2025年12月14日

 

 朝日新聞俳壇、歌壇等からの印象句、印象歌の報告、第636回です。

 ウクライナ詠、トランプ詠は見えず、パレスティナ詠が1句あるのみでした。後ろに掲げます。

 師走ゆえか、台湾有事高市答弁以後の世の中の展開ゆえか、国内殺伐の感。

 

 

【俳句】

 

 

薪一本・世界の終(つい)の・姿かな (長野県信濃町 渡邊春乃)(長谷川櫂選)

 

 

(連想もついついそちら方面に行く。)

 

 

平等院へ・急ぐ宇治橋・初時雨 (青森市 天童光宏)(大串章選)

 

 

(初冬の京の旅の雰囲気がよく出ている。)

 

 

旅の神・踏みどころなし・ガザの街 (箕面市 櫻井宗和)(長谷川櫂選)

 

 

(パレスティナ詠)

 

 

【短歌】

 

 

教室に・カメムシ出たとき・手でそっと・外に逃がして・くれる子がいる

                     (奈良市 山添葵)(高野公彦選)

 

 

(喜ばれることの喜びが知られる端緒的経験の場。)

 

 

 

                    2025年12月12日

 

 カントの「純粋理性」とAIの関係について何か書けないかと構想中に、基本的な認識に誤りがないかチェックしてみようと、チャットGPTに質問を投げかけました。

 質問は、「AIにはカントのいう「純粋理性」にあたる能力がありますか?」「「純粋理性」が人間にもたらしたものとしてどのようなものがありますか?」の2つです。

 予想外のストレートな回答があって、不勉強な小生が書こうと思っていたことはみごとに書き尽くされ、それ以上の記述がなされていました。

 もはや小生があらためてわけのわからないことを書く必要はないと判断し、以下にそれを披露させていただくことにしました。

 

(問)AIにはカントのいう「純粋理性」にあたる能力がありますか?

 

(チャット GPT  の回答)

 AI にカントの言う「純粋理性(reine Vernunft)」があるかという問いに対しては、

結論:現在の AI には「純粋理性」にあたる能力はありません。


■ カントの「純粋理性」とは何か

 カントがいう「純粋理性」とは、

  • 経験に依存せず働く理性能力
  • 世界の可能条件を構造的に定める先験的(アプリオリ)な枠組み
  • 因果性・時間・空間などを「認識の条件」として設定する力
  • 主体が世界をどう経験するかを構成する根本能力

といった、人間の認識そのものを成立させる「超越論的」な働きです。


■ AI にそれが「ない」理由

1. AIは“経験以前の枠組み”を持たない

 AI は世界の先験的な構造を自ら設定することができず、与えられたデータ・アルゴリズム・目的関数の枠内でしか動きません。

2. AIの推論は統計モデルであり、主体的な理性ではない

 AI の判断は大規模データに基づくパターン推定であり、「世界をどう認識するべきか」という 主体的・構造的な規定能力 はありません。

3. 自己の認識条件を自分で反省・再構築できない

 カント理性は、自らの限界を検討する「批判」の能力を持ちます。AI は自己の条件(学習方法・データ構造)を反省し再定義する能力を持ちません。

4. 目的・価値・必然性の概念を“理解”していない

 AI の出力は「必然性を理解した判断」ではなく、「確率的に最適な応答」です。


■ では AI にあるのは何か?

 AI が持つのは “経験(データ)にもとづく拡張的な推論能力” に近いもので、カントの理性区分でいえば 「純粋理性」ではなく“経験的・技術的な知性(Verstand)” (筆者注:カントのいう「悟性」)により近いといえます。

  • 人間の純粋理性 → 先験的・構造的・世界を規定する力
  • AI の推論 → 統計的・後天的・データに依存

 この差は本質的です。


■ 結論

 AI はカントのいう「純粋理性」を持たない。

AI にあるのは、データに基づく高度なパターン推論であり、経験に依存しない先験的構造を設定する能力――つまり「純粋理性」には到達していません。

 

(問)「純粋理性」が人間にもたらしたものとしてどのようなものがありますか?

