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地球温暖化推進委員会

全てのエコNPO・NGO団体に神の裁きを!

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 先日ZZR400N4で往復2000km弱の高速ツーリングをした。この距離は普段なら4ヶ月分の通勤距離を二日半で走った計算になる。ちなみに通勤は1往復で26km。当然この長旅から戻った翌日も出勤にZZRを使っている。

 私のZZR400N4は全くカスタマイズはしておらず、カワサキの工場出荷状態で20年使用している。今回の長旅で天候の変化を予測し切れずに防寒が一時上手く出来なった事で冷えからくる筋肉の強張りが起きた。この冷えによる筋肉の痛み以外には目立った身体への負担は認められない。片道13時間の道のりで翌日に関節や筋肉のストレスを持ち越す事は無かったのである。

 端的に言えばこのZZRモデルは毎日長距離走行が可能な人間工学的な観点から設計されていると感じる。ツアラーのカテゴリーでは”名作”と呼んでも問題はないだろう。確かに設計年度は20年以上前の前世紀の代物。しかし未だその機能は21世紀の製品に対して一歩もひけをとらない。

 亡き友人が北海道から鹿児島までZZR400N6で駆け回っていた理由が今更ながら納得出来るのである。特別な日に食べる御馳走がリッターバイクならこのZZR400Nは毎日食べる白米と言ったところかな。

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 1970年代に生産されたタミヤ製二式水上戦闘機の操縦席の風防の枠塗装が出来るところまで何とか進んだ。風防の取り付け作業の前に通信用のアンテナマストを取り付ける必要があった。アンテナマストの造型は一体形成部品でエッジもシャープだったが古いキットのせいかランナーから切り離すと微妙に変形している様に見えた。ひょっとしたら修正中に割れてしまうかもしれない。ネット上の先輩方の知恵を拝借して真鍮線を叩き延ばしてアンテナマストを複製する事にした。

 大阪日本橋の模型屋をハシゴして模型用の真鍮線を買ってきた。バイス台を金床代わりにして板金作業をする。なんとなく形が似てきたところでヤスリ掛けしてサイズ・角度を確認しながら作業を進める。機体側の差込穴と風防側の穴の位置が微妙にずれてマストが右側に傾斜してしまう事が判明。色々思案してアンテナマストの下部側面を削って修正をかけた。アンテナマストの接着には修正時間を確保出来る木材用の瞬間接着剤を使用。

 風防の枠塗装はタミヤ製品は専用のマスキングシールが付属しているから楽勝との情報を得ていたが・・。1970年代のこのキットにはモデラーを甘やかす便利グッズは付属していなかった。窓枠の枚数分のマスキングテープを地道にコツコツ切り出す。蛍光灯スタンドの光で風防の内側からモールドを浮き出させてクラフトナイフの先端を沿わせて切り出していく。3日掛りの作業になった。

 スプレー塗装が終わり仮組みしてみると模型らしさが際立ってくる。ほぼ自画自賛状態だが窓枠が出来ただけで飛行機らしくなる。操縦席のキャノピーは飛行機の顔だな。

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 今月初めに東京出張の時に秋葉原まで足を延ばして模型関連の店を偵察してきた。駅前のイエローサブマリンで帝國海軍軽空母飛鷹のネームプレートを手に入れた。飛鷹は正確な資料に乏しいせいか模型化されていない。2番艦の隼鷹は戦後まで残ったせいか模型化されている。以前にもネームプレートを探してみたがニーズがないのか見つけられなかった。おそらく最近人気のオンラインゲームの”艦これ”の影響で艦船模型ではなく、美少女フィギュアの為にネームプレートのニーズが出てきたと推測できる。私にとっては渡りに船で即効で確保した。素人ジオラマでもプレート一つで見た目がしまる。

 東京出張中にオクで落としたFZ1GTの中古サイドパネルが届いていた。この季節になると車体の各所から吹き出るエンジンの熱風が下半身を焼いていく。あちこち目張りで塞いでも熱だまりが車体内に出来るのはトラブルの元なので排気用のスリットを加工で作った。失敗すると悲惨な事になるので廃車した車体から取り出したジャンクパーツを流用したのである。左右で980円の掘り出し物だった。

 模型用のモーターツールにディスクグラインダーをセットしてスリットを開けた。模型製作を始めたおかげで加工の業が少し上がったような気がする。たしかに機材や塗料の扱い方は上達したかな。

 取り合えず自分で言わなければお手製のスリット加工とは解らないくらい周囲と調和して違和感はない。
あとは走って効果を確認するだけだな。

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 最近の暑さは老体には堪える。鰹節の乗った冷奴が美味しく感じる。東京に行く機会があったのでいつものラーメン二郎品川店に行って精を付けようとラーメン小のカラメ、ニンニク、野菜を注文して待っていた。私の前に並んでいた常連らしい客がラーメン小のカラメ、野菜、アブラを注文しているのを見た。

