづつ前へ進みます。まるで配給の順番でも待っているようです。その列が廊下にあふれ、玄関に延び、ときには表の通りまで続くときがありました。

私たちも、ぶっ倒れそうになりながら、その兵隊たちの間をかけまわって、用をたしました。気を張ってないと、待っている気なぐさみに、どんなことをされるかわかりません。

接吻をされたり、お乳に手を入れられたり、私もしまいには神経が太くなってしまって、接吻なぞ、何度もされました。なにしろ、右を向いても左を向いても、そんな風景ばかりなのですから。

ひどい目にあったのは、募集で集まってきた女の人でしょう。みんな素人の娘さんたちなのです。

はじめての日に処女をやぶられて、一晩にひとりの男の相手をするだけでも、心が潰れるほどのことだったでしょうに、毎日、昼となく夜となく、一日に最低15人からの、しかも戦場からきた男の人を相手にしなくてはならないのです。

素人の女ですから、要領というものを知りません。はげしく扱われれば、正直に女の哀しさを見せてしまいます。それではたまったものではありません。たちまち別人のようになって、食事もろくにとれず、腰の抜けた病人のようになってしまう人が多かったのです。

どうしてこんなアシュラのようなところから、みんな逃げ出さなかったのか不思議に思うのですが、逃げようにも逃げる気力さえなくなっていたのかもしれません。どこの部屋からも、叫び声と笑い声と、女たちの嗚咽(おえつ)が聞こえてきました。

それを聞いていると、日本の女が、戦勝国の兵隊の蹂躙にまかせられているという気がしみじみとしました。それは、それから何年にもわたって、日本の全土にわたって行われたことの縮図だったのです。見本だったのです。

私たち女中のなかからも犠牲者が出ました。よっちゃんという19の子は、布団部屋にはいったところを、数人の兵隊に見つけられ、なかでイヤがるのを無理に輪姦されて、「お姉さん、あたし・・・」と私に泣きついてきました。

キズ口を洗ってやりましたが、裂傷を負っていました。「わたし、好きな人がいたの。こんなことになるんだったら、復讐してやるわ、兵隊たちに!」そういって、翌日から慰安婦の方へまわって、お客をとるようになりました。

しかしこの子は、もともとそういうことが好きだったらしく、それに外人の体がめずからしく良かったのでしょう。復讐どころではなく、何人のお客を迎えても、鼻歌交じりで、きゃっきゃっといって、兵隊たちと騒ぎまわっていました。

一日に60人のお客をとったという女が表れたのも、その頃の話です。そのときは、ペーディだったのです。朝から横になったきりで、食事も寝ながらとるという調子だったそうです。でもその人は、もうそれっきり立てなくなって、病院に送られましたが、すぐ死にました。精根を使い果たしたのだと思います。



そんな毎日が続いても、お客はあとから、あとから増えるばかり。収拾のつなかい混乱におちいってしまいました。女たちは、もちろん短期の消耗品みたいなものでしたけど、それでも使い物にならなくなれば困ります。

ご主人は、銀座のRAAに応援を求めました。RAAの方では、はじめの失敗に懲りて、今度は新宿や吉原から集めた玄人の女を、補充に30人ほどこっちへ送り込んできました。

そしてRAAのほうに応募してくる素人の娘さんは、いったん吉原などへ送り、そこで泣いたりわめいたりしないように実地訓練をするという方法をとったようです。

こんど来た人たちは、何といっても、そういうことには慣れている人たちですから、一晩に10人や20人のお客をとるのは平気です。「それでもねぇ、やっぱりなんだかヘンよ。体が違うでしょ? それに言葉は通じないし、おまけに向こうでは、女のご機嫌をとろうと思って、いろんなことをしてくるでしょ? こっちはなまじっか、そんなことされないで、早く切り上げてくれた方がいいと思うんだけど・・」

などと、くわえタバコで、私たちに、そんなことを打ち明ける人もいるほど、なれていました。この人たちが来てからは、だいぶうまくいくようになり、兵隊同士のケンカや、女中の犠牲者たちも少なくなりました。

はじめにきた30人の女の人は、その2~3か月の間に、病気になったり、気が違ったりして、半分ほどになっていました。しかし、その半分の人も、現在ではきっとひとりも、この世に残っていないと思います。それほどひどかったのです。まったく消耗品という言葉がぴったりとあてはまる人たちでした。とても人間だったらできないだろうと思われることを、若い、何も知らない娘さんたちがやったのです。そしてボロ布のようになって死んでいったのです。

