「自分(丹田)に火を灯す」

 

 

「丹田に火を灯す」

 

この感覚は、聞いた瞬間にピンとくる人と全くイメージが湧かない人とはっきり分かれる。

 

「東洋人」と「西洋人」「欧米育ち」で反応が二極化する。

 

欧米人で東洋の身体文化に触れていない人だと「丹田に火を灯す」を即座に理解できる人は少ない。

 

残念だが今の日本人でも…イメージが湧かない人が居るようだ

 

 

「丹田を温める」行為の本質は、漢方的な「温補法」ではなく、より広範な意図・動作中心の「温め」である事。

 

カイロ・漢方・よもぎ蒸し・整体…の他力でいくら温めても「自分の火」は点かない。

 

本質は、自分の意図と動作によって“内側から火を灯し、自分が天と地と繋がること”であり、自分で自分に火を灯すのが強い意味を持つ。

 

 

「体温」と「下丹田の火(生命源の火)」の違い

 

 

 

★体温

☆下丹田の火

 

★全身(物理的な温度)

☆主に下丹田(内なる生成)

 

★外力(カイロ、食べ物、運動など)

☆自力(自分の意図と動作で内側から灯す)

 

★表面の温かさ、血流改善

☆生命力の根本活性、天・地との繋がり、虚軸の基低。空間認識の反転を促す。

 

 

「体温」と「下丹田の火」は別物であり、体温が高くても下丹田の火が灯っていない人は居る。体温が低めでも下丹田に火が灯っている人は自然治癒力が本質的に高い。

 

★体温が高い=自然治癒力が高いは部分的には本当。俗説寄り。

 

☆丹田の火が灯っている=自分治癒力。他力では到達出来ない領域。

 

「東洋医学の火」と「下丹田の火」は別物。

 

東洋医学(特に中医学)では、体内の「火」を「命門の火」や 「腎陽」 として考える。

 

東洋医学の火は漢方・灸・温めるもので外から補うもの。漢方や灸で体を温めても「丹田の火」は灯らない。

 

意識レベルから違うもので、医学の欠けたものであり、自分で火を灯すので根本から別物である。

 

 

 自然治癒力の本質は「丹田の火」

 

人間の体は産まれながらに回復システム持ってるものの、それフル稼働させるスイッチが下丹田。

 

冷えてる丹田じゃエンジンかけずにアクセル踏むようなもの。 食で摂取しようが食は材料、稼働する丹田が冷えてたら無理。自分で温めるので本来の治癒が稼働する。

 

自分(=しおぎ)は、若い頃に原因不明の血の病気からの臨死体験をした。

 

死から生へ戻る時に、死から生へ戻すにも、病気を超えないといけない。

 

病気を治すのに“存在達”からのアドバイスは『体に火を付けろ』と。それは下丹田に火を灯す事だとわかってたので、仕事をやめて3カ月間毎日“ぼー”とし続け、毎日3時間ぐらい自分の手で下丹田を温め続けていたら体は元に戻った。病気になる前はやってなかった。それ以外はなにもせずで病気は治まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔の人達がやっていた

体を温める手法

(肚文化)

 

 

〇立肚呼吸(りつはら)

 

☆ 立ったまま、両足を肩幅に開く  

☆両手を下腹部(へその下3〜5cm)に軽く当てる  

☆鼻からゆっくり息を吸うとき、下腹をふくらませる(逆腹式)  

☆口からゆっくり吐くとき下腹を凹ませる  

☆1分間続ける

 

 

〇肚締め歩き(はらじめ)

 

☆ 歩くときに下腹に軽く力を入れて骨盤を少し前傾させる

☆イメージは「股関節から足が生えている」感覚で歩く  

☆普通に歩くより体温が0.5〜1℃上がりやすい

 

 

〇尻締め

 

 ☆肛門と会陰をキュッと締める(軽くでOK)  

☆これだけで下半身の血流が一気に戻る  

☆江戸時代の火消しや飛脚が使ってたと言われている(寒いときの即効技)

 

 

〇金津玉液(きんしんぎょくえき)

 

昔の人や東洋医学では腎臓(腎)を冷えの大きな対象として扱った。

 

☆舌で上あごをなでる→唾液が充分に溜まったらゴクリと飲み込む

☆道教由来だけど日本でも昔から仙人の飲み物と言われ、『腎を温める』と言った

 

 

〇腎兪(じんゆ)たたき

 

☆腰のベルトの少し上(第2・3腰椎あたり)を両こぶしでトントン叩く(50〜100回)

