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地球温暖化推進委員会

全てのエコNPO・NGO団体に神の裁きを!

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 最近ZZR400N4にかなり経費と手間がかかってきた。(ううううっ)とは言え非常に快調に走行している。車体と同時に購入したヘルメットも15年のビンテージ物になってしまった。ヘルメットと言う物は設計上の性能を維持できるのは生産されてから3年程度らしい。つまり私のヘルメットはすでにお飾りであり、道交法をかわす為だけの物になっている。先日走行中にシールドに甲虫がヒットした。あろう事かこの衝撃でシールドにヒビが発生し、後日ヒビが成長している事が確認できた。材質的に劣化しているのは明白でシールドの新規購入を考えたが、15年もののヘルメットに今更新品のシールドと言うのもいささか矛盾を感じてしまう。やはり命を守る防具なので一新して買い換える事にしたが、N4の維持に経費を取られて予算的に行き詰まってしまった。私はヘルメットメーカーはショウエイ派である。15年前の物と同等品を選択すると価格が4万円を軽く超えていく。困った。先立つものが無ければ話にならぬ。ここで貧民の為のネットショップが役にたつのである。楽天ショップでOGKと言うメーカーの商品を見つけた。OGKは日本のメーカーだが、生産ラインを中国に置き商品の単価を抑えている。チャイナクオリティーと言う言葉もあるがこの際背に腹は換えられぬ。駄目なら買い換えればよいではないか。目出度く商品が届き確認したが不具合は認められなかった。

 あまりにお天気がよいので休みを取って三度佐賀県の三瀬峠越えのソロツーリングにでた。今回は今までの中で一番天候に恵まれ、気持ちのよいクルーズとなった。平日であったので三瀬高原は交通量も少なく、ライディングを楽しめる。おニューのOGKのヘルメットの筆下ろしの意味もある。
 しかし油断大敵であった。三瀬村は平日とあって観光客が少ない。道はすいている。ライダーや四輪の走り屋は村を越した峠が目当てであるが・・。三瀬村のほぼ真ん中辺りで鴨をしとめた機装車を発見!いつもの白いクラウンの登場。可愛そうな鴨は制限時速40kmのところを恐らく20キロ以上の速度超過で反則切符を切られたに違いない。明日は我が身である。おー恐っ!

 三瀬峠を一度福岡側に抜け、御馴染みの大和家で生姜焼き丼と唐揚げを昼食とした。今回は復路の峠でバイクをより寝かせて走るつもりなので盛り加減は普通である。ちなみに店の滞在時間は15分程度だった。気持ちよく走り、気持ちよく食べるにはこの程度が頃合いか。

 帰宅への帰路の途中の事。東そのぎICから大村市に入る34号線の走行中、バイクの速度計の上のパネルの隙間から白く細い触手の様なものが出てきた。最初は朽ちた輪ゴムか何かかと思っていたが、明らかにメーターパネルを触手で確認しながら左側から右側に移動して行く。昆虫と言うよりはミミズやゴカイの表皮に似ている。光線の加減で隙間の向こう側に本体らしい数センチ程度の白いものが見え隠れしているのが見える。時速60キロ程度での走行中であったので信号待ちまで待ったもののその時には既に視界からは消えてしまっていた。あれは一体何だったのだろうか?

 この国には古来より、古道具に取り憑く九十九神と言う神がいるらしい。古道具を放置する持ち主を戒める神様である。もしかしてこの白い生物の様に見えたものは九十九神だったのかも知れない。でもかなり維持に力を入れている筈なのに九十九神が何故いるのであろうか?あれは繊細微妙な私にだけ見える九十九神化した己の分身であったのかも知れないな。

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 気温がいよいよ下がり、エンジンにもそしてキャブレターに吸気される混合気の空気密度にも好ましい状況になってきた。電子制御のFIと異なり、機械式のキャブレターでは気温と湿度変化によるエンジンのレスポンスに顕著な変化が出る。この時期はエンジンの吹け上がりが軽く感じられ心地良い。

 先日から休日前に何かしたくてモヤモヤしていたのである。約二日間に渡る自問自答の末、何処でもよいから旅に出たいと言う欲求がある事に気が付いた。観光したい明確な対象があるわけではない。兎に角旅に出たいのである。松尾芭蕉やファイナルファンタジーの勇者様でもあるまいに旅の目的を自らに問う。何かを探すわけでなし、この地より追われる身になったわけでもなし。

