能役者青木健一のお稽古日記。 -4ページ目

能役者青木健一のお稽古日記。

能役者、観世流青木健一(梅若研能会所属)の日々の活動や能に対する想いを記すお稽古日記。

父一郎からの教え、芸大在学時の先生方からの芸談等を更新。

昨日知り合いの人から、「最近のブログおかしいよね」と言われてしまいました。


o(TωT ) しょぼーん


というわけで、早速一番新しいブログを削除しました。



泣き言になってしまいますが…


どうも最近やること多くて…


まずは内弟子としての仕事でしょ。


それに父とやってる講座の準備(今年の下半期の計画、今月の資料作りとかね)


なかなか、ブログに時間が割けないんですよね~。




そんなの時間作れば解決なんですがね~。



ですが、例え月1ペースになっても、今までのスタンス通り、真面目に能役者の日々を綴っていきますので!!!




って、そろそろ仕事に戻らねば!!


それでは!!!





連載企画は一時中断(って言うか、三日坊主?)




今日は芝の増上寺で薪能でした。


2~3日前の予報では雨でしたが、晴れて何よりデス。

これも「僕以外」の人の日頃の行いが良いからなんでしょうo(^-^)o


が、しかし今日は気温も高く、野外テント内の仮設楽屋は蒸し風呂同然!!

伝統芸能してきました!!と言うよりは労働してきました!!!!って感じでした。


もし、お客様に楽しんで頂けたなら、それ以上に嬉しい事はありません。ご来場頂きました方々、本当にありがとうございますm(_ _)m




さてさて、今帰宅途中なんですが、電車の中で面白い風景を見ました。


ある女性がいらっしゃいました。僕はその後ろに立っていたのですが…

その女性、和服姿なんです。(これは普通ですよね)

お茶会の帰りかな?と思っていましたらカバンから、ニンテンドーDSが出てきました。(まぁ、そこまでは良しとしましょうよ)

何のゲームやってんのかなぁ~って見てたら…




「桃太郎電鉄!!!!」(すごろくのテレビゲームですよ)


僕だけかも知れませんが、そのギャップの大きさに衝撃(インパァ~クトゥ!!)を受けてしまい、いても立ってもいられなくなりブログをしてしまった次第デス。


あぁ~、またつまらぬ物を書いてしまった…。

もぅ、寝てしまおう。

おやすみなさ~い☆(ρ_-)o

こんにちわ~


早くも大好評(?)の連載企画『横浜三時空緑の地巡り』


今日はその第2弾!!!!



横浜を舞台とした新作能「横浜三時空」。その舞台に登場する横浜の旧跡を巡り、横浜の今と昔を知り、未来への希望を舞台に込めるための小旅行(ちょっと言い過ぎ?いやいや、そんなことありません)。




前回は「本牧十二天」「横浜港シンボルタワー」を巡り、今回は「ベイブリッジ」から新作能で物語の重要な鍵となるものがある「白根不動尊」へと向かいます。


皆様、乞うご期待!!



と、その前に前回の補足。「本牧十二天」は旧称本牧十二天社と言い、源頼朝が鎌倉幕府を開く際、鎌倉から見て鬼門(北東の方角)にあったこの地に、上下、日月、四方(東西南北)、四維(四方の中間)を守る守護天として神社を造りましたが、第2次世界大戦後、米軍の宿舎を作る際に移転。今は名称を本牧神社とし、もとあった所より少し内陸地側にあります。


この神様は新作能の中で、子役(子方:こかた)が演じます楽しみですо(ж>▽<)y ☆





5月22日 14:45頃


我々は「横浜港シンボルタワー」をバスにて出発。「横浜ベイブリッジ」へと向かいました。


ここではバスに乗車したまま橋の上から左手に広がる横浜の街を眺め、高層ビルの建ち並ぶ現代の横浜を感じる事が出来ました。


バスは橋を渡ると休憩所をスルー Σ(=°ω°=;ノ)ノ もと来た道を引き返しました ( ̄□ ̄;)


