あらやす日(本)誌 -149ページ目

なぜ日本の輸出依存度はこんなに低いのか?

統計上、日本の輸出依存度(輸出÷名目GDP)は18%弱。

その数値はドイツや中国の半分で、
輸出依存度は高いどころか非常に低い。

 【輸出依存度】

  シンガポール(231%)
  マレーシア(110%)
  韓国(55%)
  ドイツ(48%)
  欧州連合(EU)27ヵ国(40%)
  中国(37%)
  フランス(27%)
  英国(28%)
  インド(24%)
  アメリカ(13%)

  ※出典:経済産業省 2010年2月「日本の産業を巡る現状と課題」


これだけ輸出依存度が低いと円安よりも円高のほうが国益に貢献する為替政策だといえる。

しかし、
今後は円安政策が国益になるくらいの輸出振興をしてゆく必要がある。


さて、
日本の輸出依存度が低いのはなぜなのか?
輸出依存度を高めるのはどうしたら良いのだろうか。

輸出依存度が非常に低いということはその裏返しで、
内需依存度が非常に高いということだが内需を減らせばいいということではないだろう。
内需を単純に減らせばGDPも減り、失業も増えるだろうから、
内需にかかわる雇用を、
より生産性・収益性の高い外需=輸出を増やすための雇用にふりむけること。

そして、
日本の海外進出をはばんでいるコミュニケーション・言葉の巨大な壁と心の壁を取り払うこと。


日本は輸出依存度が高いから今後内需を高めてゆくという方針はまったくでたらめなことで、
日本の経済成長と日本の国際競争力をさらに低めてゆこうとする考え方だ。

企業の海外進出を後押しして、
フランスの数値くらいは高めてゆく必要があるのではないか。

輸出依存度を高めてゆくには具体的にどうすれば良いのか?

たとえば、
海外での公的支援拠点の拡充。

中国にある日本の公的な産業振興拠点の数はアメリカの三分の一くらいで、
他の国においても公的支援は非常に低レベルだ。

税金をただ食い物にするだけの国内特殊法人・独立行政法人を再整理して、
中国、インド、ブラジルなどの南米、アフリカ、中東等に企業の海外進出を支援する拠点作りに力をいれてゆくことが行政の一つの再編成の方向性だろう。
拠点では、
通訳・法務・財務・税務・コンサルなどの民間の専門家とも連携して、
経営資源が貧弱な中小民間企業等の弱点を補完してゆくことになる。

また、
外国語能力の向上には?
日本のTOEFLの平均点はアジア30カ国で下から3番目。

TOEFLはTOEICがまねた国際的な英語力判定試験で、
海外大学の入学時の選定指標になっている。
なお、
TOEICは日本と韓国で有名だが海外での知名度はTOEFLよりも圧倒的に低い。


国内での英語等の外国語教育は成功しているとは思えないので、
小・中・高・大学での外国人教師の積極的な採用等の抜本的に見直しが必要だろう。
輸出拠点国への日本からの海外留学生を支援することも有効だろう。

海外での日本語人口を増やすには、
企業の経営と同じでファンを増やすことだ。
アニメ・マンガの海外展開への支援、
日本へ来る海外留学生の支援、
海外での日本語学校を支援等で、
日本語学習者人口を増やすことだろう。




いまかかっている日本の病気は?

日本が今かかっている病気はなんだろうか?

完全に健康な人がいないように、
国・社会にはいつの時代も何らかの病気がある。

     

ガンに良性と悪性があるように、
国・社会のガンにも、
良性と悪性がある。
物理的に削除だけで済む場合や、
原因さえわからない難病もある。
心的な病の多くが原因不明で治療は困難だ。

時代に合わない、コストのかかる行政と社会との構造的なミスマッチが最大の病だ。

公務員の給与・人員削減という、
良性(多くは良性)&一部の悪性腫瘍の「物理的な削除」は、
歳出の削減という意味で国益上すぐに効果のでる非常に有効な手段で、
手術自体の見た目も非常に簡単そうだが、
その根は江戸時代の官僚制にまで遡るので非常に深く、
まさしく手術は荒療治でなかなか思い通りに削れない。
しかし、自然治癒のように半世紀かけても、
このゆがみは是正しないといけない。

