2025年9月14日

 

 朝日新聞俳壇、歌壇等からの印象句、印象歌の報告、第623回です。

 パレスティナ詠が俳句に1、短歌に1ありました。パレスティナ詠、反トランプ詠はありませんでした。後ろに掲げます。

 

 

【俳句】

 

 

開くとき・花の香りの・日傘かな (今治市 横田青天子)(小林貴子選)

 

 

(「花の香り」が「花の香り」だけではないところがみそ。)

 

 

落蝉や・楽に成るのは・あと少し (筑紫野市 二宮正博)(大串章選)

 

 

(「なる」が「成る」であるところに宗教性。)

 

 

しゃべれども・何も語っては・いない夏 (小平市 大和田清三)

 

 

(自分のことだろうか、他者のことだろうか?)

 

 

西瓜(すいか)描く・鮮やかにガザ・いのち在り 

               (東京都杉並区 漆川夕)(高山れおな選)

 

 

(パレスティナ詠。「西瓜」はパレスティナ旗と同色ゆえ、シンボルとなっているそうだ。知らなかった。)

 

 

【短歌】

 

 

去年まで・並び眺めし・子の部屋の・窓ひとりじめ・打上花火 

                   (合志市 岩下早織)(永田和宏選)

 

 

(「窓ひとりじめ」が作者を浮かび上がらせた。)

 

 

その先へ・行つても行つても・果てはない・もどつておいで・「鬱」という孫 

                   (生駒市 辻岡瑛雄)(川野里子選)

 

 

(じいちゃんに老後の平安あれ。)

 

 

大戦で・ホロコースト受けし・民族の・子孫が向かう・ヨルダン川西岸 

                   (五所川原市 戸沢大二郎)(高野公彦選)

 

 

(パレスティナ詠)

 

 

 

 

                        2025年9月10日

 

 「読書の偶然」ということを感じずにはいられない。

 前通信を送信したその日、「日本のドストエフスキー」とも評される椎名麟三(1911~1973)の小説「明日なき日」を、武田泰淳の評論「新しき『三人姉妹』の悲哀」が紹介していたので、その小説が載せられている「椎名麟三全集第7巻(冬樹社)」を県立図書館から借出してきて読んだ。

 その最終部分にこうある。

 「色即是空」の意味するところが仮に前通信のようなものであるとしたら、その事実への対応の仕方として「これしかない」というものがここに提示されているのではないだろうか。

 

【‐‐‐「しかしぼくたちはそのあいまいさをもちこたえられるだろうか」

 「だって神様だって」とさだ子は、泣いているような笑いを見せながら答えた。「あるようなしかしないようなあいまいなものでしょう。それを人間は、何千年ももちこたえて来たんじゃありませんの。ほんとに人間というものはすばらしいと思っていますわ」

 すると木部は、いらだたしそうにいった。

「神とこれとはちがうよ」

「ちがいありませんわ」と彼女はきっぱりいった。「あいまいだという点においては同じですわ」

 すると、木部は、手にひたいをあててさも当惑したようにうつむいてしまったのだった。酒の入っていない今朝の彼のその横顔は、砂漠の乾いた砂のように白々しいものだった。しかし彼女は、木部の顔の白々しさに耐えられる気がしはじめていたのであった。もし人間の愛というものは、ほんとに誰かを愛していながら、しかし最後にはほんとうには愛することはできないのだというようなあいまいなものならば、それで生きて行ってやるより仕方がないと思い定めていたのである。】

 

 筆者は「般若心経」において「色即是空」の次に「空即是色」とされているのは、このことの指摘なのではないか、との推測をもっている。

 

 

 

                       2025年9月9日

 

 高校2年の倫理社会の教材として「般若心経」に遭遇して以来半世紀以上、「色」とは何か、「空」とは何か、その解釈を考えてきた。

 解釈は大きく変化してきたし、今後さらに変化することも考えられる。

 今後のために現時点での解釈を書きとめておこうと思う。

 

 「色」とは、「人間が感知している世界」のことであり、世界の中のもの・ことや関係に「ことば」がはり付けられることによって世界が構成されている世界である。我々が日常的に生きている世界である。

