2024年7月22日

 

 7月20日(土)のNHKニュースの水死事故の報道で「原因は「溺水」と見られる。」という表現があった。

 これは「馬から落ちて落馬する」「山に登って登山する」とちょっとは違うが、それ並みのムダな二重の表現ではなかろうか。

 「溺」にサンズイがあるように「溺」は「水」によって起こるのであってほかには考えられない。

 「溺死」といえばそれで十分なのであって、原因に言及するとすれば、酩酊して泳いだためとか、深みにはまったためとか、更なる詳細に踏み込むべきなのである。

 「溺愛」「○○に耽溺」の類は、「水」によって起こる「溺」を譬えに使っているもので、本来の「溺」の意味に影響を与えるものではない。

 「溺水」は、無意味な、たぶん和製漢語である。

 このようなナンセンスな言葉づかいを、なぜNHKがしたのか?

 

 当然のことながら、筆者が調べた辞書に「溺水」なる言葉は掲げられていない。国語の世界としてまことに結構なことである。

 しかし、驚いたことに、パソコンで検索してみると、「溺水」は堂々と登場していたのである。

 警察、海上保安庁、また救急医学の世界で「溺水」なる単語が普通に使われている様子である。

 これら専門的分野での使用がNHKに漏れ出してきたというのが今回だったということのようだ。

 「言霊の幸(さきは)う国」の公共的放送機関として、日本語への責任感を維持確保してもらいたいNHKが、その責任を果たせなかった事例として筆者は今回の事態を受けとめざるをえない。

 

 なお、かねてより筆者は、自衛隊、警察、消防の世界の用語において、無理やりの漢語化を感じていた。その源は帝国陸海軍にさかのぼるものでもあろう。今回の「溺水」登場のA級戦犯もたぶんこの流れにちがいないと推測している。(残念ながら「溺水」の初出を発見できていない。)

 それまでの日本には存在していなかった新しい事物、また概念を導入するのに、新しい表現を見つけ出してくるということには、必然性があり、頭から否定すべきものとは考えられない。

 明治の西洋化の過程での漢語の導入、転用、作出、また今日に至るまでのカタカナ外来語の導入等も、そのような意義を有すると考えられる。

 しかし、一方でこのような新しい言葉の採用は、中央政府による国民支配の手段として機能してきたという側面(文化文明のお上からのお下げ渡し)があることが考えられなければならない。

 そして、我が国のインテリゲンチャが、この新しい表現、新しい言葉の採用、普及、更に氾濫の中で、彼らの優越的地位を確保してきた(インテリゲンチャの反人民的性格)ということも考えられなければならない。

 さらにITの世界の拡大という状況の中で、インテリゲンチャの急激な地殻変動が起きていることも考えられなければならない。

 

 政治は「溺水」的言葉によって統治的観点から国民支配を続けて行こうとするのか?

 その道は国民を愚民視するもので、国民の愚民化をもたらす道でもある。

(「コンプライアンス」という言葉を消化できないために発生している悲劇的事件が頻発していることが想起される。)

 国民に自らの言語の創出能力を育ててこそ、「言霊の幸(さきは)う国」としての新たな発展の可能性が生まれるのではなかろうか。

 光輝あるナショナリストの諸君、奮励努力されたい!

 

 

 

                      2024年7月21日

 

 朝日新聞俳壇、歌壇等からの印象句、印象歌の報告、第566回です。

 ウクライナ詠・パレスティナ詠が歌壇にも俳壇にもありませんでした。

 

 

【俳句】

 

 

あめんぼや・命の軽(かろ)き・水の星 (津市 櫻木博文)(長谷川櫂選)

 

 

(パレスティナ詠ウクライナ詠とストレートにいえるものが無かったので、この句を挙げさせていただきました。)

 

 

病める身の・形代へ吹く・息深し (高山市 大下雅子)(長谷川櫂選)

 

 

(自己の肉体の客観視。)

 

 

隠沼(かくれぬ)を・見つけて浮かぶ・梅雨の月

                 (仙台市 柿坂伸子)(大串章選)

 

 

(発見者がすごい!擬人法がすごい!)

