気分障害には、うつ病(単極性障害)と躁うつ病(双極性障害)という基本的に異なる病気が2種類あるということは、既に何度も紹介していますが、ここでは、躁うつ病について、より詳細に、つまり、さまざまなバリエーションのようなものも含めて紹介しようと思います。躁うつ病は、うつ病に比べればずっと単純で純粋な精神疾患ということがわかっているのですが、それでも、さまざまなタイプが存在します。


双極性障害の中で最も症状が典型的なのが双極Ⅰ型障害(躁もうつも重い躁うつ病)です。私が入院しているときの感じだと、施錠、拘束される人の代表的な人は、双極Ⅰ型障害の躁状態の患者さんと、統合失調症の急性期の状態の患者さんでした。一般の人は躁状態というのは、ハイで明るく疲れ知らずで、少し押し付けがましいくらいに多弁で行動的であるような印象を受けると思われますが、この段階で(医療保護)入院される患者さんは少ないと思います。また、任意入院の場合は、何度か入退院を繰り返した結果、学習効果によって、本人も周りも躁状態になってきた(躁転)したことが自覚されるので、いきなり、施錠、拘束されるような状態で(任意)入院することはありません。つまりその場合、もう少し制御可能な状態で入院してきます。

双極Ⅰ型障害の患者さんで、(医療保護)入院して施錠、拘束されるような患者さんの躁状態は、ハイで明るく疲れ知らずの元気という状態を通り越して、自分の無茶な考えに同調しない周りに不信感を抱いて癇癪をおこしたり、気分が制御できずバーンアウトした直後のように相当混乱していたり、さらに、自分勝手な考えが強く、妄想的で自分は神だとか騒ぎだすような患者さんになります。長谷川病院に入院している感じだと、入院直後に妄想的な例はなかったので、混乱状態くらいで家族が心配になって病院に運んでくるようなケースが多いみたいでした。

躁うつ病の患者さんは、私もそうですが、もともとなんらかの精神医療にかかっているような人が多いと思います。初期の段階では、躁の状態は、少しハイで元気で疲れ知らず、新規のアイデアや計画を立てることが大好きで、ファッションなどにせよエンタテイメント的なものにせよ新しい物好きで、しかも、冒険心に溢れているように大胆に実行に移したりします。これくらいの状態では、本人や家族にはまず自覚症状がありません。家族や友人などからは、どちらかといえば、好かれるようなタイプになると思います。ところが、病気が進行してくると、少し自己中心的になったり、相手に対して押し付けがましくなったり、少々、話が一方的で独断的になってくるなど、相手をしているとこちらが疲れてしまうようになってきます。さらに、アイデアや計画に無茶な側面が多くなり、それにもかかわたず、後先かまわず実行しようとして失敗したり、分不相応の高価な買い物をしてしまったりします。この段階までくると、友人は一歩下がり、家族は心配になってきます。問題なのは、こうした状態が、躁うつ病の病状によるものだという認識が十分でないため、しばらくすれば、治まるだろうといった感じで放置されることが多いのです。本人も、躁うつ病の診断をうけて治療を受けている患者でなければ、自分のそうした状態が病気のせいだという病識はありません。

躁うつ病は、遺伝体質的素因に基づく主に内因性の精神疾患だと言ってきましたし、躁うつ病他うつ病は時限爆弾のように機能するということも紹介しました。ここで改めて、このプロセスについて考えます。つまり、この病気の根本にあるのは遺伝体質的素因になるものです。特に、多遺伝子性疾患といって、一つの特定の遺伝子の活性化によって病気が発症するのではなく、複数の関連し合う多くの遺伝子の相互補完的な活性化によって病気が発生します。それでは、これらの遺伝子の活性化を醸成するものは何かというと、慢性的なストレスです。運悪く遺伝体質的素因として躁うつ病の時限爆弾をかかえてしまっても、ストレスが全くないような天国に一番近い島みたいなところで悠々自適な生活を送っていれば、おそらく、躁うつ病にはならないでしょう。しかし、現代社会はストレスフルな時代です。慢性的なストレスを回避して生活するということは現実問題として不可能でしょう。そのため、躁うつ病は確実に進行していきます。そして、急激に連続して普通の人でもうつになりそうな引き金になるストレスがかかると、躁うつ病は、あきらかに症状として表に現れてくるのです。