 かなり昔の事である。NHK番組で南極大陸の話をしていた。はっきり憶えているのは何故かは解らないが南極大陸の結構海岸線から離れた奥地でアザラシのミイラが見つかった。ミイラの状態から見ても南極大陸がまだ他の大陸と一体であった頃の何万年前の物とは思えない。もっと年代が新しいのである。確たる事は言えないらしいが、動物は個体数を増やす為に新しい生存圏の開拓を本能的に行うらしい。言われてみればこの環太平洋エリアに生息している人間は太古より海流に乗ってあちこちに生存圏を拡大してきたと言う既成事実がある。当時の人間が水平線の彼方に自分達が生存できる環境があるかどうかなど確かめる術は無かった筈である。一体何に導かれて海に漕ぎ出していったのであろうか。それこそ本能的な生存圏拡大の欲求であったと推測できる。一口に言えば、タンポポが風を利用して種を飛ばしているのと何ら差は無いと言えよう。

 詰まるところ、私の旅に出たいと言う欲求はタンポポの種になってどこぞに飛んで行きたいと言う事と同義である。目出度く本来の目的が自覚できたので、まだ一度も訪れた事が無かった大宰府天満宮に目的地を決定した。何故ならここには種どころか成長した木の状態で京都から飛んできた”飛梅”があるからである。この飛梅は主である菅原道真公を追って一夜のうちに数百キロを飛んできたと言う事になっている。まるで生存圏の拡大のお手本のような話ではないか。

 走行時間8.5時間。走行距離300キロ。昼飯抜きで走り続ける・・・。

 レーベンスラウムの拡大の欲求はこれで満たされた。

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 さて気温が下り過ごしやすくなったので7月に調査してあった福岡大前の大和家の唐揚げ丼大盛に挑戦すべく愛車ZZR400Nを駆って”自分探しの旅”に出た。前回と異なるのは佐賀大和から福岡に抜ける際に三瀬トンネルとループ橋を使わずに旧道を走ってみた事である。標高の高い三瀬村近辺はまだ紅葉とまでいかないが明らかに涼しくて秋の気配がしている。走行していても暑さはほとんど感じず快適なクルーズであった。三瀬峠の旧道に入った途端、タイトコーナーが連続するクイックターンばかりである。しかも起伏の激しいブラインドコーナーばかりなので初めての走行でもあり無理は出来ない。ところどころ路面に湧き水が流れ出していて油断すると即転倒につながる。神経をそれなりに使うが大型二輪教習のスラロームを思い出してしまい、それはそれで楽しめた。しかし超満腹状態で挑むのは如何なものかとも思案せざるを得なかった。先月から前後のタイヤを新品交換し、サスペンションも整備済みなので何の不安もなく安定して走れた事は嬉しい限りである。

 途中の道の駅で小休止もして体調万全で大和家に入店。窓辺のテーブルにつく。程なくお目当ての唐揚げ丼の大盛りが来た。前回の時と較べるとご飯の量がほぼ丼のすりきり一杯あり、約3cmほど飯面(?)が上がってきている。唐揚げの山の高さも高く、大盛りは唐揚げ用の取り皿が供される。一通り記録写真を撮った後にいただく。

 美味しい!食べ進めて行って気が付いた。ここの器の丼はかなり底が深い。ご飯を大盛りにすると保温性がよくなり、なかなか冷めない。やはり暑い季節より涼しい時期がバトルに向いているように思う。例によって残りおにぎり一個分になり、少し苦しくなったが無事に完食できた。実はこの為に前日の昼から固形物を取らず、腹筋運動をして出来るだけ腸内に残留物を溜めないように準備してきたのである。なぜならバトル後にもう一度峠越えをして150キロの道のりを帰らねばならない。万一のリバースやお漏らしは即、転倒事故につながるので無視できない問題なのだ。

 私のバトル中、横のテーブルに会社員3人組が座った。三人とも20歳台中盤くらいにみえた。リーダー格の男が唐揚げ定食の大盛り、二番目が焼肉丼、三番目が唐揚げ丼のオーダーであった。カウンター席の学生が注文した丼を見て何やら騒いでいたが・・。その表情は苦笑と期待と不安が混ぜこぜになったものである事は言うまでもない。リーダー格が頼んだ定食のご飯はこんもりとまんがの昔話に出てくるアレとうり二つでしかもしっかりご飯が押し固めてある。本意ではないが彼らの一部始終を見る事になってしまった。焼肉丼を食べた二番目の彼のみ完食し、他の二人は自爆していた。彼らのバトルを見届けた後に店を出た。

 天候がいまいちであったのでもと来た道を引き返す事にした。佐賀大和の辺りの道の駅で干し柿のソフトクリームが売られていた事を思い出し、デザートに食する事にした。美味しいのだが、どの辺が干し柿なのか良く解らない・・。