今度は左手に東京湾が広がっており、先程見てきた「横浜港シンボルタワー」が横浜港の入り口で船舶の信号所としてそびえ立っていました。


15:30頃

「ベイブリッジ」を後にした我々は旭区にある「白根不動尊」へ向かいました。


下は「白根不動尊」の地図です。

http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&q=%E7%99%BD%E6%A0%B9%E5%85%AC%E5%9C%92&ie=UTF8&t=h&om=0&ll=35.482553,139.548538&spn=0.001996,0.003068&z=18



ここには新作能の中で桜井中尉の前世という設定の服部の於由(はとりべのおゆ)と、桜井中尉の妻の前世、服部の砦女(はとりべのあきめ)が詠った歌碑(かひ:歌を刻んだ石碑)があります。



服部の於由はこの横浜の地では名のある人物だったようです。生没は不明なのですが、西暦755年防人(さきもり)として筑紫へ派遣されました。


ご存じの方もいらっしゃると思いますが、防人とは大陸からの侵略を防ぐために、東国から九州地方へ派遣される兵士のことです。


当時は君主が土地と万民を統治し、君主の前では誰もが平等という理念のもと、民に平等に耕作地を支給し、その代償として、租税・労役・兵役が同じく一律平等に課せられていました。その兵役の部分に防人も入るのですが、時代を経るに従い東国の兵士だけが防人で派遣されるようになりました。


防人は武器防具から九州までの旅費など全てを自前で用意しなければならず、例え3年間の任期を終えても、故郷の東国まで帰れる者はごく少数だったほど厳しいものでした。




その防人に任命された服部の於由が九州へ旅立つ前に詠んだ歌とその歌への妻の返歌が新作能の中で取り上げられてます。

どんな歌かと言いますと…


服部の於由「我が行きの 息づくしかば 足柄の 峰這ほ雲を 見とと偲はね」 

(俺が旅で留守にしているのが辛かったなら、足柄の峰を這う様に動く雲を見ながら、俺のことを偲んでくれ)


服部の砦女「我が夫汝(せな)を 筑紫へ遣りて 愛(うつく)しみ 帯は解かなな 奇(あや)にかも寝も」

(あなたを筑紫へ遣って、愛しいあまり帯は解かずに、わけの分からない不安に駆られて寝るのだろうか)


この両方の歌は後に「万葉集」に集録されることとなります。



故郷に帰って来られないと分かっていながらも、旅立たなければならない夫。


そして夫を送り出さなければならなかった妻。


それをお互いに承知の上で交わされたこの歌のやりとりは、1200年の時を経て我々に何かを訴えかけているようにも思えてきます。





さてさて、その歌碑は白根不動尊の裏、白糸の滝のほとりにありました。滝と言いましても大きなものではなく落差が4mといったところでしょうか。


歌碑は一枚の岩に寄り添うように二人の歌が刻まれており、故郷に戻れなかったであろう夫と、帰りを待ちわびていたであろう妻、その二人の魂がそこにあるように感じられました。



歌碑01



その隣に、2人の邪魔するように立って写真を撮って貰う俺って、ひど~い。青木さん、どんだけ~?(笑)←使用方法を間違えてそうですが。
歌碑02


今日の報告はここまで。明日(?)は「洲崎大神」「袖ヶ浦石碑」「高島台」と一気にラストまでご紹介いたします。



乞うご期待!!





こんにちわ~☆


今日から連載始めます。


名付けて…





『横浜三時空緑の地巡り!!!!』




皆さんのキョトン顔が手に取るようにわかります(笑)





まずは「横浜三時空」とは何ぞや?


今をさかのぼること3年。2004年春「横浜」を舞台にした新作能のあらすじが一般公募で決まりました。


その新作能のタイトルが「横浜三時空」といいます。


今年の9月8日に横浜能楽堂で梅若万三郎先生、清水寛二さん、梅若研能会のメンバー他で上演されます。




「巡る」とは何ぞや?