 

 

泳がねば・沈むほかなき・海月(くらげ)かな (いわき市 馬目空)(大串章選)

 

 

(プロレタリアート。泳がなくても浮いていられるものをブルジョアジーという。)

 

 

純愛は・心中で終わる・江戸の恋 (流山市 東田十歩)

 

 

(季語が無いが、「江戸」というのは一つの季節と考えてもよいのではないか?)

 

 

【短歌】

 

 

年取ると・見知らぬ我が・しゃしゃり出て・恥かくことが・多くなりけり 

                   (三郷市 木村義熙)(高野公彦選)

 

 

(その「見知らぬ我」とは「年取った我」なり。)

 

 

こんなこと・してていいのか・私いま・今日の数独・まだ終わらない

                 (白岡市 嶋津フサ子)(永田和宏選)

 

 

(トーマス・マン「魔の山」の結核療養所では「11」というトランプ占いをやめられない人びとが発生する。)

 

 

悪魔でも・ためらう仕打ち・する悪魔・アマスポーツの・ビューロクラシー 

                        (文京区 林田三津代)

  

 

(女子体操選手のオリンピック出場辞退事件、ビューロクラシーの非人間性をあらためて痛感させられる。)

 

 

ジョーカーが・引かれ美利堅(メリケン)・乱れ打ち・世界のゲーム・先行き不安

                         (佐世保市 丸田憲二)

 

 

(国際協調には、合理性と忍耐が必要なはずなのだが、トランプは真逆だ。(なお、大阪の「ビリケン」の語源はこの「美利堅(メリケン)」にあると筆者は考えている。))

 

 

いづこより・篠突く雨の・棚下に・アゲハ一頭・逃げ来たりけり  

                        (小野田市 下田五郎)

 

 

(ふところに入る窮鳥と比べてアゲハは静か、それゆえの情も増す。)

 

 

 

                     2024年7月15日

 

 現在の日本経済の苦境をもたらした根本的原因と筆者が判断しているのが1985年9月の「プラザ合意」である。

 岡本勉氏は「プラザ合意」を「1985年の無条件降伏」(光文社新書)と呼んでおり、「プラザ合意」を1945年夏の敗戦に続く「2度目の敗戦」とする評価もある。

 本通信では第165号「プラザ合意・バブル・宮沢喜一」(2007年6月29日)と第1410号「『1985年の無条件降伏』について」(2021年8月17日)で「プラザ合意」を取り上げた。

 筆者の推測するところによれば、「プラザ合意」以前の1ドル=240円水準をせいぜい200円程度の円高とすることが、「プラザ合意」関係者の大方の理解だった。

 そして、その程度の円高は、当時深刻な問題であった日米貿易摩擦を緩和するものとしてむしろ肯定的に受けとめられていたのである。

 しかるに、想定をはるかに超えて、翌年の1986年には1ドル=150円水準に、翌々年の1987年には120円水準にまで円高となった。

 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とたたえられていた日本経済は、その基盤を一挙に切り崩されることになったのである。

 

 沈没とは言わないまでも、日本丸の現在の座礁をもたらした原因が予想を超える急激な円高にあることは間違いない。

 にもかかわらず、その円高がどのようにしてもたらされたのか、今日に至るまで未解明のままである。

 この急激な円高はすべてが合意され、政策的に誘導されたものであるのか、どこかからは合意を越えた、市場がもたらしたものだったのか、それが明らかになっていないのである。

 そして、その謎をさらに深めることになるのではないかという情報が、7月14日(日)の朝日朝刊「宮沢喜一日録」で報じられた。

 

