ここ数日、感情が大きく揺れたんだ…


自分のやりたいことに向けて、一歩踏み出そうとしたとき、夫と意見がぶつかった。  


そこから、視線が合わなくなり、夫は部屋にこもる。  

ご飯を作っても、手をつけてもらえない。  

食器が片づかないままの食卓を見て、胸がざわついた……


あのときと同じ……


3年前、家庭内別居だった頃の記憶が、一気に押し寄せた。  

話しかけてもそっけない。

LINEをしても返事はない。  

電話をしても対応なし。

「何を話しても無駄」という絶望感。  


家の中に一緒にいるのに

世界で一番遠い人になってしまった、
あの孤独  


その感覚が、よみがえり

私の体をギュッと締めつけた。  

肩がガチガチに固まり、呼吸は浅くなる。 

 
頭の中は「どうしよう」
「嫌だ」
「また同じことになる」

という言葉で、


どうにかしようということばかりに振り回される。



呼吸を感じようとしても、何も感じられない。 

 
体感に戻れない自分が、ますます怖かった。


私、何も変わってないじゃん。  


そう思った瞬間、涙が止まらなくなった。 

 
「自分に意識を向けられるようになったって思ってたのに…」  


そんなプライドまで崩れて、ただ泣くしかなかった。  



数日後、ようやく2人で話せる時間がもてた。  


夫が切り出してくれた。  


ずっと無言だったのは、冷たさじゃなく、彼なりに考えてくれていたから。  


その言葉から、私が思っているよりも、ずっと家族を想ってくれていたことが伝わってきた。  


そして話す中でわかったのは、  

「家族の時間を大切にしたい」  

これはお互いに譲れない想いだったこと。  


私は泣きながら、自分の思いも出した。  

いっぱい泣いたなーえーん


泣いて、笑って、気づけばギクシャクしていた空気がすーっと溶けていった。  


たとえ、ぶつかったとしても、気持ちを伝え合える。  


きっと、私たちにはこんなプロセスも必要だったんだ。  


だって、今まで、意見を言い合うことすら、なかったのだから。  


あなたにとって、大切な人と「繋がっている安心感」って、どんな瞬間ですか?
朝から思考が止まらなかったんだえーん


「大嫌い」
「もう一緒にいたくない」
「離婚したい」


頭の中で、何度も繰り返してた。


怖くて、怒りもあって、
心がぐちゃぐちゃ。


不安と恐れで、息が詰まりそうだった。


とにかく呼吸しようと思ったの。

ハッピーちゃんのポッシブルでやってる光の呼吸。

仙骨から頭頂まで、髄液を意識して、光を流すイメージ。

何度も何度も繰り返した。


そしたらさぁ

怒りが溢れてきた。

泣きながら、体を動かしてた。

止まらなかった。

涙も言葉も、どんどん出てくる。



お風呂に浸かったとき、
「大嫌い」って言葉が出た瞬間

堰を切ったみたいに号泣した。

声を出して泣いた。



でも、不思議なんだ。


泣き切ったあと、不安も恐れも、どこかに消えていた。


肩も肩甲骨も、ガチガチだったのに、ほぐれてた。


体が緩むと、心も平和モードになるんだね。


あんなに怖くなってた夫の顔を見ても
怖くなかった。


穏やかな気持ちでいられた。

頭で頑張って落ち着こうとしたんじゃない。

体が「もう大丈夫」って教えてくれたから。



体が固まってると、心まで戦闘モードになる。
緩むと、自然と安心に戻れる。


呼吸ひとつで、世界が変わるんだよおねがい

思考にひっぱられてどうしようもなかった。



夫の不機嫌にふれた瞬間、また家庭内別居の恐怖が一気に押し寄せた。


呼吸して、


肩や肩甲骨をほぐして、


怒りのワークもして、声を出して泣いて…


いろんなことを試した。

 



でも結局、安堵感を感じられたのは、夫が帰ってきて顔を見た瞬間だった。



「よかった、帰ってきてくれた」



そう思ったとき、涙が止まらなくなって、膝から崩れ落ちた。

 


自分の呼吸やワークでは助けてあげられなかった。



私を楽にしてくれたのは、夫の存在そのものだったんだ。

 


そのあと、脱力感でフラフラしながらも、涙があとからあとからあふれてきた。



「進んでない」

「全然変われてないじゃん」って責める声が、

また胸の奥で響いてくる。

 


しかも私は、夫を変えようとするコントロールの強さにも気づいてしまった。



夫が不機嫌にならないように、ちゃんと応えてくれるように、


私の望む形でいてほしい…その期待がすごい勢いである。

 


あぁ、私、まだまだなんだなえーん

 

ここ数日、少し秋を感じる風。

 

ワンコとの散歩が、とても気持ちいい。

 

 

慌ただしいと、つい面倒に感じてしまう散歩も、

季節を感じながら歩くと、まるで違う時間になる。

 

 

なんてないことが、やっぱり幸せだなぁ照れ

 

 

「セ〇クスって若い子のもの」って思ってたとき、正直あったんだよね。


だって雑誌もドラマもピチピチのお姉さんばっかじゃん?