 感知の対象となる「ナマの世界」は、「人間が感知している世界」とは別もので、混沌として、構造がなく、不確かな、ぼんやりした、手がかりのない世界であり、当然「ことば」もなく、人間が直接それを感知することはできない。

 「ナマの世界」を、人間の関心・都合によって、5ないし6の感覚器官で「取材」し、大脳で「編集」したのが「人間が感知している世界」である。

 「取材」とは、「ナマの世界」から人間が感知可能な情報を切り出してくることである。

 「編集」とは、切出されてきた情報を区分(仏教では分別(ふんべつ))し、「ことば」をはり付け、関係づけ、さらに推論し、世界を感知しうる状態に整序することである。(「編集」は「取材」に働きかけ、「取材」は「編集」に働きかけるという相互作用がある。)

 「人間の関心・都合」とは、生物学的生存が基本だと思われるが、人間は「取材・編集」による独特の世界認識の結果、単純に生物学的生存を目的とするとは言い切れない複雑化した生物となっている。

 

 歴史の積み重ねの中で「人間の関心・都合」は変化してきた。

 このため、「ナマの世界」の「取材・編集」のされ方も変化してきた。

 結果として「人間が感知している世界」「ことばがはり付いた世界」(=「色」)は変化してきた。

 その変化に応じて行動規範、もの・ことへの態度、もの・ことによる感情が変化してきた。

 それによって、元の「関心・都合」は別の「関心・都合」に変化する。

 するとそれまでとは異なる「取材・編集」が行われるようになる。

 結果として「人間が感知している世界」「ことばがはり付いた世界」(=「色」)は変化する。

 その変化に応じて‐‐それによって‐‐すると‐‐結果として‐‐と、変転極まりない、無限連鎖が継続する。

 人類はこの変転極まりない、無限連鎖の過程の中に存在する生物である。「諸行無常」ともいう。

 「人間が感知している世界」「ことばがはり付いた世界」(=「色」)は「絶対・永遠・普遍」に至ることのない世界である。

 この不確かな、あてのない状態が即ち「空」である。

 

 以上もまた人間の関心・都合による「編集」である、と言われれば否定のしようもない。

 ただ、ブッダは「五蘊皆空」(「色」に加えて「色」を作り上げる情報処理装置としての人間もまた「空」である)と知り、一切の苦厄から解放されたと「般若心経」にはある。

 

 

 

                        2025年9月7日

 

 朝日新聞俳壇、歌壇等からの印象句、印象歌の報告、第622回です。

 反トランプ詠が短歌に1、パレスティナ詠が俳句に1ありました。後ろに掲げます。

 

 

【俳句】

 

 

雲梯(うんてい)に・ぶら下がる子ら・終戦忌 (我孫子市 相川健)(高山れおな選)

 

 

(「雲梯」には毎度、命名の妙を感じる。)

 

 

兄弟で・作る焼きそば・夏休み (小金井市 二瓶みち子)(高山れおな選)

 

 

(完璧!過不足なし!)

 

 

緒方貞子・在(いま)さば如何(いか)ん・ガザの夏 

                  (いわき市 齊藤三津枝)(長谷川櫂選)

 

 

(パレスティナ詠。)

 

 

【短歌】

 

 

太き骨は・先生ならむ・そのそばに・小さきあたまの・骨あつまれり 

                             (正田篠枝)

 

 

(選者高野公彦の選評に引用されて知る。広島の平和祈念式典のあいさつで石破首相が2度引用したそうだ。刻んだ碑もあるとのこと。)

 

 

二〇二五年・八月六日・八時・おくらをひとつ・ひとつ採っている 

                     (富谷市 川村空也)(川野里子選)

 

 

(鎮魂のひとつのかたち。)

 

 

ラーメンの・出前の如く・ノーベル賞・注文しちゃう・米大統領

                   (福島市 安斎真貴子)(佐佐木幸綱選)

 

 

(反トランプ詠)

 

 

 

                      2025年8月31日

 

 朝日新聞俳壇、歌壇等からの印象句、印象歌の報告、第621回です。

 ウクライナ、パレスティナ詠、反トランプ詠、短歌に2ありました。俳句にはありませんでした。後ろに掲げます。

 

 

【俳句】

 

 

荒神輿(あらみこし)・婦警の笛に・従ひぬ (尾張旭市 古賀勇理央)(大串章選)

