グンカン・戦闘機・戦車の話をしたら右翼だってホントか
軍事的な話をして、
周りで多くの白い目を目にする国は日本くらいかもしれない。
ここ半世紀でヘンな社会になってしまったものだ。
たしかに1945年の終戦の年以前のほうが異常だという目もあるだろうが、
国が国を守る軍隊を持つという目線は正常だ。
そもそも国は国民の生命と財産を守る義務があり、
国民は国に対して安全に暮らせる権利を主張するのがフツーだ。
このフツーであるはずの観念が希薄になったから、
国=行政は簡単に国民の年金記録=国民の財産を消去できたのではないかと思う。
また、あまりこれは考えたくはないが、
いまだに生命と財産は国のもので好き勝手やってくださいという、
滅私奉公的な国民的DNAが人々に温存されているのかもしれない。
政治家や公務員は公僕としてしっかりこのDNAを増殖させてほしいものだが。
たぶん、
両者は裏腹。
ガラパゴスは理想郷だったのに…いつの間に
「ゾウガメの島」を意味するガラパゴス諸島(エクアドル)は、
一度は観光で行ってみたい場所。
大型の捕食動物がいないガラパゴスは、
そこにしか生息しない珍しい固有種の動物がたくさんいることで有名な島だ。
それが否定的な意味合いで最近取りざたされている。
ガラパゴス諸島は他の地域とは異なる独自の生態系を持っていることから、
世界標準からかけ離れて取り残されて独自の道を歩んでいるという今の日本に似ているからだという。
別に否定的に考えることかな…と思うのは小生だけか。
世界標準なんてそう作れるものではないだろっ。
経営の世界にも自虐的になっているように思われる。
ただ問題なのは、
WINDOWSに匹敵する品質を持ちながら世界標準にできなかったトロン計画のように、
また国産戦闘機のF-2のように、
アメリカさんに感謝するあまりに謙虚になりすぎて世界標準を作れにくい環境だったこと(過去形)。
適度な感謝と適度な謙虚さが大事ではあるが、
過ぎたるはおよばざるがごとし。
極端な反米・反中・反韓がよくないことは当然のこと。
日本がガラパゴスのような理想郷でないことは100%確かなことだし、
リコール問題で世界標準になるかどうか?問題になっている、
トヨタのプリウスにしろ、
日本の世界標準は立派に存在している。
ウォークマンがなかったら今のアップルのipod→iphoneもなかったかもしれない。
今後の検討課題は、
そもそも、
日本には「捕食動物」はいなかったのか?
映画「醜聞(スキャンダル)」と現代~今昔相変わらずって感じ
大本営(軍最高司令部)と大手新聞社が挙国一致で戦局のウソをつきまくった太平洋戦争終戦から5年後、
1950年4月、監督・黒沢明は映画「醜聞」(松竹)を完成させた。
奇しくも、
その4月後に1951年にヴェネチィア映画祭でグランプリを受賞した「羅生門」が公開されている。
映画「醜聞」は雑誌社がでっちあげた写真と記事をめぐる訴訟劇だ。
まったく偶然に隣り合わせになった、
有名女優(山口淑子)と画家(三船敏郎)の二人が旅館の窓越しにライカのカメラで盗撮される。
この写真をネタにして二人が意図的に密会していたと雑誌社がスキャンダル記事をでっちあげる。
二人はその記事をめぐり雑誌社を訴える。
二人の訴訟を受けた弁護士(志村喬)は生活に困窮し、当時不治の病だった結核をわずらった一人娘もいた。
雑誌社・社長は原告の弁護士に小切手を渡して敗訴をもくろむ。
弁護士はその小切手で当時高価だったペニシリンを買って娘の結核を治療しようと思ったのかもしれない。
雑誌社・社長のたくらみ通り、訴訟は原告敗訴が濃厚になっていった。
最終弁論の直前に弁護士の一人娘が急死する。
訴訟の最終弁論で弁護士本人が証拠の小切手を法廷で差し出し、
事実を暴露して訴訟は一転勝訴する。
もし、
弁護士の一人娘が死んでいなかったら、
その小切手でペニシリンを買ってしまい、訴訟は敗訴していたのかもしれない。
事実を暴露した弁護士の行動を、
画家は「星が生まれた」奇跡的な瞬間だった表現した。
終戦間もない当時は大本営と政府から流れる情報を鵜呑みにして報道した大手新聞社の欺瞞と反省、
第三者からの情報に対する不信感を多くの知識人が享受していた時代だったのかもしれない。
今の時代にもさまざまに入り乱れたしがらみの中で、
この弁護士のような立場におかれている人々がいるはずだ。
しかし、
星が生まれる瞬間はなかなか見られるものではない。
【蛇足】
1985年のヒット曲
「Everybody wants to rule the world」(Tearsr fears:恐怖のかわりに涙を)の歌詞。
I can't stand this indecision
Married with a lack of vision
Everybody wants to rule the world
Say that you'll never never never never need it
One headline why believe it ?