そうこうしているうちに、方々に同じ施設ができました。お店の近くにも、やなぎ、楽々、悟空林と続いて開業しましたので、うちへ入るお客も、自然少なくなり、一時の地獄のような騒ぎもおさまりました。

でも、今度は、世の中全体に、そういう風潮がひろがっていくのが、私たちにもわかりました。若いお嬢さん風の女の人が、玄関にはいってきて、主人に「働かせてください」と頼むことがありました。

理由を聞いてみると、路でアメリカ兵に強姦されて、家に帰れないから、というのでした。そうして自分から、アメリカ兵に媚を売る女になっていく人も、何人かありました。今思うと、こうしてあの頃、東京中にパンパンなるものが生まれつつあったのですね。

私はそれから何か月か経って、とうとうアメリカ兵のひとりに犯され、お店をやめましたけれど、あの頃の小町園のことを思い出すと、悪夢のように思われます。

~~~~~~~~~~~~

進駐軍を迎えるのにあたって、ときの日本政府は、性の侵略をされるということを恐れたのです。

だから「善良で清純な婦女子を守るために」、日本全国の都道府県に「外国駐屯慰安施設等整備要項」を出し、公娼、私娼、芸妓を中心に、慰安婦を集めたのです。

しかしそれでは数が足りず、昭和20年の9月下旬には、全国紙に慰安婦の募集記事がRAAによって掲載されました。

そこにはこう書いてあった。
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女子事務員募集
年齢18~25歳まで
宿舎、被服、食糧支給
~~~~~~~~~~

戦後の焼け野原で、住むところも食料も衣服さえも替えがなかった時代です。しかも、優秀な適齢期の男たちは、みんな戦地に行き、そこで多くが戦死し、抑留されています。この結果、日本国内の適齢期の男女比率は、男1に対して女5の割合だった。

しかも国内経済は壊滅状態です。就職の宛てもない。敗戦後二年間の失業者は600万人であり、女性に限っていえば、ほんとうに職がなかった。

本文にある小町園では、三井銀行の事務員をしていた娘さん(処女だったといわれている)が、はじめての客に黒人兵をとり、気が変になって、その日のうちに京浜急行の電車に飛びこんで亡くなったという実話も残されています。

横浜では、やはりRAAによって山下町に「互楽荘」に80人ほどの女性が集められています。

開業が小町園から4日遅れの9月1日だったのですが、どこでどう話を聴きつけてきたのか、開業の前日に百人を超える米兵がカービン銃を突きつけて押し込み、そこにいた14人の女たちを蹂躙しています。翌朝、泥靴の跡も生々しい女たちが、虫の息で転がっていたといいます。

さらに開業二日目、黒人兵からひどい目に遭わされたことのある女性が、別の黒人兵に嫌悪感をあらわにして相手をするのを嫌がった。女性を無理やり犯そうとしたから、女性が逃げ出した。黒人兵がそれを追い、首を絞めて殺してしまうという事件が起こっています。

MP(米軍の憲兵)が駆けつけ、逃げようとしたその黒人兵を射殺した。この結果、横浜の慰安施設第一号は、その日のうちに閉鎖になっています。世界の軍隊の中では、まだマシなほうと言われている米軍でさえ、これなのです。

これが悪名高い中共の人民解放軍だとどうなるか。チベットを見ればわかります。チベットは、2千年の歴史のある国です。そこに中共が自国の中華固有の領土であると一方的に宣言して進駐した。その結果、4500あった寺院は破壊し尽くされ、今は45です。僧侶は15万人いたけれど、今はわずか1400人、虐殺されたものは128万人で、国民の5人に一人は殺された。女たちは強姦され、殺され、子供たちは教育の機会を奪われて、いまやチベットの文盲率は男子で60%、女子で82%です。これは現在進行中の話です。

本稿で、日本政府がRAAを用意したことには、嫌悪感を持たれる方も多いかと思います。けれど当時の政府は、より多くの国民を守るために、そういう選択をせざるを得なかったのだということを最後にひとこと書いておきます。

つまり、慰安施設を、ちゃんと用意しておかなければ、一般の婦女子が犠牲になる。それを防ぐために、職業慰安婦を雇い、慰安所を設けたのです。

もし、政府がそれをしなければ、上に書いたような悲劇は、単にその施設内のできごとというのではなく、日本女性みんなが、無差別にそうした悲惨な目に遭わされる危険があった。現に、すこし前に占領されたベルリンでは、街の女性が少女から老婆まで8割が強姦されたし、同様の事例は枚挙にいとまがない。