 

 

(いいものを発見してくれて感謝。)

 

 

盆踊り・化粧直しの・喫茶店 (市川市 をがはまなぶ)(高山れおな選)

 

 

(あるお歳以上の方と見る。)

 

 

この世には・未練なき身に・日焼止め (八代市 吉原利津子)(長谷川櫂選)

 

 

(やはり未練はあるのだ。)

 

 

【短歌】

 

 

「生きるため・死体の上を・歩いたの」・ばあちゃんと僕が・出会えた理由 

             (筑後市 近藤史紀)(川野里子選)(永田和宏選)

 

 

(「出会えた」は「人格的に出会えた」という意味だろう。)

 

 

阿弖流為(アテルイ)は・己が足にて・陸奥(みちのく)ゆ・京まで歩きぬ・首刎(は)ねらるるため           (多摩市 豊間根則道)(川野里子選)

 

 

(「阿弖流為」は大和に滅ぼされた蝦夷の長。長の持つ長たるプライド。)

 

 

かたちよく・亡き子の爪切り・その母は・通い慣れたる・病棟を去る 

                      (三浦市 秦孝浩)(川野里子選)

 

 

(「振る舞い」というものの大切さを感じさせられる。)

 

 

百点の・答案用紙を・ざるにしき・とりのからあげ・あげているママ 

                    (成田市 かとうゆみ)(川野里子選)

 

 

(冷静に考えてみると、あり得ないと思う。)

 

 

高層の・老人ホームの・裏に住み・老い五百余に・一度も逢はず 

                     (浜松市 松井惠)(高野公彦選)

 

 

(これくらい、もはや不気味とは感じない。)

 

 

プーチンを・増長させた・トランプが・今更お怒り・いい加減にせよ 

                       (さいたま市 井田大三郎)

 

 

(反トランプ詠)

 

 

報道が・途切れていれば・なお懸念・日常化した・破壊、殺戮 

                       (東京都中野区 殿田清六)

 

 

(ウクライナ、パレスティナ詠)

 

 

 

                       2025年8月28日

 

 終戦80周年の8月を終えるにあたり、標記について筆者なりの見解をまとめておきたい。

 

1(世界の趨勢の把握の失敗)

 第1次世界大戦に至るまで展開されてきた帝国主義的植民地獲得競争(「旧枠組」)と第2次世界大戦後に完成に至る新植民地主義(政治的独立を認めつつ、経済力によって旧植民地の経済的支配・収奪を図ろうとする政策志向。「新枠組」)とが混在しつつ、徐々に後者に移行しつつあるという戦間期の世界の趨勢の把握に失敗したこと。(米英から、日本は結局「旧枠組」に固執する国であり、共存に限界があると断定されるに至る。)

 

2(中国国民党革命運動の軽視)

 辛亥革命を起源とする国民党勢力の本質が勃興したナショナリズムであり、国家統一、民族自決であることを見究められず、その伸張を抑えることは困難との判断ができないまま、中国における既得権益の維持のため非近代的存在である軍閥の利用に偏向したこと。(ベトナム戦争においてアメリカが「ベトコン」を共産主義勢力とばかり認識し、民族独立運動であることを看過し、それを弾圧する腐敗政権を支えようとして結局敗北したことを想起させる。)

 

《注:上記1及び2についてはベルサイユ条約の曖昧、中途半端なところであり、日本はそこを都合よく解釈したのだった。》

 

3(「国際協調派」の力不足)

 上記1の世界の趨勢を把握していた勢力(「国際協調派」)は存在しており、一大勢力を形成していたものの、その主張は既得権益の一部放棄を伴うものであり、「旧枠組」から脱却できない、「血で購った」既得権益にこだわる軍部、政党政治家、マスコミ、そして一般国民大衆に対して、「新枠組」を説得することが最終的には出来なかったこと。

 

4(学問的未熟)

 「旧枠組」ではその成果が短期に発現し、わかりやすいのに対して、「新枠組」はその成果の発現に時間を要し、わかりにくく、経済的困難の中で短期の成果が強く要請される状況で、マスコミを含めた指導的知識人階層に「旧枠組」を放棄させ、「新枠組」のメリットを納得させる「科学的」説明を十分に展開する水準に学問が到達できていなかったこと。