そして、この病を支えている、
日本特有の風土病として、
「政治・社会を考えない病」と「信じすぎ病」がある。

マスコミ信者・クチコミ信者の出現や、
振り込め詐欺もこの病状をうまく利用している。
比較的、心的な病のようだが、
これを最大限に利用する加害者が存在し、
公害や詐欺・脅迫のように外的・物理的な影響によるところが大きい病だ。

この加害行為がなくなればかなり病状はよくなるだろうが、
道徳・法(モラル)にはふれるが、
法律にはふれない合法的な加害行為=表現・報道の自由を隠れみのにしているから、
巧妙でたちが悪いだ。

郵政民営化=国益向上とか、
日本は輸出依存国で円安=国益向上等の、
大嘘の扇動で味をしめた世論操作戦略部隊(仮称)は、
今度は、
公務員社会の最強の番犬ともいえる地検特捜部と、
自民党というご主人様を失った御用マスコミの共犯による、
異常な小沢氏攻撃を行っている(今も継続中)。


行き過ぎた個人主義=反国家的教育で国家との一心同体性を失った根無し草の国民と、
国民の無知につけこんだ売国奴が私利私欲と保身、海外資本グループの使途として、
も日本の国際競争力を喪失させるために跋扈しているのが現代日本だ。


たとえば、

「郵政民営化=国益向上」の嘘・ホラでは、
百超円以上の郵貯預金が民間銀行またはタンス預金へ流れた。
郵貯資金は市場に流れず国債の受け皿になっていた。
それはそれで悪いことではない。
郵貯資金を国益そのものだといえる国債買いではなく、
民間市場に流すことが国益なのかは大きな疑問だ。
信用金庫のように中小企業融資を積極的に行う金融機関に郵貯資金が流れたことはいい効果を生んでいるかもしれないが、
中小企業融資残高を近年減少させている都市銀行や外国金融機関はこの資金をヘッジファンド等の投資に振り向けているかもしれない。


「株式持ち合い制度=悪」の嘘・ホラでは、
企業の持株が安値で放出され、
同時に円安も進行する中で外国資本がさらに安値で買いあさり、
日本の株式市場に一挙に進出できた。
たしかに株式持ち合いで固定化されていた株式資産が企業の流動資金になり、
債務の返済などに当てられて短期的には良かっただろうが、
日本の強みだった企業間の財閥的な共同意識は失われ、
一体性や企業間ネットワークによる競争力は失われた。


「日本は輸出依存国で円安=国益向上」という嘘・ホラでは、
輸出型企業と円キャリートレード等を行う金融業界に、
●●●超円規模で資金が今も流れている。

これだけの規模のお金が動けば、
恥も外聞も関係なく(外聞自体隠蔽可能で)、
人の命さえも軽視される。


小沢氏攻撃は誰に何の利得があるのか?

当然、
それは旧・与党の自民党の復権をねらう動きと、
行政改革=公務員の待遇悪化に対する抵抗が共に呼応して、
さまざまな裏取引が行われているようだ。
子供にはわからないだろうが少し立ちどまって考えればわかることだ。
しかし、
情報の洪水と意志決定のスピード化、
生活の困窮と将来への不安で多くの人の思考をストップさせている。
思考は余裕がないと作動しない。

国際競争力を高めようと多くの企業は最先端の分野を走っているが、
この政治・官僚と国民の環形は旧態依然たる体質で、
江戸時代の代官様と町人・農民の関係のように、
古くさい匂いを隠蔽させるべく、
先進国の装いをつくろい巧妙に世論操作を行っているようだ。

小沢氏攻撃は国際的な観点から見れば島国・日本の小事で、
これを大事と考えている人は相当ヒマな人か、
それで飯を食べれる幸せな公務員とマスコミだけだろう。

と、
思いたいが、
大本営発表とその政府発表をそのまま報道(誇張さえしたかも)した大手新聞社の大嘘報道を信じ苦い経験をした、
戦前・戦中世代が後世に遺言を残さなかった日本では、
お上や報道をそのまま信じてしまう従順な人々が多くなってしまい、
マスコミが「大事だ!大事だ!」と連呼すれば、
多くの人が素直に「大事だ!」と刷り込まれてしまっているようだ。
さもなくば、
まったく無関心をきめこんでいる。

このような状況下では、
健全な世論は形成できず、
さりとて、独裁国家にはならないにしても、
偽りの世論の中でほんとうの国民の意思が消えかねない、
エセ民主主義が台頭することになる。

個人が疑うことをやめて、
新しいことを発見することに臆病になり、
主張し行動する勇気を失ったら、
個人の成長も、
企業や日本が国際競争力を高めてゆくことも困難だろう。