 

(チャット GPT の回答)

 カントのいう「純粋理性(reine Vernunft)」が人間にもたらしたものは、人間が世界を理解するための“先験的な枠組み”と、“普遍的な認識の構造” です。

これによって、私たちは単に経験を受け取るだけではなく、経験を可能にする条件そのものを内側に備えています。

 以下に主要な点を整理します。


■ 1. 世界を秩序立てて理解する能力

 純粋理性は、人間が 雑多な感覚情報をただ受け取るのではなく、“理由・法則・必然性” に基づいて世界を理解できるようにする 能力です。

  • なぜ物事はこうなるのか
  • 何が原因で結果が生じるのか
  • 世界はどのような法則の下に成り立つのか

 これらを考える力は、すべて純粋理性の働きに依存しています。


■ 2. 先験的カテゴリー(因果性・時間・空間など)

 純粋理性の活動によって、人間は 経験以前に世界を見るための構造 を持ちます。

代表例:

  • 因果性(原因と結果を理解する枠組み)
  • 空間(外界を“外に広がるもの”として捉える)
  • 時間(出来事を“前後”として認識する)
  • 実体
  • 必然性/可能性

 これらは“世界がどうであるか”ではなく、“人間がどう世界を捉えることができるか”の条件そのものです。


■ 3. 科学の成立

 カントは、純粋理性の枠組みによって科学が可能になると考えました。

  • 物理法則が成り立つ
  • 実験結果が再現される
  • 世界が合理的に記述できる

 これらは、“世界が理性的に構造化されている”というより、人間の認識が理性的な構造をもつからこそ可能になるという考えです。


■ 4. 自律・道徳の基盤

 カントの倫理学においても純粋理性は重要で、人間が自律的に道徳法則(定言命法)を立てられるのは純粋理性があるから とされます。

  • “自分で自分に法則を課す”力
  • “目的としての人間”という理念
  • 普遍化可能な道徳法則を考える能力

 これらはすべて、感情や欲望ではなく 理性のはたらき に基づきます。


■ 5. 経験を超えた理念を形成する能力

 純粋理性は、経験では捉えられない概念をつくり出します。

  • 自由(筆者注:ここにこれが出てくるとは予想外で、驚きました。)
  • 魂の不死
  • 世界全体(宇宙の完全な構造)

 カントはこれらを「理性理念」と呼び、経験を越えて“完全性”を追求するのが純粋理性の特徴だとしました。


■ まとめ

 純粋理性が人間にもたらしたものは次の通りです。

  1. 世界を法則的に理解する力
  2. 先験的な認識枠組み(因果性・時間・空間など)
  3. 科学的認識の可能性
  4. 自律的な道徳の基盤
  5. 経験を超えた理念(自由・神・世界全体)を構想する能力

 つまり純粋理性は、**「人間が人間として世界を理解し、道徳的に生き、科学を行うための根本条件」**といえます。

 

(筆者感想)

 キーワードは「経験に先立って」「先験的」「アプリオリ」です。

 人間には「経験」という足場なしに新たな、独立した概念を生みだす能力があるのです。

 AIは、現在のAIにはその能力がないとして、将来の可能性に含みを持たせているところがかわいいところです。

 しかし、その能力を持っていないというのは原理的なことであり、情報を産み出す仕組みを根本的に変えなければ、この点においてAIは人間を超えることはできないのではないでしょうか。

 

 

 

 

                        2025年12月7日

 

 朝日新聞俳壇、歌壇等からの印象句、印象歌の報告、第635回です。

 パレスティナ詠ウクライナ詠が2首ありました。俳句にはありませんでした。後ろに掲げます。

 

 

【俳句】

 

 

パン粉から・一歩退く・嚔(くさめ)かな (大阪市 渡辺たかき)(小林貴子選)

 

 

(俳句に大事な「おかしみ」。)

 

 

