こんばんは🌇
久しぶりの更新です。シンガーソングライターの佐野碧(さのあおい)です。
このブログへ訪れてくれてありがとうございます。
今日は秘蔵映像、数年前に初めてネパールへ行った時の映像を公開しました。
ネパールの母でもあった母が撮影してくれました。
ネパール大地震の前です。
この時は、何もかもが刺激的で、合成写真の中にいる感じでした。
そしてここから私とネパールとの関わりがスターました。
最初はネパールタイムについていけず、予定がコロコロ変わり、予定なんて立てられないことに心がついていかず、わたしはイライラ
母にもネパール🇳🇵について、遅刻して普通なんて信じられない
などと言っていたのを思い出します。
母のことを少しお話しさせたください。
母は私が生まれる前からネパールへ行き、学資支援をしていました。もう30年以上続けていました。
そして、2011年からは遂にネパールに移住しました。
本当今考えてもすごいことですね。
幼い頃は寂しいと思ったことはありましたが、
いまとなってはその寂しさも、母が生きていたから生まれた気持ちでした。
そういう意味で、ネパール🇳🇵という国は、寂しい想いをも同時に思い出す場所でしたか、
気づいたら私もネパールへ行き、一緒にネパールの活動をしていました。
不思議ですよね。
YouTubeにアップした映像は、初めてネパールへ行った時の様子。
母にはバイクで色々なところに連れていってもらいました。私はいつも後部座席で、ネパールの細い道を通るたびにヒヤヒヤし、ボコボコ道に文句をいってました。笑
そんなボコボコ道だって、スイスイ走るバイクを運転する母がとても頼もしかったです。
母は、昨年12月に母は亡くなりました。
ポカンと心に穴が開き、なかなか受け入れられませんでした。
自分を責めて
許せない
という気持ちが残りました。
でも、ある時ある人に
「あなたは誰かのせいだと思って最期を迎えたい?」
「母がもし、娘が自分のせいで亡くなったと思ってたらどう思う?」
「その人が決めたこと。どんな事も。」
ハッとしました。
何事も自分次第と思って生きてきたけど、
自分のせいだと思うことは全く違うことでした。
自分のせいだと思うことはある意味で
被害者意識でした。
そしてどこかでそう思い、逃げて、自分を責めることで母を引き止めていました。
誰かの人生を私は決められないし、
自分のせいだと思うことがとても
そう…
おこがましい…
そう気付きました。
その日を境に
心のポッカリはなくなりました。
もちろんこうしてブログを書いて母を思い出すと寂しいです。
でも前とは違います。
母の人生は母の人生である。
私の人生は私が決めた人生。
母が愛したネパール。
私もいつしか大切な場所になっています。
なかなかネパールへはいけないけれど、私は母に繋いでもらったバトンを繋いでいきます。
メロディーにのせて。