これからの日本の成長には国民の政治・社会への積極的な参加が不可欠だ。

沖縄県民の気持ちを理解する

沖縄には日本の平均的な収入を担保する産業がなく、
米軍基地がもたらす需要は大きい。

また、
「守礼」という沖縄のキーワードに根ざした、
他者・他国の気持ちを重んじ、
他者・他国に迷惑をかけることに対する儀礼を重んじる風土がある。

この他者・他国にアメリカだけでなく沖縄以外の「日本本土」がさながら外国のような、
よそよそしい無礼な存在になっているという疑念(事実そのものだろうが)は、
非常に悲しい現実である。

日本国内の米軍基地の75%が沖縄に集中することは、
沖縄のその謙虚な姿勢をもってさえも許容しがたい不公平になっている。

鳩山政権は、
戦後の政権の中でこの沖縄の現状にもっとも真摯に向き合った政権与党であることを、
喜納昌吉議員も認めている。

今回の普天間基地問題はその沖縄の現状を全国民に知らしめる、
重要な問題ではあるが、
日米安保体制自体を揺るがすような大きな問題ではない。

極東最大の米空軍基地である嘉手納基地の隣にある普天間基地はサブ的な基地で、
この基地の移転問題は日米安保体制においては小事だが、
沖縄の現状を理解する上では重要な転機になったことを高く評価すべきだ。

なぜ円安が国益になるのか?ばかげた扇動の根拠は?

一般的に為替の減価=円安は国益の低下を示す。

国力のある通貨が買われて高くなるのは(信用のある国の為替は高くなる)、
一般論ではなく現実だ。

たとえその買い手がハイリスク・ハイリターンのヘッジファンドであっても、
債務超過になっている国の通貨は怖くて買えない(あぶない国の為替は安くなる)。

しかし、
ここ10年くらい、円安が国益になるとの論調がなかば扇動的にわいてきた。
円安は輸出型企業にとっては為替差益を取れるが、
輸入型企業にとっては為替差損になる。



輸出会社が、
1ドル=100円で外国の会社に売ったものが、
支払時に円安で1ドル=120円になれば、
120-100=20円、余計に儲かるのが、
輸出型企業の為替差益。


輸入会社が、
1ドル=100円で外国の会社から買ったものが、
支払い時に円安で1ドル=120円になれば、
120-100=20円、余計に支払いをしなければならず、
輸出型企業の為替差損になる。


子どもでも知っていることだが、
資源が乏しい日本は輸入依存度が高い。

ガソリン、食品、材料等とあらゆる輸入物品が円安になれば上がるのだ。
一般市民生活レベルでは円安でいいことはない。
この伝統的な大原則が円安誘導扇動で忘れ去られている。
ある意味で、
国民生活無視、
輸入型産業の無視とも取れる。

また、
業種別の日本の就業者人口を見れば1990年代にサービス業が製造業を抜き、
毎年その差は拡大し、統計から推測すれば近々にサービス業の就業者数は製造業の2倍になる。
もちろん、製造業に手を出しているサービス業やサービス業自体の海外展開の例は多々あるが規模はさほど大きくない。今後はこうしたサービス業の海外進出が企業収益・国益を高めるだろうがその成功はまだ先の話だ。

経済産業省/就業者統計

なのに、
大手新聞社等のマスコミにいたっては輸出型製造業に肩をもって、
日本が輸出依存国だからというウソと根拠なき理由で煽り、
マスコミの扇動に従順なわが国民はいまだにそれを信用しきっているが、
さて、いつまでその黒い魔法の効果は続くのか?

統計上、日本の輸出依存度(輸出÷名目GDP)は18%弱でアメリカよりは高いが、
相対的に見て低いといえる。

 【輸出依存度】

  シンガポール(231%)
  マレーシア(110%)
  韓国(55%)
  ドイツ(48%)
  欧州連合(EU)27ヵ国(40%)
  中国(37%)
  フランス(27%)
  英国(28%)
  インド(24%)
  アメリカ(13%)