Everybody wants to rule the world
先の見えないない優柔不断さに
僕は耐えられない
みんな世界を支配したいんだ
君はまったくそんなものはいらないよね
新聞の見出しをなぜ信じられるんだい?
みんな世界を支配したいんだ
All for freedom and for pleasure
Nothing ever lasts forever
Everybody wants to rule the world.
すべては自由と喜びのために
この世に永遠に続くものはない
みんなが世界を支配したいんだ
私見:「みんな」というのは誇大妄想ですが一部いらっしゃることは確かです。
三方良しはWIN-WIN-WINだが実はWIN1個かもしれない
「三方良し」は、
買い手・売り手・世間の三者共に喜ぶという意味で、
WIN-WIN-WIN、商売の三位一体説。
近江商人の歩いた後にはぺんぺん草もはえないというくらい、
すさまじい商売をしてむさぼりつくすともいうが、
そのような悪いイメージを払拭する「三方良し」はある近江商人の家伝の言。
とはいえ、
現実は三者がつねに平等というわけではなく、
三角形にあてはめてみれば一番上の頂点の方が優先的に主人公なっている。
上下関係のない並列関係でも時系列の優先関係は生まれてしまうが。
またハートの大きさもある。
とはいえ、
「三方良し」は2009年度・中小企業診断士1次試験にも出題されて、
少しびっくり。
昨今、顧客共に「共創」するビジネスとか盛んに言われているが、
これは商人が生まれた大昔から当たり前の話ではないだろうか。
株主のために利益をあげるという偏った思想(各論では間違いではないが)や、
商人=経営者の数よりも歯車的サラリーマンが多くなって、
商売の歯車が少しおかしくなってきているのかもしれない。
航自→陸自→次は海自か?ついでに海保にも期待
日米合同訓練のスピーチで陸自・連隊長1佐が首相「発言」引用。
航空自衛隊の田母神さんにつづいて、
陸自もか。
さて次は海自か。
お互い張り合っている感じもしないでもない。
”「シビリアン・コントロール」すれば、
自衛隊を軍隊として認めて独立国家として軍事力を増強しても問題ない」
とまじな顔して力説していた友人が高校時代にいたことを思い出す。
それにしても直接引用せずに、
もう少し言葉を変えて発言すればいいのに…もったいないことだ。
何がもったいないのかといえば、
フツーの国になるべく国防意識が少し出つつある今だから、
何となくもったいないと思う。
しかし、
田母神さんには大儀を感じるが、
平成の2・26もどきの発言は日米安保にこだわりすぎで、
大義が小さい感じ。
鳩山さんの「信頼してほしい」という友愛のメッセージは、
「YES、WE CAN」のオバマさんなら理解してくれると思ったかもしれない。
しかし、
お互い口だけだと愛想をつかされているふしもふしぶしに感じられることは確かだ。
情報の海の中でぷかぷか浮いている不透明なカプセル
人間の感覚器官に入るであろう情報量は飛躍的に増加している。
しかし、
人の許容量は年々小さくなっているとしたら。
情報の海の中で溺れるのではないかという危惧はあるが、
実際は昔以上に情報を無視して都合の良い情報だけを拾っているとしたら。
情報の海の中で、
自分だけがおさまる小さな心地よいカプセルに入って、
ぷかぷか気持ちよく浮いているとしたら。
カプセルは不透明で外がおぼろげに見える程度。
たしかに幸せそうなイメージだが、
このカプセルはどこに流れてゆくのだろうか。
サブ・プライム・ショック!は統制不可能な「脅威」か?
