2025年9月9日
高校2年の倫理社会の教材として「般若心経」に遭遇して以来半世紀以上、「色」とは何か、「空」とは何か、その解釈を考えてきた。
解釈は大きく変化してきたし、今後さらに変化することも考えられる。
今後のために現時点での解釈を書きとめておこうと思う。
「色」とは、「人間が感知している世界」のことであり、世界の中のもの・ことや関係に「ことば」がはり付けられることによって世界が構成されている世界である。我々が日常的に生きている世界である。
感知の対象となる「ナマの世界」は、「人間が感知している世界」とは別もので、混沌として、構造がなく、不確かな、ぼんやりした、手がかりのない世界であり、当然「ことば」もなく、人間が直接それを感知することはできない。
「ナマの世界」を、人間の関心・都合によって、5ないし6の感覚器官で「取材」し、大脳で「編集」したのが「人間が感知している世界」である。
「取材」とは、「ナマの世界」から人間が感知可能な情報を切り出してくることである。
「編集」とは、切出されてきた情報を区分(仏教では分別(ふんべつ))し、「ことば」をはり付け、関係づけ、さらに推論し、世界を感知しうる状態に整序することである。(「編集」は「取材」に働きかけ、「取材」は「編集」に働きかけるという相互作用がある。)
「人間の関心・都合」とは、生物学的生存が基本だと思われるが、人間は「取材・編集」による独特の世界認識の結果、単純に生物学的生存を目的とするとは言い切れない複雑化した生物となっている。
歴史の積み重ねの中で「人間の関心・都合」は変化してきた。
このため、「ナマの世界」の「取材・編集」のされ方も変化してきた。
結果として「人間が感知している世界」「ことばがはり付いた世界」(=「色」)は変化してきた。
その変化に応じて行動規範、もの・ことへの態度、もの・ことによる感情が変化してきた。
それによって、元の「関心・都合」は別の「関心・都合」に変化する。
するとそれまでとは異なる「取材・編集」が行われるようになる。
結果として「人間が感知している世界」「ことばがはり付いた世界」(=「色」)は変化する。
その変化に応じて‐‐それによって‐‐すると‐‐結果として‐‐と、変転極まりない、無限連鎖が継続する。
人類はこの変転極まりない、無限連鎖の過程の中に存在する生物である。「諸行無常」ともいう。
「人間が感知している世界」「ことばがはり付いた世界」(=「色」)は「絶対・永遠・普遍」に至ることのない世界である。
この不確かな、あてのない状態が即ち「空」である。
以上もまた人間の関心・都合による「編集」である、と言われれば否定のしようもない。
ただ、ブッダは「五蘊皆空」(「色」に加えて「色」を作り上げる情報処理装置としての人間もまた「空」である)と知り、一切の苦厄から解放されたと「般若心経」にはある。