 「プラザ合意」直後、「プラザ合意」は日米貿易摩擦を緩和し、アメリカの保護主義的動きを抑えるものと受けとめられた。

 そのための円高が日本経済に試練をもたらすとしても、2度にわたる石油ショックを乗り越える力のあった日本経済にとって克服可能なものと受けとめられた。

 少なくとも「プラザ合意」直後には、それが日本経済に致命的な影響を及ぼすというような危機感は生じていなかったと考えられる。

 自由貿易体制を守るためのやむをえざる措置として肯定的に受けとめるというのが「プラザ合意」直後の一般的雰囲気だったと言っていいだろう。

 しかるに「宮沢喜一日録」記事によれば、当時自民党総務会長だった宮沢喜一は、「プラザ合意」を終えて帰国した竹下登蔵相に対して、「竹下さん、あなた、自分が何をやってきたかわかっているんですか」と首相官邸での会合で面罵しているのである。

 その時点での「プラザ合意」評価として特異であると言わざるを得ない。

 このことは、竹下が合意してきた「プラザ合意」の実質的な内容のうちに日本経済にとって深刻な内容が含まれていることを、宮沢が察知していたということを強く示唆するものと考えられる。(「宮沢喜一日録」から大蔵省が宮沢に逐一状況を報告していたことは間違いない。)

 宮沢の竹下面罵の場にいた加藤紘一は「宮沢、安倍(晋太郎)、竹下で、もうじき終わる中曽根(首相)の後継は誰なんだろうという、安竹宮の戦争に入っていた」と政治的背景を語っているようだが、宮沢が一般的評価とは異なる「プラザ合意」評価を、何らかの情報をもとに、持っていたがゆえに、竹下に批判的感情を持っていたことが、宮沢らしくない「面罵」ということから感じられる。

 ドル安是正・円高誘導についての目標水準あるいは市場介入ルールについての日米間での秘密合意の存在、そして宮沢がそれを知っていたことを、その後の予想外の急激な円高、日米通貨当局のそれへの対応ぶりが示しているとも考えられるのである。

 日本経済は日米秘密合意によって国際的地位の急降下という今日を迎えたと言えるのかもしれないのである。

 

 そして、「プラザ合意」は敗戦・無条件降伏という事件的捉え方にとどまらない、世界資本主義体制観に及ぶ内容をはらんでいる。

 資本主義的市場経済において国家の果たす役割、その実力と限界、また、そのことを背景にした国家と国家の間の競合関係、それらを「プラザ合意」をめぐる一連の出来事は示すものと考えられる。

 若き経済学者たちがこの問題に取り組んでいないはずはない。

 その成果を大いに期待するところだが、我々世代はそれを享受することができるだろうか、それが問題だ。

 

 

                      2024年7月14日

 

 朝日新聞俳壇、歌壇等からの印象句、印象歌の報告、第565回です。

 ウクライナ詠・パレスティナ詠が歌壇に3首、俳壇に2句ありました。後ろに掲げます。

 

 

【俳句】

 

 

形代(かたしろ)の・己のとけて・涼しけれ

                (東京都江東区 小出功)(長谷川櫂選)

 

 

(「無我の境地」への到達ということ?)

 

 

凌霄花(ノウゼンカヅラ)・炎暑に強い・女かな (大阪市 八田一美)

 

 

(なるほど、同意。)

 

 

蚊取線香(きんちょう)を・点けて裸に・なりにけり (青梅市 保田京二)

 

 

(「金鳥の夏 日本の夏」!)

 

 

向日葵(ひまわり)の・かくも明るき・地雷原

                  (高山市 大下雅子)(高山れおな選)

 

 

(ウクライナ詠。)

 

 

戦火まだ・この星燃やす・沖縄忌 (大和市 岩下正文)(高山れおな選)

 

 

(ウクライナ・パレスティナ詠。)

 

 

【短歌】

 

 

ためいきを・こぼしてしまった・雨の日に・床にくまなく・かける掃除機 

                   (和泉市 星田美紀)(永田和宏選)

 

 

(日常性と非日常性の微妙な接点。)

 

 

戦争を・知らない世代と・いう我ら・核兵器なき・世界も知らず 

                (さいたま市 鈴木俊恵)(馬場あき子選)

 

 

(事実はそのとおりなのだが、そのことで何を言おうとしているのだろうか?)