子供らに・落葉(おちば)もてなす・欅(けやき)かな 

                    (川越市 大野宥之介)(長谷川櫂選)

 

 

(落葉は子供たちにとってとっても価値ある遊び道具。)

 

 

乗り遅れ・たるバスを待つ・寒さかな (長崎市 徳永桂子)(大串章選)

 

 

(「寒さ名句集」が編まれたら選ばれますね。)

 

 

葱(ねぎ)甘し・余生といふも・あとわづか (羽咋市 北野みや子)(大串章選)

 

 

(葱の甘さがかえってそれを思わせてしまった。そういうことってある。)

 

 

【短歌】

 

 

「良かったね」・「柿の実いっぱい・食べようね」・熊の親子の・最後の会話 

                    (酒田市 今井喜代)(永田和宏選)

 

 

(何事によらず悲劇に至る「状況」をあらかじめ作らないことが大事。)

 

 

辞めてゆく・保育士に児は・人生の・初の別れに・泣きじゃくり居り 

                   (香取市 嶋田武夫)(佐佐木幸綱選)

 

 

(そうして大人になっていく。)

 

 

高市に・感謝、おかげで・ボケ防止・9条老人に・よい刺激なり 

                          (京都市 竹田三津枝)

 

 

(影響がそこにとどまっていればいいのだが‐‐‐)

 

 

今ガザで・爆弾の恐怖に・震える子・かつては日本の・沖縄にもいた 

                    (妙高市 那須喜代子)(高野公彦選)

 

 

(パレスティナ詠)

 

 

ウクライナ・ガザの悲劇を・子や孫に・味わわせたくなし・風が蕭々 

                         (世田谷区 耕田信二)

 

 

(「風蕭々」とは秦の始皇帝の暗殺を狙った刺客荊軻の暗喩だろう。テロリズムはやめときなはれ。)

 

 

                        2025.12.4

 

 高市首相の「台湾有事」「存立危機事態」に関する国会答弁についての問題は、その後「従来の政府の見解に変更なし」との政府の籠城寡黙作戦に至り、ネット、マスコミレベルでの議論は「媚中」「反中」などという感情的な言葉も飛び交って依然として喧しいものがあるが、国会レベルではこれ以上の議論は無意味、あるいは日中関係上有害との認識により、休戦ということになると予想される。 

 ネット、マスコミレべルの議論に参戦する気持ちは筆者にはまったくないので、高市答弁問題はここらあたりで中間総括して、ひとまず切り上げておきたいと思う。

 

 高市答弁における次の3点の問題により、高市首相には国家の指導者としての必要な資質に疑問あり、というのが中間総括である。

 すなわち、

1 これから関係を深めていくべき状況にあった中国に対し、狙いも状況判断もな

 く、宣戦布告の予告をなすという外交的センスの欠如。(少なくとも「存立危機事 

 態」すなわち「総理大臣による自衛隊の出動命令」すなわち「開戦」という認識は

 持っていただろう。その上でのあの答弁だ。)

2 「存立危機事態」という概念が「カラ概念」だという法制的欠陥(参考:201

 5.9.14横畠内閣法制局長官答弁(本ブログ1749))に無知であるという有

 事法制についての認識不足。(総理としては、欠陥と認めなくとも、少なくともその

 弱点に警戒的でなければならないはず。)

3 「台湾有事」には米軍参戦、日本巻き込まれを当然のことと思い込んでいるという

 視野の狭い国際情勢認識。(それでなければ、台湾有事は存立危機事態に結びつかな

 い。もしこの中間項なしに台湾有事が存立危機事態に結びつくと判断しているとす

 れば、高市首相は反共イデオロギーの過剰で政治的に病んでいることになる。)

 

 今後、高市首相は直面する多数の問題の中で、とりわけ積極財政(財政健全化)、防衛3文書改定、そして悪化してしまった日中関係の修復の問題で国家の指導者としての資質を引き続き問われることになるであろう。

 強気、熱心、勤勉については高い評価を受けており、健康面での懸念はあるものの誠に結構なことであるが、国家の指導者としての資質とはいわゆる「うつわ」そして「素養」と言われるものであり、強気、熱心、勤勉によってカバーできるものではない。それ以前にすでに備わっているかどうかという性格のものである。

 この点において高市首相、初戦はペケであったが、果たして今後はどうであろうか?

