聴診器
聴診器を買った。
特に目的はないが、医者がどういう音を聴いているのか知りたくて。
自分の心臓の音を生で聴くと、何とも言えない感じになる。
自分が生きていることは、犬や猫が生きているのと同じように一つの個体である。
当たり前のことを考えた。
そして、これが止まったら死ぬんだと思った。
自分の心臓がいつ止まってもおかしくない気がした。
曇りの景色
江ノ島、逗子、葉山へ行って来た。
どこに行っても見えるはずの富士山が、曇りのため見えなかった。
自然の景色は、天気がこうも左右するかと実感。
天気に左右されない景色の見方はないものだろうか。
いや、ただ、もし雨や曇りの日のパッとしない景色がなかったら
晴れの日の景色はあそこまで綺麗に見えないだろう。
そう考えて、すべてよしとしま すか。
嫌悪の裏
自分のある面を嫌悪するのは、はるかにもっと嫌悪すべき別の面を隠すためである。
自己嫌悪の強い者は、そのゆえをもって、自分は自分の悪いところをも客観的にみて、
責めるべき所は責める「良心的な」人間だと考えがちであるが、
実際には、自己嫌悪の存在そのものが彼がその逆の人間であることを証明している。
自分を客観的に見ることができると信じることができるのは、己を知らない者のみである。
彼はある行為を嫌悪すべき行為であると判断し、それも、その行為を止めようとせず、
しかもその行為を続ける自分を非自己化してその責任を回避するという二重の不誠実を犯している。
例えば、革命家を目指している人が、今は廃品回収業者となり古新聞を集めながら
「今は仮の姿、実は俺は革命家なのだ」と自分の姿を自嘲していたとする。
しかし、彼は革命家ということこそ架空の観念であり、廃品回収業者以外の何者でもない。
もし彼が、依然として革命を信じ、本当に一時だけ廃品回収をやっているのであれば自嘲は必要でない。
しかも彼は廃品回収業者としても失格である。
どんな職業の人も当然持っている仕事に対する誇りと誠実さを欠いており、
従って、その仕事は無責任ないいかげんなものとなる。
自己嫌悪は、容易に他人への嫌悪と軽蔑に転化し、また、それを支える基盤となるのである。
岸田秀「ものぐさ精神分析」
期待と利益の差
セルフイメージ
自分は人によく騙されやすいというイメージを持ってる人はその理由として、
「人をすぐ信用するので」「自分は人がよいから」ということをあげる。
世の中には人を騙す悪い奴がいるとしても、われわれがこの人生で無数の人たちと接していく中で、
そういう悪い奴と巡り会う確率は、みんな同じだろうから、
自分のことを「特に人に騙されやすい」と思っている者とは、人に不当に過大な期待を持ち、
かつ、自分の期待は正当であると頭から決めてかかる傾向の強い者であると言って間違いない。
「一生懸命やる割には人に良く思われない人」「人よりも生きるのが下手な人」「人よりもけちな人」
なども同じである。
性格の判断に関して一般基準は存在しない。
自己判断からその主観的要素ぬぐい取って冷静に考えてみれば、そこから分かることは要するに、
相手に対する彼の期待と、彼が相手から得る現実の利益との間に大きな落差があると言うことだけである。
岸田秀
こんな時間を
プリンを久々に作り、多くの人に食べてもらった。
食べ始める前は、へぇ~これ作ったんだ、本格的だね、程度の反応が食べて一変。
超旨い!!の連呼。
お金とれるよ、とも。
ひどい人は、職業を変えた方が良いんじゃないかと言うほど。
実際、皆が思うほどの努力はしていない。
そう、みられているだけだ。
でも、これで一人でも多くの人が喜んでくれたら。
これからもこんな時間を作っていきたい。
こういう時間を後回しにしないようにしたい。
暴れる力
『無限の多様性を語る言葉はあり得ない』
言語の暴力とは、一人一人が他者である、一人一人がまったく違う存在であることに対して、
その違いを無化して同じものにしてしまう、どうかしてしまうという暴力です。
一人一人が皆違うのに、例えば「同じ日本人」ということで違いを無化されてしまう。
日本人という言葉そのものが日本人と呼ばれる人々の違い、一人一人の特異性、単一性、なにものによっても一般化できない一回性を無化してしまっている。
男とか女とか言う言葉もそうです。
「お前は男だろ」、「女のくせに」と言った言葉がどれだけ暴力的か。
『イノセントな存在はいない』
自己同一的な「わたし」や「われわれ」を追求することが、他者への暴力的な侵害になる、
そうした自らの暴力性から免れた、完全なイノセントな存在はまずいない。
自分が社会的に存在している中で絶えず暴力的な要素を発散していることを自覚していた方が、
それに対して抑制的であったり、批判的であったりできる。
高橋哲哉
精密
どんなに素晴らしいロボットやロケットを作っても、
いまだに人間はハエ一匹だって作り出せない。
生物の命は作り出すことはできない。(養老孟司)
生命について学べば学ぶほど、生命は精密機械のようだと思う。
おもしろい。
特に、環境に対応して進化してきたことを考えると、おもしろい。
日本語
主語の要らない日本語だからできる文
若い者、二人言い合わせ、
「今夜は闇だから、隣の柿の木を、はたき落として持ってくる心算だが,
おれが木の上にのって落とすから貴様拾い役だ」
と、決め引きして、やがて、かの木へ上り、棒を持ち、叩くと、柿がごろごろ落ちる。
下で拾う男は、あわてて、どぶへ落ちてあがられぬゆえ「落ちた落ちた」。
上の男「落ちる はずだよ。落とすからだよ」
下の男「落ちた落ちた」「落ちるのはしれたことだ。早く拾え」
「いやさ、どぶに落ちた」「どぶに落ちたのは、捨てておけ」
日本語の「ある」言語。
「お茶が入ったわよ」。ある言語。存在分として表すことで行為者を消す。積極的行為を取ろうとしない。
「お茶を入れたわよ」。する言語。英語などはこっち
奈良
奈良へ行って来ました。中学の時行ってるはずだがなんの記憶もなく。
有名所をまわりました。
一つ思うことは、京都に比べて奈良は地味だということ。
京都は見せ方が上手いというか、見ただけで粋だなぁと思わせるとこが強いが
奈良は自己主張が少なく、そのままという感じ。
それがまたいいのでしょうが、少しコツが要りそうです。
このコツを得るのが難しいから、京都ばかりに観光客が集中する、というのもあるんでしょう。
もしくは、観光客が少ないから見せることに重きを置かないのでしょうか、ようわかりませんが。
もう少し年をとったら、また行ってみよう。

