あらやす日(本)誌 -153ページ目
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現代文学の矮小化から開花か、さらなる矮小化か



20世紀末に旧・ソ連体制が崩壊し、

東西冷戦が終わり、自由主義や共産主義といった思想を語る時代が終わった。

それも一時的ではあると思うが。


20世紀初頭、アメリカがサブプライム・ショックでつまずき、

アメリカ・旧ソ連の2つの権力構造がともに衰退し、

分権化、地域化、局地化してゆく中で民族主義・国家主義がふたたび力を持ちつつある。

日米安保の間にある「地球」はどんな姿なのか、想像してみる。,

20世紀は英語の時代だった。

日本では多くの直輸入的な和製英語が生まれ、

自律的な言語創造が阻害され、

戦前・戦中生まれの人でなくても母国語の乱れを嘆いた。


かつて西欧世界でラテン語が共通語だった時代(権力層だけだろうが)があった。

ロシア帝政時代の公用語(貴族だけだろうが)がフランス語で、

植民地だった近隣アジア諸国でも本来国民誰もが読めるように配慮すべき法律の条文を英語などの外国語で書いている国があった。

母国語をないがしろにした時代がいろいろな国の歴史で登場する。

それは大国との対等な関係を保持し、

大国の知識を積極的に効率的に吸収するという意味で成果がある。


現代文学は総じてどこの国も衰退しているように見えるが、

これからは母国語による文学が再生し、ルネッサンスを迎えるのではないだろうか。

ここでキケンなのが民族・国家の殻に閉じこもってさらに矮小化する現象だ。

個人的には「矮小化」は三島由起夫を連想させるものがあるが、

反面教師的な面もあるが彼は戦後の偉人の一人であると思っている。


その民族・国ごとの個性をわかちあい、

対立する相互の問題を解決することを目的にした、

本当の意味での文学の国際化が進展してゆくのではないだろうか。

技術的深化と浅薄さの間で

次の「WEB3.0」はより退化していくのか。


外見上、技術的な進歩が見えるようでいて、

実はユーザー側の心的状況は退歩しているのかもしれない。


限定的な情報

↓個人的な情報

タグでホームページを作成した時代

ブログの時代+個人的嗜好での検索の時代

↓mixi

twitter

facebook


個人のレベルでいえば、

タグを作れない人が、ブログを作り、ブログを作れない人が…

といったレベルダウン=大衆化のにおいがある。



また、

ネット上で人的関係が密接になっていくという幻想の中で、

個人の知識・知恵の情報検索の範囲が狭まり、

分析能力は低下してゆく可能性がある。

今年、iphoneはマルチタスクになるのか?

1980年代後半、パーソナルコンピュータという言葉が一般に使われ始めた時代、

小生が最初に買ったPCは、

中古のマッキントッシュPlus(アップル社 内蔵メモリー:1MB HD:外付け20MB)。

中古でもその金額は当時で2ヶ月分の給与と同じくらいだった。

何とこのPCは横須賀の防衛大学で使われていたものらしく、

PCの入っていた専用の外箱にはそう書かれていた。


箱違いの可能性もあるが、

国家防衛上、このようなことは…HDはきれいに消去されていたのかどうか?



さて今年、夏発売のiphoneはマルチタスクになるのか。


今はipodtouch64GBでカメラがなく不自由な身。

アプリの切り替えもいちいち面倒なのでマルチになるなら買おうと思う。


photo:01

面白いイラストを発見。

ジョブズさんの手には3→3G→3G→今年の新4と4台持っているってことかな?。


少し加工して使わせていただきました。

作者に感謝!

国家縮小中の「時代閉塞」観

青空文庫から無料で「時代閉塞の現状」(石川啄木)をダウンロードして、

四半世紀ぶりに読み返しました。


すると、こんな文章がありました。


「国家は帝国主義でもって日に増し強大になっていく。

誠にけっこうなことだ。だから我々もよろしくその真似をしなければならぬ。

正義だの、人道だのということにはおかまいなしに一生懸命もうけなければならぬ。

国のためなんて考える暇があるものか!」


驚いたことに、20世紀初頭の当時と現代がよく似ているではありませんか。

違いは今の日本は「日に増しに縮小中」ということでしょうか。



初アメーバです。
よろしく。,

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