「横浜三時空」の主催を横浜飛天双○能実行委員会が、プロデュースを大倉流大倉正之助さんがしています。


その実行委員会主催で、新作能で舞台となる横浜の地を出演者、スタッフ、それからあらすじを応募した一般の方と巡ろうじゃないか!!と言う企画昨日がありまして、その報告(だべり?)を致します。




皆さん宜しければお付き合い下さい m(_ _ )m



まずは「横浜三時空」のあらすじをご紹介しないといけませんね。


あらすじ

第2次世界大戦で戦死した桜井中尉の妻のもとに、中尉の墓参りのため遠く石見(島根)に住む叔父が訪ねてきた。60年ぶりに訪れた現在の横浜の変わりように驚いた叔父。


思いがけない叔父の訪問を受けた桜井中尉の妻は、叔父と昔語りをしたその晩、夫をしのびながら眠った枕元に古代の防人、服部の於由(はとりべのおゆ)の亡霊を見る。彼は桜井中将の前世の姿であり、桜井中尉の妻もまた、服部の於由の妻、服部の砦女(あきめ)の生まれ変わりであった。


ようやく出会えた2人は、この世で2度にわたって遂げられなかった永遠の愛と婚姻を果たし喜びに舞う。


その祝婚のさなかに、袖ヶ浦の安房大社の神、天太玉命(あめのふとたまのみこと)が舟で海上に現れ、十二天の神々と共に彼女らの婚姻を祝福し、横浜の平和と繁栄を祈る。



何だかすごくロマンチックな話しですよね~。





さてさてさて…お待たせしましたバスツアーの方に話しを戻します。


バスツアーの目的は舞台に出てくる旧跡等を巡り、今の横浜の姿から昔を思い起こし、人の住んでいた形跡をたどることで、新作能で描く世界を重厚なものにしようという事だと僕は思って参加しました。(まぁ当日は楽屋で裏方なんですが、橘香誌の編集も兼ねて。)


5月22日13:30 みなとみらい線「元町・中華街」駅に集合した私達は、バスで一路最初の目的地である「本牧十二天」へと向かいました。


今でこそ、ただの小さい丘となっていますが、実はその丘から今の海岸線までは昔海だったそうです。



本牧十二天


正直、バスの中から眺めただけなので、あまり実感がわかないまま(この後凄い実感するんですが笑)、次なる目的地「横浜港シンボルタワー」へ向かいました。



本牧十二天からコンテナの積んである中をすり抜けるようにして通り、海岸線が見える道まで行き、海沿いの道を少し行くと「横浜港シンボルタワー」が見えてきました。



「横浜港シンボルタワー」は横浜港に出入りする船への信号所と市民の展望施設を兼ね備えた新しい横浜港のシンボルとして建設したもので、昭和61年7月に完成しました。



横浜港シンボルタワー01

展望室へは階段で上がり、そこからは横浜みなとみらい21やランドマークタワー、そして海上に見えるうみほたるを目で追うとその先には、千葉県房総半島、三浦半島、そして東京湾への入り口観音崎まで一望できるスポットです。



横浜港シンボルタワー02







この信号所はまさに、横浜の歴史の移り変わりのシンボルであり、このシンボルタワーや埋め立てられた場所に建つ高層ビル群は、現代の横浜を感じずにはいられない所でした。






おまけ

誰にも言えなかったので、一人記念撮影(笑)


横浜港シンボルタワー03


相変わらず、厳しい顔してますね(笑)



何だかすごく長々としてしまいましたので、この先はまた明日にでも続けます。


ではまた~☆






皆さんお元気?

僕は…ちょっとお腹が痛いです。



まっ、まさかっ!!

麻疹!!!?


よくわかりませんが(笑)



昨日は梅若研能会でした。嬉しい事に、日大の学生が見に来てくれました。


ん?でもちょっと待って下さい。日大って麻疹で休講してませんでしたっけ?