 

 

死んでいる・オニヤンマ囲む・通学児ら・大人入らず・語り合いたり

                         (彦根市 福田三男)

 

 

(実体験が子どもたちを賢くする。)

 

 

炎天下・老人ひとり・防波堤・熱中症の・騒ぎを嗤う

                        (備前市 古田虎二)

 

 

(老人があざけっているのは、熱中症騒ぎだけではないだろう。)

 

 

大国の・轟沈しつつ・あるを見て・運命共に・するのかと思ふ 

                       (千代田区 奥田光三)

 

 

(政府中枢は選択肢を考えていないように見える。)

 

 

人質の・四人を救出・するために・二百七十・四人を殺す

                 (観音寺市 篠原俊則)(永田和宏選)

 

 

(パレスティナ詠。)

 

 

戦えば・必ず人が・死ぬことを・知ってもやめぬ・ホモ・サピエンス 

                  (筑紫野市 桂仁徳)(永田和宏選)

 

 

(ウクライナ、パレスティナ詠)

 

 

古い古い・日本の織機が・ガザで織った・ラストカフィーヤ・我が胸に抱く 

                   (東京都 岩下章)(馬場あき子選)

 

 

(パレスティナ詠)

 

 

 

 

                        2024年7月10日

 

 普通一般の人間が人間世界を直角三角形と認識していたとします。

 (ここで「人間世界」とは、直角三角形を持ち出してきたからといって自然科学的構造のことをいうわけではなく、人文科学・社会科学的要素を含め、過去現在未来に及ぶ人間世界全体のことであり、そこでの個人の存在の有り様もその内容とするものです。それを一図形にしてしまうというたとえはちょっと強引ですが、我慢してください。)

 その認識には直角三角形が有するもろもろの特性についての認識はなく、3つの角のうちの1つが直角の三角形という素朴な定義的な認識だけにとどまっていたとします。

 

 ある卓越的な者が、補助線としてその直角三角形に外接円をもってきて、そのことによって直角三角形の斜辺が外接円の直径であるという認識を提供したとします。

 人々は新たな認識を得て、人間世界を見直すことになります。

 新たなる人世界を認識することにより、生きがいを感じたり、救済を感じたりして、新たなる人格に至ります。

 

 別の卓越者は、補助線として直角三角形に内接円をもってきて、そのことによって直角をはさむ2辺の和と斜辺の差が内接円の直径に等しいという認識を提供します。

 人々はその認識による新たなる人間世界、そしてそれに基づく生きがい、救済、新たなる人格を得ます。

 

 更に別の卓越者は、斜辺を1辺とする正方形及び他の2辺の和を1辺とし、この正方形に外接する正方形をもってきて(ピタゴラスの定理の証明方法参照)、直角三角形の斜辺の2乗は他の2辺のそれぞれの2乗の和に等しいという、すなわち三平方の定理、ピタゴラスの定理の認識を提供します。

 人々はその認識による新たなる人間世界、そしてそれに基づく生きがい、救済、新たなる人格を得ます。

 

 普通一般の人間は補助線を引くという能力がなかったとします。

 卓越者が提供する直角三角形についての新たなる認識は相互に断絶することとなり、それぞれの認識を得た人々は他の人々の認識を理解し得ず、世界観、生きがい、救済根拠を異にすることになります。

 卓越者がそれぞれの補助線をもってきて提供する新たなる認識とは、現実世界における「宗教」、「思想」、「主義」にあたるもので、それぞれ、世界観、生きがい、救済根拠を異にしています。

 相互の断絶、相互の無理解により、かけがえのない自分たちの世界観、生きがい、救済根拠の正当性をそれぞれが主張して人々は争うことになります。

 あまりにも人間社会の根幹にかかわる事柄であるがゆえ、人々のアイデンティティ、レーゾンデートルを揺るがすものであるがゆえ、その争いは血を血で洗う悲惨な戦争にまで至ります。