 

あれ見ながらさ、こっちは夜な夜なボディクリーム塗っても追いつかないわけよ笑

 

で、

「私もう対象外か〜」とか勝手にジャッジしてた。

 

 

でさ、裸になるとき。

 

相手に見られる前に、まず自分がアウト判定してたんだよね。

 

 

「お腹のお肉!」

「重力で下がってる!」って、

もう自分が一番のダメ出し係。

 

 

なんなら鏡見るたびに心の中で「ピー音」鳴らしてたえー

 

しかも昔「女として見れない」って言われたことあるんだよ。

あれはマジで刺さった。

 

もうね、存在ごと“終了のお知らせ”みたいな。

あの一言がトラウマになって、

「また拒否られたらどうしよう…」ってビビりスイッチ入るの。

 


そのくせ当時の私は

「心で繋がるのが本物だから!」って本気で思ってたんだよね。

 

 

はい出ました飛び出すハート

強がり選手権。

 

 

ほんとは「身体でも繋がりたい」のびっくりマーク

 

ムギュッと抱き合って、肌と肌で安心したいのびっくりマーク

 

 

でもプライドで認められなくて、

「心があれば十分」とか言いながら

 

 

内心「いやいや、十分じゃねーから!」って叫んでた。

 

 

 

こう考えるとさあ

 

「年齢のせいでセ〇クス無理」って言葉の裏には、

 

社会の刷り込み、過去の傷、プライド、羞恥心…いろいろごちゃ混ぜ。

 

カオスな寄せ鍋状態よ。

 

 

でも、もし開き直って

 

 

「若さなくても気持ちいいもんは気持ちいい!」

って思えたら?

 

 

「この肉だって柔らかさで勝負できるんだよ!」

って言えたら?

 

 

「重力に逆らえない胸?逆らわなくても、寄り添えばいいじゃん飛び出すハート

 

 

その先って、案外ほっこりするし、

安心できる世界なんじゃないかな。

 

朝、隣に夫がいること。


「おはよう」って体温を感じながら言える


それだけで、こんなにも安心できるんだって、毎日しみじみ思う。

 



でも正直に言うと…

私はずっと思ってたんだよね。




「歳を重ねても性生活があるなんて、

なんか気持ち悪い」って。


 

不妊治療と子育てに追われて、性を楽しむ余裕もなくて。



「こうしてほしい」なんて伝えることもできなかったなぁ…

 


だけど今なら言えるよおねがい



 何歳になっても、性は楽しんでいい。



むしろ、年齢を重ねたからこそ安心して味わえる時間があるんだって。

 



しかもね、性生活って


ただの気分の問題じゃなくて、体にもいいらしいのよスター



オキシトシンセロトニンが出て、

ストレスがやわらいだり、睡眠の質が上がったりするって。

 


実際、私はすごく実感してる。



性生活を楽しんだ後って、

幸せホルモンが半端なくて

「満たされる〜」って感じるし、



肩こりもふっと軽くなる。

その夜はぐっすり深い眠りにつけるんだよね。

 


だから、もし今

「そんな年齢じゃない」とか

「恥ずかしい」と思っている人がいたら


それは思い込みだよ。



私もそう思い込んでたけど、今は違う。

 


「年を重ねてからこそ楽しめる性がある」

そう気づけたことが、今はすごく嬉しい照れ



そして

「気持ち悪い」って思ってることも、深掘りするといろいろと気づけるよキラキラ


この話はまた今度ね気づき

 

昔は、ちゃんと片付けてたんだよね、私。

 

でも、夫と別居したころから、素の自分に戻った感じがあるんだ。

 

同居に戻った今も、そのままでいられる自分に気づくんだ。

 

「しっかりしなきゃ」って自分で自分を追いこんでたんだなーって、今思うの。

 

 

家事の中でいちばんイヤなのは、

 


洗濯物を畳んだあとに

クローゼットにしまうことなんだ悲しい

 

 

だからつい積み上げちゃうおいで

 

 

娘もそのままの私を見てるから、

まぁいいかって そのままにしてるんだよね。

 

 

夫の分も、しまうのめんどくさいときは積み上げたまま。

 

リビングにどーんと積まれてることもあるけど、

前みたいにイライラしなくなった自分がいる。

 

 

積み上げた洗濯物がそろそろ傾きそうになると、「あ、そろそろ潮時かな」って、

 

ちょっと笑いながら片付けたりする。

 


靴下を探すときは、だいたい下のほうから出てきて、

 

娘と二人で「わあ、あったーっ笑い」って小さな宝探しみたいに笑い合うこともある。

 


朝のちょっとしたドタバタも、今は

そんな時間も悪くないなと思えるようになったよ。

 

 

やろうと思ったときにやればいいし、完璧じゃなくても大丈夫OK

 


たまには、お片付けのプロにコツを聞くのもありかもねおねがい

 

今日は、1人で温泉に行ってきた照れ



娘は塾、夫は温泉に行かないというので、私はひとりで楽しむことにした。

 


