こんにちわ~
早くも大好評(?)の連載企画『横浜三時空緑の地巡り』
今日はその第2弾!!!!
横浜を舞台とした新作能「横浜三時空」。その舞台に登場する横浜の旧跡を巡り、横浜の今と昔を知り、未来への希望を舞台に込めるための小旅行(ちょっと言い過ぎ?いやいや、そんなことありません)。
前回は「本牧十二天」「横浜港シンボルタワー」を巡り、今回は「ベイブリッジ」から新作能で物語の重要な鍵となるものがある「白根不動尊」へと向かいます。
皆様、乞うご期待!!
と、その前に前回の補足。「本牧十二天」は旧称本牧十二天社と言い、源頼朝が鎌倉幕府を開く際、鎌倉から見て鬼門(北東の方角)にあったこの地に、上下、日月、四方(東西南北)、四維(四方の中間)を守る守護天として神社を造りましたが、第2次世界大戦後、米軍の宿舎を作る際に移転。今は名称を本牧神社とし、もとあった所より少し内陸地側にあります。
この神様は新作能の中で、子役(子方:こかた)が演じます。楽しみですо(ж>▽<)y ☆
5月22日 14:45頃
我々は「横浜港シンボルタワー」をバスにて出発。「横浜ベイブリッジ」へと向かいました。
ここではバスに乗車したまま橋の上から左手に広がる横浜の街を眺め、高層ビルの建ち並ぶ現代の横浜を感じる事が出来ました。
バスは橋を渡ると休憩所をスルー Σ(=°ω°=;ノ)ノ もと来た道を引き返しました ( ̄□ ̄;)
今度は左手に東京湾が広がっており、先程見てきた「横浜港シンボルタワー」が横浜港の入り口で船舶の信号所としてそびえ立っていました。
15:30頃
「ベイブリッジ」を後にした我々は旭区にある「白根不動尊」へ向かいました。
下は「白根不動尊」の地図です。
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&q=%E7%99%BD%E6%A0%B9%E5%85%AC%E5%9C%92&ie=UTF8&t=h&om=0&ll=35.482553,139.548538&spn=0.001996,0.003068&z=18
ここには新作能の中で桜井中尉の前世という設定の服部の於由(はとりべのおゆ)と、桜井中尉の妻の前世、服部の砦女(はとりべのあきめ)が詠った歌碑(かひ:歌を刻んだ石碑)があります。
服部の於由はこの横浜の地では名のある人物だったようです。生没は不明なのですが、西暦755年防人(さきもり)として筑紫へ派遣されました。
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、防人とは大陸からの侵略を防ぐために、東国から九州地方へ派遣される兵士のことです。
当時は君主が土地と万民を統治し、君主の前では誰もが平等という理念のもと、民に平等に耕作地を支給し、その代償として、租税・労役・兵役が同じく一律平等に課せられていました。その兵役の部分に防人も入るのですが、時代を経るに従い東国の兵士だけが防人で派遣されるようになりました。
防人は武器防具から九州までの旅費など全てを自前で用意しなければならず、例え3年間の任期を終えても、故郷の東国まで帰れる者はごく少数だったほど厳しいものでした。
その防人に任命された服部の於由が九州へ旅立つ前に詠んだ歌とその歌への妻の返歌が新作能の中で取り上げられてます。
どんな歌かと言いますと…
服部の於由「我が行きの 息づくしかば 足柄の 峰這ほ雲を 見とと偲はね」
(俺が旅で留守にしているのが辛かったなら、足柄の峰を這う様に動く雲を見ながら、俺のことを偲んでくれ)
服部の砦女「我が夫汝(せな)を 筑紫へ遣りて 愛(うつく)しみ 帯は解かなな 奇(あや)にかも寝も」
(あなたを筑紫へ遣って、愛しいあまり帯は解かずに、わけの分からない不安に駆られて寝るのだろうか)
この両方の歌は後に「万葉集」に集録されることとなります。
故郷に帰って来られないと分かっていながらも、旅立たなければならない夫。
そして夫を送り出さなければならなかった妻。
それをお互いに承知の上で交わされたこの歌のやりとりは、1200年の時を経て我々に何かを訴えかけているようにも思えてきます。
さてさて、その歌碑は白根不動尊の裏、白糸の滝のほとりにありました。滝と言いましても大きなものではなく落差が4mといったところでしょうか。
歌碑は一枚の岩に寄り添うように二人の歌が刻まれており、故郷に戻れなかったであろう夫と、帰りを待ちわびていたであろう妻、その二人の魂がそこにあるように感じられました。
その隣に、2人の邪魔するように立って写真を撮って貰う俺って、ひど~い。青木さん、どんだけ~?(笑)←使用方法を間違えてそうですが。
今日の報告はここまで。明日(?)は「洲崎大神」「袖ヶ浦石碑」「高島台」と一気にラストまでご紹介いたします。
乞うご期待!!