ヤバい、本当に麻疹かも(汗)



今日は日曜にある薪能の申合がありました。演目は「小鍛冶」。去年三月に父の会で舞わせて貰った曲です。


色々な経験をして、五年後くらいにもう一度舞いたいなぁ~と思っていたんですが、この前、父が

「(自分がシテをやる時は)この曲を舞うのは最後だと思って舞っているから」

と言っていました。


歌舞伎は一ヶ月間連続公演だけど、能はその日限りの一回公演ですから、その一回に向けて全身全霊を込めて稽古していくんだ!!って事なんですかねぇ~。


ヤバい、超~能が舞いたくなってきました。(きっと若い時のこういう思いが、将来の一つの糧になるんでしょうね。)



今日もまたつまらぬものを書いてしまった…(笑)
今「麻疹」が流行ってるらしいですね。

僕もちょうど免疫力が弱まっている世代でして、ちょっと心配してます。


で、今電車の中で目の前に座ってる女の子がマスクしてんですよね(+_+)

もしかして君「麻疹」?


お願いだから、うつさないでぇ~!!(笑)
CA250436.JPG

昨日のぐずついた天気が嘘のような快晴ですね。


僕はというと、今週末にある研能会の先輩伊藤嘉章さんのお素人会の申し合わせで横浜能楽堂に朝から行ってました。


最近自分が良く思うのは「まだまだ謡の力が足りないなぁ~」と言う事。もう24歳になるんだし、そろそろ“もの”にならないと、失業しかねません!!(笑)



そんな風に打ちひしがれながら、横浜能楽堂の坂を下りてますと、目の前にはランドマークタワー。

そして横浜駅に向かう途中のガード下の壁に名もない絵描きさんが描いたスプレーアート。

そして何より、この雲ひとつない空。


それがどうした?っていう事なんですけど(笑)、何だか穏やかな気持ちになりました。



先日の研能会も無事(?僕の中では反省だらけ)終わり、僕の中では4月21日の能学塾「鵺」の回に向けての準備に追われています。



そんな日々なんですが、今朝の僕のテンションは朝っぱらからMAXでした。その理由をお話しします。







能学塾に無くてはならないのが、能のビデオです。これがないと全くお話しになりません。




幸い鵺のビデオは自宅にありました。


しかしVHSテープより一世代前のベータテープ。物によってはテープにカビが生えており、画像も荒い物が多いです。


ですが、そのテープが能学塾の必須アイテムなのです。




と言うわけで、昨日夜11時過ぎ頃から、ベータテープをDVDレコーダーにダビングする作業にかかりました。




鵺はテープの中では2曲目だったので、まずは鵺の頭出し…と思い早送りボタン。



「ガツガツガツ!!」



!!!



何!!



どうした!!?





慌ててテープを取り出すと…



切れてるぅぅぅ~~!! 。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・




もろくなっていたテープがものの見事に切れていました。




しかし、ここで諦めては21日の講座を楽しみにしている人達に申し訳無いと思い、ここから深夜の攻防(?)が始まりました!!





まずは、テープを解体し、切れたテープをくっつける作業。修理用の接着テープなんてないんで、セロハンテープで代用。


しかも、だんだんと細くなるように切れてしまったので、思いの外時間がかかりました。




次に、テープを元通りにして、再生。切れている部分の直後からになるよう、テープを手動で頭出し。(21世紀に手動って笑)


何とか鵺の所は無傷なようなので、再度切れないうちにDVDにダビング!!



もちろん早送り、巻き戻しは禁止です。




1時間後、無事にダビング終了!!これで21日は大丈夫だと思った瞬間眠気が…。






翌朝(今朝)もこの興奮が続いていたのか、母親に「昨日さ…」と熱っぽく語ったのは言うまでもありません。



そんなわけで、今朝は朝っぱらからテンションがMAXでした。







芸能人は歯が命!!(もう死語ですか?)