☆昔の人は「腰叩きで冬を越す」と。腎を温めれば足腰は温まると言った。

 

☆足三里押し、三陰交温め、合谷押し+息吹きなどは省略。

 

 

〇丹田温め  

 

☆寝る前に両手を重ねてへその下5cmに当てる  

☆手のひらでゆっくり円を描く(100回くらい)  

☆そのまま手を当てたまま寝る

翌朝の体の温まり方が全く違う

 

 

丹田を掌で摩る

 

「丹田を掌で摩る」は昔の気功・東洋医学では下丹田を温補する基本中の基本で、下丹田+骨盤底を刺激することで腎を補い、自律神経・免疫・ホルモンバランスを整える。

 

婦人科系トラブル(冷え性・生理痛)、前立腺炎や膀胱炎の予防、便秘改善、腰痛・椎間板ヘルニアの軽減、、現代でも使われている。

 

これはただ体を暖めるでなく、下丹田+骨盤底を刺激することで「腎(生命エネルギー)」を補い、自律神経・免疫・ホルモンバランスを整えるもの。

 

骨盤底筋群+深部腹筋(腸腰筋など)が収縮されるので下半身に溜まりがちな冷え・老廃物が一気に心臓に戻され副交感神経がオンになる。

 

 

裏メニュー

 

当然、丹田については裏メニューが存在する。

 

丹田は意識空間の情報界と繋がりを昔の深い修行者達は知っていたので「丹田を情報界の本当のゲートにする最終形」へと、丹田を本気で温め・練り・意識し続けた。

 

昔の仙人達や道教の伝説的な人物の八仙の鍾離権や呂洞賓は、山中に隠遁して修行する生活の中で一日中の殆どの時間を丹田を練るに費やしていたと伝えられている。

 

本気で自分の体を内から変えたいという人は3カ月間欠かさずにこれを続けるといい。

 

 

本気で体の内から変えたい人用

 

 「丹田の実体」を作るのが体を変える入口。

 

毎晩寝る前に必ず掌で下丹田を、男の場合は右回り、女の場合は左回りを360回。3カ月間やる。

 

3ヶ月後は「朝でも丹田がポカポカしてる」状態になる=下丹田が「実体化」した証になる。

 

※個人差あり

 

 

 

 

 

伝統的な正月の本質

(祖霊信仰と先祖祭祀)

 

昔は「正月」と「お盆」は、日本古来の祖霊信仰が根底にあり、特に正月は「歳神様(としがみさま)」という神(豊作や家内安全をもたらす神)が訪れるとされ、この歳神様は先祖の霊と結びついていた。

 

正月は単なる「お祝い」ではなく、先祖の霊を家に迎え入れる「先祖祭祀」の大事な時期だった。

 

お盆は祖霊供養が残ってるけど、一年で二回あった祖霊信仰と先祖祭祀の正月側が消えていった。

 

昭和30年代の高度経済成長期に「お歳魂」が現金化され、お金や商品のやり取りに変わり、物質的・商業的なものになり、、。

 

結果、正月は「家族の休暇」「初売り・消費」「新年のお祝い」中心のイベントに変質した。歳神様も、祖霊への感謝や供養も薄れ消えてしまった…。

 

誰が正月を変えてしまったのか

 

この土地に根付いてた正月の伝統を捨て。

 

現代日本人(人間の末路の完成形)は、古来からの正月の伝統を捨て。

 

誰かさんが誘導した正月を「新年のお祝い」「家族の休暇」「消費のイベント」だと思ってる。

 

すっごーいと思うよ。

 

外国人が増えて日本がどうたらこうたら以上に、現代日本人(完成形の人達)が古来日本の伝統を破壊していく。

 

 

明治の先祖の先祖祭祀

 

祖母は日常即霊性の人で霊性と会話が出来たので、祖母の家の正月の先祖祭祀はご先祖様の霊達でいつも賑わってた。

 

本当にご先祖様の霊は正月に来る。

 

仏壇は正月飾りで松、南天、柳などの常緑樹(永遠の命を象徴)を飾る。鏡餅やお供え餅を置く。

 

ご先祖様へのおせち料理は黒豆、数の子など縁起物、お雑煮、果物、お酒、水やお茶。

 

門松・しめ飾りは、歳神様(祖霊様)が迷わず家に来るための目印と依り代。

 

門松で場の神聖さを、しめ飾りで清浄な空間を示しお待ちする。

 

大晦日に仏壇とお墓に一族集まり正装で挨拶と感謝。

 