 

 それぞれの卓越者がもたらした新たなる認識は、しかし、人々が認識していた直角三角形に当初から備わっていた性質です。

 気づかなかっただけで、当初から存在していた性質であり、補助線が引かれることによって気づいたということだけのことです。

 争いの無意味であることは、以上から、次元を高くして眺めれば、明らかであるといわなければなりません。

 人類はその無意味に気がつかないでいるというのが現状です。

 もしかすると、卓越者たちは既にそのことを知っているにもかかわらず、追随者を多数かかえてしまったという立場上、知らないふりをしているのではないかという疑いもあります。

 しかしいずれにしろ、事実がたとえ話のごとくであったとすれば、人類は早晩、補助線を引く能力を獲得し、争いの無意味なることに気がつくにちがいありません。

 

 以上のたとえ話とわれわれが直面している現実と、どこがどう違うのか、あるいはピッタリ本質をとらえているのか、真夏の寝苦しい夜に考えてみましょう。

 

 

 

                      2024年7月7日

 

 朝日新聞俳壇、歌壇等からの印象句、印象歌の報告、第564回です。

 ウクライナ詠・パレスティナ詠が歌壇に1首、俳壇に2句ありました。後ろに掲げます。

 

 

【俳句】

 

 

朝顔の・支柱今年は・二階まで (いわき市 馬目空)(長谷川櫂選)

 

 

(「釣瓶とられてもらい水」と同じ精神。)

 

 

島の子の・水着のままの・行き帰り (大阪市 今井文雄)(大串章選)

 

 

(ほんとうに夏らしい。)

 

 

ほうたるを・逢瀬のごとく・深く追ふ

           (東京都中野区 このみていこ)(小林貴子選)

 

 

(「理由わからず」ということか。)

 

 

キリギリス・夜店で買って・ナス切って  (川西市 丸田百代)

 

 

(連続の連用形がそれが思い出であることを示唆している。)

 

 

風吹けど・桶屋まで来ぬ・儲けかな (深谷市 澄田公三)

 

 

(岸田内閣経済政策批判。)

 

 

キリギリス・鳴かれ恥ずかし・新幹線 (渋川市 薄田八十助)

 

 

(新幹線に持ち込んだ孫への土産が車内で鳴き始めた。)

 

 

蟻地獄・ちから渦巻く・くにざかひ (福島県伊達市 佐藤茂)(長谷川櫂選)

 

 

(ウクライナ詠。)

 

 

空爆の・なき空涼し・星あそぶ (東京都杉並区 漆川夕)(長谷川櫂選)

 

 

(ウクライナ・パレスティナ詠。)

 

 

【短歌】

 

 

結婚を・考えなくて・良いなんて・なんて素敵な・老いらくの恋 

                 (明石市 埜藤裕子)(高野公彦選)

 

 

(一般的制度としての結婚は、たぶん、遠からず消滅するのではないか。)

 

 

栞紐・誰(た)が挟みしや・ひとすじの・凹(くぼ)みかすかに・残りてしずか 

                  (箕面市 大野美恵子)(永田和宏選)

 

 

(同じ読書体験をした誰かへの、かすかな親近感。)

 

 

飲まずとも・美人に見える・女(ひと)増えり・老後に神の・ご褒美ならむ 

                         (山栖市 和田三崖)

 

 

(人徳の成したるものでございませう。)

 

 

ウクライナの・平和を願ふ・メッセージ・カード受けたり・無言館出口

          (鹿嶋市 大熊佳世子)(馬場あき子選)(高野公彦選)

 

 

(ウクライナ詠。)

 

 

 

 

                       2024年7月2日

 

 総裁候補高市早苗の経済政策について書こうとしたのだが、「?」を付けざるをえなかった。

 6月30日の朝日朝刊で高市早苗の総裁選出馬意向が報じられ、「(関係者に対し)総裁選で掲げる政策にも言及。積極的な財政出動を訴えていく考えを示したという。」とされた。しかし、翌日のヤフーニュース掲載の産経記事によれば、この報道は高市本人によりX(旧ツイッター)で否定され、「高市潰し」をねらったものとされたのであり、したがって「総裁選で積極的な財政出動を訴える」というのも幻となったのである。