問題は、あるストレスが引き金になって病気が発生したときに、過去にさかのぼって、以前から躁うつ病の兆候はなかったのかとか、さらに躁うつ病の病前性格といわれているものと自分の子供や成人の頃の性格を分析してみないと、躁うつ病という診断がくだされないケースがほとんどのようです。例えば、私の場合だと、病気が進行していっても、我慢に我慢を重ねて仕事を続けていたところ、さすがにもうこれ以上は駄目だということで、うつな状態に落ち込んだことがきっかけで診察をうけています。このような多くのケースでは、うつの状態で最初の診察をうけるので、気分障害の専門家でもないかぎり、躁うつ病かもしれないという可能を含めた標準の診断アルゴリズムを適用することなどなく最近のストレスや慢性的なストレスによる抑うつ状態と誤って診断します。そこで、抗うつ薬など誤った薬物治療が始まりなかなかうまく改善しないことに医者も患者もいら立ちを募らせていくのです。

ちなみに、躁状態だけでうつ状態がない患者はいるのかということですが、理論的には否定できないが、臨床レベルではないそうです。かならず、躁状態にある患者は、うつ状態を経験することになるそうです。

躁うつ病の暗い側面として、躁状態が激しいと、反動でうつ状態が重くなる傾向が強く、その分、希死念慮も強く自殺率も高いことが挙げられます。大うつ病の重い人で15%くらいが自殺することを紹介しましたが、軽いうつ病の患者などのように希死念慮がないケースもあるので、うつ病全体では、ぐっと低くなります。ただし、精神病院に入院しなければいけないような重症のうつ病患者さんは自殺の危険性が高いので注意が必要なのです。ある統計では、双極Ⅰ型障害(躁もうつも重い躁うつ病)の患者の場合、平均年齢が短く、その原因が自殺死亡率が10%を超えているためだという結果もあります。自殺率が自殺未遂に終わるケースも含まれているのに対して自殺死亡率ということなので、自殺を敢行してしまう割合になので、いかにこの病気が病んでいるかが理解できると思います。

2番目のタイプの躁うつ病は双極Ⅱ型障害(躁が比較的軽い躁うつ病)です。うつ病のエピソードは双極Ⅰ型障害(躁もうつも重い躁うつ病)と同じですが、躁状態は、それほど典型的に顕著ではないというケースです。双極Ⅱ型障害の臨床における困った点は、躁状態が双極Ⅰ型障害(躁もうつも重い躁うつ病)のようにはっきりとしないため、より、診断を誤る確率が高くなってしまうのです。誰が見ても躁状態だといえるほどはっきりとした躁状態にならずに、うつ状態は、大うつ病のエピソードと同等にうつ状態になってしまうため、本人、友人、家族も、躁うつ病を全く疑わないのです。そのため病気は徐々に進行して、最終的には、よりはっきりとした双極Ⅰ型障害に発展していく割合が高いようです。また、双極Ⅱ型障害は自殺率が双極Ⅰ型障害よりも高く20%近いという統計もあります。

3番目に、気分循環症(うつも躁も軽いが慢性的な躁うつ病)があります。うつ病の気分変調症に対応するものと考えて差し支えありません。気分変調症のところでも紹介しましたが、病気の症状が軽いからからといって、その人が病気によって苦しむことになる困難が軽くなる訳ではありません。むしろ、病気であるという認識がないまま、その人の性格の問題として処理されるため、よりいっそうの困難を被ることになるケースが比較的多いようです。気分循環症の人は、たいていが病気である診断をうけないようです。気分に波があるため、気分屋さんだと思われます。気分のいいときは、お調子者くらいに思われ、気分が悪くなると、気難しがりやぐらいに思われます。気分循環症の患者は治療を受けないとたいていが、通常の躁うつ病へと病気が進行していくそうです。