  ※出典:経済産業省 2010年2月「日本の産業を巡る現状と課題」


日本は金融立国といわれる英国や貿易赤字国のフランスよりも低く、
日本が輸出に過剰に依存している国とは到底思えず、
誰が見ても日本は輸出依存国とは思わないだろう。


また、
2001年度から2007年度の日本の経常利益増は全産業で約25兆円。そのうち「グルーバル製造4業種」(輸送機械、電機、鉄鋼、一般機械の大企業)で36%(残りの64%の多くは非輸出型企業)、金額にして約9兆円を占める。しかし、これらのグローバル製造4業種の雇用は日本全体の7%に過ぎない。雇用がたった7%で経常利益増の35%以上とは少数の産業が儲けを独り占めしている状況だともいえる。


確かに日本企業は将来的には今以上に輸出を振興して国際戦略を展開してゆかないと、
高い成長力は期待できないかもしれない。
経済成長力に占める輸出の割合を高めれば経済成長に寄与するだろうが、
単なる円安効果だけで海外から収益を得るような単純なビジネスモデルでは企業の競争優位は保てないし、経済成長の種は製造業のための為替操作だけでは成長できない。
「ものづくり立国」はもはや古いビジネスモデルのスローガンだ。

経済財政諮問会議・専門調査会が取りまとめた「日本21世紀ビジョン」(2005年)では、
2030年の日本の貿易収支(輸出-輸入)は赤字になるが、
中国等東アジアへの直接投資からの収益により所得収支の黒字が拡大し、
これまでの輸出立国(実際、輸出立国ではないが)から「投資立国」になると予測している。

将来、日本が投資立国になるならば円高のほうが望ましい。

将来はさておき、
今の日本は外需(輸出)よりも内需(輸入)のほうが大きく、
円安=国益の増大という一方的な図式は通じない。

円安の一方的な礼賛で株価や世論が一喜一憂することはばかげてみえてしまう。
もちろん、急激な為替変動は百害あって一利なしで、
それは円高・円安いずれもいえることだ。

いったい誰が扇動しているのか????


郵貯資金の民間銀行流しでしかなかった「郵政民営化=国益」もひどい論理だったが、
円安=国益論はそれどころではない巨大な負を生みだす扇動だ。
もちろん、
これで巨万の富を得る外国資本にとってはありがたい扇動だが。

今の円・株の安売りは、
日本の豊富な金(ゴールド)を不利な条件で、
欧米の銀(シルバー)と交換させられた、
江戸時代末期を連想する。

金融工学は飛躍的に進歩し、
かつての金・銀交換比率のような単純なものではなく、
一般人だけでなく専門家にもわからないほど巧妙だ。

経済オンチ(売国奴的?)な日本の御用マスコミ・政治家を利用して扇動し、
外国資本はこの江戸時代末期にもあった伝統的な不平等・金融戦略で、
日本の国富を吸い上げているように思われる。

この四半世紀でバブル崩壊、サブプライム&リーマン・ショックという、
2度の金融大災害に見舞われた日本はある意味で一番学習=お勉強しているはずの国だともいえるが…
実際は疲弊するばかりで国内資本は脆弱化し、それどころか異論・反論・批判を忘れ、
ばかげたナチズムのスローガンのようなへ理論・へ理屈を通してしまうコワイ状況だ。


円安・円高いずれにせよ、株価も含めて想定外の急激な上下変動は、
人体の血圧と同じで国益へのダメージは大きい。

為替の安定は日銀と政府の責務であり、
ヘッジファンドが徘徊する獰猛で野蛮な市場原理にまかせたら、
国家の存在意義を失う。




巨大な無関心層の塊から関心層に変容しつつある

会社などでの組織内で社員・従業員の「無関心(域)度」が高いほど、
命令・指示を受け入れる可能性が高くなる。
「無関心」とは命令・指示に抵抗しない=関心がないということだ。

経営学の組織論で出てくるこの「無関心度」は上司や会社の命令・指示を、
従業員・社員がどの程度受容するか?=権力を自由に振舞うことができるのかどうか?
をはかるものさしになるというものである。

思うに日本は先進諸国の中でこの「無関心(域)度」が非常に高い国だと個人的には思う。

家族や人々の間で政治や社会の話がしにくく(なかばタブー的で)、
マスコミ報道などの一面的情報で世論が形成されやすい社会風土がある。

戦後の高度経済成長期のように、
西側陣営の傘の中で世の中が順風満帆でうまくいっているときはそれでも何とかなった。
というよりは逆に異論・反論が出にくく、
明治~昭和の思想を継承してまっしぐらに一方向に進むことができた。