 安倍派の解体に伴い、アベノミクスの柱だった「積極的な財政出動」という看板が、根強い支持勢力を持ちながらも、やや控えめとなったことを筆者は残念に思っていた。

「積極的な財政出動」を支持する立場からではなく、「積極的な財政出動」を大きな間違いとする立場からである。

 政策が人格化されているほうが攻撃しやすいからであり、政策を象徴する政治家がいてくれると批判も理解・共感を得やすいからである。

 そういう意味で高市早苗が総裁選に出馬し、「積極的な財政出動」を主張してくれるということは、筆者にとっては季節的にもピッタリの「飛んで火にいる夏の虫」の意義を有する、歓迎すべき事態であった。

 これをきっかけに「積極的な財政出動」論の息の根を止めてやろうとの意欲が湧いてきたのである。

 しかし、残念ながら、高市本人の否定により、この目論見は事前に潰え去ることになった。その否定振りからして、また客観情勢からして、高市の総裁選立候補はないと判断するほかないだろう。

 

 しかし、せっかくだから、「積極財政論」をちょっとやっつけておこう。

 もちろん、「積極財政論」は常に間違っているわけではない。

 「積極財政論」は、次の3つの場合においては、肯定される正当な政策である。

 すなわち、その第1は、需要不足が一時的、短期的なものであり、「積極財政政策」が一時的、短期的景気後退によるショックを緩和し、自律的景気回復につなげる場合である。

 その第2は、「積極的財政政策」により投じられる資金の投資効果が、資本形成が民間にゆだねられる場合よりも大きいと見込まれる場合である。

 その第3は、ある理念のもとで資源配分を政策的に変更し、社会にとってその理念が実現されることが、経済的最適性の観点から優先されるべきと考えられる場合、すなわち最適性に関する経済思想の転換の場合である。

 

 逆に言えば、①生産力が低下し、回復の見込みに乏しく、更なる生産力の低下が懸念されるような構造的な問題を抱える国で発生している投資意欲の喪失、消費減退による需要不足状況において、②投資リスクを負うことがない政治家、官僚(シュンペーターのいう「起業家精神」の担い手とはされがたい者たち)が主導するプロジェクトに資金を投入し、③目指すのは従来どおりの経済パフォーマンスでしかないような「積極財政論」では、恣意的なバラまきが行われるだけであって、財政の悪化、インフレ、非効率産業企業の滞留(経済の新陳代謝の不全)、人的資源をはじめとする資源の無駄遣い、通貨安によって当該国の経済力はますます低下することになるのである。

 

 アメリカでは「積極財政論」は民主党左派によって主張され、民主党左派は弱者、マイノリティ等貧困階層のための対策に積極的に財政支出が行われるべきだとし、そのことによる経済構造の変化こそがアメリカ経済を真に強化するものであり、また格差なき社会という理念に通じるものだとしている。

 それが政治的に支持されるかどうかはさておいて、「積極財政論」が肯定され、正当とされる場合の第2と第3によって自分たちの政策の正しさを立論しているのである。

 

 一方、我が国で「積極財政論」を主張している人々は、デフレ経済からの脱却と叫びながら、当面の景気回復を目指しているだけにすぎないように思われる。

 彼等は積極財政のもとで具体的には何処に資金を投入するとしているのであろうか?

 その投入はいかなる意味で「積極財政論」が肯定され、正当とされる場合に該当すると説明するのであろうか?

 ポピュリズム傾向を強める政治家たちからの諸要求を「積極財政論」はうまくさばけるのであろうか?

 日本の現実は、「積極財政論」が、恣意的なバラまきが行われるだけで、当該国の経済力はますます低下させることになる場合に該当するのではなかろうか?