そういう事態を防ぐために、苦汁の選択をしたのだ、そうやってひとりでも多くの日本の婦女子を守ろうとした人たちがいたのだ、そのおかげで、日本が7年間もの占領統治を受けながら、日本人として純潔をいまだに保つことができているのだ、ということに、私たちは感謝しなければならないと思います。

また終戦という混乱の時期にあって、国内においてさえ「小町園」のような悲劇が起こった、だから「戦争がいけないんだ」という議論の飛躍も、いけないことだと思います。

なぜなら、敗戦によって占領を受けた国は、戦後65年経った今でも、「小町園の悲劇」がいまだに延々と継続しているのだ、という、この事実を見落としてはならないからです。先ほど述べたチベットしかり、ウイグルしかり、です。

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韓国の運勢のなさを感じさせてくれる仁川アジア大会。3流国の面目躍如です。

開会式では観客席の半分以上がガラガラ

仁川開会式


花火で WELCOME を描こうとしたら・・・

仁川花火大失敗

かろうじて、LとCとMが判別できるかな・・・


この大会に出席した舛添都知事すら、「他山の石としたい」と述べる始末。
※他山の石=よその山から出た、つまらない石。転じて、自分の修養の助けとなる他人の誤った言行。

応援しまくりの日本のメディアは批判が控えめ。韓国メディアも同様。それに比べて中国メディアは実体をよく伝えている。

見出しだけで満腹になるほど不祥事がありすぎて書ききれないので、詳しい事を知りたい方はリンク先をお読みください。

朝日新聞デジタル:アジア大会、さみしい客席 余るチケットにあきらめ顔
http://www.asahi.com/articles/ASG9Q7TQ9G9QUHBI02H.html?iref=comtop_6_04

レコードチャイナ:<仁川アジア大会>初日から大失態、試合中に停電、国旗間違え=韓国ネット「世界に恥さらした」
http://www.recordchina.co.jp/a94541.html

レコードチャイナ:<仁川アジア大会>観戦チケット10分の1しか売れず、韓流スター総動員も効果なし
http://www.recordchina.co.jp/a94263.html

レコードチャイナ:韓国仁川アジア大会、国民の8割以上が「無関心」

http://www.recordchina.co.jp/a93721.html

聯合ニュース(韓国語):韓国・仁川アジア大会、初日に起こった問題⇒『試合中、停電』『聖火12分間消える』『表彰式で他国の国旗を間違える』
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=001&aid=0007131885

SoccerMagazine ZONE WEB/サッカーマガジンゾーンウェブ:アジア大会に臨むU-21日本代表にアウェーの洗礼!? エアコンなしの選手村に「暑いっす」
http://www.soccermagazine-zone.com/archives/3029

SoccerMagazine ZONE WEB/サッカーマガジンゾーンウェブ:続・アウェーの洗礼 アジア大会出場中の若き日本代表を襲うピッチ外の戦い
http://www.soccermagazine-zone.com/archives/3064
(一部抜粋)
「お風呂は修理に来る人が見に来たみたいだけど、直してもらえるかは不明です。それからエレベーターも壊れていて、(居室の)22階まで階段を上り下りしている」

バドミントン日韓戦で疑惑の向かい風・・・4強逃す
http://www.yomiuri.co.jp/sports/etc/20140922-OYT1T50010.html?from=ytop_main4

News i-TBS:「バドミントンの風問題、4か国が抗議文提出」
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2305026.html

スポニチ Sponichi Annex:バド 空調に続き抽選疑惑「知らないうちに終わっていた
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2014/09/23/kiji/K20140923008977610.html

レコードチャイナ:<仁川アジア大会>金メダル取れずあいさつ無視、ゲーム中に大騒ぎ…韓国が度を超えたマナー違反
http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20140923015/1.htm

XINHUA.:<アジア大会>とことんまでやる!韓国が勝つために“ずるい行為”、台湾メディアなど指摘
 http://www.xinhua.jp/socioeconomy/photonews/396129/

XINHUA:仁川アジア大会、「待遇ひどい」とボランティアが大挙離脱
http://www.xinhua.jp/socioeconomy/photonews/396201/

デイリースポーツ:ヒジャブ禁止でバスケ試合放棄
http://www.daily.co.jp/newsflash/general/2014/09/24/0007361104.shtml

毎日:【アジア大会】選手村に不審者の侵入、食料やキッチン用品を盗みだそうとしてそのまま逃走。経費削減でボランティアが半数以下に、通訳70人以上辞任
http://mainichi.jp/sports/news/20140925k0000m050012000c.html
※記事は削除された。さすが毎日。


運勢失った国でこういう大会をやる事自体が狂ってますナ。建物は期間中、持つのか?


