ネパールでの秘蔵映像 母への想い 決める人生 | シンガーソングライター佐野碧の「 空からこぼれた歌がある」

シンガーソングライター佐野碧の「 空からこぼれた歌がある」

アジア最大のチャリティフェスティバルを成功させたシンガーソングライター。2016年ネパール世界遺産にて約5000人を集客し、現地テレビメディアでも大きく取り上げられた。同年、プロ野球戦にて国歌斉唱をする。

こんばんは🌇

久しぶりの更新です。シンガーソングライターの佐野碧(さのあおい)です。


このブログへ訪れてくれてありがとうございます。

今日は秘蔵映像、数年前に初めてネパールへ行った時の映像を公開しました。

ネパールの母でもあった母が撮影してくれました。
ネパール大地震の前です。

この時は、何もかもが刺激的で、合成写真の中にいる感じでした。

そしてここから私とネパールとの関わりがスターました。


最初はネパールタイムについていけず、予定がコロコロ変わり、予定なんて立てられないことに心がついていかず、わたしはイライラニヤリ


母にもネパール🇳🇵について、遅刻して普通なんて信じられないプンプン


などと言っていたのを思い出します。


母のことを少しお話しさせたください。


母は私が生まれる前からネパールへ行き、学資支援をしていました。もう30年以上続けていました。

そして、2011年からは遂にネパールに移住しました。
本当今考えてもすごいことですね。


幼い頃は寂しいと思ったことはありましたが、
いまとなってはその寂しさも、母が生きていたから生まれた気持ちでした。


そういう意味で、ネパール🇳🇵という国は、寂しい想いをも同時に思い出す場所でしたか、
気づいたら私もネパールへ行き、一緒にネパールの活動をしていました。
不思議ですよね。


YouTubeにアップした映像は、初めてネパールへ行った時の様子。


母にはバイクで色々なところに連れていってもらいました。私はいつも後部座席で、ネパールの細い道を通るたびにヒヤヒヤし、ボコボコ道に文句をいってました。笑


そんなボコボコ道だって、スイスイ走るバイクを運転する母がとても頼もしかったです。


母は、昨年12月に母は亡くなりました。
ポカンと心に穴が開き、なかなか受け入れられませんでした。


自分を責めて
許せない
という気持ちが残りました。


でも、ある時ある人に


「あなたは誰かのせいだと思って最期を迎えたい?」


「母がもし、娘が自分のせいで亡くなったと思ってたらどう思う?」


「その人が決めたこと。どんな事も。」


ハッとしました。


何事も自分次第と思って生きてきたけど、
自分のせいだと思うことは全く違うことでした。


自分のせいだと思うことはある意味で
被害者意識でした。


そしてどこかでそう思い、逃げて、自分を責めることで母を引き止めていました。



誰かの人生を私は決められないし、
自分のせいだと思うことがとても

そう…
おこがましい…

そう気付きました。


その日を境に
心のポッカリはなくなりました。


もちろんこうしてブログを書いて母を思い出すと寂しいです。

でも前とは違います。


母の人生は母の人生である。
私の人生は私が決めた人生。



母が愛したネパール。
私もいつしか大切な場所になっています。

なかなかネパールへはいけないけれど、私は母に繋いでもらったバトンを繋いでいきます。
メロディーにのせて。