しかし、
これからの時代は…。











日本政府がいますぐやること

債務超過(倒産)になる前に一般企業がやることと同じだが、


まずはすぐにできるのは人件費などの固定費を削減すること。


その前に危機感の醸成=非常事態宣言=沈むぞっという掛け声が必要だが…もう声はかかっているがたらふく食べ過ぎて肥満状態で身動きできず「高楊枝」状態か…。
フツーならばすぐにできることも現実はフツーじゃなく異常なので実際困難。








大手企業の平均給与額よりも高くなってしまった公務員の給与を最低2割は削減する。


地方公務員数の削減:人員過剰な自治体の成り行き的な新卒採用を中止する。


給与とともに高額な退職金を削減する。
また、
共済年金(公務員年金)は一般国民(厚生年金保険と国民年金の中間?)レベルまで給付等のサービス・レベルを落とす。


国家公務員の人口比当たりの人数は先進諸国並だが、地方公務員は無風状態下で病的に肥大化している。原因は江戸時代の藩制をひきずった地方自治体の多さだろうか。
日本の技術、企業経営は現代そのものだが、行政組織は「中世」レベルで進歩をとめてしまっているのではないだろうか。


給与・待遇の適正化で年間10兆円くらいは軽く歳出をカットでき、抜本的な行政改革が実現すればその数倍の効果が生まれるのではないかと勝手に憶測する。





【参考】
 民間サラリーマンの平均給与:440万円
 国家公務員平均給与:630万円
 地方公務員平均給与:700万円  (2005年・国税庁調べ)
 ↑地方公務員のほうが高いのも異常。
  この格差はこの数年でさらに広がっているだろう。



この削減額と比べれば「事業仕訳」なんて些細なことに思える。公務員が企業の従業員なら、政治家は企業の経営者層に当たる存在なのだから率先して給与カット・返上する。国民は日本丸の株主であり、株主主権ならぬ国民主権を株主総会ならぬ選挙で行使してゆく。

何らかの統計に基づき、日本国民の平均給与が公務員の給与になるように業績連動型賃金制度を構築する必要があるだろう。この連動は政治家の給与にも適用させる。給与額だけでなく定性的な幸福度も勘案した指標を作り、国民を豊かにすれば給与も上がるという仕組みになればモチベーションも向上する。




今の税収で公務員を現状のまま養うのは不可能だ。
公務員を養うために毎年追加的に何超円も国債乱発(借金)している現状は異常である。

江戸時代末期の財政逼迫状態下の「武士」が今の公務員だといえる。しかし、江戸時代末期の武士は緊縮財政=人件費削減で「武士は食わねど高楊枝」と揶揄されるほど貧窮していた。今の「公務員」は財政を無視して肥え太っている。



公務員は日本に400~500万人(うち国家公務員は100万人だから公務員の約8割は地方公務員)、


その家族まで入れれば1200万~1500万人以上くらいはいるだろうから、
これは改革をはばむ日本最大の巨大な抵抗勢力になっている。

そして、その団結力は一大企業や一産業界の力よりも強い。
ここまで巨大な利権集団は世界でも稀で、他に存在するとすれば中国共産党と宗教組織くらいか。
明治政府以来、1世紀以上かけて構築したこの体制をいじるには一筋わ縄ではゆかない。
しかし、
実際、肩身も相当狭くなっているものと推測したいがいかがなものか。「行政」に対して通常レベルの敬意をはらえる存在にしてゆかなければ、国民主権も本末転倒になってしまう。




国民の下僕との認識がすずめの涙ほどもあるのなら、


公務員自らが率先して給与の一部を国庫に返納してほしいものだが無理かっ。私利私欲一点張りで自浄化作用は期待できないので強引にやるしかないのだろう。そもそも公務員は法律に即して業務を行ってゆく存在。しかし、肥大化した自己裁量権=地方行政等の肥大症状が今の日本の病状ではないだろうか。
利権・保身のためなら裁量を拡大し続けて、その反面、効率化・有効性の向上となると「法律がない」と言って何もしないというのが現状だろう。このような状況を創出した責任は個々の公務員にあるというよりはこのような体制を放置している立法府=政治にあり、その立法府=政治を今まで委任してきた国民にあるといえる。
今、日本は明治維新に匹敵する権力構造の改革が必要になってきているといえる。民主党政権の誕生はこの大きな改革の流れの端緒だといえるが、目先的な、自民党と民主党の二択的な単純な選択問題ではないのが現実だ。