 

 

 

                        2025年11月30日

 

 朝日新聞俳壇、歌壇等からの印象句、印象歌の報告、第634回です。

 パレスティナ詠が1句、ウクライナ詠、反トランプ詠が各1首ありました。後ろに掲げます。

 

 

【俳句】

 

 

承和色(そがいろ)の・菊にひかるる・いのちかな 

                   (東京都江東区 鈴木靖彦)(小林貴子選)

 

 

(承和色の菊とは黄菊のことだそう。「いのち」のこの用法になつかしさを感じる。)

 

 

熊穴に・入らず人家を・え出(い)でず (相模原市 井上裕実)(長谷川櫂選)

 

 

(さすがに熊の俳句短歌が多いが、ピタッと決まっているものが少ない。)

 

 

人生の・余白にありて・日向ぼこ (柏市 藤嶋務)(大串章選)

 

 

(「余白」という境地、貴重に思える。「余白」にも書き込み可能だ。)

 

 

野分(のわき)かな・突っ張り総理・自制なく (四国中央市 吉田卓三)

 

 

(要するに宰相に必要な知性に欠けるということであろう。世は乱れる。)

 

 

一面の・ガザの廃墟を・虎落笛(もがりぶえ) (立川市 須崎武尚)(長谷川櫂選)

 

 

(パレスティナ詠)

 

 

【短歌】

 

 

武器といはず・防衛装備・品といふ・「転進」とかつて・いひしこの国 

                     (西条市 村上敏之)(高野公彦選)

 

 

(政府側に後ろめたさがあるということの証左である。)

 

 

朝(あした)より・グルメ番組・絶ゆるなく・この国の「文化の・日」が暮れてゆく 

                      (東京都 上田国博)(高野公彦選)

 

 

(スイッチを切ろう。できるのはそれだけ。)

 

 

実利庵・トランプ坊が・観念庵・たか女に伝ふ・黄砂激しと 

                       (羽曳野市 富士田昇一)

 

 

(電話会談したらしい。単なる親切心であるはずがない。)

 

 

威勢よき・大言吐けども・容貌に・年齢(とし)相応を・見するトランプ 

                    (舞鶴市 吉富憲治)(佐佐木幸綱選)

 

 

(反トランプ詠)

 

 

無人機は・何度も襲い・くるという・枯蓮(かれはす)の池に・風が吹き込む

                     (生駒市 高橋裕樹)(川野里子選)

 

 

(ウクライナ詠)

 

 

 

                        2025年11月27日

 

 高市首相の「台湾有事:存立危機事態」発言について中国は本気になって怒っているようだ。

 それまで中国は、トランプがもたらした日本の対米信頼の低下という状況に乗じて、日本を自分のほうへ引きつけようとの外交姿勢を示しつつあった。(高市・習両首脳会談の実現はその象徴であった。)

 高市発言の何たるかを中国が客観的に、冷静に捉えることができていたならば、その外交姿勢を維持しつつ、高市発言に対しては、本気になって怒るのではなく、怒った顔をしながら揶揄する~お笑いの世界の言葉で言えば「いじる」~といった対応をとっていたであろう。

 そのような対応が、高市右傾政権に打撃を与えつつ、日米関係をけん制し、日中関係を良好に保つという、中国にとっての得策であったはずだ。

 しかし、中国は本気で怒ってしまった。それは中国が日本の事情を正確に理解できていないということを示している。

 

 高市首相の発言があろうとなかろうと、台湾海峡での軍事衝突が発生した場合に米軍がそれに介入すれば、日中間でも戦端が開かれることになる。米軍の介入がなければ、日中間で戦端が開かれることはない。