企業内・外の環境分析手法に「SWOT分析」がある。
企業内部の環境では、
S:Strength(強み):プラス面 例:技術力
W:Weakness(弱み):マイナス面 例:社員の高齢化
技術力が経験と知識のある高齢化した従業員のノウハウに依存していれば一概に高齢化が悪いとはいえない側面もあり、そう簡単に白黒つけられないものです。
企業外部の環境では、
O:Opportunity(機会):プラス面 例:巨大な市場がある
T:Threat(脅威):マイナス面 例:市場人口の減少
機会と脅威も複雑に入り組んでいるものです。
これらの4項目の内容を抽出して経営戦略を模索するのがSWOT分析。
この分析は個人の置かれている状況分析にも有効だと思う。
外部環境は企業や個人では統制できないものだが、
まったく統制できないというものでもない。
サブ・プライム・ショックは確かに統制困難な「脅威」ではあるが、
もし、政治家、学者、財界人等がサブ・プライム・ローンへの規制を事前に強化していたら、
このショックが未然に防げた。
その意味では人災にほかならない。
新自由主義の名のもとに市場に判断をゆだね、
結果的に腐ったリンゴがはじけて金融市場は破裂した。
チュウーリップ・バブルや日本の土地バブルは土地・株式という物理的で比較的わかりやすいものを前提にしたバブルだったが、
サブ・プライム・ショックはデジタル的でソフト的なバーチャルな数字だけのバブルだったように思う。
それゆえに人類には未知なバブルだったのかもしれない。
良いリンゴがたくさん入った箱の中に腐ったリンゴのようなサブプライムローンを一部組み込んで、
高度な金融工学を駆使して編み出された金融商品(リンゴの箱)を客観的に評価することが困難だったともいえる。
しかし、
これからの社会(企業・個人も社会の一部として)が、
同じことを許し、
同じ過ち繰り返すとすれば、
それはWeakness(弱み)であり、T:Threat(脅威)そのものだ。
坂の上ではなく「峠」というイメージ~地検・マスコミvs小沢派
「大菩薩峠」の著者、中里介山によると「峠」は中国語ではなく日本の国字だという。
憲法学では行政肥大化現象と言われて半世紀、
行政=官僚機構の最後の砦である検察。
マスコミは司法・立法・行政に次ぐ第四の権力といわれて久しいが、
国内市場も衰退し、国際競争力もまったくなく、
マスゴミになりかけているマスコミ。
優秀な人材が企業等に集中し過ぎて、
知力・能力低下のはなはなだしい政界にあって、
古い政治手法を継承している旧・田中派最後の一派小沢派。
この三つどもえの権力抗争をちょっとだけ期待していたが、
多くのマスコミ諸会社(収益重視の談合組織でしかないが)は主体的な考察・分析もせずに、
検察からの裏情報を一面記事で垂れ流してジャーナリズムの権威を失墜させた。
おごれるものも久からずでマスゴミであることを証明したので結果的にはOKだ。
これらの権力の外にいる心ある多くの人は、
たぶん、「中」の人も日本の未来に見晴らしの良い坂の上の光景をイメージしていないだろう。
実際、日清・日露戦争の国難を乗り越えた明治~昭和初期も坂の上は晴れ間ではなく、
日中戦争から太平洋戦争へと続く風雨と雷、そして鋭角な下り坂だった。
そういう意味で下り坂という点では今の時代と大して差はないのかもしれない。
一番大きな違いは、
現代には「偉人」「英雄」がいないことだ。
私利私欲を第一として画一化された個性の群れだけがそこに…。
秀でた個人を出さないシステムができてしまったのか。
個人差の出るモーレツな上り坂の時代のたいへんさとは違い、
のんびりと下り坂の歩きやすさに満足している観もいなめない。
登坂で蓄えた財力もあるから悲観さもさほど大きくない。
しかし、歩くのは楽だが登山でも階段でも下りが一番危ない。
適度なストレスの中で動物や人は最大の力を発揮するという。
過度なストレスは体に悪く判断ミスも誘発する。
ストレスがまったくなく、退屈な生活は寿命を短くするとも言う。
下り坂にあってストレスを適度に保持しながら、
なだらかな登坂をしたいものだ。