以上が、躁うつ病の症状の重さを基準とした分類ですが、症状の内容から分類することも重要です。症状の内容から分類すると、多幸性、混合性、急速交代型(ラピッドサイクラー)に分類できます。

多幸性は、躁のエピソードの時に、異常なほど元気で、気分が高揚し、開放的になります。このタイプの患者は自尊心が肥大化し、尊大で、自信過剰になります。元気で気分が高揚して、ハイで気持ちがよさそうですが、この幸せな気分は変わりやすく、自分の努力が妨害されると突然怒りだしたりします。典型的な多幸性の患者さんの躁のエピソードは3段階を踏んで症状が進行します。第1段階は多幸だけの段階で、自信過剰だったり、漠然とした思考が頭を駆け巡ったり、活動的になったり、浪費してしまったり、社交的になったりします。第2段階は、せきたてられるように感じ始めます。気分は、多幸ではあるけれど焦燥や敵意が混じってきます。怒りを爆発させたり、他人に攻撃的になったりもします。だんだん考えに一貫性がなくなり、しゃべり方はますます速く、マシンガントークになります。第3段階まで進むと、気分的に多幸という段階ではなく恐怖に襲われたように暴力的になることがあります。思考は支離滅裂で何をいいたいのかがわからなくなってきて、奇妙な行動をとったりもします。患者の3人に1人が幻覚と妄想を抱くようです。

第3段階だけをみると、統合失調症の患者と区別がつきにくいのではないかと思われますが、躁うつ病の患者はいきなりだい3段階にある人はいません。必ず、その前に第1段階(多幸)や第2段階(焦燥や敵意)があるので比較的容易に区別できます。入院時に第3段階だと診断に困るかもしれませんが、家族から説明をうければ躁うつ病だとはっきりするでしょう。ちなみに入院中にすぐわかる躁うつ病の患者さんの多くは多幸性の患者さんです。躁うつ病の患者がうつ状態を改善する目的で抗うつ薬を飲むとそうになりやすい(躁転しやすい)のですが、多幸性の最初の段階は患者にとって居心地がいいらしく(うつよりはいいというのは素人でもわかると思います)、少しハイになりたいからと言って抗うつ薬を要求する患者さんもいました。これを繰り返しているとラピッドサイクラーになる可能性が高いので認められません。また、抗うつ薬で躁転するのは躁うつ病なのかというと、躁うつ病か躁うつ病の資質を備えているらしいということもわかってきているようです(私は長谷川病院に入院して最初から退院近くまで量は徐々に減っていきましたがトリプタノールという三環系抗うつ薬(TCA)を処方されたのですが、後から振り返ると明らかに躁転していました)。では、躁うつ病の患者がうつのエピソードの時は、どういった抗うつ薬を適用すればいいのかという問題ですが、最近の研究の結果、リチウム濃度が十分に高いときには三環系抗うつ薬(TCA)は効き目がなく、セロトニン選択的取り込み阻害薬(SSRI)が効果的であるという報告があるようです。

混合性は、躁うつ病のをわかりにくくするものの代表かもしれません。厳密な定義からすると、躁うつ病の患者は躁的な特徴とうつ的な特徴を療法示します。ただ、この気分状態には、躁とうつという用語では表現しきれず、把握するのが困難な独特の性質を伴うことがあります。その気分をできるかぎり表現するのならば、おそらく、苛立、怒りっぽさ、敵意、焦燥、不安、不機嫌、不満、あらゆることが気に入らない、陰気、無愛想などです。双極Ⅰ型障害(躁もうつも重い躁うつ病)の患者の場合では40%くらいが混合性のエピソードを経験します。表現しにくい気分の状態にあるように、本人も受け入れがたい悶々とした気分のため自殺率が高くなります(典型的なうつ状態で自尊心の欠如や圧倒的な絶望感空虚感による自殺ではなくて、受け入れがたい気分の状態を排除するには死ぬしかないと思うような感じです)。比較的軽い混合性の患者は、人格障害と誤診されやすくなります。