【参考】
憲法学等の世界では世界に類を見ない日本の統治体制を「行政肥大化現象」と指摘してその病状を問題視してきた。これは日本の憲法の精神にはそぐわないもので、本来なら違憲になりかねないが、違憲かどうかを判断する裁判所自体が「行政」の一部なので自ら違憲と自己批判するわけにもゆかず…。
本来、西欧的な意味での国の統治は、歴史的に権力の横暴が国民を苦しめてきた歴史的教訓を活かして権力を分散して集中せず、各機関が相互にチェックできるように「司法」(裁判所)、「立法」(国会)、「行政」の三権分立で行うことを原則としてきた。
しかし、日本は法律をつくる立法役の政治家も官僚出身者が多く、司法も行政(公務員)の一部で、権力が「行政」官僚に集中しており、三権分立とはいえない「行政一権集中的体制」ともいえる。権力の集中はそれが独裁制にしても、それが正しい方向ならば挙国一致的な良い意味での大きな力を発揮するかもしれないが、歴史的・経験的に見れば集中しすぎた権力は腐敗しやすい。


歳出の削減分は、社会福祉の底支えと企業法人税の減税で簡単に相殺されかねないが、行政のリストラは今後の増税の大前提である。

日本の債務は今1000超円に向かいつつあるが、このうち200超円以上はここ20年間だけ見ても公務員の高額な報酬のための借金だと個人的には想定する。40年間のスパンで見ればその倍400兆円か?

個人的な憶測では債務のうち300超円くらいは無駄な公共事業か。また、政府管轄の特殊法人に300兆円流れているというので、すなわち、債務の半分以上は人災=マネジメントの失敗によるものだろう。

戦後復興からコツコツ蓄積した国富を日々散財している状況は嘆かわしい。公務員と政治家への丸投げで問題を棚上げしてきた国民にそもそも根本的な責任があるのだが、債務を実際に日々積み上げた実行犯は公務員と政治家だ。公務員は法律にのっとって公務を行うことが原則なので指示・命令したのは国民の代表者たる政治家である。国民の化身=政治家が現在の状況をつくりあげたのだ。政治家批判は国民自身の自己批判であることはいうまでもない。



900超円以上ある公的債務とは別に日本には金融資産が約1400超円あり、そのうち6割の900超円を60歳以上の国民層が保有している。資産と債務のバランスを見れば実際債務超過ではないが資産は個人資産であり、債務は公的なものであり、両者を相殺してバランスを取ることは不可能に近い。
日本の現体制を支えてきた裕福な方々の一部の方が、公的債務を子孫に残さないという高邁な理想を実現(自己弁済)してくれれば、世界にその名を残せるだろうが所詮無理な話か(生活安泰ゆえに年金の受け取りをしない方は実際いるだろうが)?そういう奇特な方がいたら、特別国民栄誉賞を進呈したいところだ。


行政の無駄を削ると同時に行うことは、


売上・収益=歳入のアップ。


これはすぐに実現=結果がでるものではないから、


ある意味ですぐに手当をする必要があるともいえる。


歳入アップはなかなか難しい課題だが、
スローガンは「富国強兵」ならぬ「富国強人」政策。


「大きい政府」とか「小さい政府」とかいう子供じみた抽象的な二択論ではなく、
強化すべきところを強化し、どうでもいいことは力を抜くという集中と選択が基本。


国も企業も有限の資源の中でやりくりしてゆく必要がある。資源を大きく分類すれば人・物・金・情報の4つ。この4つの資源が国富だといえる。

これらの国富を高めてゆく政策とは何か?


●人
 国民に最高の教育を割安で提供すること。
 従来の自動車のような単なる物の輸出では中国やインドなどの新興国とは対等に戦えない。
 もの作り技術にサービス等を融合したような新しい市場を創造してゆく必要があり、
 それには個々の国民の知力を高めてゆかないとたちうちできないだろう。



 
 ●情報
 放送・マスコミの規制自由化による競争促進、国際競争力を強化すること。
 
 光ファイバー等の高速ネットワーク化を公共事業で行うこと。


●物
 レアメタル・新エネルギー開発も含めて長期・安定的な資源開発・確保をめざすこと。




●金
 日本銀行を政府の管理下または影響下におき、
 積極的に為替(円)の安定をはかる等機動的な金融政策を実施すること。
 
 金融機関は物的担保による単純な企業向け融資だけでなく、
 目利き能力をきかせてビジネスモデル・ソフト資源に着目した融資を行うこと。




●その他
 企業の海外展開を外務省等の政府機関等と民間関係団体・企業が一致団結して展開してゆくこと。




国が出しゃばるといいことはないので程度の問題があるが、政府が行うべき国民への奉仕・サービスには当然戦略が必要になる。
「新・●●」とか「たちあがれ…」とかいう子供じみたスローガンではない具体的な絵がなければ人は動かない、動けない。