 

今、この問いを総裁候補高市早苗に投げかけることができないのは残念である。

 

 

                      2024年6月30日

 

 朝日新聞俳壇、歌壇等からの印象句、印象歌の報告、第563回です。

 ウクライナ詠・パレスティナ詠が歌壇に1首、俳壇に1句ありました。後ろに掲げます。

 

 

【俳句】

 

 

人生の・最後の趣味や・草むしり (日進市 松山眞)(小林貴子選)

 

 

(かなり遊べる。)

 

 

いつぽんの・産毛のごとし・子かまきり (日立市 川越文鳥)(高山れおな選)

 

 

(よくぞ生きていると感心。)

 

 

オータニと・シブコで梅雨も・なんのその (酒田市 佐田五郎)

 

 

(ふたりが活躍すれば日本全体、鬱陶しさなど吹っ飛ぶ。)

 

 

特高を・使おうとする・梅雨最中(さなか) (東京都板橋区 田崎順三)

 

 

(戦前ではなく、令和の時代のこととして詠まれている。) 

       

 

陰謀に・加担のご褒美・さくらんぼ (寝屋川市 原田一総)

 

 

(政策活動費の使途の例。かくて岸田は退任?黒と赤のアンサンブル。)

 

 

かき氷・突(つつ)く平和の・国の子よ (東村山市 高橋喜和)(高山れおな選)

 

 

(ウクライナ・パレスティナ詠。)

 

 

【短歌】

 

 

「メンタルで・打つのではない・技術で打つ」・笑みて応える・大谷選手 

                   (町田市 高梨守道)(高野公彦選)

 

 

(いい加減な、あと付けスポーツ解説者にパンチ。)

 

 

ルビーより・サファイアよりも・胸おどる・新調の鎌・もって畑へ

                   (新潟市 太田千鶴子)(高野公彦選)

 

 

(刀剣女子、試し斬りする侍のこころと通ずるものか?)

 

 

感情に・欠け虚ろなる・元総理の・陰湿の眼に・若手おののく

                        (寝屋川市 原田一総)

 

 

(岸田つぶしを始めた菅元総理、非知性、権力、支配、弾圧、パージ、陰謀を感じさせる人、怖いですね。)

 

 

砲弾を・込めて背を向け・耳塞ぐ・幾度も兵士は・そを繰り返す 

                   (岐阜県 日比野和美)永田和宏選)

 

 

(ウクライナ詠。)

 

 

 

 

                      2024年6月24日

 

 人間は集団を形成する、社会性を本来とする動物であることから、本能的に、自分の存在が集団にとって有用であり、有意味であるという認識を獲得しようとする。

しかし、その認識はいくつかの要因によって獲得を阻まれる。

 その1は、枠組の崩壊である。

 本人が有用、有意味であるはずであった枠組・体制が崩壊し、有用、有意味であるチャンスを奪われるのである。

 身分の喪失、資格・能力の無意味化がそれである。

 権力闘争における敗北、革命による支配階級から奴隷階級への転落、新技術の登場による身につけていた技術の陳腐化などがその極端な例であり、具体的には、菅原道真の左遷、「元和偃武(げんなえんぶ)」による武士のレーゾンデートルの喪失、またAIの発展による知識人階級のこれからの衰亡などがあげられる。

 その2は、本人の能力喪失である。

 老齢化、病気、事故等による能力喪失により有用、有意味な活動が不可能となるのである。

 もちろんそれは主観的なものであるが、この際は客観的に有用、有意味であることは意味をなさない。

 老齢化による能力喪失をはじめとして、多くの者にとってそれらは不可避的に訪れる。

 その3は、時代の無意味性の認識、あるいは人類社会の根本的無意味性の認識の形成である。

 薩長藩閥政治と浅薄な西欧化に対して明治の一部知識人が抱いた諦観がそれであり、また膨張宇宙論が明らかにした宇宙必滅、人類必滅という科学的事実がもたらす哲学的認識がそれである。

 