 

5(内部抗争への拘泥)

 陸軍対海軍、政友会対民政党、藩閥勢力対新興勢力、軍内部での勢力争い等々がある中で、内部抗争での勝利を目的化する傾向が支配的となり、それが大局を見失わせるように機能してしまったこと。

 

6(旧憲法下の天皇制)

 旧憲法下の天皇制が合理的な国家意志の形成にどのような役割を果たしたかという問題がある。実証的事実を見出しているわけではないが、神聖不可侵の絶対者に帰依する個人は、当該絶対者と1対1の主観的関係を形成し、他者の介入を許さないという一般的傾向がある。陸軍等に見られた組織内非公然組織の形成、手続き無視の独断専行を生み出す背景には、このような傾向が影響を与えていたのではないかと推測される。

 

《注:さて、それでは以上のような誤謬を事前に克服していれば、日本は戦争に突入することを避け得たであろうか?

 国際協調体制に入ることにより、しばらくの間は戦争を回避することはできたであろう。しかし、「国際協調派」といえども国益優先の立場に立つものであり、発想がパワーポリティックスの枠内であることには変わりはなかった。したがって、台頭するナショナリズム、競合するナショナリズムとのせめぎあいから逃れることは出来なかったはずだ。それが戦争に至ることは十分に有り得たと考えざるを得ないであろう。》

 

 

                       2025年8月25日

 

 前通信(1816(武田泰淳は何を恥じたのか?))において、泰淳が恥ずかしさを感じていたと思われる原因を指摘するにあたり、筆者は「考証的に妥当とされるか否かは心許ないが、」とさせていただいておいた。

 学者の仕事のように網羅的に資料にあたり、厳密な考証を経たものを報告するのではなく、たまたま目に触れたものをつまみ食い的に話題にするに過ぎない筆者のような場合、人一人をトータルに対象とするかの如きケースでは判断に留保を置かざるを得ないのであるが、そしてそれをわざわざ書くことはしないのがふつうなのだが、前通信の場合、何か虫の知らせのようなものがあって、それを敢えて書いておいたのである。

 そして案の定、前通信を送ったのが4日前でしかないのに、さっそく前通信の内容が考証的に妥当ではないことを、昨日再々読の武田泰淳の文章によって突き付けられるという読書の偶然に頭をはり飛ばされることとなった。

 

 その文章は泰淳の「政治家の文章」(岩波新書)の「あとがき」にあった。すなわち、

 「 岩波新書として、この雑文を発表するにあたって、その恥かしさ(注:政治家について書いていることに対して不徹底で断片的であることを丸山真男に批判され、返答不能であることによる)は、ますます私の全身にしみわたってくる。この恥かしさを克服し、そこから見事に(あるいは、たとえ見ぐるしくても)脱出できるか否かが、私の残り少い一生の課題になることであろう。」

 「 私にもし決意と能力があったなら、ほかならぬ司馬遷の戦術に学びたいところであった。たった8章(注:文末参照)の書き流しでは、司馬遷の教えにしたがうと言うよりは、貴重な教えに背いたことになるかもしれない。ただし同情心ある読者が、この8章それぞれが、お互いに立体的に結びつき、一つの歴史劇をかたちづくろうとして、書きはじめられたと察して下さるならば、これにすぎる喜びはないのである。」

 

 筆者は前通信で、泰淳が「司馬遷」において、司馬遷に名を借りて、「我こそ、天道に代わって、歴史を照明する」等と世間に表明したことを、泰淳の「大見得」とし、泰淳がそれを「恥ずかしい」と考えなかったはずがないとした。

 しかし、表現は抑制気味ではあるものの、泰淳はその「大見得」をここで再び堂々と表明しているのである。

 泰淳は、そもそも「司馬遷」刊行にあたり、司馬遷たらんと大言壮語したことを、いささかも「恥ずかしい」などとは思ってはいなかったのである。

 それを「恥ずかしい」と考えたにちがいないなどと思ったのは、そんな「大見得」をきれる人物の存在を想像することが出来ない、身の丈サイズ人間観しか持てない筆者だからであった。

 今さら言うのもヘンだが、世の中には歴史、文化、社会をトータルに取り扱うことができる桁違いの人物というものがいるものである。

 