弱肉強食的な市場原理主義・新自由主義は日本には合わず、
結果的に日本的伝統を見失い、国力は減退した。

和を尊重する「人財」だけが頼みで、
油断すれば弱小国になりかねない日本は挙国一致的な政策が必要なのだ。





普天間基地移転問題の根本的問題

沖縄には日本の米軍基地の75%が集中している。

異常なことである。



沖縄への米軍基地の集中を緩和し規模を縮小しようとする鳩山政権の姿勢には、
異論を唱える人は少ないと信じたい。

そもそも世論は各論の各論を問題視しているように思われるので、
この総論がぼやけているようだ。

鳩山政権の沖縄の基地縮小向けた姿勢については、
総論では賛成していい方がいるのではないかと思うが…?
もし少数意見だとすれば悲しいことだ。
また情けないことだ。
恥ずかしいことだ。

多くの県民を犠牲にした太平洋戦争での沖縄戦を思うと、
沖縄への米軍基地の集中は皮肉というかこの上ない悲しい現実を感じる。

小生は沖縄の米軍基地縮小には賛成である。
普天間基地(海兵隊の基地)を沖縄県外または国外に移転することに賛成する。

嘉手納基地(米・空軍基地)、佐世保基地(米・海軍/海兵隊基地)、岩国基地(米・空軍/海兵隊基地)などへの分散配置ができず、国内に受け入れ先がなければ、
国外に移転すべきだと思う。

普天間基地の数千人規模の海兵隊がいなくても、
日本周辺の軍事的均衡にゆがみを生じさせるほどではないと個人的には思う。

本年5月までに普天間基地問題の解決策を出すというスケジュール自体に無理があるのであって、
スケジュールが予定通りに行かなくても鳩山政権の基本的な姿勢を否定したら、
何を肯定してしまうことになるのか?

介護・医療・子育てが日本の成長性を担保するのか?

「安心できる年金・介護・医療・子育て=国の成長のための最優先課題」だという人がいるが、
「行政改革=経済成長」の方がまだ因果関係が明確ではないだろうか。



年金・介護・医療・子育てを否定する気持ちは毛頭ないが、


ただこれらだけで本当の国の成長はありえないと思うだけだ。

60歳以上の高齢層の方々が安心した生活がおくれれば、
彼らが持っている900兆円の富が流通し出すかもしれないし、
安心して子育てができれば出生率が上昇し、
間接的に国の富は増えるかもしれない。


確かに成長の土壌になるだろうが、


本来の成長は端的にいえばGDP・GNPのように数値として国の富を増やすこと、


付加価値を増加させるものではないか。




そもそも年金・介護・医療・子育てで金儲けをしようとは思いたくない。
これらの分野で付加価値をつけて差別化して質の高いサービスを導入し金儲けをして国を成長させることも可能だろうが基本は平等なサービスだろう。


年金・介護・医療・子育てには税金が投入される分野で、


国の富を消費する分野。


この分野を拡充するには増税か税金の元になる個人・企業そして国を成長させることだ。




ただ単に年金・介護・医療・子育てを拡充させるだけでは、


結果的に増税につながるだけだ。




それでは個人・国の成長はどうすれば達成できるのか?



企業の成長を考えるのが一番簡単なように思える。

企業の業績を評価する代表的な指標に投下資本利益率(ROA:Return on asset)がある。

ROAは「売上高利益率×投下資本回転率」で計算する。

売上高利益率を向上させるには、
①コストの削減と②商品・サービスの高付加価値化が必要になる。

国に置き換えてみると、

①コストの削減は、
行政改革による「無駄の排除」や、
資源のない日本にあっては「資源・原材料の獲得」がすぐに思い浮かぶだろう。
これはいますぐに着手できることだ。
できないとすれば抵抗勢力がこの本質をごまかし、
着手を先延ばしにしているのだろう。これも企業ではよくあることだ。

②商品・サービスの高付加価値化は?