いやいや、本当ですよ。特に能役者はそうだと思います。




知り合いに声楽の先生がいるのですが、その先生いわく…


「自分の歯の人と入れ歯の人って、歌い声でわかるよね」とのこと。



やっぱり、入れ歯だと口内の振動とか、響きが変わってしまうんでしょうね。




という事で今日は掛かり付けの歯科医院に検診に行ってきました。特に歯が痛いとかでは無いのですが、自分の芸に関係することですから、身体のケアは万全にしないといけないですからね~☆



しかし、僕の掛かり付けの歯医者さんはちょっと変わってます。以前にも書きましたが(http://ameblo.jp/aoki-nohactor-blog/day-20060531.html )歯の事と同じくらい身体全体の事を勉強されていまして…


「青木君、身体で痛いとことかない?」


「右の腰あたりの筋が痛くなるときがありますね」


「やっぱりね、正座のときも右足首が痛くなるんじゃない?」


「!! はっ、はい。(なんでわかるんだ?)」


「それとあんまり歩かないでしょ?」


「!!!  はい、最近は全然…。何でわかるんッスか?」


「それは足の筋肉のつき方でね…。歯やアゴっていうのは骨盤と非常に似ている性質のものでね、正しく歩けていないと骨盤が歪んで、それがもとでアゴがずれてきて、最後には姿勢まで悪くなってしまって、身体に負担をかけてしまうんだよ。歩くときにつま先がまっすぐ進行方向に向かっていることが重要で、それを無意識のうちに芸の中に取り入れているのが青木君のやっている能なんだよ」


「あぁ、確かにハコビ(能の歩く動作の名称)はまっすぐにつま先を出すことが基本ですね。天狗とかの役のときでも、ただつま先を外に向けてハコビをしても天狗の役にはなれないですし、第一そんな簡単なことで役になりきれるなら600年以上受け継がれる芸能にはなってないはずだよと教わりました。」


「それを教えてくださった先生も、外見を真似るのではなくて本質を真似るということを言いたかったのかな。もし、青木君がこの先長く能をやっていこうというなら、構造医学の先生を紹介するよ。」



まぁこの申し出に、ちょっと面食らってしまい、明確なお返事はしてないのですが、自分としてはぜひお話をうかがいたいですよね。

(内弟子で忙しいですがそれくらいの時間は作れますし、そういうことは若いうちからしておきたいですし…)






ちょっと長くなりましたが、今日は先生と有意義なお話ができて、とても満足しています。


さてさて、明日は研能会ですね。がんばっていきます!!!

能の海士(あま)って、いい曲ですよねぇ~☆



今日は今週土曜日に渋谷観世能楽堂で行われる梅若研能会の申合(リハーサル)を、代々木上原にある梅若万三郎家能舞台で朝10時からしていました。



能が2曲出るうち、僕は2曲目の海士の地謡をいただいておりました。




この海士という曲、先月の能学塾で取り上げた曲目でした。謡自体は前々から頭に入っていましたが、能学塾のために下調べをして、

「ここは言葉、セリフの中にこういう思いを含んでいるのか」とか

「引用している漢詩や和歌の世界、見事だな」とか

生意気にも思うようになりました。


能学塾はお客さんの為の講座であると同時に、実は自分の勉強の場でもあったりするのです。



ここで勉強したことが、将来シテ(主役)を舞う時や地頭(地謡のリーダー)をする時などのひとつの糧となるような気がしました。



また、取り上げた曲すべてを自分が好きになるというのも面白い所です。やっぱり好きじゃないと、この職業は長続きしないように思えます。




能学塾を始めて約半年、常連のお客さんもだんだん増えてきて、自分としてもうれしい限りです。



これからも「能に少しでも興味のある人に僕たちは何ができるか?」ということを、自問自答しながら、常に前へ、未来へと進んで行きたいと思う今日この頃でした。





ではでは、おやすみなさいー☆

о(ж>▽<)y ☆