 なお、「政治家の文章」は1960年、泰淳48歳の時発行され、「司馬遷」から17年後のものである。全8章からなり、第1章「『政党政派を超越したる偉人』の文章」では宇垣一成、第2章「思いがけぬユウモア」では浜口雄幸、第3章「二人のロシア通」では芦田均と荒木貞夫、第4章「あるふしぎな『遺書』」と第5章「近衛の『平和論』」では近衛文麿、第6章「A級戦犯の『日記』」では重光葵、第7章「『政党全滅』をめぐるもろもろの文章」では重光葵、若槻礼次郎、鳩山一郎、幣原喜重郎、有馬頼寧、第8章「徳田球一の正直な文章」では徳田球一が取り上げられている。

 多くのエピソードもあって面白く、鋭い批評に充ちみちており、戦争への道を突き進んだ日本を理解するために必読の貴重な本である。

 

 

                     2025年8月24日

 

 朝日新聞俳壇、歌壇等からの印象句、印象歌の報告、第620回です。

 ウクライナ、パレスティナ詠、俳句に1、短歌に4ありました。反トランプ詠はありませんでした。後ろに掲げます。

 

 

【俳句】

 

 

忘れるに・十分遠し・敗戦忌 (伊勢原市 合志伊和雄)(長谷川櫂選)

 

 

(めずらしい反語的表現。)

 

 

人想ふ・とき風鈴の・遠く鳴り (伊勢原市 合志伊和雄)(大串章選)

 

 

(偶然前句と同一作者。となると戦死者の鎮魂句とも読めてくる。)

 

 

蝉落ちて・寿命なれども・翅ふるう (鎌倉市 関田二郎)

 

 

(蝉はめずらしく、屍を晒し、静かに成仏しない生き物だ。)

 

 

至尊無謬・ええじゃないかと・盆踊り (奈良市 押田六蔵)

 

 

(民族別能天気順をつけたら、きっと日本人はトップクラスだろう。)

 

 

静かなる・炎天餓死の・地へ続く (取手市 うらのなつめ)(小林貴子選)

 

 

(パレスティナ詠)

 

 

【短歌】

 

 

白いご飯・食べて母子で・海へゆき・死なずに帰つた・戦後のある日

                   (生駒市 辻岡瑛雄)(川野里子選)

 

 

(短歌に残さねば埋もれてしまうこと。)

 

 

シートベルト・しろとブザーの・鳴り止まず・助手席に置く・巨大な西瓜

            (羽咋市 北野みや子)(川野里子選)(佐佐木幸綱選)

 

 

(AIにもユーモアのセンス。)

 

 

午前二時・頬を蹴られて・目が覚める・我が子は今日も・宇宙飛行士

                     (柏市 伊藤智紗)(川野里子選)

 

 

(宇宙飛行士風のパジャマを着せたい。)

 

 

人の群れが・駅からビルへ・流れゆく・誰のものでも・ないスピードで 

                     (東京都 粟生翠)(川野里子選)

 

 

(日本人の右傾化の進行とも感じられる。)

 

 

出撃の・30分前の・写真には・信念つらぬく・若者の笑み 

                     (宇陀市 吉岡節子)(高野公彦選)

 

 

(そんな単純な!)

 

 

帝国を・貶めんとする・歪曲と・信じたるまま・友は逝きけり

                         (佐賀市 塩田一隆)

 

 

(「南京大虐殺」のことだろう。不幸な生涯だった。)

 

 

カマキリは・ミンミンゼミを・襲いたり・長くはなきを・かく終わるとは 

                        (庄原市 加田二三麿)

 

 

(天は下々のことには無関心である。)

 

 

野草摘み・「たくさん食べましょう」と言う・ガザの瓦礫に・子を抱く母は 

              (観音寺市 篠原俊則)(川野里子選)(高野公彦選)

 

 

(パレスティナ詠)

 

 

安青錦(あおにしき)・物の見事な・「内無双」・母国は戦火に・包まれながら 

                    (川崎市 宇藤順子)(高野公彦選)

 

 

(ウクライナ詠)

 

 

安青錦・故国の力・乗り移り・粘り強さは・只者にあらず 

                  (名古屋市 立川哲夫)(高野公彦選)