これは非常に難しい課題だ。
どこの企業もここで一番悩んでいる。

まずは、
人材の適正配置と教育か。

国の舵取りをする政治家、官僚に優秀な人材が集まらず、
優秀な人材が企業に集中してしすぎているのではないか。
そして、社会性を失った企業の中で…つぶされてゆく。

人材には大きく分けると戦略を練る人材と、
戦略を実現する現場の人材がいる。

  …考え中…







映画「音の城♪音の海」で感じること

「青年は時計を気にしないでほしい」と発明王のエジソンさんは言ったそうです。

時間を忘れて目の前のことに没頭することが青年の特権であり、
青年の青年たるゆえんなのでしょう。

すでに青年ではない小生は青年のように時計を忘れて没頭してしまうことがまだ多々ありますので、
そのときの心は青春の中で青年のままだと思っていますが、何か。

音楽を聞くと、
時間の流れの中に身を置くような不思議な気持ちになるときがあります。

この映画の中に出てくる人々には純粋な何か、
苦渋に満ちた顔をして時計を見ながら生活をしている現代人の誰もが持っているに忘れてしまっている何かがあるような気がします。


$内なるアメーバを探して-otonosiro otonoumi HP



映画の案内サイト
http://www.otonoshiro.com/

2人のフリードマンの功罪

この二人は師弟関係か親子だろうか?
名前だけでなく、その主張もよく似ている。
実際、無関係な二人だが。


一人目のフリードマンはトーマス・フリードマン(1953年~)。
ピューリッツアー賞を3度受賞したアメリカのジャーナリスト。
著書の「レクサスとオリーブの木」で、
国が富み、中流階級が多くなってマクドナルド(ハンバーガーの店)が出店する国では戦争は起こらない(マクドナルド理論)と述べる。
これは一理あるものの、アメリカ企業の進出=アメリカ化によるグローバリゼーションに逆らえば戦争がおきるというような脅迫的な意味合いにも取れる。
1999年、コソボ紛争時にセルビアをアメリカ軍が空爆してこの主張はくつがえされた。というのはセルビアにマクドナルドが出店していたからだ。とはいえ、マクドナルドが単なる「中流階級社会」の比喩だと見れば、そう言葉尻をとらえて批判する必要もないわけだが。

もうひとつの著書「フラット化する世界」では、
冷戦終結後の世界観として自由主義を基調にしたアメリカ中心主義的な均質的なグローバリゼーション=「フラット化」の到来をとなえた。
しかし、
現代は「セミ・グローバルの世界」(Pankaj Ghemawatハーバード大学教授の著書)。宗教、民族、個々の国の文化・慣習が国際規格のように一つに強制的に統一しようとすればさらに対立は際だって行く。


もう一人のフリードマンは、
ミルトン・フリードマン(1912~2006年)。ノーベル賞を受賞したアメリカの経済学者。
前者のフリードマンはあまり有名ではないがこちらのフリードマンは世界的に有名な学者。

内なるアメーバを探して-Milton Friedman


M.フリードマンは、
英米社会を象徴していた(もはや過去形か?)ある種の秩序に強力な思想的裏付けを与え、レーガン、サッチャー政権時代の政策に大きな影響を与えた。
フリードマンは最小の政府で最大の個人的自由を標榜し、
政府による広範囲な市場の統制・規制を否定し、
新自由主義と市場原理主義の信奉者の精神的支柱だといえる。

しかし、
結果的に、間接的にサブ・プライム・ローンなどの金融恐慌のもとをつくる金融商品を生み出し、
民間保険会社の利権を守るために国民皆保険制度の議案をつぶす理論的支柱にもなる。
『資本主義と自由』(1962年刊行)では、廃止すべき政策の一つに、「営利的な郵便事業の廃止」をあげたが、フリードマン的な政策の信奉者だったと思われる小泉・竹中政権下では、「非営利的な日本の郵便事業」を営利的な民間事業にしてしまった。


二人のフリードマン(Friedman)は、
アメリカ的に”Free”ed man =自由化された人であることを理想として、
アメリカが起きた911テロとサブ・プライム・ショックの背景を構成する思想を社会に与えた人物だったのではないかと思う。


地球上の生命が多様性の中で環境に対応して進化してゆくように、
人間も一生命体として多様性を謳歌することで進化してゆくのだろう。
「自由」はその進化論的な弱肉強食の中で他者の「自由」を奪う。
そして、環境を破壊する過激な行為は逆に自分の首をしめつける。