 人間は様々なルートをたどって無用、無意味という自覚に至り、人類始まって以来、それへの対処方法を獲得すべく悪戦苦闘してきた。

 文明というものの第1の構成要素は物的生存条件であるが、それに並ぶ、あるいはそれ以上の文明の構成要素は無用、無意味への対処方法であり、対処方法の1つは有用、有意味の自覚形成の手法の樹立(「○○教」「○○主義」の創出のたぐい)であり、もう1つの対処方法は無用、無意味の立場に立った上での身の処し方(老荘思想、ふざけ倒し、笑い飛ばし、ドラッグのたぐい)である。

 

 そして20世紀に至り、無用、無意味という自覚の要因のその3にあげた人類社会の根本的無意味性が、科学的事実としての人類必滅により人類に突きつけられ、これまでの文明の重要な構成要素である有用、有意味の自覚形成の手法ほとんどが砂上の楼閣、イリュージョンであることが明らかにされた。すなわち、科学によって、「無用」「無意味」という問題が特定の条件下におかれた不運な人間だけの問題にとどまらず、人類すべての共通普遍の問題となったのである。

 

 我らが経験している21世紀はこのような意味で人類史上初めての時代である。

 たぶんAIはその解決の補助はできても、解決を導き出すことは原理的にできない。

 幸運なことに、人類始まって以来の先人たちの無用、無意味からの脱出・解放の努力の膨大な蓄積が我々の前に在る。

 現代はその蓄積の上に立って、人類がその真の叡智を発揮すべき時代である。

 

 

 

 

 

                      2024年6月23日

 

 朝日新聞俳壇、歌壇等からの印象句、印象歌の報告、第562回です。

 ウクライナ詠・パレスティナ詠が歌壇に5首、俳壇にはありませんでした。後ろに掲げます。

 

 

【俳句】

 

 

豹柄は・変へずに伯母の・更衣(ころもがえ)

                  (川口市 知念哲夫)(高山れおな選)

 

 

(豹柄は主張だから。)

 

 

【短歌】

 

 

夕日さし・輝く二十・五メートル・両手で光・つかんで泳ぐ 

                  (稲沢市 山田真人)(馬場あき子選)

 

 

(同じ泳ぐ人として共感。)

 

 

あさがおの・観察日記の・はじまりに・小一の子らは・種の絵を描く 

                  (仙台市 小室寿子)(佐佐木幸綱選)

 

 

(無用の考えをもたないというこどものすばらしさ。)

 

 

長き日々・待てど空しく・老い迫る・時代はジャンヌを・呼ばず過ぎ行く 

                        (郡山市 赤田八洲子)

 

 

(昭和女子に、このような女傑候補生が数多く潜在していたことが忘れられてしまわないように。)

 

 

降らねども・灰白の空に・覆われて・ニュース待たずに・梅雨入りとす 

                         (備前市 田野鶴五郎)

 

 

(梅雨入りの遅い本年の特殊な短歌か?)

 

 

戦争は・始めるよりは・止めるのが・難しいのだ・プーチン、ネタニヤフ 

                 (船橋市 佐々木美彌子)(高野公彦選)

 

 

(ウクライナ・パレスティナ詠。)

 

 

戦争を・はじめる人は・戦地へは・行かない 死なない・だからやめない 

                   (萩市 石飛加名子)(高野公彦選)

 

 

(ウクライナ・パレスティナ詠。)

 

 

ラファを去る・姉妹は口を・一文字に・結んでペットの・鳥を逃がしぬ 

           (横浜市 竹中庸之助)(高野公彦選)(永田和宏選)

 

 

(パレスティナ詠。)

 

 

「死者」なんて・たやすく呼ぶな・ガザの子は・死んだんじゃない・殺されたのだ 

                    (佐野市 阿部忠雄)(永田和宏選)

 

 

(パレスティナ詠。)

 

 

ハマス、ガザ・帝国陸軍・沖縄戦・止もう得ずとす・同胞の惨 

                      (東京都江東区 塚田一孝)

   

 

(パレスティナ詠)