 

 

(ウクライナ詠)

 

 

天国に・行けば食べ物・あると言う・あばらの目立つ・ガザの子悲し

                 (川崎市 赤木不二男)(高野公彦選)

 

 

(パレスティナ詠)

 

 

 

                       2025年8月21日

 

 文学者は、世間、世の中、世界に対する自分の立ち位置、姿勢、態度を選びとり、その上に立って文学活動を展開する。(エンタテイメントを提供する単なるストーリー・テラーと文学者の分かれ目がここにある。)

 ある場合にはそれが自覚され、言葉となって、表わされるが、多くの場合にはそれは曰く言い難く、読者が作品全体から感じ取ることとなる。

 言葉となっている典型的な事例として、永井荷風の場合の「無用の者」がある。

 江戸戯作者たちから寺門静軒、成島柳北を経て荷風に至るものであり、高い知的教養を誇りながら、世に受け入れられない絶望の表現が「無用の者」であった。

 本ブログでたびたび取り上げている小説家・武田泰淳(1912~1976)の場合、それは「恥かしさ」という言葉になると言えるだろう。

 泰淳は、その作品のみならず、日常的な挙措においても、そのような態度を周囲に感じさせる人であった。

 筆者はその代表作と言える「司馬遷」の再読において、泰淳の「恥かしさ」の原因として従来考えられている諸要素に、付け加えるべき重要な一点を見出したような気がしている。

 考証的に妥当とされるか否かは心許ないが、それを報告しておくこととしたい。

 

 泰淳には、小説家である以外に、僧侶として大寺の住職となる可能性のあった人間、非合法社会主義運動の末端運動員としての経験者、従来の支那学、漢学に反発して現代中国文学の研究の必要を説く反主流の中国文学者、という側面があった。

 泰淳の「恥かしさ」の原因として従来考えられていたのは、これらの側面が泰淳にもたらしたものであった。

 すなわち、自分のことはさておいて人の道を説くという僧職という仕事がもたらす「恥かしさ」、相対的に経済的に恵まれた環境に育ちながら非合法社会主義運動に参加して、他の本格的活動家たちの決死的活動との落差を感じさせられてしまう「恥かしさ」、現代中国を最も理解している立場と自負し、中国近代化に立ち上がる中国の革命的青年たちを知りながら、結局は一兵卒として中国戦線に赴き、帝国主義日本の侵略に加担せざるを得なかったことによる「恥かしさ」、さらに過酷な条件のもとで必死に生きる人々、とりわけ条件の苛酷な女性たちにひきくらべての自分の生き方のいい加減さが迫ってくる「恥かしさ」、これらが泰淳の作品群から彼の「恥かしさ」として通常読み取れるものである。

 

 さて、泰淳の「司馬遷」は彼の事実上のデビュー作で、昭和18年、泰淳31才の時、出版された。(すでに僧職は放棄され、非合法社会主義運動からは離脱し、中国出征から帰国していた。)(司馬遷は前2世紀後半から前1世紀前半の漢の歴史家であり、中国の「正史」のはじめとされる「史記」130巻を完成させた人である。)

 その第一篇「司馬遷伝」冒頭は次のようなものである。

「 司馬遷は生き恥さらした男である。士人として普通なら生きながらえるはずのない場合に、この男は生き残った。口惜しい、残念至極、情けなや、進退谷(きわ)まった、と知りながら、おめおめと生きていた。腐刑と言い宮刑と言う(注:当時の死刑に次ぐ重刑。男子は生殖機能を取り去られる。)耳にするだにけがらわしい、性格まで変るとされた刑罰を受けた後、日中夜中身にしみるやるせなさを噛みしめるようにして、生き続けたのである。そして執念深く「史記」を書いていた。「史記」を書くのは恥かしさを消すためではあるが、書くにつれかえって恥ずかしさは増していたと思われる。」

 まずはこの書きぶりに現われている司馬遷の心情への泰淳の同調に注目せざるを得なかろう。

 