 そのことは日本も、アメリカも、中国も、当然に承知のことだ。

 日中間で戦端を開くことになる時、それを「存立危機事態」と説明するか「武力攻撃事態」と説明するかは、日本での国内法の適用の問題に過ぎない。

 日中両国間でミサイルが飛び交い、一般市民を巻き込んで多くの人命が損なわれ、国土が灰燼に帰すという事態の深刻さに比して、そんな法律上の整理など枝葉末節のことにすぎない。

 今回の高市発言の本質は、その枝葉末節の日本国内の法律問題でしかないのだが、中国はそのことを認識できなかった。

 高市発言を中国に向けたものと捉えてしまったのだ。

 

 「存立危機事態」に関する国会での議論は、2015年の新安保法制によって「限定的な集団的自衛権の行使」を可能とするために無理やり導入した「存立危機事態」という概念のリアリティ(いったいそんな事態が現実にあるのか)についての議論である。

 高市首相は、安倍チルドレンの最優等生として、安倍元首相によって導入された「存立危機事態」「限定的な集団的自衛権の行使」の妥当性を擁護する責任感にあふれていた。「存立危機事態」のリアリティをわかりやすく国民に示したいという願望があった。

 そのため、従来の政府の見解の枠をはみ出る答弁を、それがもたらすであろう外交的マイナスをいささかも考慮することなく、堂々と、事情通の顔をして展開したのである。

 高市首相のその無知で、健気な、優等生的でナイーブな姿勢は、それを知っている者にとっては、揶揄の対象でこそあれ、本気で怒るべき対象ではない。

 台湾海峡での軍事衝突が発生した場合に米軍がそれに介入すれば日中間でも戦端が開かれ、介入がなければそれはないという、日本も、アメリカも、中国も十分に認識している客観的状況は、高市発言があってもいささかの変化もないのである。

 

 高市発言がそのようなものであるにすぎないということを中国は分析できなかった。

憂慮すべきは、この中国の日本の事情への無理解である。

 しかるべきレベルでの日本とのパイプが極めて不十分だということである。

 思い起こせば、野田内閣時代の尖閣国有化の際にも、国有化の背景についての中国側の無理解があった。

 今後とも日中間には様々なトラブルが生ずることになるであろうが、理解不十分による事態のエスカレーションが取り返しのつかない重大事態にまで至る心配がある。

 今回の高市発言のもたらした教訓は~過去形にするには時期尚早かもしれないが~そのようなことがないよう、日中間に太いパイプを形成しておく必要があるということである。

 

 

                      2025年11月26日

 

 報道によれば、小泉防衛相は、与那国島へのミサイル配備計画に対する「地域の緊張を故意に引き起こし、軍事的な対立を扇動している」との中国からの批判に対し、「他国を攻撃するものではない」と反論したとのことである。

 与那国島に配備されるミサイルは、飛来するミサイルあるいは航空機を迎撃する「03式中距離地対空誘導弾」と言われるもので、防御的性格の強いミサイルと考えられる。

 したがって、中国からの批判に対する小泉防衛相の反論は一応の反論として成立してはいる。

 しかし、批判が与那国島の「03式」のみでなく、我が国のミサイル配備計画全般を対象とするものとなった場合、「他国を攻撃するものではない」という反論は成り立たない。

 我が国はすでに令和4年12月改定の「国家安全保障戦略」(閣議決定)において「我が国から有効な反撃を相手に加える能力、すなわち反撃能力を保有する必要がある。」「(反撃能力とは)相手の領域において、我が国が有効な反撃を加えることを可能とする、スタンド・オフ防衛能力等を活用した自衛隊の能力をいう。」「こうした有効な反撃を加える能力を持つことにより、武力攻撃そのものを抑止する。」としている。

 すなわち、「反撃」あるいは「抑止」の目的での保有としてはいるものの、能力としては「他国を攻撃する」ことが可能な~すなわち「先制攻撃」の脅威を与える~ミサイル等の保有を我が国は決めているのである。