 これで一つノルマを消化できた。寒さで峠越えが出来なくならないうちにもう一度くらいバトル出来たらと思ふ。

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 愛車のZZR400Nのフロントブレーキのホース類の腐食が酷いので赤い男爵さんにてマスターシリンダーからキャリパーまでのホースとバンジョーボルトを全数交換した。15年もののビンテージ品である。大抵の場合、ブレーキホース交換はカスタム品のステンレスメッシュを使用する場合が多いが私のN4はもういつ何が起きても不思議ではないので敢えて純正部品とした。

 交換作業中、例によって店内に展示されている車両をウインドウショッピングしていたら、スティーブン・スピルバーグが監修したのではと思わずにいられないバイクを発見した。ドイツ製のBMW社の製品らしいが、ヘッドライト周りのデザインがどう見てもE・Tのそれであり、色も宇宙人の中でももっともメジャーな”グレイ”の肌を思わせる渋い銀色である。NASAのジェット推進研究所の故カール・セーガン博士がこれをみたら吹き出さずにはいられないだろう。ハリウッドから著作権侵害で裁判に訴えられても当然として社会は受け止めるであろう事は想像するに難くない。

 整備が終わり車両を引き取る際に担当してくれた工場長が”あと3800キロで新車になりますね。私ここの工場に赴任して今月で4年になります。このバイクのメーター(距離計)がゼロになるのを見届けないと移動できませんよ。早く走って下さいね。”と意味不明な事を口走った。どうも私は経験の浅い整備士には任せられない厄介な客らしい。バイクの10万キロは車の20万キロに相当する。彼が作業の際にキャリパーのOHを近々した方がいいと助言をくれた。まだまだ彼との持久戦は先があるようだな。

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 かつて高度成長時代にテレビと言う物は魔法の箱であった。そのガラスの画面には地球の裏側はもとより、月面のアポロ11号の映し出す地球外の惑星の風景まで映し出す事が可能であったのである。それ故に多くのいたいけな民衆はテレビを宗教的な何かか、それ以上に信じるようになった。そしてテレビが家庭の内部構造を変えていく。
 戦前より絶対的な権力を握っていた父親を中心に回っていた家庭と言う名の小宇宙の中心がテレビと称する電気じかけの箱に取って変わられていくのである。主婦達はテレビの画面の中のメロドラマに泣き、幼い子供達はアニメや、アクションヒーローに狂喜乱舞するのである。そして父親は野球放送と晩酌でこの世の憂さを晴らすのである。悲しきは父親である。知らす知らずのうちに己が存在意義を忘れ、汚れた洗濯物を箸でつままれる身分に成り下がった。リーダーを失った集団のたどる末路は野良犬のそれより悲惨なものだと私は断言する。そのなれの果てが自称”自宅警備員”や大都市の繁華街に跳梁跋扈する山姥ごとき化粧をした脳髄の爛れた女達である。これは戦後日本人を骨抜きにする為に、米国政府に操られた日本テレビの創設者の一人である故正力松太郎氏の仕業ではないかと私は推察する。

 そして私自信も例外ではなくテレビの放送に精神を侵された哀れな国民の一人である。どういう経緯があったかは知らないが某缶コーヒーメーカーが玩具付きのコーヒーを発売した。それ自体は珍しい事ではない。玩食と言う言葉は既に聞きなれている。着目すべきはおまけの中身である。

                    ”ジェットビートル”

 これはジェットエンジンを搭載したドイツのフォルクスワーゲン社の車両の事ではない。
1966年に円谷プロが製作したテレビ番組”ウルトラマン”の劇中に出てくる科学特捜隊の飛行機である。このデザインセンスは独特でカラーリングは故岡本太郎氏の太陽の塔もかくやと言うべき物であり、コックピット周辺は当時の流行なのか新幹線や当時の小学生向けの学研の科学と学習に時折特集されていたホバークラフトのそれに酷似している。如何にも昭和の高度成長期の’最新メカ”のニオイがプンプンする。

 コロッケにカエルの足が生えたようなデザインが災いしたのかこのジェットビートルがプラモデルで製品化されるにはかなりの時間が必要であった。特殊なデザイン故、当時は商品化されなかったらしい。つまりコレを買うのは大人になった放送当時の子供である。それが証拠に後番組のウルトラセブンのウルトラホーク1号はそのエレガントなシルエットのせいか、かなり早いうちに玩具化されている。
ジェットビートルのプラモは今や大人のマニア向けの高価で希少な物らしい。私も放送当時このジェットビートルが欲しかった子供の一人であるが、今や遠い記憶の彼方である。

 その彼方にある物が今コンビニの棚の缶コーヒーの上にある。なんと有り難く幸せな時代になったのだろう。普段は缶コーヒーなど買う事はないが、この小さなおまけのジェットビートルがあたかもタイムマシンの様に私のテレビに侵された脳を子供の頃見たウルトラマンの世界に連れて行ってくれるのである。