 今までアブラのトッピングはあえて避けてきた。何故なら見た目に胃の負担増は避けられない感じで最悪の場合残すかもしれないと思っていた。山盛りの野菜にアブラを乗せて果敢に山盛り二郎に挑んでいる風景は珍しくはないがひょっとして美味しいのかも知れないと思い、1日の間隔を取ってアブラののった二郎に挑んでみた。野菜とアブラを組み合わせるがアブラの風味が解らなかった事もあり、ニンニクを一段階マシして注文する。ラーメン小、カラメ、ニンニクマシ、野菜、アブラをコールしてこれが出来た。

 意外にアブラに甘味を感じる。増したニンニクと野菜でいい感じの味のハーモニーである。見た目に騙されて今まで敬遠してきたがこれは黄金レシピかもしれない。二郎は客がトッピングを変化させる事が出来るので奥が深いのである。暫らくはこの”アブラとニンニクマシ”を極めようと思う。

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学生時代にお世話になったカレーショップデリーが今年の7月末で閉店すると聞き驚いた。時はすでに5日を残すのみであった。奇遇なのか縁なのか休日が2日間確保できたのでマスターに事情を聞くと共に懐かしのカレーを味わう為に長崎~福山間往復1040kmを走る事にした。

この店で初めて洋食の奥深さを知り、プロの職人の何たるかを知った。有り難い事にアルバイトの形で仕事の一端を体験させてもらい、今で言うところの”賄い飯”まで食べさせてもらった。お金をもらって社会勉強をさせてもらっていたのである。今、自宅で作る欧風カレーはデリーの自分なりのコピーだ。

事前情報で店じまい準備と最後に入った通販のカレーのパッキング作業でお店での食事が出来るか否か怪しい感じであったので当初の日程を1日繰り上げて出発した。7/29午前7時に出発して福山駅前の駐車場に12時40頃に到着。お店の前に行くと”本日は予約のみ”とボードに書かれてある。ドアが開いているので覗き込むとマスターが一人で仕込み作業をしていた。最初、口髭と眼鏡のせいで私が解らなかったようだが髭を指で隠してみせたら驚いてくれた。予約の準備で急がしそうであったので、夕方に出直す事にして一度退散して午後5時半過ぎに再訪した。

メニューは既に仕込みに手が掛かる欧風カレーは無くてスープカレーのみになっていた。10年ほど前に辛いものブームの時に開発したマスターオリジナルのスープカレーである。このカレーは辛いものを好むインドや東南アジアからの外国人客や関東からの出張サラリーマンに絶賛されていて通販でリクエストが特に多い商品らしい。私がここで働いていた時には無いメニューで初めて食べた。

一口目に切れのある辛味が来てそれに負けないコクと旨味が口に広がる。暑いこの時期には特に食が進む。かなりの時間と手間をかけてレシピ開発をしたらしい。私達は飛び込み客だったのであり合わせの食材で出来る物にしてもらったが本来はこのスープにタンドリーチキンが入って出てくる。スープカレーは北海道が発祥だが、この組み合わせはデリーのマスターが考案して商品化した。インド人と道産子も絶賛したらしい。外国人客に”日本人にこの味が作れる筈はない。お前はミャンマー人だろう!”と言わしめたとか。

辛いだけではなく、味わい深い旨味とコクの出し方にはここの欧風カレーに共通する物を感じた。紛れも無くマスターが作ったカレーである。しかもこのスープカレーは冷めても美味しい。冷えた雑炊のような状態にしても旨味とコクの感じ方に変化がない。こだわりある作り方をしているのが解る。

この店が出来た31年前はバブルで世の中がはじける直前だった。時間の流れと共に店と客は一緒に歳をとっていく。客は世代交代してライフスタイルも変化していく。同様に街の構造が変化して人の流れ方もそれに従う。

マスターがこの店を畳むにあたり、断腸の思いだったのは想像するに容易い。私も悲しい想いである。この店は通りに面しておらず、店の中にいると昼間なのか夜なのか、雨が降っているのか晴れているのか解らなくなる。まるで時間が止まっている様に感じる空間だった。この店に通ったのはカウンター席のみの店舗であったにも関わらずゆったり出来た事もあるだろう。”お気に入りの店に足を運ぶ。”と言う御作法が今の若い世代には稀薄なのだろう。今の庶民のグルメの王道は”お取り寄せ”なのだろうか。

スープカレーのファンが通販だけでも続行して欲しいと言ってくるらしい。確かにこの味が消えてしまうのは非常に残念である。私も同じ想いだ。何とかしてマスターのこの味を残して欲しい。

願わくば店舗での営業の再開を祈るものである。