



戦前より絶対的な権力を握っていた父親を中心に回っていた家庭と言う名の小宇宙の中心がテレビと称する電気じかけの箱に取って変わられていくのである。主婦達はテレビの画面の中のメロドラマに泣き、幼い子供達はアニメや、アクションヒーローに狂喜乱舞するのである。そして父親は野球放送と晩酌でこの世の憂さを晴らすのである。悲しきは父親である。知らす知らずのうちに己が存在意義を忘れ、汚れた洗濯物を箸でつままれる身分に成り下がった。リーダーを失った集団のたどる末路は野良犬のそれより悲惨なものだと私は断言する。そのなれの果てが自称”自宅警備員”や大都市の繁華街に跳梁跋扈する山姥ごとき化粧をした脳髄の爛れた女達である。これは戦後日本人を骨抜きにする為に、米国政府に操られた日本テレビの創設者の一人である故正力松太郎氏の仕業ではないかと私は推察する。
そして私自信も例外ではなくテレビの放送に精神を侵された哀れな国民の一人である。どういう経緯があったかは知らないが某缶コーヒーメーカーが玩具付きのコーヒーを発売した。それ自体は珍しい事ではない。玩食と言う言葉は既に聞きなれている。着目すべきはおまけの中身である。
”ジェットビートル”
これはジェットエンジンを搭載したドイツのフォルクスワーゲン社の車両の事ではない。
1966年に円谷プロが製作したテレビ番組”ウルトラマン”の劇中に出てくる科学特捜隊の飛行機である。このデザインセンスは独特でカラーリングは故岡本太郎氏の太陽の塔もかくやと言うべき物であり、コックピット周辺は当時の流行なのか新幹線や当時の小学生向けの学研の科学と学習に時折特集されていたホバークラフトのそれに酷似している。如何にも昭和の高度成長期の’最新メカ”のニオイがプンプンする。
コロッケにカエルの足が生えたようなデザインが災いしたのかこのジェットビートルがプラモデルで製品化されるにはかなりの時間が必要であった。特殊なデザイン故、当時は商品化されなかったらしい。つまりコレを買うのは大人になった放送当時の子供である。それが証拠に後番組のウルトラセブンのウルトラホーク1号はそのエレガントなシルエットのせいか、かなり早いうちに玩具化されている。
ジェットビートルのプラモは今や大人のマニア向けの高価で希少な物らしい。私も放送当時このジェットビートルが欲しかった子供の一人であるが、今や遠い記憶の彼方である。
その彼方にある物が今コンビニの棚の缶コーヒーの上にある。なんと有り難く幸せな時代になったのだろう。普段は缶コーヒーなど買う事はないが、この小さなおまけのジェットビートルがあたかもタイムマシンの様に私のテレビに侵された脳を子供の頃見たウルトラマンの世界に連れて行ってくれるのである。