外湯が好きで、あの風の気持ちよさがなんともいえないんだぁ音譜



今日は、呼吸を意識して入ってみたんだ。


サウナの時も。


吸う息は深く吸えるのに、

吐く息はうまくできていなかった。



吐いているようで、実は息をとめていたことに気づいた。

 


夫との再同居が始まって4か月。



少しずつ、自分のやりたいことをやってみようと思えるようになってきた。



以前は「一緒にいたい」という思いが強かったけれど、


最近は不安が出てくることがあっても、



一緒に行動しなくても安心を感じられるようになっている。


 

不安はまだあるけど、少しずつ安心に変わってきている照れ

 

先日帰省したとき、甥っ子や姪っ子が勢ぞろいして、みんなで撮った写真を眺めていた。



笑顔が並んでいて、声まで聞こえてきそうなくらい賑やかだ照れ



ああ、みんな大きくなったなぁ…と思うと同時に、あの頃の自分の気持ちがふっとよみがえる。

 


夫が転勤族だったから、結婚してから6回も引越しをしてきた。



その間、両方の親に育児をお願いしたことはないんだ。



夫は仕事で忙しく、私はずっとワンオペ。



頼れる場所も、手を放せる瞬間もなかった。

 


娘はひとりっ子。

兄弟を作ってあげられなかった罪悪感が、私の中にはずっとあったんだ…。



だから、いとこと仲良くさせてあげたいという思い込みも強かった。



「専業主婦だし、子どもの面倒を見るのは当たり前」



「娘に楽しい思い出を作ってあげなきゃ」



そんな“当たり前”を、自分にきつく課していたんだ。

 


娘は人見知りが激しく、私から離れることを嫌がった。



私もそれを受け入れて、手放すことができなかった。



今思えば、共依存のような関係だったのかもしれない。

 


だから、実家に帰省したときは、ほんの少しでも肩の力を抜きたかったんだ。



ところが、兄や妹の子どもたちが次々と遊びに来て、家の中は一気に賑やかに。



娘は嬉しそうに笑っていたけれど、私の心には、じわじわと疲れが広がっていった。

 


甥っ子や姪っ子たちと遊び、笑って過ごしたあと、布団に入る。



その瞬間ふと、


「あれ…?私、実家に帰っても同じことしてる」と気づく。



どこにいても、私は子どもの面倒を見続けている。



その虚しさと、抜け出せない自分へのあきらめが、静かに胸の奥に沈んでいった。

 


それでも、ずっと本音は言えなかったの。


数年後、ようやく親や妹に「きつかった」と打ち明けたとき、肩から大きな荷物がごそっと落ちた気がした。



それからは妹が「うちにおいで」と声をかけてくれて、子どもたちの相手もしてくれるようになった。

 

ただ、兄のお嫁さんには事情を話していないから、変わらず子どもだけを置いて帰ってしまう。



最初は笑って遊べるけど、そのうち息切れして、気づけば妹宅へ逃げ込んだこともある。

 


ほんとは、


私だって子どもを預けて、何も考えずに過ごしてみたかった。



長い間、自分を追い込みながら、よく1人で踏ん張ってきたなと思うショボーン

 


写真の中の笑顔を見ていると、そんな思いもまるごと包み込まれる。



あの日の空気や笑い声に、確かに「繋がり」を感じたから。



みんな大きくなった今、あの騒がしい日々さえ、胸の奥でやわらかく光っている照れ

 

夏休み、夫と娘と3人で私の実家に帰省した。

夫が一緒なのは、なんと7年ぶり。

 


実家は離島で遠くて、夫にとっては気を使う場所。



私も、気を使うことに疲れてしまうし、親にも気をつかわせてしまう。



「気を使う」っていう、そのこと自体にまで気を使ってきた。

 

 

だから、夫が来ない方が気楽だった。

でも、本当は

隣にいてほしかったんだ照れ

 

 

今年、自分に聞いてみたんだ。


「私はどうしたい?」

 


出てきた答えは、夫と一緒に自分の実家に帰りたい。

 


義母宅には行きたくない自分もいて、それを思うとお願いするのに罪悪感があった。

 

 

でも、思いきって伝えたら、一泊だけならとOKしてくれた。



もちろん気は使ったけど、それ以上に嬉しかった。

胸の奥が、ぽんっと弾む感じ音譜

 

 

親も兄弟も、夫に気をつかってくれていた。

それがありがたくて、「私、大事にされてるなぁ」って思った。

 


田舎のゆっくり流れる時間、真っ暗な夜、大きな虫たち

 


全部が「あぁ帰ってきた」って感じさせてくれた。

 


両親も年を重ねていて、「あと何回会えるんだろう」なんて考えてしまった。

 

 

ふと、2年前のことを思い出す。

あの頃の私は、両親に「クソ親」と文句を言いまくり、大人の反抗期をしていた。

「こんな私に育てやがって」とまで言った。

 


だから余計に、今の「ありがたい」が沁みるのかもしれない。

 

 

あの時は、傷つけてごめんねって思う。

でも、あれがあったからこそ、今この気持ちがあるんだろうな。

 

 

帰省って、ただ帰るだけじゃなくて、

人との距離や時間の流れ、昔の自分まで感じさせてくれるんだなって思った。