 そして第二篇「「史記」の世界構想」中には次の文章がある。

「 司馬遷は自己の不遇を嘆じ、天道非なりと見た。伯夷、叔斉(注:周の武王を諫めたが聞き入れられず山中に餓死した殷の兄弟)と共に、最初から、否定的な気がまえである。天道は闇であり、現実は黒々としている。「天道、是か否か」。疑いも、これをもってきわまれり、といえよう。「天道、是か否か」。天道すら信じられないならば、人は何を信じたら良いのか?司馬遷は何を信じたら良いのか?自分である。自分の歴史である。「史記」である。天すら棄てたもの、天のあらわさなかったもの。それらの人物をとりあげ、あらわすのは、我司馬遷である。我を信ぜよ。我が歴史を信ぜよ。極端な絶望の淵に沈みながら、もりあがってくる自信力で、「伯夷列伝」(注:「史記」は大きく「本紀」「世家」「列伝」に分かれ、「伯夷列伝」は「列伝」の冒頭に置かれている。)は私達をおどろかすのである。伯夷の絶対否定が、かえって司馬遷の勇気を増すのである。「こころに欝結するところあって、その道を通ずることが出来ず、往事をのべて来者を思うのである」(「太史公(注:司馬遷のこと)自序」)自ら、読者のために「天道」をつくる。自ら「天道」となって、歴史を照明する、不敵な決意である。私は司馬遷が、ことに伯夷を尊んだとは考えない。しかし伯夷の境地を自らに擬し、伯夷の決意に劣らざる決意をかためていたと考える。」

 

「司馬遷がことに伝(注:「屈原賈生列伝」)をもうけたのは、屈原が「憂愁幽思して離騒(注:屈原作の長編叙事詩)を作った」からである。憂愁幽思、心憂え物思う、ただそのためであった。歴史的事実として見れば、まことにはかない事実である。一つの心理、一つの影にすぎない。しかし司馬遷は、ここに「文学」を認めた。「憂愁幽思」は志の深さを言う。志の深さは、得難いのである。「文学」とは得難いものと、司馬遷は見たのである。

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 離騒は屈原が窮して、天を呼び、父母を求めたものである。本に返り、根源に下った。それが離騒である。疲れ果てて、世を怨み、己の「文学」をのべたものである。その「文学」をのべる方法は何であるか?司馬遷によれば、それは歴史である。「離騒」においては、上は五帝王から、中ほどは殷の湯王、周の武王の事ども、下は斉の桓公まで、歴史のあとをのべ「世事を刺(そし)り、道徳の広大崇高、治乱の聯関継起を明らかにする」ことであった。これは、屈原的方法であり、また司馬遷的方法でもあった。世事を批判すること、道徳倫理の大きなすがたをのべること、治乱興亡の複雑なつながり具合を明らかにすること、これは司馬遷が「史記」においてまたなした事であった。それ故、わが身の文学にひきくらべ、司馬遷が離騒を重んじたのは、けだし当然であろう。」

 

 ここにおいて司馬遷の心として述べられていることは泰淳の心でもあると読み取れる。

 より言ってしまえば、司馬遷の心か否かは確かではない。にもかかわらず、強く断定的に文章になっているのは、それが泰淳の心だからだ。

 すなわち、泰淳は、「天すら棄てたもの、天のあらわさなかったもの。それらの人物をとりあげ、あらわすのは、我である。我を信ぜよ。」「自ら、読者のために「天道」をつくる。自ら「天道」となって、歴史を照明する」「伯夷の境地を自らに擬し、伯夷の決意に劣らざる決意をかためて」いる、「世事を批判すること、道徳倫理の大きなすがたをのべること、治乱興亡の複雑なつながり具合を明らかにする」という「屈原的方法また司馬遷的方法」で自分もまた行く、「歴史的事実として見れば、まことにはかない事実である。一つの心理、一つの影にすぎない」それは承知の上で、と司馬遷の名を借りながら、自分のこれからの文学をここで宣言しているのである。ここで宣言してしまったのである。

 何事にも「恥ずかしい」「恥ずかしい」という態度だった泰淳がここにおいて、まったく無名の新人でしかなかったにもかかわらず、大胆にも、歴史上の大人物司馬遷、あるいは大詩人屈原となって、世間、世の中、世界を相手にして一勝負することを宣言してしまったのである。

 この泰淳の「大見得」を泰淳の周辺が、そして多くの読者が気づかないはずはないことに泰淳は気づかないではいられない。

 泰淳がそれを「恥ずかしい」と考えなかったはずがない。

 

 そして泰淳は「恥ずかしい」との思いを抱きつつ、その宣言に忠実に、作家活動を続けたのだ。

 「泰淳=怪物」という評は至当であった。

 

 

 

 

 

                        2025年8月17日

 

(朝日新聞俳壇歌壇が休みのため、番外(印象句、印象歌・8月第4週)は休みます。)

 

(1)

 同じ人類同士であるにもかかわらず、人類は悲惨な殺し合いをしてしまう動物である。

 他の動物はどうであろうか?