 小泉防衛相の対中反論は現時点での与那国島に限った、普遍性に欠ける、言わば矮小な反論でしかないのである。

 

 また、山崎和之国連大使は24日、中国がグテーレス国連事務総長に宛てたという高市答弁批判の書簡に反論して、同事務総長宛てに書簡を送付し、そこでは「日本の根本的な防衛政策は、中国側の主張とは異なり、完全に防衛志向の受動的な防衛戦略の姿勢である。また、日本は国連憲章に基づき認められた集団的自衛権を制限的に行使できる事態を国内法で規定している。中国側が引用した日本の高市早苗首相の発言もこの立場に基づいている。したがって、武力攻撃がなくても日本が自衛権を行使すると中国が主張するのは誤りである。」としている。

 ここでの「武力攻撃」は文脈的には「日本への武力攻撃」を意味するように思われるが、そうだとすれば「日本への武力攻撃」ではなく「他国への武力攻撃」があった場合を対象とする「存立危機事態」における「集団的自衛権の行使」を定めた「事態対処法」にこの書簡は反することになる。

 (それゆえ、意図的に書簡中の「武力攻撃」の対象をあいまいにしているのかもしれない。内閣法制局長官の迷(名)答弁として紹介した「実際に起こりうる事態というものを考えますと、存立危機事態に該当するのにかかわらず武力攻撃事態等に該当しないということはまずない」という考え方に基づいているのであれば、問題は解消することになるが、まさかこの書簡がそうであるはずはないであろう。)

 この書簡における「日本の根本的な防衛政策は、中国側の主張とは異なり、完全に防衛志向の受動的な防衛戦略の姿勢である。」との主張は、「存立危機事態」制度の厳密な制限的運用についての言及なくしては成立しないのであり、運用如何によってはその成立は危ういのである。その懸念を払拭する材料を書簡は何ら提供していないのである。(後注参照)

 

 もちろん、中国が世界秩序の再編を図らんとして軍事力を大幅に拡大するという覇権主義の道にあり、我が国を壊滅に至らしめるに足る十分な核・ミサイルを装備していることからすれば、我が国の防衛力の強化を批判する資格など中国にいささかも存するはずはない。

 しかしながら、小泉防衛相の対中反論も、山崎国連大使の対中反論も、わずかに時期をさかのぼって、反撃能力、敵基地攻撃能力を言い出す以前、新安保法制によって限定的ではあるものの集団的自衛権の行使を認める以前であるならば、完全なる専守防衛論として堂々と中国にぶつけられるものであったことを考えると、現在、我が国の平和主義の看板がいささか傷がつくに至っていることを残念に思わずにはいられないのである。

 我が国は果たしてこのようなリスクを冒すことによるメリットはあったのであろうか?むしろデメリットのほうが大きかったのではないだろうか?

 

(後注)

 「存立危機事態」とはいかなる事態をいうのか、「事態対処法」第2条第4号の抽象的な、したがって幅の広い運用がなされるおそれのある定義があるのみである。

 問題の答弁以後、高市首相は従来の政府の見解を維持していると言って問題の鎮静化を図ろうとしているが、従来の政府の見解とは「(存立危機事態の認定は)事態の個別具体的な状況に即して、政府が持ち得るすべての情報を総合して客観的かつ合理的に判断することとなる」というだけのものであり、「存立危機事態」の拡大的運用の懸念を払拭するものではまったくなく、かえって恣意的な判断が行われる懸念を強める印象のものである。

 

 

                     2025年11月24日

 

 日本は台湾を中国の一部だとは認めていないとの主張が散見される。

 その主張が根拠としているのは、1972年日中国交回復の際の日中共同声明第3項である。

 そこでは、台湾が中国の不可欠な領土の一部だと主張する中国政府の立場を、日本政府は「十分理解し、尊重する」としていて、「承認する」とはしていない。

 その意味は、「台湾が中国の一部であると承認はしないけど、あなた方がそのことを繰り返し言っていることについては理解していますよ、そして尊重しましょう」という意味であり、日本の立場としては、台湾を中国の一部だとは認めていないということになる、とその主張は言うのである。

 

 この主張のレトリックにだまされることなかれ!

