2025年8月28日
終戦80周年の8月を終えるにあたり、標記について筆者なりの見解をまとめておきたい。
1(世界の趨勢の把握の失敗)
第1次世界大戦に至るまで展開されてきた帝国主義的植民地獲得競争(「旧枠組」)と第2次世界大戦後に完成に至る新植民地主義(政治的独立を認めつつ、経済力によって旧植民地の経済的支配・収奪を図ろうとする政策志向。「新枠組」)とが混在しつつ、徐々に後者に移行しつつあるという戦間期の世界の趨勢の把握に失敗したこと。(米英から、日本は結局「旧枠組」に固執する国であり、共存に限界があると断定されるに至る。)
2(中国国民党革命運動の軽視)
辛亥革命を起源とする国民党勢力の本質が勃興したナショナリズムであり、国家統一、民族自決であることを見究められず、その伸張を抑えることは困難との判断ができないまま、中国における既得権益の維持のため非近代的存在である軍閥の利用に偏向したこと。(ベトナム戦争においてアメリカが「ベトコン」を共産主義勢力とばかり認識し、民族独立運動であることを看過し、それを弾圧する腐敗政権を支えようとして結局敗北したことを想起させる。)
《注:上記1及び2についてはベルサイユ条約の曖昧、中途半端なところであり、日本はそこを都合よく解釈したのだった。》
3(「国際協調派」の力不足)
上記1の世界の趨勢を把握していた勢力(「国際協調派」)は存在しており、一大勢力を形成していたものの、その主張は既得権益の一部放棄を伴うものであり、「旧枠組」から脱却できない、「血で購った」既得権益にこだわる軍部、政党政治家、マスコミ、そして一般国民大衆に対して、「新枠組」を説得することが最終的には出来なかったこと。
4(学問的未熟)
「旧枠組」ではその成果が短期に発現し、わかりやすいのに対して、「新枠組」はその成果の発現に時間を要し、わかりにくく、経済的困難の中で短期の成果が強く要請される状況で、マスコミを含めた指導的知識人階層に「旧枠組」を放棄させ、「新枠組」のメリットを納得させる「科学的」説明を十分に展開する水準に学問が到達できていなかったこと。
5(内部抗争への拘泥)
陸軍対海軍、政友会対民政党、藩閥勢力対新興勢力、軍内部での勢力争い等々がある中で、内部抗争での勝利を目的化する傾向が支配的となり、それが大局を見失わせるように機能してしまったこと。
6(旧憲法下の天皇制)
旧憲法下の天皇制が合理的な国家意志の形成にどのような役割を果たしたかという問題がある。実証的事実を見出しているわけではないが、神聖不可侵の絶対者に帰依する個人は、当該絶対者と1対1の主観的関係を形成し、他者の介入を許さないという一般的傾向がある。陸軍等に見られた組織内非公然組織の形成、手続き無視の独断専行を生み出す背景には、このような傾向が影響を与えていたのではないかと推測される。
《注:さて、それでは以上のような誤謬を事前に克服していれば、日本は戦争に突入することを避け得たであろうか?
国際協調体制に入ることにより、しばらくの間は戦争を回避することはできたであろう。しかし、「国際協調派」といえども国益優先の立場に立つものであり、発想がパワーポリティックスの枠内であることには変わりはなかった。したがって、台頭するナショナリズム、競合するナショナリズムとのせめぎあいから逃れることは出来なかったはずだ。それが戦争に至ることは十分に有り得たと考えざるを得ないであろう。》