 平常時には殺し合いはしないものの、犬も飢えた場合には殺し合うのではないだろうか?

 むれ単位で殺し合ったり、個体対個体で殺し合ったりするのではないだろうか?

 直接殺し合わなくても、えさ場を奪って間接的に相手を死に追いやるのではないだろうか?

 これを考えると哺乳類にとどまらず、鳥類も爬虫類も、動物一般に生存の危機の場合の仲間同士の殺し合いはあると考えられる。

 

 さてしかし、人間以外の動物の場合は飢えという絶対的な生存の危機が殺し合いの契機となるのに対して、人間はそうではない場合にも何らかの理由によって殺し合う。  

 そこに人間と他の動物との大きな違いがある。

 この違いの発生の原因は、いったい人間のどんな性格によるものなのであろうか?

 

 それは人間における「生存危機概念の肥大化」と「知能の過剰・暴走とその不十分性」だと考えられる。

 「生存危機概念の肥大化」とは、人間の欲望の無限→文明・生産力の発展→生活内容の高度化→「生活内容維持=生存」という誤認、という連鎖で生じる、生活水準維持の困難を生存の危機のように捉える現象のことである。

 「知能の過剰・暴走」とは、人間は高い知能によって時間場所が離れた事象から間接的な生存危機を推測することができるところから、過度の警戒心・恐怖心によって無用の危機を夢想してしまうことである。

 「知能の不十分性」とは、人間の高い知能は残念ながら中途半端な水準にとどまっていて、過度の警戒心・恐怖心によって夢想してしまう危機について、その発生確率の正確な把握と対応のシミュレーションを十分に行うことができないことである。

 このため、冷静な判断を下すことができない結果の過剰反応として、戦争に踏み切ってしまうのである。

 以上からすれば、「生存危機概念の肥大化」と「知能の過剰・暴走とその不十分性」を自覚し、それを合理的に抑制すれば、無用の殺し合いを抑止することができるはずだ。

 この「生存危機概念の肥大化」と「知能の過剰・暴走とその不十分性」の克服のためにAIを活用することも考えられるはずだ。(若手研究者のチャレンジに期待したい。)

 

(2)

 戦争を引き起こす原因として上げられるナショナリズムの無根拠性がしばしば指摘される。

 ナショナリズムを合理的に説明することの困難性も指摘される。

 ナショナリズムの無根拠性、合理的説明の困難性は、ナショナリズムが実は「生存危機概念の肥大化」と「知能の過剰・暴走」がもたらす幻想を共有する集団に形成される、まぼろしの一体化意識でしかないことに基づくのではないだろうか?

 ナショナリズムとはもっともらしい体裁(それが神話というもの)で取り繕った、御都合主義的に束ねられた、ナンセンスな基礎の上に立つ集団エゴイズムでしかないのではないだろうか?

 だからこそ、ナショナリズムの本質を探ろうと、その皮をいくらむいても、出てくるのは集団エゴイズムでしかないということになるのだ。

 

 ナショナリズムの本質の理解のためには、日本の戦国時代の大名の領地内で形成される、「農民」も巻き込んだ、神話なき一体化意識を想起してみるとよい。

 類似のものに指定暴力団の「シマ」で形成される「カタギ」も巻き込んだ一体化意識もある。

 特殊歴史的現象であり、発生の経緯論、状況論があってノスタルジックではあっても(物語となって人の心を揺るがすものではあっても)、そこに正当性(正義)も正統性(由緒の正しさ)もへったくれもないのである。(若手研究者による文化人類学的な厳密な研究を期待したい。)

 

 以上のようなものであるナショナリズムは、いずれ克服され、昇華されることになると展望される。