 確かに「承認する」とは言っていない。しかし、「否認する」と言っているのではない。「十分理解し、尊重する」と言っているのである。

 しかし、この主張では強引にそれを「否認する」ということにしてしまっている。

 巧みに「否認する」という理解に国民を誘導している。

 (「(中国政府の立場を)十分理解し、尊重する」とは、台湾に中華人民共和国政府の施政権が現に及んでいないという事実を踏まえ、だからといって日本が台湾独立運動に加担するような中国政府の立場に反する行動はしない、ということを意味する。(注0))

 

 そして、この主張は、あたかも「領土の承認」という制度があるかのごとき立場に立って、「承認」でなければ「否認」との論を唱えているが、そもそも、国際法に「国家の承認」という制度は存在するが、「領土の承認」という制度は存在しない。

 侵略によって奪取された土地を領土として追認しないというような場合を除き、領土の帰属は当事国間(注1)で決定されればよく、第三国がこれを承認するとかしないとかいう問題ではなく、第三国を関与せしめる制度は不要という考え方によるものと考えられる。

 したがって、我が国においても、侵略によって領土と宣言された地域を侵略国の領土として認めないという例(クリミア、ウクライナ東部州に対するロシアの領土宣言、イスラエルの東エルサレム、ゴラン高原の併合など)はあるが、特定の地域を特定の国家の領土として「承認」した例は皆無である(「カイロ宣言」(1943)により指定された地域(注2)の中国(注3)への返還を「ポツダム宣言」(1945)受諾によって事実上承認した例を除く)。

 

 冒頭に掲げた主張は、国際法などには縁のない一般国民の無知につけこんで、我が国がこれまでとってきた基本的立場を誤解させ、いたずらに問題の解決を複雑化させることとなる犯罪的な主張である。

 仮に日本政府がこの主張を肯定するようなことがあれば、高市答弁に起因する一連の事態は一挙に爆発拡大し、日中間は断絶状態に陥ることになるであろう。

 この主張は外交に素人ではない一部自民党議員も主張しているようだが、国民を誤った方向に誘導する不誠実極まりなきものと考えられる。

 

(注0)       高市首相は首相就任後においてもこの点についての無頓着が見られる。

(注1)       台湾と中国の関係がこの「当事国間」に該当しないことは言うまでもな

     い。

(注2)       「満洲、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地

     域」とされている。

(注3)       「カイロ宣言」において「中華民国」とされているが、これが「中国」と

     いう国家を意味するものであり、特定の政府を意味するものではないこと

     は歴史的にも明らかである。

 

 

 

 

                       2025年11月23日

 

 朝日新聞俳壇、歌壇等からの印象句、印象歌の報告、第633回です。

 パレスティナ詠が1句、反トランプ・ウクライナ詠が1首ありました。後ろに掲げます。

 

 

【俳句】

 

 

捨案山子(すてかかし)・神と呼ばれし・事も有り 

                    (南房総市 山根徳一)(大串章選)

 

 

(神を恐れぬ人間の勝手。)

 

 

帰る道・いづこ福島・秋深し (福島県伊達市 佐藤茂)(高山れおな選)

 

 

(福島の人たちに寂寥は一層深い。)

 

 

目に見えぬ・枯野が覆ふ・ガザの街 (筑紫野市 二宮正博)(長谷川櫂選)

 

 

(パレスティナ詠)

 

 

【短歌】

 

 

無精卵・抱き続ける・文鳥の・吾の指噛む・嘴(くちばし)強し 

                   (合志市 岩下早織)(川野里子選)

 

 

(人間の勝手が批判されている。)

 

 

年老いて・重荷になると・友嘆く・継いだ田畑(でんばた)・担い手もなく 

                  (松阪市 小野多美子)(佐佐木幸綱選)