元旦にも仏壇とお墓に一族集まり正装で挨拶と感謝。

 

三が日の間は大勢の滅多に人の前に現れないご先祖様も来るので祖母は祖霊様との会話で尽きなかった。

 

「あけましておめでとうございます」は人へ言うより祖霊様へ言う回数が多い。

 

子供の頃のオレは、祖母の家に集まる祖霊様への挨拶と感謝をするのが絶対だった。

 

これが難しい。

 

祖母から「誰々だよ」とご先祖の名前とか聞いてもわからない。

 

でも挨拶と感謝は一人一人のご先祖様に言わないといけない。

 

祖霊のご先祖様の言葉がわからないとは言えないので必死で察していた。

 

毎年のように『挨拶と感謝がなければ“おかげさま”は動いてくれんぞ』と言われていた。

 

 

 

 

 

 

 

『あっという間』の呼吸

 

12月、年の暮れの風物詩の『この一年早かった』『一年あっという間だった』はその人の呼吸を露わにしている。

 

胸がほとんど動いてなくて肩だけでチマチマ呼吸してる人がよく言う言葉。

 

 

☆呼吸が浅いと、1回あたりの「今」の量が少なく、一年で積み重ねられる「今」の総量が減る。

 

☆記憶に残る体験が減る。

 

☆ 結果「あっという間」に感じる。

 

 

『一年あっという間』=「浅い呼吸」=「社会時計に縛られてる人」

 

社会時計、特に「この年齢でこれをすべき」という時間軸に縛られると「浅い呼吸」は繋がっていることが多い。

 

社会時計は、人の本質の「死」を隠してくれる便利なもので、自分の死を直視できていない現象が呼吸を浅くする。=外の時計(社会時計)に依存する。

 

 

「浅い呼吸」=「交感神経優位」=「常に危険回避モード」

 

慢性的に「失敗したら終わり」「取り返しがつかない」という恐怖心を何処かに持っていると、自然に肩だけのチマチマ呼吸になり、反対に「今この瞬間」を生きるが出来なくなり、「外の時計」に人生を預ける=浅い呼吸のループにハマる。

 

臨死体験をした自分から見れば、「社会時計は無意味」「年齢は全く無意味」「タイムラインは全部嘘」を体験をしたので、「社会時計」はゲームの道具としか利用していない。

 

「死」は誰だって怖いもので、そこで「丹田」が絶対的に重要になってくる。昔の日本人には「肚文化」があった理解が出来る。

 

 

時間の本質

 

 

「時間」と言われてるものは外に存在せず、在るのは「 今この瞬間」に吐き出した一回分の呼吸だけが存在する。

 

「呼吸」=「時間」

 

 

☆吸う

まだ存在しない「前」を肺に取り込む。

 

☆吐く

その瞬間に「今」が確定。

過去の層として霊性の外殻に貼り付ける。

 

「時間」は呼吸が作ってる。

だから死後は時間が無くなる。

 

※社会時計とは別物の時間。

 

 

 

 

 

 

☯人間を餌にする人間たち



結局、誰もがどこかで加害者であり被害者でもある皮肉な人間の世界で、今は誰かが「餌」にならないと成立しない現代の経済構造が強く浮き出て、SNSでも「人間を餌にする人間たち」が露わになった。

 

人間が人間と向き合わずに虚構の理性と社会契約を結んだ。

 

「人間を餌にする」と言う行為は、原始的な捕食が歪みに歪んで、権力や資本、承認欲求といった抽象的な資源を奪い合う形となる。

 

他者を餌にする者は自らの存在を強化しようと他者を餌にして踏み台にする奴隷道徳の裏返しと言える。

 

 

☯人間が餌になることを避けるには

 

 

人間を餌にする人間が多い中でー。

人間たちの競争、街のざわめき、群れの騒音、金の流れ、言葉の甘い毒、虚飾の言葉、社会の暴露などに仕掛けられた網。人間を喰う為の罠。

 

『誰が悪い』『なにが正しい』という後付けでしかない大漁を狙う引き網漁のような網。

 

「なぜだ」「どうすべきだ」との問いかけさえも握り潰す。

 

そんな真実は要らん。



自分の肚を据え、太陽が昇れば目を開け、足が動きたがれば歩き、木の枝が風に擦れる音、足裏に刺さる石の冷たさ、ー事実に立つ。

 

真実は網や罠だらけだが、網は事実に届かず、事実に罠はない。

 

自分の影を濃くすれば「餌」にならん。