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夕刊フジ:消費増税 米もダメ出し 財務長官が「失望」表明 - 政治・社会 - ZAKZAK
2014.09.22

http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140922/frn1409221532007-n1.htm

日本の消費増税に米国からノーが突き付けられた。4月以降の成長鈍化について、ルー米財務長官が「期待外れとなった」と表明したのだ。増税推進派は「消費増税は国際公約」というのだが、再増税を強行すれば世界に迷惑をかけることになりかねない。

 ルー財務長官は21日、20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議の閉幕後の記者会見で、日本とユーロ圏を名指しして、最近の成長鈍化を指摘した。日本については、消費税率を4月に8%に引き上げて以降、個人消費と投資が落ち込んでおり、「経済活動の縮小による困難に直面している」と懸念を示した。

 G20初日の世界経済についての討議で、麻生太郎財務相は、議長に求められる形で、日本経済の現状や成長戦略などを説明。麻生財務相は「日本に対する期待の高さを実感した」と胸を張る一方、「日本経済は緩やかな回復が続いている」と各国の懸念解消に躍起だった。

 アベノミクスで長年のデフレから脱却しつつあったが、消費増税をきっかけに変調がみられる日本経済。その先行きに米国が警戒しているのは明らかだ。

 このところ急速に進んでいる円安についても、本来なら米国の自動車産業などにとって打撃となるはずだが、ルー長官はクギを刺すどころか、17日の講演会で「強いドルは良いことだ」と述べ、円安ドル高を事実上容認した。G20でも「為替の議論はなかった」(会議筋)という。

 ルー長官は、19日には麻生財務相に「内需拡大を維持するための政策」を要請。政策を総動員して景気の底割れを回避すべきだと迫った。

 麻生財務相は再増税に備えた補正予算を検討するとしているが、当然ながら税金が使われる。「なんのために消費増税するのか、本末転倒」(エコノミスト)という状況だ。再増税をやめれば済む話ではないのか。

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ルー財務長官は「増税が失敗だった」と明言したのは正しい。

欧米が日本の富を奪う事ばかりやってきたのとは一転、日本経済が良くなってくれないとアメリカが困る局面になって、ようやく正論を言い出した。

それでも増税既定路線というまやかしに拘り続ける日本。そもそも、「消費増税は国際公約」などというのがウソ。

G7で欧州が基本合意したのは、「財政よりも経済成長」「それぞれの国の財政はそれぞれの国が決める事」だった。増税すると表明しようが国際公約にはならない。それを決めたのがG7だった。

だいたい自分の国の財政問題を、国際会議で公約してくるって、外国勢力のためにやってます、と言っているようなもの。本来、国の財政はその国の国民のためのものなのは当然の話。

日本経済をアメリカ様のために利益を差し出します、とやってきたのがこれまでの日本。そのアメリカが増税反対を言ってきたのだぞ。

OECDの玉木林太郎事務次長兼チーフエコノミスト(元財務官僚)が、そんなことおかまいなしに「増税しろ」と外野で騒いでいる。こいつはかつて、中川昭一元財務大臣が亡くなる直前の酩酊会見をセッティングした男。

この会見に関してウソの証言をした事で中川元大臣に対する工作の疑惑が持ち上がったうさんくさい人物だ。財務省勤めをして甘い汁を吸った役人はとことんまで腐ってしまうらしい。

アメリカの変化は日本にとって大変喜ばしい事で、世界が大きく変化している現れだ。この流れに逆らう者は、天に打たれるのではないか。



玉木が中川氏に薬入りワインを飲ませ、酩酊会見のお膳立て。その後中川氏は謎の死を遂げる。

解説は青山繁晴氏、関西テレビ「ぶったま」:ちなみに、この動画は何度も消されている。
この動画では触れていないが、酩酊会見の直前に読売の女性記者が会見での異変を予告していた事が発覚し、読売公式サイトから彼女のプロフィールが消された。


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