 

 

(単なる不動産ではないゆえ。)

 

 

プーチンを・説得できぬ・トランプを・平和賞推薦・する新首相 

                    (神戸市 安川修司)(高野公彦選)

 

 

(「反高市詠」というジャンルの創設が必要かもしれない。)

 

 

ハロウィーンの・渋谷で老人・四人組・逃亡者のごとく・蕎麦屋に潜む 

                    (横浜市 森秀人)(永田和宏選)

 

 

(渋谷とはそもそも場所の選定が間違っている。)

 

 

立場忘れ・いけない火中に・踊り込む・お肌いとわぬ・突っ張り娘 

                      (東京都台東区 田代三咲)

 

 

(「反高市詠」。目的も状況判断もなく、強がっただけ。)

 

 

ちょこまかと・「戦艦」書入れ・赤ペンの・受験気分を・抜け出せ総理 

                        (横浜市 内山田賢二)

 

 

(「反高市詠」。宰相には宰相たるに必要な「器」が備わっていなくてはならぬ。)

 

 

同胞に・ためらいもなく・屈辱を・迫るトランプ・極道のごと 

                        (熊本市 林田五郎)

 

 

(反トランプ詠、ウクライナ詠)

 

 

 

                       2025年11月19日

 

 問題の高市答弁がなされた11月7日(金)(衆)予算委での岡田克也(立民)による質疑で、現在でもこの答弁による見解には変わりがないと岩尾現内閣法制局長官から確認されている。

 その答弁とは、平成27年9月14日(参)新安保法制に関する特別委員会において当時の横畠内閣法制局長官によってなされたものであり、やや長くなるが以下のとおりである(議事録から引用)(以下、「横畠答弁」とする)。

「○政府特別補佐人(横畠裕介君) 憲法第九条の下で我が国として武力の行使ができると考えるその法的な理由、根拠は、先ほど申し上げたとおり、我が国の存立を脅かし、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるような、そのような急迫不正の事態に対処するやむを得ない必要最小限度の措置として許されるということでございまして、武力攻撃事態であれ新たな存立危機事態であれ、その根本にある理由、根拠は同じものでございます。
 したがいまして、いわゆるホルムズ海峡の事例のように、他国に対する武力攻撃それ自体によって国民に我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことになるという例外的な場合が考えられるということは否定できませんが、実際に起こり得る事態というものを考えますと、存立危機事態に該当するのにかかわらず武力攻撃事態等に該当しないということはまずないのではないかと考えられると思います。」

 

 横畠答弁はそれを確認した岡田克也議員もそれでよしとしているように世の中で問題視されてはいない。

 しかし、横畠答弁は、いわゆる「事態対処法」に規定されている「武力攻撃事態」と「存立危機事態」との関係について根本的な誤りのある答弁ではないかと考えられる。

 すなわち、横畠答弁の最後の部分にあるように、横畠答弁では「存立危機事態」は「武力攻撃事態等」(注:「等」とは「武力攻撃予測事態」を含むということ)に含まれないことはまずない、すなわち含まれると言っているのである。

 しかし、「事態対処法」では「存立危機事態」と「武力攻撃事態等」とは別の概念であり、それが重なることがないものとして法律は作られている。

 「武力攻撃事態等」に含まれる「存立危機事態」は、「事態対処法」上「武力攻撃事態等」になるのである。

 すなわち、横畠答弁は、「存立危機事態」というのは実際上はありえないカラの概念だということを述べているのである。

 具体例を挙げられないことへの追及を逃れるための苦し紛れの迷答弁だが、法律に新たに持ち込んだ概念はカラの概念だということを示唆するための意図的な答弁だとすれば名答弁ということにもなるだろう。

 

 武力行使の宣言の重大性が認識できていないという政治家としての根本的な資格の欠如が事の本質ではあるが、高市首相の失敗の背景には、「○○ヘビにおじず」ということだったのか、このような法律的伏魔殿に安易に踏み込んでしまったこともあるように思える。