実は、私の場合は、最初は多幸性だったが現在では混合性の可能性が高いかなぁと思います。とどめのストレスを受けて以降というもの、そう状態を示す特徴とかうつ状態を示す特徴のような診断のバロメータになる特徴がありますが、答えに困ってしまうことが多いのです。つまり、どう考えても、そう状態ではないしかといってうつ状態でもないことになってしまうのです。その点、この混合性の「躁とうつという用語では表現しきれず、把握するのが困難な独特の性質」として挙げられている気分の状態にはマッチします。また、私の場合、双極Ⅱ型障害(躁が比較的軽い躁うつ病)に該当するため、そう状態が誰が見てもあきらに異常ということがないので、入院の際に受動攻撃性人格障害と診断を受けた可能性が高いようです。しかも、受動攻撃性人格障害は、現在、特定不能な人格障害に格下げになり躁うつ病との関連性が研究されていますし、その人格の特徴として混合性の「苛立、怒りっぽさ、敵意、焦燥、不安、不機嫌、不満、あらゆることが気に入らない、陰気、無愛想などなど」というのにもピタっとくるものがあるからです。双極Ⅱ型障害の混合性エピソードを経験するタイプは自殺率が最も高い組み合わせになってしまうのですが、なんとなく自分でも分かる(自覚できる)のが恐ろしいです。

急速交代型でない躁うつ病では、躁とうつのエピソードの間隔に大きな個人差がありますが、基本的には、何回かエピソードを繰り返すうちに周期はだんだん短くなり、ある一定の回数を繰り返した後には一定の間隔に落ち着き、ほぼ一年に一度ぐらいの間隔で発生します。一方、急速交代型(ラピッドサイクラー)は、その名の通り、一年に4回以上の躁のエピソードやうつのエピソードを経験します。急速交代型は双極性障害の20%くらいを占めるそうです。中には、2日単位や1日単位でエピソードを繰り返す超急速交代型もあります。原因の一つは、診断ミスによる薬物療法の失敗です。つまり、気分障害に詳しくない精神科医が躁うつ病の患者をうつ病と誤診して抗うつ薬を適用し躁転を繰り返しているうちにラピッドサイクラーになってしまうのです。この悲しい事実を裏付ける証拠に、抗うつ薬が登場するまでは急速交代型は現在のように20%もいなかったそうです。

私が入院中しているときも、いわゆるラピッドサイクラーの人がいました。ラピッドサイクラーは統計的に女性に多いのですが、その方も女性でした。ちなみに、躁転(うつ状態から躁状態へ)やその逆(躁状態からうつ状態へ)は、ラピッドサイクラーの患者さんの場合凄まじいものがあります。きっかけは、ほんとうにたわいもないものが多く、診察でのいざこざだったり、活動療法への参加であったり、話し相手の病棟移転だったりでした、こうしたタイミングで、まさに、言葉のごとく見ている前で人が変わっていくのです。ある種の驚きを感じずにはいられません。一番すごかったのが、診察でのいざこざの後で、何を主治医と大声で話しているのかと思っていると、ものの2~3分で、4~5人で押さえつけないといけないくらいの大げんかが始まりました。おやおや、こりゃ、すごいことが始まったと思っていたら、主治医は難を逃れてナースステーションの奥に退散すると、患者さんは、リビングの方へのっしのっしと歩いてきて、みんながソファーに座ったり横たわってテレビをみているにも関わらず、リビングの中央のテーブルにのし上がって、「私は、本日ただいまをもって退院することが決定したことを、ここに宣言します。」と大声で大見得をきってみせるのです。周りの患者もさすがに、事の速さに驚いたりして、えらいことになったぞという感じでした。もちろん、しばらくして、施錠、拘束になりました。その状態が2週間ぐらい続いたのでが、今度は、自分一人ではトイレもできないしご飯も食べれないようなうつ状態になってしまったようでした。しばらくして、病室から出てくると今度は、超おとなしい人のような感じになり、それが一段落してくると、ふたたび、尊大な態度で人に接するようにめまぐるしく変化していきました。

以上が、双極性障害の概要です。次は、ちょっと、長谷川病院の外来での治療やデイケアなどを紹介したいと思います。